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中山元大臣が 「日本は単一民族」 とした発言があって、メディアにコテンパンに叩かれ、ついに辞任に追い込まれました。

それに疑問を持って今朝ほど質問させて頂きました。

http://oshiete1.goo.ne.jp/qa4364471.html

多くの回答を頂いたのですが、全て 「日本は多民族国家であって、単一民族とするのは国粋主義か右翼である」 との解説でした。

なぜ多民族国家なのかと言えば、「北海道のアイヌ、沖縄の人々、それに日本国籍を取得した元・在日外国人が国内に多くいるから」 というのが主な理由でした。

そこで次の疑問を感じたので、質問します。

仮定の話で恐縮ですが、もし日本が次の条件下にあった場合、「日本は単一民族」 と言えるのかどうか、お願いします。

1. 歴史的にアイヌの全ては今のロシア領に存在し、日本国内に定住した事実も無い。 たとえ末裔と言えど、その血筋を受ける人は国内にいないと考えられる。

2. 同じく沖縄も中国に併合されるか、あるいは独立国家となっており、日本の支配下にはない。 日本国内に 「外国人」 としての沖縄人はいるが、本人も日本人とは無縁の存在と考えている。

3. また歴史的に日本が朝鮮半島を併合する事もなく、そのため在日韓国・朝鮮人たちの全ては日本に帰化する事も無く、全員、外国人として日本に定住している。

もし日本がこのような状況にあれば、今この日本に住んでいる 「日本人」 は全て単一民族で構成されていると言えますか?

もし、「それでも単一民族とは言えない、多民族国家である」 とするなら、「では、一体どのような状況になれば、日本が単一民族国家と言えるのか?」 という質問にどのようにお答えされますか?

それと、縄文人と弥生人が結びついて一つの集合体を結成した社会を 「純粋な大和民族」 と言えるのでしょうか? これって混血なのではないでしょうか?

A 回答 (13件中1~10件)

ANo.9・10です。


三度失礼します。
蛇足ついでに、面白いデータを見つけたので参考になるかは分かりませんが紹介しておきますね。

民族意識ではありませんが、次のような世界調査があったようです。


==以下引用==

「所属地域の意識の国際比較」

1.調査の概要

 世界数十カ国の大学・研究機関の研究グループが参加し、共通の調査票で各国国民の意識を調べ相互に比較する「世界価値観調査」が1981年から、また1990年からは5年ごとに行われている。各国毎に全国の18歳以上の男女1,000サンプル程度の回収を基本とした個人単位の意識調査である。

 ここでは、世界各国の国民が、自らが所属する地理的空間として、国、あるいは住んでいる市町村、地方、さらに国より大きな単位であるアジア、ヨーロッパなどの大陸、あるいは世界自体のいずれを第1に意識しているかについての回答をグラフにした(国という回答率の大きさの順で並べた)。

==以下、データ抜粋==

日本
市町村への所属意識:53.9%
地方への所属意識:16.4%
国への所属意識:22.2%
アジア・ヨーロッパ等大陸:0.7%
世界への所属意識:1.2%


中国
市町村への所属意識:21.9%
地方への所属意識:10.8%
国への所属意識:50.9%
アジア・ヨーロッパ等大陸:6.4%
世界への所属意識:2.4%


米国
市町村への所属意識:32.0%
地方への所属意識:10.7%
国への所属意識:33.8%
アジア・ヨーロッパ等大陸:2.6%
世界への所属意識:19.2%

http://www2.ttcn.ne.jp/honkawa/9470.html
===以上===

これを見ると、日本人は「国家意識」よりも地域密着型って感じがしますね。
まぁ、「お国意識」とでも言うのでしょうか。(もちろん、「お国」とは地方のこと)
見ようによっては、「多民族的」と言えますけど、「内向きなお国柄」とも言えますね。
それを考えると、中山氏の指摘「あんまり世界と(交流が)ないので内向きになりがち」との指摘は的を得ていたのかもしれませんね。
惜しむらくは「単一民族」とうい言葉が入っていたことでしょうか(苦笑)
※まぁ、市区町村が高い国は他にも沢山ありますけどね。ただ、こちらは「地方と市町村については、国ごとに大きさ、来歴、権限などに違いがあり、一概に論ずることが難しい」と指摘もされてますけど。
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この回答へのお礼

有難うございました。
なかなか興味深いデータでした。
国への所属意識は中国がダントツに高いですね。
一方、アメリカでは「世界への所属意識」というのが約2割を占めていますが、これはもしかして「自分はどこの国家にも所属しない、強いていえば人類全体、この地球そのものだ」という考えなんでしょうか。
もしそうなら、アメリカ人らしい発想かなと思いますね。

