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知能指数の高さと感受性の強さは関係があるのでしょうか?
それとも高IQで感受性も強い人は、たまたま両方持ち合わせているだけなのでしょうか?

A 回答 (4件)

まず知能指数についてですが、Wikipediaなどによれば


知能検査は全て、2歳級、3歳級の問題から16歳級の問題まで、年齢によって決められている問題(知研式因子別知能検査)で、どこまでできたかで知能年齢が決まります。
「知能指数」と聞くと、一般に論理的思考力や言語能力の高低が思い浮かびますが
精神年齢・知能年齢(知能検査の結果、何歳何ヵ月までの問題ができたか)を生活年齢(実際の何歳何ヵ月)で割り、それに100を掛けたもので(例えば生活年齢4歳で精神年齢6歳なら、6÷4×100=150でIQは150)
何歳であっても、100が平均になるよう作られています。標準偏差は15または16。
IQは年齢を基準とした数値なので、年齢が違う人どうしの知能を直接IQで比較することはできない(たとえば、IQ200の5歳児とIQ100の10歳児の知能は同じ)。
生活年齢と精神(知能)年齢の比を基準とした、従来のIQ、「同年齢集団内での位置」を基準とした「DIQ」の2種類があり、従来のIQは、あまり使われなくなりつつあるそうです。

幼いころのIQは、ある程度成長しても持続し、30以上変動する例は1割に満たない。年齢が大きくなると、それにつれて知能指数も伸びると思っている人が多いようですが、特別な環境の変化が無い限り、余り変動しないということです。しかし、同じ人でも、別の知能検査で測れば異なる指数が検出され、同じ知能検査でも2回目以降は指数が高くなるし、また、これは私自身にも思い当たることですが、体調によっても結果は変わるそうです。
『知能研究所』というところの研究によれば、
知能を司っているのは脳細胞で、脳は身体の一部なのですから、 筋肉同様、その発達する時期に鍛えれば、普通の場合以上に発達する。生まれたばかりの人間の赤ちゃんの脳重量は約360g、一般成人の脳重量は約1350gで、成人するまでに脳重量は1000g近く増える。3歳時には既に成人の75%の1000g、10歳で90%の1200gになります。最も成長する幼児期にこそ脳細胞に良い刺激を与えて、知能を伸ばしてあげなければならないといえる、のだそうです。また
高知能児は、そうでない児童に比べ、
情緒が安定している、温和・理性的である、神経質ではない、自己顕示欲が少ない、自制力がある、自立している、社会性がある等の7項目で好ましい結果を示した。勉強だけでなく、社会性や人格形成においても知能を上げることは重要な要素になるということだそうです。

でも、知能指数が高ければ、お勉強ができるというのとも別ですよね。学校の勉強は、やはりコツコツ努力が一番効果があると思います。知能指数そのものは高いのに、お勉強が大嫌いな私が、いい見本です(笑)
そういえば「やれば出来る子」なのに、と よく親や教師から嘆かれました。やる気が ないんですね。なんにも仙人(苦笑)その代わり?全く勉強しないのに、ラクにできる分野もあります。それだけで生きてきた(笑)
全般に「努力しなくても できる」のが、本当に優秀だということでしょうか、でも、努力を惜しまず やれるというのも一種の才能ですよね。

