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私は幼い頃から、遠いいとこが長期の休み(春休み、夏休み、冬休み)
に1週間ほど遊びに来て、一緒に楽しく過ごし、帰った後、
とても、寂しく、いてもたってもいられなくなり、一緒に過ごした
思い出の場所などを、歩いたり、何度もさまよったりしていました。
日にち薬で1ヶ月ほどで症状はおさまっていました。
いとこたちはそれぞれ結婚し、ほとんど会うこともなくなり、
そういった症状はなくなったのですが、、、
5年前に2週間ほど入院してから、症状が出始めました。
退院後、いてもたってもいられなくなり、もう通院しなくても
いいのに、何度も病院に行き、病院の周りをさまよったり、
家の周りを歩きまわったりします。1ヶ月ほどでおさまりました。
その後、1泊旅行が終わった後、甥が遊びに来て帰った後など、
(夏、冬、春休み)さみしくて仕方なくなり、
車でさまよったり歩きまわります。
心療内科では、適応障害と言われ、何か楽しみを見つけるように
とアドバイスいただきましたが、気持ちがついていかず、
食欲不振、不安、さみしさで楽しみを見つける事ができません。
友達と会っていても何か落ち着きません。
主人は無口でほとんど会話がないので相談相手にはなりません。
同じように悩んだ事がある人、どうやって乗り越えたか
アドバイスいただけたらと思います。

A 回答 (4件)

#3です。

再度失礼させて頂きます。(今回も回答というより体験談です。何かヒントになればと思い書かせて頂いて居ります。もし不快に感じられたらお許し下さい。)

このカテに参加させて頂く難しさを感じ、デリケートな問題なので触れない方がいいのかも…と思ったのですが、もしやsammy219さんはACということはありませんか?ご主人もそうなのでは?と思うのですが。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%80% …
http://www.ac-kaifuku.com/
http://homepage3.nifty.com/bansoukou/index.htm
http://ally.client.jp/ac-fram.htm
http://www.office-stella.com/ac.html

sammy219さんの質問文を初めて読んだとき、言い知れぬ淋しさが伝わってきました。
幼少期に既に彷徨われるなど、どこか現実に違和感を持ったまま成長なさった気がします。
幼少期のみならず大人になってからも親戚の方が帰途につかれると淋しくなってしまわれるなど、一緒に過ごしている間はsammy219さんが本来望んでいる穏やかで暖かい家庭を体験出来ていたからなのではないでしょうか。文面から家路が解らなくなった迷子のような淋しさを感じてしまうのです。

ここ(メンタルヘルス)に参加してよく思うのはACの方が多いということです。私は酒乱の父と、それを支えて自身もストレスで子供に当たり散らす母の間から生まれた子供なので、正真正銘のACなのですが、つい最近までアダルトチルドレン(AC)という言葉を知っていてもさして関心はありませんでした。あれは、弱い人が自分に都合の良い言い訳として設けた逃げの言葉だと思っていたからです。なのに何故ACという言葉に引っ掛かってしまったのかと申しますと、ここのサイトを利用するにあたり、どうにか鬱々とした気分から抜け出せまいかと検索していて偶然、鬱やストレス障害に悩む影にACの生い立ちを持つ人が多いと知ったからです。ACは病気ではないけれど、子供時代にあるべき親子関係が築けなかったので、たとえ表面上は問題ない様に見えている場合でも人間関係が上手く結べず、本人は非常に生き辛さを感じているといいます。ACとは生きていく上でバランス感覚が上手くとれない、環境の変化に上手く対応できないが為に心の病気に罹りやすい傾向を持つ人達なのだということも調べる内に解りました。自分の傾向や原因が分かれば対策は練れそうです。

