プロが教えるわが家の防犯対策術!

長文です。

長年の強迫性障害、睡眠障害、心の余裕のなさとかから来る適応障害みたいなものでなかなか良い方向に向かわずに困ってます。病名ははっきりとは伝えられてません。

通院し始めて10年以上、メンタル的なものは時間がかかるといいますがあまりの長さに困り果ててます

医師はある程度なら仕事ができるのでそんなに重くないとは言います(転院したけど大体どの医師も・・)

この間に親からも離れバイトをいくつもかえながら一人暮らしをして資格を取ったりしてきました。

この辺りをみてもやはり軽症なんでしょう。しかし慢性化してる様にも思われます。どうしても壁を突き破る事ができないんですよね。

医師と会っても10分位なので1年前から臨床心理士の先生の所でカウンセリングを受け始めました。(効果の程はまだ?ですが話はよく聞いてくれます)。

それで自分のテーマですが強迫性障害、睡眠障害をなくす事、心に余裕を持って働けるようになる事(長時間、長期間。うまく表現することはできませんが)でしょうか・・・。

メンタル的な病気を克服された方はどうやって症状を克服したのか教えて欲しいのです。
経験や専門的知識を持つ方の意見を聞かせて下さい。

薬は朝はソラナックス0.4,トリプタノール25,レボトミン5mmgで夜はソラナックスとトリプタノール同量で昼なし、寝る前はベンザリン1mmgとロンフルマン0,25mmgです。

A 回答 (6件)

おかしな二重構造はどうにかしなければいけません。


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と書いてありまして、貴方が長い間の苦しみが在って、少しは分かるような人かと思い、少し深い話を書いてみます。

昔にはノイローゼと云いました、それからは神経症と云う名で呼ばれていました。今は又名前が変わってしまいましたが、昔の名前である神経症と云う事で説明してみます。貴方が強迫性障害、睡眠障害、と云う事なので克服する手助けが出来れば良いと思い書いてみます。

神経症と云うものを説明しますので、自分でも研究してみて下さい。神経症は全てが「意識」した事が症状名になっています。貴方の場合は強迫性障害、睡眠障害と云う事ですが、他の神経症の場合も全て原因は同じ所から発症しています。それは「意識をして、不安になりその不安を大きくしてしまい、意識から離れなくなってしまう事」と云えます。

その意識をした事が、人前で字を書く時に手が震えてしまう事であった場合「意識してしまい、人が居ない処で字を書こうとした時にやっぱり手が震えて、書こうとすると書けなくなってしまう事です」是を書痙と云います。

人前で話をした時に話しにくい事を意識した場合に、どもってしまう事は誰にでも有る事です、が意識性が強くて「どもってはいけない事」と強く意識して「意志の力でどもりを無くそう。或いは自我意識だけでうまく話そう」とした場合が吃音恐怖症と云う事になります。

それぞれの症状は誰でもが感じている普通の感情に過ぎません。処が発症してしまうのは「嫌なものとして、そうあってはならない事」と云う決め付けでしか有りません」その決め付けのために、今度は「その症状は心には有害なもの」として心から追い出そうとします。この事が症状としてしっかり心に固着してしまいます。

神経症の始まりは、心に湧きあがった普通の感情に過ぎません。それを嫌がって追い出そうと意識する事から、その症状は大きくなっています。

例えば「不安」と云う感情が湧きあがります。これを只不安と感じているなら、問題にはなりません。それは心に湧きあがる感情は「全てのものが一過性」のものであってただの雑念でしかない。と云う事で済んでしまいます。処が異常なもの」と云う風にして自我意識が意識をした場合には問題になります。何が問題かを次に書いてみます。

人間は自我意識だけで生きているのでは無いと云う事を知らない事が問題となるからです。普通仕事がうまく運ぶ時には自我意識は余り関っていません。自分が仕事をしていても本当は自分は仕事をしていません。この事が分からない事から精神疾患は発症しています。

車の運転をしている場合には、危ない時には「自我意識が危ないから、足に力を入れてそれからフートブレーキに足を延ばしてブレーキを踏む」と云う風に事が進むのでしょうか。そうでは有りません「思わずにブレーキに足が伸びています」自我意識や、意志の力は入っていないはずです。人間には思わずに行動できるようになっています。是は「自我意識」のほかに「もう一人の人格」が居ると云う事を意味しています。

精神疾患の大本は人間が意識をする事、と云いましたが、それだけならまだ良いのですが、意識をして、自我意識だけで何かをやろうとする事が精神疾患の元を作っています。もう一人の人格と云う事を云いましたが、これは「仏性」の事です。人間は自我意識と仏性と絶えず連絡を取って、お互いの得意なところを出し合って生きています。是が普通の暮らしです。いわゆる健常者と云う事です。

処が意識をして「自我意識だけで何かをやろうとしたり、何かを感じようとしても」全てがうまくゆかなくなります。是が精神疾患の状態です。仏性を無視した生き方になっています。この事が次の問題を起こします。無視された仏性が自我意識を「助けたいと思って手を差し伸べています」是がいわゆる「苦しみ」の形をしています。具体的に言うなら、漠然とした不安、圧迫感、罪悪感などの自我意識には気味が悪い感じのものとして、自我意識に圧迫を加えてきます。

