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「昔むかしお爺さんとお婆さん『が』いました。お爺さん『は』山へ芝刈りに…」
「昔むかしお爺さんとお婆さん『は』いました。お爺さん『が』山へ芝刈りに…」
聞きなれているせいもあるかと思いますが,前者のほうが正しいように聞こえます。

前者だと,『が』を使うことで,「お爺さんお婆さんが何人もいてるなかで,あるお爺さんとお婆さんに焦点をあてる」という役割をもっているような気もします。

「は」と「が」はどのような意味があり,どのように使い分けるのでしょうか。

A 回答 (8件)

「が」は主語を強調するときに使います。

「は」は、それ以外のものを強調。
「私は、山田です。」
「私が、山田です。」
前者は、「山田」を強調。後者は「私」を強調。
「おじいさんは山へ芝刈りに…」は、山へ芝刈りに、を強調、「おじいさんが山へ芝刈りに…」は、おじいさん、を強調。
簡単に言えば、こんなもの。
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「は」と「が」の違いは次のとおりです。


 「は」は主題部を受けて叙述部につなぐ助詞。
 「が」は叙述部を受けて主題部につなぐ助詞。

主(格)語は文中の動作などの主体を示すのに対し、主題部は文外の語り手の問題意識を示します。

>「昔むかしお爺さんとお婆さん『が』いました。お爺さん『は』山へ芝刈りに…」
この文の主題は、「が」の後ろにある「いました」です。語り手の意識としては、桃太郎を育てることのできる誰かが居ること必要で、老夫婦でなくてもよいのです。

 「昔むかし叶姉妹『は』田舎で暮していました。
  姉『が』山へ芝刈りに・・・」
この文のあとに桃太郎の話しを続けても文法的に何の問題もありません。しかし、意識の上では問題無しとしません。
(1)「叶姉妹は」の文の主題は叶姉妹です。聞き手は叶姉妹の話が始まるのかと勘違いします。
(2)「叶姉妹は」の文の主題は叶姉妹です。単に「いました」と受けたのでは、聞き手は説明(叙述)不十分と感じます。(田舎になどの)具体的な文言を要求します。
(3)「姉が山へ」の文の主題は「が」の後の「山へ芝刈りに」です。語り手の意識は芝刈りや洗濯などの日常行動にあるということになりますので、聞き手としては風呂や化粧はどうなっているんだとツッコミをいれたくなります。

なお、上のの例文のどれにおいても、主(格)語はお爺さんであり、姉妹であります。

以上から、「は」と「が」は文が表現している「主語ー述語」の問題ではなく、文を表現している「主題ー叙述」の問題であることを分っていただければ幸いです。
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誤入力の訂正です。


(私≡(例の となっている所を、下のように (私→(例の と訂正します。

「私「は」例の小説を書いた」 は (私→(例の小説∧書いた(の))(だ) です。──「私「が」例の小説を書いた」のが本当なら「私「は」例の小説を書いた。」と表現しても間違いではありません。
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日本語では、


論理式 P≡Q を PがQ(である/する)
    P→Q を PはQ(である/する) 
と表現することができます。

論理式 P≡Q を積和に展開すると 
(P∧Q)∨(~P∧~Q) になるので
「PがQ(だ)」は「Pでないもの(は)、Qでない」を含意します。

論理式 P→Q を積和に展開すると
 (P∧Q)∨(~P∧Q)∨(~P∧~Q) になるので
「PはQ(だ)」は「Pでないもの(は)、Qである(かもしれないし)、Qでない(かもしれない)」を含意します。

「昔むかしお爺さんとお婆さん『が』いました。」は話の最初なので、お爺さんとお婆さんしか登場していません。お爺さんとお婆さんでない人は誰もいないので「≡」=『が』という論理演算子が使えるのです。

「お爺さん『は』山へ芝刈りに行きました。」はお爺さんのことしか表現していません。この時点では、もしかするとお婆さんも山へ芝刈りに行ったかもしれませんし、それとも行かなかったのかもしれません。さらに、隣のおっさんも山へいったかも知れませんし、行かなかったかもしれません。それで、「→」=『は』という論理演算子が使えるのです。