私が五月頃からストレス障害をぶり返したようになったのは、直ぐ上の姉、次姉との喧嘩も大きな要因になっていると思います。この姉は頭も非常に良く頼りになる面もあるのですが、気位が高く、お金に非常に固執し、人から見たら些細なことでも思い違いや記憶違いを指摘されようものなら、狂ったように怒り、怒鳴り散らします。そうなると人の話には聞く耳を持ちません。又、よく人を試すようなところがあり、子供の頃から(つい数年前も)私によくわざと長姉を怒らせるようなことを言わせようとします。私は、子供の頃から母に器用で賢いこの次姉とよく比べられました。ですから私がこの姉にコンプレックスを持っているのは確かなのですが、なぜ次姉がここまで私に威圧的で、理不尽な態度をとるのか理解できず、腹立たしい思いを子供の頃から繰り返しさせられてきました。しかしACの文献を読むにあたり次姉がまさにその典型的なタイプのうちの一つに当てはまることが解りました。(コレクターで体を壊すほど趣味に打ち込む長姉もタイプこそ違えど当てはまります。自分自身も客観視が難しいですが、欠点がかなり当てはまっていると思います。私の母は、少女時代から家のことを任され母親的役目をしていたといいますし、父方の祖父も酒乱だったといいます。実家は全員がACだったのです。―亡くなった義父も酒乱で義母と不仲でした。夫もACなので気の使い方の加減が解らずストレスを溜めてしまうのでしょう。―)一つ屋根の下に暮らせども、それぞれ「分担があり役割も違う」のです。元の性格や特性もあいまってそこに「理由付け」があって違った個性になるのだと解ったとき、次姉のことを心の中で責めるのは無意味なことだと解りました。彼女には彼女なりの理由があるから無理に変えようとするのはしてはいけないことだと思ったからです。できるだけ今までのようにトラブルは避けようと思いますが、機会があれば、上から押さえつけようとする態度だけは止めてくれるよう冷静に話そうと思います。(やはり怒鳴り散らされるかもしれませんが。)  

*  *  *  *  *  *  *  *  *  *  * 

私はsammy219さんのご主人の元の性格も、現状もよく解らず前回も回答してしまいましたが、やはりsammy219さんとお子さん達がボロボロになるようでは、ましてやお子さん達がACの影響で心の病になっても…と責任を感じてしまいます。私のはただの理想論かもしれません。

私の場合は十代の終わり頃まで不仲な両親が嫌で、本気で離婚して欲しいとよく思っていました。でもその反面私が幼少の頃は、父が演習で長期不在になると口がきけなくなってしまい、心配した母が慌てて呼び戻さねばならない程慕っていましたし、浪人中入院していたときも父は毎日欠かさずお見舞いに来てくれました。長女を出産して育児に自信を無くしていたときも励ましてくれました。結局私はアルコールの入っていないときの父が大好きだったのです。父に暴力を振るわれたことは思い返したくないけれど、たくさんの愛情を受け取ることが出来たから、父を憎むことは出来ないのです。でも私は母にストレスのはけ口にされ、繰り返し言葉の暴力を結婚してからまでも受けたので、まだどこかで許せてはいません。しかし、3年前喧嘩したときに長年胸中にしまっていた苦しみの一端を吐露したときから、少しずつ事態が好転してきているように感じています。
 
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この回答へのお礼

supunerera様
再度の温かい回答ありがとうございます。
読みながら、胸が熱くなるのを感じました。
もしかしたら。。アダルトチルドレン?と思った事
あります。
でも、自分で認めたくはなく。。
確かに当てはまって入るところもありますが
当てはまってないところもあるのです。
私は幼少の頃、4人姉兄の末っ子と言う事もあって
お風呂に入るのも最後、自転車も服もかばんも制服もお古。。
でも、4人の中では、私が1番成績が良く、兄、姉が成績が
悪くても何も言われず、私が少しでも成績が落ちると
罵倒されました。。
長期の休みにいとこ達と遊び、別れた後、涙ぐんでいた私に
母親は「ばかか!何泣いているんや」と軽蔑のまなざしで
私を見ていました。
いとこの母親はいとこを抱きしめ一緒に泣いていました。
私はそれ以来、人前で泣く事はなくなりました。

