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 私は日本語を勉強中の中国人です。寝ている赤ちゃんの長いまつげに焦点をあて、次のような文を書いてみました。綺麗な日本語に添削していただけないでしょうか。

 日差しがくると、かすかに【震える】まつげが影を落とす【だろう】。

 上記の文の中で、把握できないニュアンスは二箇所ネイティブの方々に確認していただきたいのですが、ご説明をお願いします。

1.「震える」と「震えている」。

2.「だろう」と「であろう」。

 また、質問文に不自然な日本語の表現がありましたら、それも教えていただければ大変嬉しく思います。よろしくお願いいたします。

A 回答 (10件)

こんにちは。

前回のご質問ではお返事を有難うございました。

ご質問1:
<「震える」と「震えている」>

1.「震える」:現在形で、動作の叙述的事実を表します。

2.「震えている」:動作の進行状態を表します。

3.叙述的事実は「現在形の叙述用法」「描写的現在形」とも言われ、状況を生き生きと描写する効果、場面の状況をありありと描き出す効果があるので、小説などではよく使われる語法です。
例:
「彼女の震える手をそっと握った」

4.つまり、わざわざ今進行しているかのように、「震えている」と進行形を使わなくても、描写的現在形で、その場の状況をありありと描くことができるのです。

5.従って、ご質問文の場合も、この効果を持った「震える」でいいと思います。


ご質問2:
<「だろう」と「であろう」>

1.後者は「文語対」で、堅苦しいイメージになります。

2.論文などでは可能ですが、小説ではあまり相応しくありません。

3.なお、ここでも「影を落とす」の現在形も、「描写的現在形」の効果をともなって、余分な助動詞を使わない方が、場面に臨場感を持たせ小説に効果が出ると思います。


ご質問3:
<日差しがくると>

とは、通常は言いません。

1.通常は
「日が差す」
「日差しを浴びる」
と言います。

2.ここで使われている「と」は、「動作・作用の転化の結果」を表す格助詞です。つまり、「AするとBする」というように、AとB間には、必然的な因果関係が生まれます。

3.ここでは、「日が差す」のと「まつげが影を落とす」のは、必ずしも必然的な因果関係にはありませんから、動作・作用の時間的な連続を表す「て」を使って、自然な流れにした方がいいでしょう。

4.以上を踏まえて訂正例は
「日差しを浴びて、かすかに震えるまつげが影を落とす。」
「日が差して、かすかに震えるまつげが影を落とす。」
となります。

5.さらに、まつげの所有者をもう一度はっきりさせた方がいいので、
「日が差して、かすかに震える彼女のまつげが、影を落とす。」
となります。

以上ご参考までに。
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この回答へのお礼

 早速のご回答ありがとうございます。「現在形の叙述用法」「描写的現在形」の感覚を模索しているところです。いろいろ詳しく説明していただき助かりました。大変参考になりました。本当にありがとうございました。

お礼日時:2008/07/12 19:27

> もともとは「静かな影を落とす」と文を成すつもりでしたが、「震え


> る」で「静かさ」が表現できる感じがするので、「静かな」を捨てま
> した。

そういうことでしたら、いっそ「震える」も取ってしまいましょう。以下に添削例を示します。

-------------------------
レース越しに降り注ぐ朝の陽射しが
穏やかに眠る君の睫毛を照らし
健やかな頬の上に 長い影を描く
-------------------------

● ポイント1 「震える」を削った理由
静けさをイメージすることが目的ならば、「震える」は不用です。確かに睫毛が震える時に音は立てませんが、だからと言ってこの言葉に “静” のイメージがあるわけではありません。
また、「睫毛が震える」は、主として泣いたり精神的に動揺ないし興奮している人の描写に使われます。穏やかに眠る赤ちゃんの描写にはどうかな‥という気がします(特別の理由があれば反対はしません)。

● ポイント2 用語について
(1) 「レース越し」、「朝の」
これらは、光に優しい印象を与えるために付けました。デリケートな赤ちゃんの肌を直射日光に晒すことにも抵抗がありましたし‥。もっとも、日本には真夏に子供を自動車内に放置して死なせる恐ろしい親もいますが‥ (笑)