なお、P≡Q ├ P→Q は常に成り立ちますので、
 「PがQ(だ)」 が本当なら 「PはQ(だ)」 も本当です。

「私「が」例の小説を書いた」 は (私≡(例の小説∧書いた(の))(だ) です。──私以外の人が書いたのではないので『が』が使えます。
「私「は」例の小説を書いた」 は (私≡(例の小説∧書いた(の))(だ) です。──「私「が」例の小説を書いた」のが本当なら「私「は」例の小説を書いた。」と表現しても間違いではありません。

「たろう君『が』雑巾がけをしました。」  は  (たろう君≡(雑巾がけを∧しました))  です。
「たろう君『は』雑巾がけをしました。」  は  (たろう君→(雑巾がけを∧しました))  です。

「父は、この本を買ってくれました」 は 父→(この本を∧(私に)∧買ってくれた)) です。

「僕は、うなぎだ」  は  (僕→うなぎ)だ   です。
  「X(が)、うなぎである僕」 が本当なら  
  「僕は、うなぎだ」 は本当です(Xには、「注文したもの(が)」とか、「性格的に掴みどころの無い、まるで」とか、「こないだの書き取り試験で書けなかった漢字(が)」とか、それぞれの表現が正しくなるような前提を思い浮かべて代入してください)。

「象は、鼻が長い」       は (象→(鼻≡長い(の)))(だ)     です。
「日本は、温泉が多い」     は (日本→(温泉≡多い(の)))(だ)   です。
「昨日は、大風が吹いた」    は (昨日→(大風≡吹いた(の)))(だ)  です。
「牡蠣料理は、広島が本場です」 は (牡蠣料理→(広島≡本場))です   です。

最後の例文、「牡蛎料理」「広島」「本場」、そして「は」「が」を、入れ替えると
  牡蛎料理は、広島が本場です。
  牡蛎料理が、広島が本場です。
  牡蛎料理は、広島は本場です。
  牡蛎料理は、本場が広島です。
  牡蛎料理が、本場が広島です。
  牡蛎料理は、本場は広島です。
  広島は、牡蛎料理が本場です。
  広島が、牡蛎料理が本場です。
  広島は、牡蛎料理は本場です。
  広島は、本場が牡蛎料理です。
  広島が、本場が牡蛎料理です。
  広島は、本場は牡蛎料理です。
  本場は、牡蛎料理が広島です。
  本場が、牡蛎料理が広島です。
  本場は、牡蛎料理は広島です。
  本場は、広島が牡蛎料理です。
  本場が、広島が牡蛎料理です。
  本場は、広島は牡蛎料理です。
のように、多くの表現が可能ですが、
  Xは 牡蛎料理の本場の広島です。
が本当なら、これらの表現のすべてが本当です(Xには、「ここ」とか、「私の故郷は」とか、それぞれの表現が正しくなるような前提を思い浮かべて代入してください)。
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私も「は」と「が」の違いには、悩んで考え込んだことがあります。


考えを述べさせて頂きます。参考になれば幸いです。

「が」と「は」の違いは、

「が」は・・・主語+動詞 ⇒ 主語と動詞の結びつきが強くなります。
「は」は・・・主題+動詞 ⇒ 主題と動詞の結びつきは強くなりません。

です。

例えば、次の文章を考えて見ます。

「たろう君『は』雑巾がけをしました。」

これは、雑巾がけをした人を特定した文章(※1)、
もしくは、たろう君の動作を特定した文章(※2)と二つ取れるかと思います。

(※1)
「たろう君『は』雑巾がけをしました。」
「じろう君『は』雑巾がけをしました。」
「まさし君『は』雑巾がけをしました。」

(※2)
「たろう君『は』雑巾がけをしました。」
「たろう君『は』ほうきがけをしました。」
「たろう君『は』窓拭きをしました。」

つまり、

たろう君       雑巾がけ
じろう君  『は』  ほうきがけ をしました。
まさし君       窓拭き

複数ある主題と複数ある動作の中から主題と動詞を選択し、
結びつけるだけの役割が「は」です。
⇒主題と動詞の結びつきは強くありません。

「が」について考えてみます。

「たろう君『が』雑巾がけをしました。

これは、たろう君が主語になり、たろう君について焦点をあてて、
兎にも角にも、たろう君と言う人物がどの様な動作を行ったかを
述べています。

主語の動作を特定する役割が「が」になります。
⇒主語と動詞の結びつきが強くなります。


そして質問文ですが、

>「昔むかしお爺さんとお婆さん『が』いました。お爺さん『は』山へ芝刈りに…」
>「昔むかしお爺さんとお婆さん『は』いました。お爺さん『が』山へ芝刈りに…」
>聞きなれているせいもあるかと思いますが,前者のほうが正しいように聞こえます。
>前者だと,『が』を使うことで,「お爺さんお婆さんが何人もいてるなかで,あるお爺さんとお婆さんに焦点をあてる」という役割をもっているような気もします。

