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>>科学的業績によって得た世界的名声を背景に、アインシュタインは様々な政治的発言を行っている。第一次世界大戦中は平和主義を掲げ、戦争を公然と批判した。「2%の人間が兵役拒否すれば、政府は戦争を継続できない。なぜか、政府は兵役対象者の2%の人数を収容する刑務所を保有していないんだ。」と発言し、反戦運動に影響を与えた。しかし、第二次世界大戦の際は、一転して戦争を正当化し、「最早、兵役拒否は許されない」と発言し、同時代人の文学者ロマン・ロランから後に痛烈に批判されている。wikipediaからの抜粋

最初は兵役を批判していたのに、あとになって兵役を正当化したのは何故なのか分かりません。(誰かから脅されたのかもしれませんが・・・)
何故なのでしょうか?

A 回答 (2件)

うーん、kdsakjgj さんは子供なんでしょうか。

世界史とか選択していませんか。私も詳しくないんですが、次の(a)、(b)、(c)で説明してみたいと思います。平凡社『世界大百科事典』からのパクリをまじえています……。

(a) 第1次大戦ころまでは「無差別戦争観」
(b) 第1次大戦の惨禍が身にしみた後は「違法戦争観」
(c) 絶対平和主義

第二次世界大戦等の戦争犠牲者数(舟橋精一氏のサイト)
http://www.max.hi-ho.ne.jp/nvcc/TR7.HTM

上記のサイトで第1次と第2次の死亡者数を比べてみてください。英仏などにとっては、第1次の方が多いことがお分かりになるでしょう(戦勝国であるにもかかわらず)。日本では実感がわきませんが、ヨーロッパ人は第1次大戦を経験して、「こんなことやってたらヨーロッパ文明は滅びる」と痛感しました。
なぜ、こんな悲惨なことになってしまったのでしょう。NHK の番組で『映像の世紀 第2集 大量殺戮の完成』というのがありました。YouTube などでもご覧になれるかも知れません。
つまり、第1次大戦勃発当時は、(a)の無差別戦争観の時代でした。主権国家は互いに対等で、国家を超えた判定者は存在しないから、戦争を一種の決闘とみなすという戦争観です。国際法の手続き形式に従ってさえいれば、開戦理由を問わず、戦争は合法とみなされました。
そのような戦争観の下では、徴兵を忌避するのはただただ卑怯者、反戦を唱えるのは非国民ということになります。したがって、当時のアインシュタインの発言は、時流にも(a)にも逆らった勇気ある平和主義といえます。スイス以外だったら、監獄さえ覚悟しなければならなかったでしょう(彼はドイツ国籍を捨てスイス国籍を取っていた)。同じころ反戦を唱えたバートランド・ラッセル(イギリス人)は、ケンブリッジ大学を首になり投獄されています。
NHKの番組で解説されているように、1914年夏の開戦時、一般人は楽観的で、「クリスマスまでには終わって自宅に戻れる」なんて言ってました。ところが塹壕戦で膠着状態に陥り、機関銃が死傷者を量産し、戦車、軍用機、毒ガスまで登場して酸鼻を極めます。
1918年にやっと終わった後、人々は反省し、アインシュタインらの主張も一理あると考えるようになりました。こうして(a)の戦争観は崩壊します。国際連盟による集団安全保障体制がスタートしました。また、「不戦条約」で戦争は原則的に違法化されます(ただし自衛戦争、国際連盟による制裁戦争を除く)。これが(b)の「違法戦争観」です。
さて、回答文が長くなりすぎないように、話を単純化しましょう。アインシュタインの政治的発言には次の(ア)~(ウ)のようなパターンがあると思います。

(ア) 時流や(知識人の)主流に逆らってでも、信念を語る。
(イ) その発言がある意味正しかったことが、のちの歴史で証明される。
(ウ) しかし、他の意味では誤りだと分かり、彼は後悔して償おうとする。

第1次大戦前後のアインシュタインについて、(ア)、(イ)は前述の通りです。しかしその後、ナチスが政権を握ってユダヤ人を迫害します。アインシュタインは米国に亡命しました。欧州に戦雲がたれこめてくるにつれて、彼は(ウ)のように考えを改めます。
すなわち、第1次大戦後、欧米(日本は異なる)には厭戦気分、宥和主義が広まりましたが、ヒトラーはそれに乗じて周辺国を次々に侵略し始めたのです。このまま確(しか)と応戦しなければ、ヨーロッパはナチスの全体主義に呑み込まれてしまいます。
かつての反戦平和主義は、今や成り立たない。私を温かく迎え入れてくれた米国よ。欧州の友邦を助け、人間の自由と尊厳を守るため、武器を取って立ち上がってほしい。それがアインシュタインの思いでしょう。つまり、彼は(c)の絶対平和主義者ではありません。

そして、彼の(ア)~(ウ)のパターンは、第二次大戦前後にも当てはまりそうです。米国の世論は欧州の戦火を対岸の火事と見なしたがり、チャーチルから急き立てられても、ルーズベルトはなかなか参戦を決定しませんでした。また、知識人の間にも、「『戦争』の意味を第1次大戦が変えた」、「どの面さげて再び『若者よ銃を取れ』と説けるのか」という思いがありました。
しかし、前述のようにアインシュタインは平和主義を引っ込めます。これは第1次大戦時の発言から考えると(ウ)であり、第2次大戦に対しては(ア)の意味を持ちます。また、(b)に反しているかも知れません。
それでも、これがある意味正しかったことは、米国参戦による連合国の勝利や、戦後の安定と繁栄が証明しています。連合国の鉄(武器弾薬)と血(志願兵・徴兵)によってこそ、ファシズム勢力は打ち破られました。(西)ヨーロッパや日本などに、自由と民主主義が戻りました。
しかし、(アインシュタインも開発開始を促した)核兵器の登場により、人類は「ダモクレスの剣」の状況に追いやられることになります。ただし、彼は大統領への手紙に署名しましたが、その手紙を起草したのではないし、実際の開発(マンハッタン計画)にも携わっていません。そもそも、ウランの核分裂を確認したのはオットー・ハーンです(1938年)。その前からアインシュタインの「E = mcの2乗」が発表されており、両者を組み合わせれば巨大エネルギーが放出される可能性を、科学者たちは瞬時に理解しました。
第2次大戦後、アインシュタインは(ウ)のように後悔して、熱心に平和運動に取り組みます。彼は(c)の絶対平和主義者ではなく、悩み惑いながら激動の20世紀を生きた一人でした。
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この回答へのお礼

ありがとうございました。

お礼日時:2008/10/21 17:36

http://homepage2.nifty.com/einstein/contents/rel …
ナチスの迫害を逃れて、アメリカに亡命
平和思想を、突然くつがえし、ナチスへの対抗を訴えた。

http://www.tanken.com/ein.html
ナチスによる原爆製造の危険をアメリカのルーズベルト大統領に進言


アインシュタインはユダヤ人です。
ナチスの弾圧に合い、大勢の同胞の拘束を目の当たりにし、
また、原爆製造の恐怖もあったのではないかと思います。
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この回答へのお礼

ありがとうございました

お礼日時:2008/10/21 17:35

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