(2) 「降り注ぐ」
特に意味はありませんが、私の好きな言い回しです。「光のシャワーを浴びる」という感じがします。

(3) 「陽射し」
これも単純な好みの問題です。私にとって「日差し」はどちらかと言えば散文的で、またギラギラした日光をイメージさせます。

(4) 「穏やかに」
「静かに眠る」は、私の場合死人をイメージしてしまいます。

(5) 「君の」
二人称を使うことで赤ちゃんに対する愛情(気持ち)を出したつもりです。

(6) 「健やかな」
健康そうなという意味です。赤ちゃんのほっぺの “すべすべつるつる感” をイメージさせるため。

(7) 「影を描く」
「描く」でも「映す」でも何でもいいのですけど、やはり私としては、「影を落とす」は赤ちゃんと組合わせたくありません。
ちなみに「『影を落とす』は中国語と同じような使い方をしております」とのことですが、自国語の常識を他国の言葉にそのまま持ち込むことには反対です。日本人に読ませるのならば、日本人の感覚で書く必要があるでしょう。これは逆のケースでも同じことです。

以上のことはあくまで私の感覚でお話ししています。日本人でも感じ方は十人十色であることは、言うまでもありません。

● ポイント3
これはポイントと言うより疑問です。
普通の赤ちゃんは眠る時目蓋を完全に閉じます。この状態では、たとえ睫毛の長さが3cm位あったとしても、影は出にくい気がするのですが、いかがでしょうか?
一応1mizuumi さんのイメージに沿って書いてはみましたが、この点だけはどうもしっくり来ません ( ^^;

- 余談 -
ポール・マッカートニーという人をご存知かと思います。彼は目が非常に大きいのですが、それをバンドの仲間がからかってこう言いました。

彼はあまりにも目が大きいので、夜床に就いても目蓋を閉じるまでに物凄く時間が掛かる。で、すっかり閉じ切る頃には、夜が明けてしまうんだ。

ジョン・レノンのアルバム『IMAGIN』に収録されている『How do you sleep ?』は、ビートルズ時代のこのジョークから来ています。曲の内容はジョークとは程遠いものですが‥

How Do You Sleep?
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8F%E3%82%A6% …
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この回答へのお礼

 ご回答ありがとうございました。

>以下に添削例を示します。
>「静かに眠る」は、私の場合死人をイメージしてしまいます。

 貴方の母国語を大切にしてください。

お礼日時:2008/07/12 21:42

補足・お礼、ありがとうございます。

熱心さに感心します。

>ここの「こと」はどのような働きなのでしょうか。なんとなく文が整っている感じがするのですが、使い方がよくわかりません。

――実は、日本人である私にも、この「こと」の働きを上手く説明することができません。ただ、この文章では、「(推量の文で、)~するようになる」、「様子がある」、「様子が見られる」、「様子が見られるようになる」と置き換えられるように思います。

「朝の日差しが訪れれば、かすかに震える睫毛が影を落とすようになるだろう。」
「朝の日差しが訪れれば、かすかに震える睫毛が影を落とす様子が見られるようになるだろう。」


>一つ目の発想は差し込んできた日差しの重さを受け、まつげが一瞬震えました。

――むずむずした、という感じですよね。それであれば、「震える」でいいかと思います。


>二つ目の発想は赤ちゃんが均整の呼吸をしているので、まつげが震え続けています。

――呼吸にともなって動いている、ということなら、「震える」とは表現できないように思います。
「まつげ」が「震える」のでないとしたら、
「まつげ」は「どうする/どうなる」のですか?と質問されそうですが、
一言で「どうする/どうなる」かは表現できないような気が、まずします。
そういう気がした次の瞬間ぐらいに、「上下する」ということになるのかな?と思いつきます。

「均整の呼吸」の“均整”は“健康”であればこそなのでしょう。“健康”をやわらかい日本語(やまとことば)で表せば“すこやかさ”ということになるかと思います。ここから“穏やかさ”とか“安らかさ”とか“静かさ”、範囲を拡大して“やわらかさ”という言葉も連想されます。こういう言葉を候補にして、質問で取り上げている文を編んでいってはどうでしょうか。

『朝の日差しが訪れれば、すこやかな呼吸のたびに上下する睫毛が、影を落とすことだろう。』


前の回答でも書きたかったことなのですが、自分としては、影がどこへ落ちるのかも書きたいところです。
言葉の不思議なところですが、まつげは、目の上のへりにも下のへりにも生えているのに、「まつげ」と言ったら、誰でも、上のへりのほうの睫毛をまず想起するようです。(これは中国でも同じなのでしょうか?)
この文での、影を落とす睫毛も、上のほうの睫毛ですよね? そうだとすると、その影は目の下の肌に落ちるのだと思うのですが、この「目の下」をなんと言ってよいのか上手く思いつきません。

下まぶた? と、消極的な思いつきが頭に浮かんできますが、何となく、この文では使いたい気がしません。

「まぶた」についても、上と下があるのだけれど、「まぶた」と言えば誰でも上のほうのまぶたをイメージする。
それに下のまぶたって、ほんとに「まぶた」って言えるものなの?という気もして「下まぶた」と表現することがしっくりしない。