私も、前者が正しい文章だと思います。ですが、私の見方では、
「お爺さんお婆さんが何人もいてるなかで,あるお爺さんとお婆さんに焦点をあてる」
よりも、
「お爺さんとお婆さんに焦点をあてる」
になります。

繰り返しになりますが、全体の結論としては、

「は」は主題(主部)と動作(動詞)を結び付けるだけの役割。
主題と動詞の結び付きは強くない。

「が」は主語(主部)の動作(動詞)を特定して結びつける役割。
主語と動詞の結び付きは強い。

です。

決定打に欠けるかも知れませんが、
少しでも、考える足しになれば幸いです。
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この回答へのお礼

使い分けるときは結び付きを意識することが大切ですね。
夜分遅くにも関わらず回答してくださり,ありがとうございました。

お礼日時:2008/06/05 10:45

再びお邪魔します。



一つ書き忘れましたが、
「昔むかしお爺さんとお婆さん『が』いました。お爺さん『は』山へ芝刈りに…」
における「お爺さん」と「お婆さん」は、物語の中では実質的に固有名詞としての役割をしている言葉であることにご注意ください。
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こんばんは。


よく見かける質問ですね。

前者は、
まず、1人のおじいさんと1人のおばあさんを新規の登場人物として紹介し、
その、紹介済みのおじいさんが芝刈りに行ったという、自然な流れです。

後者は、
物語を語り始める前に、すでに読者がご存じのおじいさんとおばあさんがいて、その2名のうち、おばあさんではなくおじいさんが芝刈りに行った、という不自然な流れです。


>>>
前者だと,『が』を使うことで,「お爺さんお婆さんが何人もいてるなかで,あるお爺さんとお婆さんに焦点をあてる」という役割をもっているような気もします。

それは考えすぎです。
「が」を使って新規の登場人物を紹介しているに過ぎません。


「は」・・・副助詞
こちらの(1)、(2)、(3)を参照してください。
http://dictionary.goo.ne.jp/search.php?MT=%A4%CF …

「が」・・・格助詞
こちらの、「一」の(1)、(2)を参照してください。
http://dictionary.goo.ne.jp/search.php?MT=%A4%AC …



以下は、「は」「が」の使い分けに関する、私の過去の投稿からの抜粋です。
ご質問文にある、おじいさん、おばあさんのことから若干離れる部分もありますが、ご参考に。

----------------------------------


「が」と「は」には明確な違いがあります。

文法用語では、

「が」=格助詞
  → 単に主語vs述語 といった関係だけを表します。

「は」=副助詞
 → これは一種の強調であって、そのことに限定されることを表します。



----------------------------------


【“強調表現”として使われるときの「が」と「は」】


「AがB(する/である。」
   → Only A is/does B. 
 数学の記号で書けば、A≡B(合同)、

 例えば「僕が正しい。」という言い方はありますね。
 しかし、世の中に正しい人・事象は沢山あります。
 この場合は、その場に、正しい人が1名しかいないので、実質的には、やはりA≡Bです。

 また、「A⊇B」とする考え方もあります。
 例えば、
 「僕が(1人制の)当番をやります。」
 と立候補するのは、極めて普通の表現ですが、この人は、他の当番(C,D,E・・・)も掛け持ちすることはありえますから。


「AはB(である/する)。」
  → A is(/does/can do) B only. あるいは A is in B.
 数学の記号で書けば、A⊆B



おおむね、このような法則に従っていると思います。

今、私の頭の中で、その他の色々な例を思い浮かべてみましたが、全部、この法則に従っているように思います。

私「は」こう考えます。

----------------------------------


私が仮定している法則
AはBする/である ⇔ A⊆B


象は鼻が長い
 「に」「で」の代用と思われますが、文末に「動物だ」が省略されていると思えば「が」の代用と考えられます。(むしろ「動物だ」が省略されていると考えるほうが自然だと思われます。)