知能検査は、あくまで一部の能力を測定するだけで、創造力とか感受性までが測れるわけではない。
書物や教科書に書かれたことしか知らない秀才も、現実的な問題や実社会で、望ましい結果が出せるとは限りませんし、学校では落ちこぼれだったという天才の話も多く伝わっていますね。
芸術分野などは、知能や努力だけでは どうにもならない段階に突き当たるときが必ずありますから、知能指数そのものは、あまり意味がないように思います。やはり知能指数がモノを言うのは、学問研究の分野が中心なのでしょう。ところで
DNAの二重らせん構造を発見し、1962年ノーベル医学・生理学賞を共同受賞したJ・ワトソン博士が、英サンデー・タイムズのインタビューで「今後10年内に遺伝子が人間の知能に差をもたらしていることが発見されるだろう」
「黒人は知能で白人に劣る」などと発言し、同博士の講演を予定していたロンドンの科学博物館が「博士の発言は科学的論争の限界を超えている」として講演会中止を決定した、ということがあったそうです。
遺伝と環境に関しては、これもWikipediaからですが
個人差が、どの程度遺伝するかは諸説あり、双生児法による行動遺伝学的研究から、(個人の知能の何%が、ではなく)集団の中の標準的知能の分散の何%が遺伝により、何%が環境で説明できるのかという形で結論付けられる。
この遺伝率の値は集団が置かれている環境によっても変動する。完全に平等な教育が与えられている理想的な集団で、なお個人差が見られるなら、100%遺伝の影響であると結論できる。
個人が受けられる教育の度合いに著しい差がある環境では、個人差は教育の機会に大きく影響されるから、遺伝の影響は相対的に小さくなる(この極端な例は「遺伝率」が個人については何も述べていないことを意味している)。
したがって、教育の機会均等が図られている社会では遺伝率が高く、そうでない社会は、遺伝率が低くなると予想される。
現代の先進工業社会では、知能の遺伝率は子供で50%、成人では70%以上を示す研究が多い。成人の方が遺伝率が高いのは、成人は自我が発達しているため子供ほどに周囲の影響を受けず、自己の行動を、その遺伝的特性に合わせて決定するからだと言われている、ということです。


感受性、という面でしたら、「心の知能指数」とも言われる「EQ」の重要性のほうが注目されているらしいですね。
EQとは自分の感情を適切にコントロールし、自分の持っている能力を最大限に発揮するための「社会的知性」のことで
心内知性(セルフコンセプト)、対人関係知性(ソーシャルスキル)、状況判断知性(モニタリング能力)
という3つの要素のバランスによって決まる。
EQの高い人は自分の感情の動きに敏感で、人の気持ちを察することが上手であるため、相手へのより良い対処法を考えることができる。ですから人間関係で衝突を起こしたり、すれ違いを起こしたりすることなく上手く立ち回ることができる。
最近では、人事採用にEQテストを用いる企業も増えてきて、これからは学力よりも創造性豊かで人間知あふれる人が求められるようになってくるだろう、とのことでした。

余談ですが、
私の叔父にあたる人は、幼稚園の頃、知能指数の検査結果の高さが尋常ではなかったそうで、ふだんからも「一を聞いて十を知るどころか百も千も知っている園児」だとか先生がたに騒がれたそうです。
長じて国立一期医学部進学にあたっては、どこでも好きな大学を選びなさい、と言われて、「家から電車で通える一番近い大学な!」という親の命令どおりしたのですが、受験当日は、思わぬ急病で、入院先から試験会場へ出かけたというオマケつき。そのうえ私の母が「さぞ難しかったろう大変だったろう」と ねぎらったところ、「ううん、たいしたことなかったよ」というアッサリした返事。。。
この人は、下の叔父が、勉強のことで何か尋ねても「そんなこと聞いてるようじゃダメだ」と、とりつく島もなかったそうです。下の叔父だって、たいへんな優等生だったんですよ。
大学では教授に異様なほど可愛がられたということで、私なんか、友人に、その話をしていて「ハカセの異常な愛情か!」などと(自分の大学受験勉強はホッタラカシで)ノーテンキに笑っていたものですが、そのうち、アメリカの医学研究所に行く話が出ても、またもや老いた親の鶴の一声で断念。
「高知能は情緒が安定している」か なんか知らないけど、悔しいとか残念とかも感じないのかな?淡々としてるというか、クールを通り越して、冷たい人には違いないですよ。。。
医者として望ましいのか どうか、私には よく分かりませんが。。。
ご参考までに。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

私の???がすっかり解けました。
IQの方はWikiの解説で理解していたのですが、EQについての読み込みが足りなかったようです。

私は人に2、3回会うと、その人の次の行動や求めている事が大体分かってしまうようなのです。

これはIQに因る“観察力”や“分析力”のせい?と思っていたのですが、EQに因る可能性が高いようですね。

論理的なのに分かりやすい説明と、ユーモアのあるご回答感謝します。

あ、ちなみに私も“なんにも仙人”でした。(笑)