「(上の方の)まぶた」はフタっぽく開いたり閉じたりするけど、
下の方はほぼ固定されていてフタという感じはしないから「下まぶた」ではないような気がする。

カエルとかトカゲとかだと、目を閉じる時、上のほうのまぶたが下がるのと同時に「下まぶた」が上のまぶたを迎えにいくように上がっていくので、「下まぶた」もいかにも「まぶた」という感じがするのですが。

そこで、自分も質問しました。

目の下の部分は何と言いいますか?
http://kikitai.teacup.com/qa4167064.html

「下眼瞼(かがんけん)」と言うのが正式な言葉のようですが、

『朝の日差しが訪れれば、すこやかな呼吸のたびに上下する睫毛が、下眼瞼に影を落とすことだろう。』
とは書きたくないですね。

『朝の日差しが訪れれば、すこやかな呼吸のたびに上下する睫毛が、目元のやわらかな肌に影を落とすことだろう。』

がいいでしょうか? 「睫毛」の修飾語が長くなってしまって、「睫毛が」の“が”に負荷がかかり過ぎているような気がします。前の“れば”と“が”とで、響きが単調になっているような気もします。「朝の日差しが訪れれば、」で一旦、文を締めてしまったほうがいいのかもしれません。

『やがて朝の日差しが訪れる。すこやかな呼吸のたびに上下する睫毛が、目元のやわらかな肌に影を落とすことだろう。』

『やがて朝の日差しが訪れる。すこやかな呼吸に合わせて上下する睫毛が、目元のやわらかな肌に影を落とすことだろう。』
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この回答へのお礼

 再びありがとうございます。「こと」をほかの言い方に書き換えていただき助かりました。わかるようになりました。この「こと」についてこれからまた質問させていただくかもしれません。二つの発想についてそれぞれ例文を書いていただき心から感謝いたします。書き方は大変参考になりました。おっしゃるとおり、「まつげ」と言ったら、中国でも上のへりのほうの睫毛をまず想起します。「下眼瞼」は漢字の表記となっていますが、初めてどこなのかわかりました。いろいろご親切に教えていただき本当にありがとうございました。

お礼日時:2008/07/12 21:31

素敵な文章だと思います!お母さんの視点ですか?昼間、眠っている赤ちゃんにもう少しで日差しが届くだろう。

それは、曇っているのか、時間の経過かで、今は届いてないかもしれませんが。
夕暮れ前かな?それを、あなたは優しく見続けているんですね。そこにいずれ光が当たり、長い影を落とす。夕日なら絶対です!情景が浮かぶ、優しい文章だと思いますよ。
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この回答へのお礼

 早速のご回答ありがとうございます。女性の方でしょうか(違いましたら、ごめんなさい)。ご感想を聴くことができて大変嬉しいです。本当にありがとうございました。

お礼日時:2008/07/12 20:36

 「日差しがくる」とは言いません。


日時計のように長時間固定された物体なら別ですが。
本件では赤ちゃんのベッドが移動したのか
カーテンを開けたのか示さないと意味がわかりません。
日差しの有無変化がない場合は
「日差しで」「日差しを受けて」となります。

1.「震える」と「震えている」。
日本語では時制が厳格でないことがあり、
本件では両者とも震えている状態を示しています。
後者のほうが状態の安定継続が強調されます。

2.「だろう」と「であろう」。
意味はまったく同じです。
前者は日常的で後者はあらたまった感じになります。
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この回答へのお礼

 早速のご回答ありがとうございます。簡潔でわかりやすいと思います。大変参考になりました。本当にありがとうございました。

お礼日時:2008/07/12 20:25

ご質問の二箇所については多くの方々から解説が寄せられていますので、文章そのものの添削、というか表現の仕方にポイントをおいて書き直してみました。

参考になるかどうかはわかりませんが・・・・。

⇒【初夏の柔らかな日差しが静かに赤ちゃんにふりそそいでいる。
震えるように、かすかに揺れている赤ちゃんの睫毛に日差しが当るとき、その睫毛はあたかも小筆で描いたような、いく筋もの細い線となって柔らかな頬に影を落とすだろう。】
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この回答へのお礼