 象 ⊆ 象が長い動物
 (つまり、象以外に鼻が長い動物がいないということを暗示するものではない)


父は、この本を買ってくれました
 「が」の代用。

 父 ⊆ この本を買ってくれた人
 「父は、この本を買ってくれた人の一人」
   →おかしい →法則から外れる(※)


日本は温泉が多い
 「で」の代用とですが、文末に「国」が省略されていると思えば、「が」の代用ともいえます。

 日本 ⊆ 温泉が多い国々


この本は父が買ってくれました
 「を」の代用ですが、「くれました」が「くれたものです」と脳の中の言語思考では同じなので、そう考えるとすれば、「が」の代用

 この本 ⊆ 父が買ってくれたもの


昨日は大風が吹いた
 「に」の代用とも言えますが、文末に「日」が省略されていているとすれば「が」の代用とも言えます。

 昨日 ⊆ 大風が吹いた日


牡蠣料理は広島が本場です
 「については」の代用。しかし、言語思考的には「牡蠣料理は広島が本場の料理です」と全く同じなので、「の料理」が省略されているものと考えられます。
 牡蠣料理 ⊆ 広島が本場の料理
 (広島は、お好み焼きの本場でない、とは言っていない)



というわけで、仮定した「法則」に関して、

「父は、この本を買ってくれました」

の1文が問題点として残ってしまいました。

この問題点をどう考えるか?


まず、
このような例を挙げましょうか。

「僕は国語が嫌い。
 そして、僕は数学が嫌い。
 そして、僕は英語が嫌い。」

ここで、全ての「は」を「が」に戻してみると、
これらの性質を持つ人間が、「僕」しかいないかのように聞こえます。


たしかに、
「父は、この本を買ってくれました」

「父が、この本を買ってくれました」
の1つの文同士の比較だけで考えますと、あまり違いが分かりにくいかもしれないですが、
上記の「僕は」の例のように書くと、どうなるでしょうか?


「父は優しくしてくれました。
 そして、父は色々なことを教えてくれました。
 そして、父はこの本を買ってくれました。」

(ちなみに、これを
「父が優しくしてくれました。
 そして、父が色々なことを教えてくれました。
 そして、父がこの本を買ってくれました。」
と書いてしまいますと、「父に限定」ですね。)


さて、
「この本を買ってくれる」という部分は、一見、「一つの行為」に限定して書かれているように思えますけれども、実は、そうではありません。
「(本を買い与えるという行為をしてくれるような)性質」を表しています。

よって、

「父は、この本を買ってくれました。」

という文は、実は、

「父は、この本を買ってくれるような性質の持ち主だ。」

の略です。
(「性質の持ち主だ」の部分のバリエーションは、色々ありますが。)
そして、「買ってくれる」という行為が、この本に関しては過去のことなので、「買ってくれた」に補正しているだけのことです。

父 ⊆ この本を買ってくれるような性質の持ち主

これは、屁理屈でも何でもないです。
おそらく皆さんも、頭の中でそう考えながら、話したり書いたりしているはずだと思いますよ。

ですから、依然として、「は」は「が」(格助詞)とは明確な違いがある「副助詞」なのです。
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回答になっているかどうか分かりませんが・・・


強調部分を「」で囲いました。

お爺さんとお婆さん「は」いました。

少なくともお爺さんとお婆さんがそこに「存在して」いた。

お爺さんとお婆さん「が」いました。

「お爺さんとお婆さんだけ」がいて、その他の人(お父さんとかお母さんとか)はいなかった。

お爺さん「は」山へ芝刈りに、お婆さん「は」川へ洗濯に・・・

単純な並記。

お爺さん「が」山へ芝刈りに・・・

お婆さんではなくて、「お爺さん」が。いつもはお婆さんが行っている?と思わせるかも。

これだと「は」がわかりづらいですね。

ちょっと状況を変えて、小説を書く、と言われた相手の心境を。

私「は」例の小説を書いた。

ふむふむ、「あの小説」ねぇ。

私「が」例の小説を書いた。

あぁ、あのひとじゃなくて「あなた」が。

というように、「は」はその後に続くものに主眼を、「が」は主語に主眼を置いているように感じます。

中学あたりの国語では、どちらも「主格の助詞」として片づけられちゃうんですよねぇ。

うーん、やっぱり回答になってないですね。すみません。
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