お礼日時:2009/06/01 18:10

補足質問にお答えします。

脳波がアルファ波になって、心が癒された時です。テレビ番組で実験してました。演歌や民謡で母音を伸ばす、コブシの時にアルファ波になってました。世界中で、日本語だけ母音を強く強調します。だから日本語は、母音を発音する時に、脳が休み、アルファ波になり、心が癒されてるようです。大学の先生が、日本語を話して育った人は、脳の音感の構造が変化して、自然の川や風の音、鳥や虫の声に敏感になり、自然の情緒を理解出来るようになるといってます。日本人の脳、角田忠信著、大修館書店です。だから日本の伝統文化は、脳を休めて、アルファ波にして、自然の情緒、心の癒しを追求しています。西洋文化の自己表現とは違います。また日本人の行動パターンの基準は情緒で、外国人のような自己表現とは違います。脳が休んでアルファ波になり、自然と交流する方法は、仏教の禅、伝統文化のすべて、雅楽、平曲、人形浄瑠璃、能、歌舞伎、日舞、民謡、詩吟、演歌、短歌、俳句、水墨画、浮世絵、茶道、華道など、また手作業は、意識が頭を離れて手先に集中するので脳が休みます。だから日本は職人文化が盛んです。自分で工夫して脳を休めると、自然と交流して心が癒されます。
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この回答へのお礼

なるほど。
私は空を眺めるのが好きで、特に雲の表情(?)に見入ってしまうことがよくあります。
あれは脳を休ませているんですね。
ありがとうございました!

お礼日時:2009/05/28 14:08

脳の知能と、自然の情緒の感受性は、対立していて、お互いに反比例します。

なぜかというと、脳は不調和世界の代表で、方や自然の情緒は調和世界の代表です。だから脳が思考してる時は、人と自然の交流を脳が遮断するので、心がストレスになります。脳が休むと、人と自然が交流するので、心が癒されます。また人の心を育てるのは、自然の情緒です。脳の思考による人の知恵ではありません。同じ事を中国の老子が言ってます。だから子育てで、過剰に知能を発達させた子供は、知能は良くても人間関係がダメとか言われています。これは子供時代の情緒不足が原因です。脳の知能活動は情緒を排除するからです。知能と情緒は反比例です。

この回答への補足

“人と自然が交流する”と言うのは、例えばどんなことを指すのでしょうか?
一例でよいので教えていただければ嬉しいです。

補足日時:2009/05/27 23:40
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特殊な経験談です。

同様な興味を持っていたので、参考のために書いてみます。私の経験的な結論は、「高感受性と高IQは異なる」という考えです。「高IQは、刺激ー応答の能力が高い(=時間的な高反射・理解・応答能力)」に対応し、「高感受性は、刺激ー応答の能力(非時間的な深反射能力)」に対応する、というような感じです。日本の著名な大学に学ぶ機会を得たので、友人には高IQがたくさんいます。理解・記憶・記述など、速くて正確な点では、彼らが私より百倍くらい優れている、と常に感じてきました。ただ、私の最も関心のある「ある種のテーマ」に関しては、友人たちが無関心であることに心底驚きました。高IQは、「一定期間で、成就不能なテーマに、見切りをつける」のも早いのに対して、「高感受性は、成算を度外視して、難しいテーマに挑戦する」傾向があるので、職業選択次第で一長一短の関係ではないでしょうか?「両方持ち合わせ」は存在しないのでは?

この回答への補足

回答ありがとうございます。
実は私自身のことなのです。
私は幼稚園入園時にIQ129だったそうです。(そのことを知ったのはつい最近ですが)
それ以降のIQは知りませんが、私の仕事ぶりからすると、そんなに変わっていないと思われます。
私は見切りをつけるのが早い時も、無駄を覚悟でとことんやる時もあります。
これは感受性と言うよりも性格なのでしょうか?
dsu323さんの「ある種のテーマ」とは何か教えていただけないでしょうか?
もしかすると、それで私の疑問が解けるかも…。

補足日時:2009/05/27 12:57
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