 早速のご回答ありがとうございます。綺麗な例文ですね。場面は思っていたのとちょっと違いますが、大変参考になりました。本当にありがとうございました。

お礼日時:2008/07/12 20:15

●「震える」と「震えている」について


これについて例を挙げてもう少し説明します。
「震える」は次の例のように状態を表す場合もあります。
「ミサイル攻撃の恐怖に震える日本人」

ただし基本的には瞬間動作を表します。
「先生の眉毛がピクリと震え、次の瞬間チョークが飛んできた」

ですから、「震える」という動作が継続していることを言葉で表現する場合には「~ている」の形を取るのが普通です。
「雨の中で、一匹の子犬が震える」‥×
「雨の中で、一匹の子犬が震えている」‥○

ちなみにこれと似たようなことについて下記Q&Aでお話した記憶がありますので、再度お読みになってみてください。

「『流れてくる水』から『水が流れている』という感覚について」
http://oshiete1.goo.ne.jp/qa4118658.html


● 日差しが来る
これについては私は特に問題ある表現とは思いません。「日差しが行く」ならばちょっと首を傾げますが(ただし、太陽側から見れば行くで合っています)、日光は実際に太陽から “来る” ものです。
英語でも「Here comes the sun」という歌の文句がありますが、日本語にもそういう言い回しがあって悪いことは何もありません。事実、文学表現に限らず使用例はたくさんあります。

● 影を落とす
これは赤ちゃんの睫毛の影が眼の下の部分に投影される様子をマクロレンズの視点で見る感覚があります。
しかし前回もお話したように、「影を落とす」という表現は使い方が微妙な部分もあり、人によっては生まれたばかりの赤ちゃんの未来に暗い影を投げかけているかのような印象を抱く可能性もあります。
これは、例えば結婚式のスピーチでの「切れる(離婚する)」や受験生に向かっての「落ちる(不合格になる)」が禁止語なのと類似の感覚です。言葉の意味自体は何も問題はなくても、場面や状況によっては使用が好ましくない場合があります。
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この回答へのお礼

 再びありがとうございます。「現在形の叙述用法」「描写的現在形」の感覚を模索しているところです。まだ中途半端のところにいます。また質問させていただきます。「日差しが来る」と「影を落とす」のご意見は大変参考になりました。本当にありがとうございました。

お礼日時:2008/07/12 19:58

場面は夜、という前提でお答えすると、



「日差しがくると、」が、私の感覚ではあまり自然ではないような気がします。何か狙うところがあってこう表現したいのなら、これはこれで結構かと思います。

私だったら、「日差しがくると、」は
「日が差せば、」
「朝の日差しが訪れれば、」
「朝の光が差し込めば、」
「朝の光が差し込んでくれば、」
のどれかにしたいところです。

(「日が差す」は、建物の壁とか地面とか、大きいものに対して日光が当たるような様子を表現しているような気がするので、これはやめて、あとの3つの中から選びたいと思います。)

1.「震える」と「震えている」。

「震えている」ということだと、「今」見ている赤ちゃんの睫毛が震えているのだと読者は解釈します。
「日差しがくると、かすかに震えているまつげが影を落とすだろう。」
という文章にすると、
睫毛は今も震えているし、“日差しがくる”時にも震えていることだろう、と書き手が考えているのだと読者は解釈します。
おそらくほとんどの読者は、その書き手の考え方に奇異な(こっけいな)感じを抱くのではないでしょうか?
朝になって睫毛の影ができることは予測できることでしょうが、その時まで睫毛が震え続けていることまでは予測できないように思います。
「震える」のは、光の刺激を受けてのことだというのなら、「震えている」ではなくて「震える」を選ぶべきです。

2.「だろう」と「であろう」。

「であろう」は、何か、論文で使われるような調子であるように思えます。おじいさんが、山羊みたいな髭をしごきながら話しているようなイメージを私はもちます。
何か不思議な物を見た時、「あれはなんだろう?」とは言っても、「あれは何であろう?」とは普通は言わないと思います。意味は同じでも、「だろう」のほうが自然に出てくるので、こういう描写には「だろう」のほうがいいと思います。

「朝の日差しが訪れれば、かすかに震える睫毛が影を落とすだろう。」

もうちょっと手を加えて

「朝の日差しが訪れれば、かすかに震える睫毛が影を落とすことだろう。」

がいいかと思います。

この回答への補足

>朝になって睫毛の影ができることは予測できることでしょうが、その時まで睫毛が震え続けていることまでは予測できないように思います。
>「震える」のは、光の刺激を受けてのことだというのなら、「震えている」ではなくて「震える」を選ぶべきです。

実は、二つの発想があってどちらにするのか迷っております。一つ目の発想は差し込んできた日差しの重さを受け、まつげが一瞬震えました。二つ目の発想は赤ちゃんが均整の呼吸をしているので、まつげが震え続けています。前者だと「震える」で、後者だと「震えている」でよろしいのでしょうか。