お礼日時:2008/10/02 13:53

 単一民族の定義を明確にすること自体ナンセンスです。

「人権」を振りかざしている以上、受け取りたい人の意図でその定義は決まります。民族的にどうだとか歴史的にどうだとか、関係ありません。人権とは関係ない別の目的をもった人物なり団体の活動の一環ですから。

 「単一民族」は意図的にタブー語化されているにすぎません。だから、一瞬でもこの言葉が入れば、前後の文脈など関係なく問題であるとあおられるのです。

 社会的弱者を自らの政治的な闘争に利用しようとするやり方は今に始まったことではありません。重要なのは使い古されたこの手法に耐性を持つことです。

 単一民族かどうかはどう考えても主観の問題です。ある人はそう思っている、違う人はそうではないと思っている。ただそれだけの話です。そのどちらかがもう一方に強制的に自分の考えを押し付けることが許されてよいのでしょうか?
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民族について詳しいわけではないのですが、興味深い質問だったので私の考えを書かせていただきます。



民族の定義とか難しいことを考えないで、その人の帰属意識はどこにあるかで判断するのが一番簡単だと思います。
血で分けることなんて複雑すぎてできませんから。

例えばアイヌを例に取ると、アイヌの血を引く日本人はいまや北海道のみならず、日本全国にいらっしゃいます。
その人たち全員が、自分がアイヌの血を引くことを知っているわけではありません。
自分がアイヌの末裔であることを知っていて、なおかつそこに自らのアイデンティティーをおけば、その人は「アイヌ民族」になるんじゃないでしょうか。

なので日本国民全員が「私は大和民族(他の民族名でも可)です」と宣言すれば、日本は単一民族といえると思います。
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この回答へのお礼

有難うございました。
なるほど、本人の帰属意識で決めれば良いというお考えですね。
私も血で分けるなんて複雑すぎて収拾がつかなくなるように思います。
そもそも民族という定義には、人種は関係無いという解説もあります。
この典型はユダヤ人でしょうね。
ユダヤ教を信仰する人を指し示すそうで、白人も褐色系も東洋人もいるそうです。
それに中国でよく表現される「漢民族」ですね。
チベット族や朝鮮族やその他少数民族を除いても、10数億もの膨大な人間がいるわけで、彼らの全てが、たった一つの民族で構成されるなんて、常識ではあり得ませんよね。

「漢民族は単一民族である」と言った場合、正しいとされるかどうか、興味深いと思います。

お礼日時:2008/10/01 09:46

ANo.9です。


少し補足を。

>「民族」について色々な考え方があると分かったのですが、そうなれば中山元大臣の発言は正しいと言えるかも知れないわけですよすね。

その通りですね。
定義次第ですから、この定義を明確に共有しないと、発言の真意はなかなか見えなくなりますね。
よって、

>発言の全体の流れを見ないで無理矢理に差別発言に結びつけるメディア

となるわけですね。

ただ、世界の潮流は「多文化主義」へと向かいつつあります。
こちらは、「ネーション(民族)」を強調しすぎた結果、国家主義・同化主義的な動きが強まり、結果として二つの世界大戦や原住民に対する差別に世界(欧米各国)が向かったという反省の元に生まれた考え方です。
つまり、「一国家一民族に同化させる」のではなく「多様な民族の差」を認め「共存共栄」しようという考え方です。
例えば、昔は「民族のるつぼ」と言われた米国社会ですが、今は「るつぼ」という言い方は「同化主義」に結びつくとして問題にされています。
※「るつぼ」とは、金属などを溶解して合成するための道具。よって「同化主義」を連想させる。

なので、最近は「民族のサラダボール」という言い方が好まれます。

>明らかに違う人種なのに同じアメリカ人として生活していました。

これは、ある意味「多文化主義」が受け入れられた社会であると言えます。
昔の米国は白人中心に同化しようという考えが主流でした。
しかし、現在では多くの民族が同じ国に暮らしてることを認めようとしています。
英語の話せない米国人も増えていますし、もしかしたら黒人の大統領がもうすぐ誕生するかもしれません。
そうした、多様な文化・民族と共存して一国家を築こうというのが「多文化主義」であり、世界の潮流になりつつあります。

こうした、「多文化主義・多民族主義」の流れの中で行われたのが、アイヌの先住民族議決です。
中山氏の発言は、こした社会の潮流からかけ離れた発言であったために、批難が集まったのでしょう。
「単一民族」という言葉を使うと、どうしても「同化主義」的に取られがちとなります。(特に政治家や思想家が話した場合)
つまり、こうした社会の流れを読めなかった中山氏の軽率で不適切な発言であったと非難されても致し方ないと思います。

>じゃ、あなた方が考える民族って一体何なの?

