誕生日にもらった意外なもの

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この人の質問に回答していて思ったんですが、インターネットいやパソコンを最低な存在と決め付ける人っていますよね、例えばパソコンやったことないから、敵にしてパソコンを貶す事によって自尊心を保とうとする人やTV関係者がインターネットの話題を出してあたかもインターネットが悪かのような、表現にしたてあげるなど、そのような敵にして瞬時に自己優越感を求める人(適応規制)をする人はある種新しい存在に対しての不安を感じているのではないかと個人的には思うのですが、逆にインターネットなどの新しい物への寛容精神というのもあるという事になるのですが、前者は安定派、後者は寛容派であるという話になりますがこの精神の違いが生まれるメカニズムというのはどうなっているのでしょうか、育ち方や遺伝という話ではなく脳的な話でお願いしたいんですがよろしくお願いします。(心理学的な理由なんかでも結構です。)個人的分析はある種できていますがそれをシックリさせたいので質問してみました、よろしくお願いします。

長々しくなるので簡略化した個人的分析
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ある種体得(先天的に結びついているどうかは別としてある種一貫性の部分)による心理の膠着をしている状態であるタイプと
先天的感受性が柔軟な精神の持ち主との違いであるような気はしているが詳しくは分からない、というよりかどのように表現していいのか分からない。それを的確に表現できる言語があるのかすら分からない。なのでシックリこない。このさい脳医学でも心理学的な表現でシックリ行きたい。いやシックリこればなんでもいい
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といったところです。

A 回答 (1件)

 んー、育ち方(環境)や遺伝抜きで脳の話はちょっと無理、って気が…。



 それはともかく、インターネットそのものがこのわずか二十年ほどの間に爆発的に普及し日常生活に入ってきたもので、(理系の教育を受けたものでもなければ)インターネットに対する知見を有しない世代と有する世代の断絶が急峻かつ大きく、知見を有しない世代にとっては突如として日常を侵蝕し始めた得体の知れないヘンなモノでしかなく、そのヘンなモノにより(仮想的に)広がった人の世界を通じて現出したありきたりの犯罪を気味悪く感じてしまうのは詮無いことではないかと思われます。
 また、コンピューターに過剰適応したが故に非言語伝達がまるきり下手になってしまった(ら、モテなくなるんですがね…余談)人たちがちょっと挙動不審にみられがちであることも、余計にヘンさを感じさせるということもあったのだと思われます。
 別のテクノロジーを例にとれば、大型航空機が就航する以前は大規模災害でもなければ起こりえなかったほどの大量の死者が一時にでるという20世紀に生まれた新たな惨事である飛行機事故が、悲惨さの枠組みを変容させてしまったが故に、その発生頻度と犠牲者の数からすればはるかに危険な交通事故以上に恐怖感を持って語られることと同様の反応ではないかと思われます。そういえば、明治期には人と人の距離の概念を変革した電話(線)を通じてコレラが伝染するなんて風説が流布したような。
 ふと、数年…以上前、荒俣宏さん(いや、筒井康隆さんだったかな)がいま流行りの『蟹工船』を評した文章で、突如として人間世界を食い荒らし始めた機械(というモンスター)に蹂躙される人々を描いたホラーとして読み替えられる、なんて書かれていたことを思いだしたのですが、ネットやコンピューターに悪感情を抱かれる向きも、多喜二が感じたのかも知れないのと同じ恐怖をそれらに覚えているのかも知れません。
 …と、いうか日雇い派遣とか監視カメラだらけの職場なんて、そのまんまといっていい感じでもありますね。

 で、思考というものは過去の経験と現在の状況を照らし合わせて、環境に対する最適解を導きだす過程であると定義すると、…と、いうか生物として生存するためにはそれでよかったんですけど、人類は自分で環境をこさえ改造してしまうという不遜な生物なので、年経て経験を積んだそのときに生物として正しい判断に従うと、テクノロジーという移り気で粗暴な環境との間に齟齬を生じさせてしまうのでしょう。
 多分、現行のテクノロジーにそこそこ適応しているわたしたちであっても、次のテクノロジー(下手をすれば種そのものの改変だってないともいいきれませんよ)に適応し寛容な態度をとりうるかといえば…はなはだ心許ない。

この回答への補足

やはり、難しかったのか、なかなか回答が集まらないのでここで切りたいと思います。

補足日時:2008/07/28 04:14
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。
この文章読んでいて思ったんですが、先天的に適応出来ないかもしれないという無意識の不安の表れかもしれませんね、逆にウキウキして適応する人はある種先天的に新しいものに対する自己開花状態であって、それが適応不適応のことについて関係なくなってしまっている状態だと推測できますね、もしくは先天的な無意識が適応可能だと勝手に判断してしまうのでしょうかね?よく分かりませんが個人的には前者を押しますね、なぜなら挫折が説明がつかなくなってくるのでやはり、種先天的に新しいものに対する自己開花の脳なのかもしれませんね。

お礼日時:2008/07/23 02:40

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