私の母親は男性が大好きで父と兄に尽くしていました。
父は浮気癖があり、数年に1度浮気を繰り返し、何ヶ月も
家に帰って来ない日が何度かありました。
母は決まって、浮気相手の所に子供や、親戚の人達を
引き連れて、連れ戻しに行きます。
今は70を過ぎ父もさすがに落ち着き、母と二人だけの生活に
なりましたが、父とは姉も兄も私も今だに二人だけで
会話ができません。5分が限度でそれ以上一緒にいると
息がつまりそうになりますので逃げる様に立ち去る私です。
虐待はされた事はないのですが、放任と言うか無関心な
両親だったと思います。
でも、うらんではいませんし、育ててくれた事に感謝しています。
主人の母は知的に弱く、家事が一切できなく、また父は酒乱
だったそうです。私はいつも主人の事をACでは。。と
思っていましたが、私もそうだったのかもしれませんね。。
我が家の子供達は、私が愛情たっぷりで育てています。

かわいくて仕方ない子供達のためにも、私が前向きにがんばら
なくては、と思っています。

まだまだ、乗り越えるには時間がかかりそうですが
がんばってみます。
本当に親切な回答ありがとうございました。

お礼日時:2008/08/26 16:12

はじめまして。


専門知識は殆どありませんが、何かお力になれればと思い回答させて頂きます。
私は過去にストレス障害と診断され、最近、又ぶり返しが起きている者です。
(自分なりに調べたのですが適応障害とはストレス障害の中に入るのですね。)

sammy219さんは質問文を拝見したところ、暖かい穏やかな家庭を望んでいらっしゃるのですね。ご主人の病気が重くのしかかり心が休まらないのでしょうか。
ご主人に悩み事を話せない苦しみよく分かります。私の場合も気分が晴れず悩み事など夫に話そうものなら、不快感まる出しで思いっきり無視するか、長々説教になるかのどちらかです。元々、夫自身がストレスを溜め込みやすく一杯一杯になりやすいので、あまり重い話は出来ないのです。お互いストレスが軽くなるどころか余計に深くなってしまいます。ですのでsammy219さんの苦衷お察し致します。

ご主人の容態が良くなれば、sammy219さんの心理状態も良い方に向かっていかれるのでしょうね。でも実際アル中は中々良くなりませんよね。私の父が酒乱で父と母はよく喧嘩をしていました。父はアル中まではいかなかったかもしれませんが、躁鬱病の気もあり(既に亡くなっておりきちんと受診していないので解りませんが、気分の浮き沈みが非常に大きく、躁状態と思われるときによく問題を起こす人でした。)家族みんなが振り回され、十代前半までは心が安まった日はなかったといっていいぐらいです。(もちろんその後も父は暴れていましたが。)大人になって初めて失恋したときに父の苦しみが少し理解出来るようになりました。父は母のことがすごく好きで、母がいないと本当に駄目な人でした。それは生活能力が無いと言うことではなくて、極度の寂しがり屋で、母が自分が思うほどには自分のことを好いていないのだと感じて心のバランスが取れていなかったのです。また高学歴の人ではあったけれど自分が思うようには周りには評価されていなかったことも父を苦しめていたようです。自分勝手に生きてきた人に見えて軽蔑したこともあったけれど、ある日を境に私は父を軽蔑出来なくなりました。父は自衛官だったのですが(これも父が当初目指していた道とは違います)退官間近のある日、私は喉が渇き水を飲みに居間に向かいました。ふとソファーの方へ視線を向けますと、電気を消した真っ暗な部屋で独り俯いたまま座る父がいました。父の心の中の深い暗闇を見たようで怖いような悲しいような、上手く言葉に出来ないれど、胸が詰まるような痛みを感じ私は黙ってその場を去りました。このことは長い間誰にも言えませんでした。父は誰にも言えない苦しみを抱えていたのだと解ったからです。

そんな父ですが、孫が生まれ当初目指していた教育者としての道を歩み出してからは落ち着き、本来の子供好きで世話好きな性格が発揮され、穏やかな晩年を迎えることが出来たと思います。この頃にはあんなに不仲だった二人が人から羨まれたりするほどになったのですから奇跡のようでした。