私は、日本人は「ネーション」としては単一民族的だが、「エスニック」としては多民族的だと思ってます。
まぁ、玉虫色の回答なんですが(苦笑)

以上、蛇足ですが参考になれば幸いです。
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この回答へのお礼

重ねてのご回答、有難うございました。感謝します。
アメリカやブルジルでは、人種の「るつぼ」という表現はしなくなっているのですね。 「るつぼ→同化主義→個人のアイデンティティの抹殺」という方程式が採用されているわけなんですね。

今回の中山発言を機に、そもそも民族とは何ぞや、人種とは何ぞや、国とは何ぞや ・・ このような遠大な疑問を感じるようになりました。

実は私も今までは日本人って、どれも同じ肌の色、同じ髪の色、同じ価値観、(ほとんど)同じ生活習慣を持っているので、何となく「単一民族で構成された国家」というイメージがありました。

勿論、アイヌや琉球の人たちもいますが、調べてみると、「和人とは違う固有の歴史・文化を持った民族」という定義付けはされるものの、「それは昔の話で、今ではその固有の歴史・文化を維持する人も極めて少なく、もはや一つの民族と言える状態ではない」とする解説がありました。とすると、良い悪いは別として、今では彼らも和人の中に吸収されている、すなわち、この日本は単一民族で構成されているという考えるも出来るように感じました。

これは国内における少数民族(?)の現状を冷静に分析したものであり、差別とかの考えとは全く性格を異にするものです。

これを機に、さらに研究してみようと思います。
有難うございました。

お礼日時:2008/10/01 09:39

「民族」という言葉は、非常に多様な定義づけがなされていて、どの定義を採用するかで日本は単一民族国家か他民族国家か分かれますね。


参考に、以下に主な定義づけを解説してみます。

1・エスニック集団としての民族

これは、共通な言語・共通な文化・共通の領域・共通の心理的特性と帰属意識をもつ最も基礎的な人間集団を指します。
これの意味するところは幅広く、ある程度の文化的・民族的共有があれば、一つの民族と見なされることが多いです。
逆に、狭義に捕らえて一つの民族とすることがあります。

前者の典型的な例はユダヤ民族です。
ユダヤ民族はイスラエルだけでなく、世界全土に広がって住んでいます。
住む地域によって、生活スタイルは多様であり一見すると同じ民族とは思えません。
しかし、多くのユダヤ人はユダヤ教を信じ、自らをユダヤ人だとして自任しています。

後者の場合は、日本のアイヌや琉球の人々でしょうか。
歴史的背景があるので、軽々に言ってはならないと思いますが、彼らのほとんどは固有文化を失い(あるいは失わされ)、混血が進んで周りとほぼ同化していて、ただわずかに残った帰属意識から「一民族」を主張しています。

このように、多かれ少なかれ「一つの民族」としての「帰属意識」が共有された場合に、「一民族」と言うことが出来ます。
しかし、その一方でアラブ民族のように「一民族」としての「帰属意識」を持ちながら、多数の勢力に分かれて互いに争い合うこともあります。

これらの「民族意識」は、ある意味主観的であり、客観的な事実関係に基づいて「エスニックとしての民族」を確定するのは非常に困難であると言えます。


2ネーションとしての民族

こちらは、「民族」という意味に加えて「国家・国民」という意味が含まれます。
16世紀以降、徐々に「国民国家」という概念が生み出されていきます。
その中で「国民とは何か」を定義する試みがなされていきました。
そして、色々な定義づけがなされ「人種・言語・文化」を共にする人というような意味合いとなっていきます。
また、「歴史を共にする(と想定される)集団による自決(民族自決)」という概念が生み出されたことで、国際的な緊張関係が高まっていきました。
ついには、「過去の歴史の共有」ではなく「これからの歴史の共有、その意志」という同化主義的な性格が付加されるようになっていきます。
※その延長上に、二つの世界大戦とアジア・アフリカをはじめとした植民地の独立運動があります。

このように、「ネーションとしての民族」というのは、客観的であるよりも恣意的であり、政治的・思想的な背景が強いと言えます。
そのことは、「ネーション(nation)」の派生語である「ナショナリズム(nationalism)」は、しばしば民族主義・国家主義・国民主義などと訳されることからも分かるとおもいます。


>では、一体どのような状況になれば、日本が単一民族国家と言えるのか?