>「朝の日差しが訪れれば、かすかに震える睫毛が影を落とすことだろう。」

ここの「こと」はどのような働きなのでしょうか。なんとなく文が整っている感じがするのですが、使い方がよくわかりません。

補足日時:2008/07/12 00:32
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この回答へのお礼

 早速のご回答ありがとうございます。場面は夏、昼間の室内です。2箇所のニュアンスは大変参考になりました。「おじいさんが、山羊みたいな髭をしごきながら」は面白い表現ですね。まだすっきりしていないところを補足させていただきました。もう一度教えていただけないでしょうか。よろしくお願いいたします。

お礼日時:2008/07/12 00:45

「震える」は単純に震えることです。

「~ている」は動作の継続を表しますから、「震えている」は震え続けている様子を表します。

「だろ・う」は断定の助動詞「だ」の未然形+推量の助動詞「う」
「で・あろ・う」は断定の助動詞「だ」の連用形+補助動詞「ある」の未然形+推量の助動詞「う」

どちらも意味は同じですが、ニュアンスとしては前者の方が話し言葉調で、後者は論文調です。


> 綺麗な日本語に添削していただけないでしょうか。

日差しがくると、かすかに【震える】まつげが影を落とす【だろう】。

文法的にも表現的にも特に問題はありません。
ただし、赤ちゃんの睫毛の描写で推量形を使うことは珍しいと思います。なぜならば、通常は実際に陽が射して睫毛が影を落とし、その様子を目の当たりにして初めて感動を覚えるからです。単に赤ちゃんの睫毛が震えている様子を見ただけで、やがてそれに陽が射して影を落とすだろうというところまで想像を巡らせる人は極めて稀だと思います。

また、「影を落とす」は文字通りの意味でも使われますが、これはしばしば悪い状況を語る場合に用いられる表現なので、使い方には一応注意が必要です。
- 例 -
「東シナ海の天然ガス問題やいわゆる中国潜水艦による日本領海侵犯などが、両国関係の発展に暗い影を落としている」
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この回答へのお礼

 早速のご回答ありがとうございます。2箇所のニュアンスは大変参考になりました。「だろう」と「であろう」の文法的な構成は初めて知りました。「影を落とす」は中国語と同じような使い方をしております。もともとは「静かな影を落とす」と文を成すつもりでしたが、「震える」で「静かさ」が表現できる感じがするので、「静かな」を捨てました。本当にありがとうございました。

お礼日時:2008/07/12 00:08

このような短い文章の場合、正しい正しくないよりも、より表現したい状況に適しているか、または好みの表現であるかどうかが大事になってくるかもしれません。



そのため、あくまで私の主観、好みで説明してしまう部分があると思いますがご容赦ください。

「震える」、と「震えている」の違い
ただ「震える」と言った場合、その事実を指しているように思う。どちらかというと視点が客観的。
「震えている」の場合は作者が実際に「震えている睫を見ている」ように思う。つまりどちらかというと、視点が主観的。

「だろう」と「であろう」の違い
「だろう」よりも「であろう」の方が堅苦しいイメージ

文章として間違いはないと思います。ただ、これだけだと「赤ちゃんのまつげが長い」ことは伝わらないので、前後に文章があると予想するのですが、それとの兼ね合いも大切だと思います。

あと、質問文内の不自然な表現ですが、
「上記の文の中で、把握できないニュアンスは二箇所ネイティブの方々に確認していただきたいのですが、ご説明をお願いします。」
これでしょうか。

主語-述語がしっかりつながっていません。(と言うよりも主語が不明瞭です)

上記の文の中で、把握できないニュアンスは2箇所あります。それを、ネイティブの方々に確認していただきたいのです。ご説明をお願いします。

添削してみたら1文にするのが難しく、3文になってしまいましたが、こんな感じでしょうか。

日本語を勉強してくださってありがとう!
頑張ってくださいね。

この回答への補足

>ただ、これだけだと「赤ちゃんのまつげが長い」ことは伝わらないので、前後に文章があると予想するのですが、それとの兼ね合いも大切だと思います。

一文だけで、前後文はありません。現代語の俳句(?こんな呼び方でごめんなさい)のつもりでした。古典文法がよくわからないので、正真正銘の俳句が作れません。

「影を落とす」ぐらいのまつげなら長いと思いますが、伝わらないのでしょうか。

補足日時:2008/07/11 23:31
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この回答へのお礼

 早速のご回答ありがとうございます。2箇所のニュアンスは大変参考になりました。また、質問文の添削にも心から感謝いたします。本当にありがとうございました。

お礼日時:2008/07/11 23:45

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