全然回答になっていないようで申し訳ないのですが、どうかご主人を軽蔑だけはなさらないでください。ご自身も辛くてご主人に嫌気が差すこともございましょうが、今のご主人は本来のご主人とは違うのではありませんか?出会った頃のご主人とは違うようでも何処かにまだ暖かさは残っていないでしょうか?あんなにめちゃくちゃな父ではあったけれど私は父を嫌いになれません。私のトラウマ(母)を作った原因は父ではあるかもしれませんが、父は人の良いところを見つけて褒めることがとても上手な人でした。父の暴力で子供の頃は怯えることが多かったけれど、正気のときは暖かくおおらかな人でした。人を励ますのが得意な人でもありました。

ご主人を嫌うとお子さん達にもよくありません。子供はそういうことには敏感です。
子供はいつでもお母さんの味方です。そうするとますますご主人は孤立してしまいます。たとえめちゃくちゃな人でも「お父さん好き好き!」って顔をしていればきっと、
ご主人も丸くなってきます。肉親に向かう暖かな心はどんな薬よりも効果があると思うのです。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。
回答者様のお父様と主人が似て入るところが
あるので、びっくりしました。
主人は躁鬱病を持っています。
躁の時は羽振りよくお金を使い、借金をこさえて
家にもよりつかなくなり、毎夜酒をのんで車の中で
寝て帰宅します。家では怒鳴り散らしています。
子供の為と辛抱してきましたが、私が入院した時
ものすごく、うっとうしがられ、お見舞いにもほとんど
きませんでした。退院後、鬱になった私にも無関心で
とても冷たくされたことが頭から離れません。
その頃から、主人に対する気持ちが冷めてしまいました。
と言うより、軽蔑するようになりました。
子供には尽くしたいと思いますが、主人はどうでもいい
。。と。
子供達はみな、嫌っています。
私がきっとそういう風に持っていったのだと思います。
>出会った頃のご主人とは違うようでも何処かにまだ暖かさは残っていないでしょうか?

もう、すっかり忘れていました。。
私自身も見つめなおす事が必要だとおもいました。
本当に心温まる回答ありがとうございました。

お礼日時:2008/08/23 19:50

専門知識があるわけではないので、これらのサイトを参考にしてみて下さい。



http://www.google.co.jp/search?q=%E9%81%A9%E5%BF …

参考URL:http://oshiete1.goo.ne.jp/qa1308694.html
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。
参考にしたいとおもいます。

お礼日時:2008/08/23 18:46

ご主人が無口だとしても、まったく頼みにならないように決めてしまうのはどうでしょう?家庭を持った以上は血族ではなくそのご主人が、甥やいとこではなく子供さんがあればその子供さんがあなたの家族です。

一番頼れる相手とするべき対象になります。
無口で会話がないと言わず、まずは自分の症状を伝え、こういうことがあるとこうなる、だからこう対応して欲しいのだということを素直に訴えてみてはどうでしょうか。
入院した時に、ということは多分、病院に入れば看護師さんたちは病人として扱うので、しばしば声をかけてくれ、気を遣ってもらえてあなたは安心して甘えることができたのだと思います。だからその病院にまた行きたくなってしまうのです。ご主人がものすごく忙しい方だったり、なにかの依存症で家をあけて遊び狂うなどの困った症状がないなら、ご自分の状況を素直に伝え、場合によったら適応障害と診断した医師のカウンセリングを二人で受けるなどして、理解して貰うといいと思いますよ。
自分もパニックをしたとき、最初は一人でいるのが苦しい、心臓がバクバクして辛い時がある、と言ってもなかなか理解してもらえませんでしたが、週末家に居るときに発作に見舞われたのを見てから、一緒に勉強してくれるようになりました。そしていまは本当によい支えになってくれています。
病状を正直に訴えましょう。そして頼りにならないと言わず頼りましょう!
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。
主人はアル中で、仕事は行っていますが
帰宅後、すぐ飲み始め、19時過ぎには寝ています。
もちろん今も寝ています。
話しかけても無言で、いつもひとり事ばかり言っています。
頼りにはできないです。しんどい。。と言えば
「おれもしんどいんじゃ、鬱陶しい!」
「きちがい」と相談なんてとてもとても。。
子供と会話する事が1番の楽しみですが
時間が来て、部屋に行ってしまうととても
さみしくなるのです。

お礼日時:2008/08/22 20:00

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