結論としては、「定義によって変わる」となります。
日本に先住民族が居たかどうかは、議論が分かれており歴史的な事実は確定していません。
しかし、日本は盛んな交流によって、7~8世紀には複数のエスニック集団がほぼ統一的な国家の枠組みに包摂されていったと考えられています。
その中で、「エスニック集団」的な要素は薄められていきました。
そうした歴史を踏まえれば、(「民族=ネーション」であるとすると)、日本が単一民族国家であると言えなくもないと思います。
しかし、「民族=エスニック集団」という定義を厳密にすると、関東や関西、九州や北海道などの地域性において、未だに多様性があるとも言えるので、「多民族国家」と言えなくもありません。

まぁ、西洋から輸入した「民族(ネーション・エスニック)」という概念で日本をはじめとしたアジアやアフリカなどのヨーロッパ以外の地域を語ること自体がナンセンスであるのかもしれません。
長文失礼しました。
参考になれば幸いです。
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この回答へのお礼

詳しく解説して頂いて、有難うございました。
「民族」について色々な考え方があると分かったのですが、そうなれば中山元大臣の発言は正しいと言えるかも知れないわけですよすね。
どうも今回の騒動を通じて感じたのは、中山元大臣自身が日頃から沖縄やアイヌを差別する言動があるのなら非難されて当然だと思うのですが、記者の質問に対して「日本は(アメリカやブラジルのような人種のるつぼのよう国家では無いため)、つい内向きになりがちだ」と言いたかったように思います。

その発言に対して、「アイヌや琉球の人たちを差別している!」としてメディアからコテンパンにやられたわけですが、発言の全体の流れを見ないで無理矢理に差別発言に結びつけるメディアに疑問を感じました。

それで「じゃ、あなた方が考える民族って一体何なの?」という質問をする事になったわけです。

お礼日時:2008/09/30 11:24

あなたは中山議員の発言をちゃんと聞きましたか?



誰が「日本は単一民族」と言ったのですか?

中山議員が言ったのは
「ニューヨークなんかの街角に立ちますと、まさに『民族のるつぼ』といいますか、いろんな方がいますよね。日本に帰ってくると、本当に単一といいますか、だいたい髪が黒くて、風ぼうは似ていてですね」

と言ったのです。

アイヌも琉球も本州人も『だいたい髪が黒くて、風ぼうは似ている』のでゃないですか?それとも日本人は白人や黒人、黄色人種などの民族のるつぼなのですか?

マスコミがやった捏造に踊らされてはいけません!
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この回答へのお礼

有難うございました。
どのメディアの報道でも、中山議員の発言は、外国人観光客の誘致策に関連して「日本は随分内向きな、単一民族といいますかね、あんまり世界と(交流が)ないので内向きになりがち」と発言したとありました。

私もアメリカを旅行した経験がありますが、明らかに違う人種なのに同じアメリカ人として生活していました。それを比べると日本人なんて、誰を見ても同じ外見、同じ価値観を共有しているので、「単一民族」と断定しても良いようなイメージがあります。

お礼日時:2008/09/30 11:02

民族問題について,見識があるわけではないのですが,アメリカという多民族国家に住んでいると,逆に色々なことを思います。



例えば,私の友人にユダヤ人がいます。彼は,何故ユダヤ人なんだろう? 別に見た目も変わりませんし,アメリカ生まれのアメリカ育ちですから思考的にもアメリカ人です。

彼がユダヤ人であるのは,両親がユダヤ人で,本人も含めてユダヤ教徒,そして文化的なバックグラウンドがユダヤ人だからです。例えば,彼の息子は13歳でユダヤ人の成人式(バル・ミツワー)をしました。

ところで,彼の奥さんですが,元々彼女はポーランド系のアメリカ人でクリスチャンでした。友人との結婚を機に,ユダヤ教に改宗をしたのです。さて,彼女はいったい何民族なのでしょう? そして彼の息子は?

このように考えていくと,そもそも民族なんていう概念自体が馬鹿げた,定義しようのない空想的・観念的な概念だということが分かります。

日本人だって,決して人ごとではありません。例えば,中国残留孤児という人達がいます。終戦直後幼児(赤ん坊)で,中国に置き去られ,中国人に育てられた人達です。この人達はどう考えても中国人の文化と思考方法を身に付けた人達でしょう。だからといって,漢民族だとは言えない。

文化や言語など決定的な要素にはならないという好例です。

世界が孤立していた時代ならともかく,21世紀のこれだけ文化的にも人的にも交流が進んだ世の中で,(民族という)言葉を定義し,何らかの意味を見いだそうとするのは,全く意味のない行為だし,概念だと思います。知的遊戯ならともかく。それなら国民という言葉の方が(ナショナリズムの問題はあるにせよ)よほど有意義かもしれません。

それに基づいて「日本は単一民族」などと言い出すのは,分かってやっているならタチが悪いし,分からないで言っているなら,単なる馬鹿ではないでしょうか?
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この回答へのお礼

有難うございました。
ご紹介のユダヤの人なんですが、以前、「ユダヤ人とは、どのような人?」というテーマで議論した事があるのですが、結論としては、「目の色や髪の色は全く関係ない、人種も関係無い、単にユダヤ教を信仰する人」というものでした。
という事はユダヤ人の中にも、黒人も白人も黄色人種も混在するという事になります。 ただ、何となく白人というイメージが強いですが ・・

中国残留孤児の件ですが、肌の色や髪の色など身体的特徴が漢民族と明らかに違うのなら日本人と違うと言えるでしょうが、中身も含めて完璧に中国人ですから、あの人たちは「漢民族」に属すると言えるように感じるのですが ・・ ただ、漢「民族」という概念がナンセンスかも知れませんが。

お礼日時:2008/09/30 10:54

追加で。



どの文化からも完全に隔絶・孤立している文化があればそれは
単一民族でしょう。
(アマゾンとかまだ人の手が深くまで加わっていないところには
あるかもしれません)
ただし、そういった文化がもしあったとすればその文化には国と
いう概念自体ないでしょう。
ある程度、複数の文化が混在していればそれぞれで個別の民族と
いえます。

圧倒的に少数であれば多数に溶け込んで同化せざるを得ない時も
ありますけど。
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この回答へのお礼

有難うございました。
そうですね、どの文化からも孤立した社会があれば、それで初めて「単一民族」と断定できるわけですね。
ただ、民族と人種は関係無いという説もあるので、ますます混乱しています。

お礼日時:2008/09/30 10:39

民族をどう捉えるかによってずいぶん異なるとは思いますが結局、


世の中に、単一民族国家は存在しないといった方が正しいと思います。
日本は世界的に見れば他民族(大和民族から見て)の数が比較的少ない
ため(種類ではなく合計数)他民族に対する配慮とかが足りなくなる
傾向がありますが、当事者からすれば自分たちの民族を固有の民族と
して認めてもらえないというのは非常に腹立たしいことなんです。

大多数のグループに属する人からすればそんなことくらいで...と
思ってしまうかもしれませんが、それが民族というものなんです。
こういったことに対する認識は時代と共に薄れがちではありますが
それでも根強く残っており、それを残したいと思う人たちがいます。
新しい世代ではそういうのを抜きに同化したいと考える人も増えて
いますが、やはり差別とかいろいろ難しい問題です。

結局、日本が単一民族国家かどうかよりもその発言自体が他民族に
対する配慮に欠けた発言であったことが批判の理由(問題となる部分)
でしょう。
ただ、何でもかんでも批判すればいいというものでもないのですけどね。
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この回答へのお礼

有難うございました。
結論から言うと、この世の中に「単一民族」で構成された社会なんて、あり得ないという事になるのでしょうか。
つまり、民族という言葉の定義でとらえ方が全く違ってくるという事になりますよね。
そうすると、中山・元大臣の「日本は単一民族・・」も、別に問題視される事にならないという結論になるように感じます。
中山・元大臣を擁護するつもりは全く無いのですが、「民族」という言葉を使えば、無理にでも「差別」に強引につなげて非難・糾弾する風潮があるように思います。
本当に非難・糾弾すべきものと、そうでないものと、ハッキリ分けるべきでしょうね。

お礼日時:2008/09/30 10:36

Wikipediaに明確に書かれてますが、


「こうした国(単一民族国家)においても少数民族や外国人が存在しており、単一民族という言い方が彼らマイノリティの軽視につながるとして、単一民族国家という言葉・概念が批判的にとられることもある。」

確かに日本にもアイヌや帰化人はいるが単一民族国家でしょう。
日本料理屋にもビールがおいてありますが、だから日本料理屋ではなくて多国籍料理屋を名乗らなければならないのかということです。

批判のための批判なのだから、条件などありません。
中山大臣が論理的にこうこうこうだから単一民族だと言っても
批判されることにはかわりありません。
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この回答へのお礼

有難うございました。
> 確かに日本にもアイヌや帰化人はいるが単一民族国家でしょう ・・
そうなんです、私は今までそのようなイメージが強かったわけなんです。
ところが、私たち日本人(和人?)の中でも色々なルーツに分かれる、従って単一民族では無いとする意見を多く聞くと、それなら、そもそも民族って何なの? どういう状態なら単一民族と言えるの? と感じるようになりました。

お礼日時:2008/09/30 10:31

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