貴方が感じている、おかしな二重構造はどうにかしなければいけません。と云う事は「自我意識」対「仏性」との対立と云う事になります。心の矛盾は今言った事になります。自分で自分を苦しめると云う事になります。この事が精神疾患の元を成しています。従って長い間薬を飲み続けても、心の矛盾を解消しない限りは、すっきりした解決にはならない事になります。

ここに「禅」と云うものが出来た背景が有ると思います。禅は自分を働かせている、そのものを直に掴め、と云う事をテーマにしています。自分を悩ませているものを掴み取れ、或いは自分に疑問を抱かせているものは誰か?と云う事をテーマにしています。

私は鈴木知順診療所に2ヶ月間お世話になりました。そこで先生に言われて一番印象に残っていたのは「ノイローゼは悟りを開かないと治らない」と云う事と「ノイローゼの一年は坐禅を十年した事と同じ」と云う事でした。28歳の時でした、その時には何の事かさっぱり分かりませんでした。処が先生の言われた通りの生活をしていて4年後の事悟りを開くと云う事を体験しました。

14歳から人生は何だろう・、自分は誰だろう?、死にたくない?、永遠の命への憧れ?と云うものを常に意識していて、絶えず苦しみの中で生きていました。是が高じて感情が湧かない、生きている実感がない神経症の中の「離人症」と云うものになっていました。ふとした事で自分の意識が「自分の無意識の意識」と出会うと云う体験が有りました。

32歳の時でした。それ以後死にたくない?と云う事が無くなりました、死への恐怖感が無くなったのです。鈴木大拙博士の本を読んでいましたので「禅問答」は幾つか知っています。その中の「父母未生以前本来の面目」と云う事が体で分かりました。生死の問題を解決しました。その時に、同時に神経症も完治しました。

貴方が今、苦しい気持でいると云う事は自分でも通ってきた道ですので
良く分かります。神経症を治すと云う事は心のジレンマを解決すると云う事になります。心の矛盾の解決です。症状を嫌って無くしたいと云う事が、貴方の症状を作っています。

症状を追い出そうと云う心の働きが、返って症状を固定させています。ですから症状はもう、仕方ないものとして相手にはしない事です。それで森田療法では不問と云う事になっています。それよりも禅と云う事を学んでみて下さい。今の貴方の認識が症状として顕れています。貴方が症状を忌み嫌っている事が貴方の症状を固定しています。貴方の認識、良いの、悪いのと、より好みする心が、分別が症状を生み出す原動力になっています。

天国を望む心が地獄を作っています。天国を捨てた時に地獄が無くなります。他の言い方をするなら、地獄に落ちても良い決心が出来たなら「今ここが天国」と分かります。症状が在ったままで全てが整っていた事が分かります。貴方の間違いは症状を悪いものと勘違いしているだけです。症状を心から受け入れる事が出来たなら症状は消滅します。貴方の症状はただの幻に過ぎないからです。

この回答への補足

アドバイス、感謝しております。

カウンセラーに自分の症状を尋ねたところ、やはり神経症的なものらしいです。

車、バイクは運転するので分かり易い例ですね。

「症状を意識しない」これが主治医が自分の日記を見て「別にいいじゃない」を繰り返す意味ではないかと思いました。

調子を崩して7年後に通院しだしましたがその間、かなり自分なりに症状を克服しようとして自分で解決しようとしたのですが、これは自分も聞いた事があるのですが無理に逆らうと深みにはまるとは後で聞いた話しなのですが、意識して症状まで固定させてしまったんですね。

今でも、「こんな事で悩む自分が嫌だ」という悩む自分と追い出そうとする自分がいるのが説明されてる自我意識と仏性の対立と感じました。

実体験としていくつも例が浮かびあがります。

今でも追い出して健康的になりたいと感じますが症状を無理に追い出そうとせず、受け入れてこの心のジレンマ(天国、地獄行きの矛盾関係)がなくなった時に症状が消失するとは自分なりにおぼろげながら理解できそうな感じがします。

鈴木先生の本は興味深く読んでみたいと思います。

大変ありがとうございます。

補足日時:2008/11/30 03:22
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こんばんは



>長年の強迫性障害、睡眠障害、心の余裕のなさとかから来る適応障害みたいなものでなかなか良い方向に向かわずに困ってます。
>通院し始めて10年以上、メンタル的なものは時間がかかるといいますがあまりの長さに困り果ててます。
これらの症状が転院を繰り返しても、改善しないなら
何らかの脳の器質的異常や欠損を疑う必要が有るのでは?
ある研究結果によると、セロトニン遺伝子の違いで人間の不安の感じ易さが異なると言う研究結果が有ります。
セロトニンの脳神経間での働きを調整するセロトニントランスポーター(5HTT)が有ります。
この5HTTにはロング遺伝子とショート遺伝子があります。
ショート遺伝子を持つ人はロング遺伝子を持つ人より、不安・神経質の傾向が強いとされています。
日本人の調査では
ショート遺伝子とロング遺伝子又はショート遺伝子だけを持つ人 98%
ロング遺伝子だけ持つ人 2%の結果が出ています。
一つの研究結果ではなんとも言えませんが、器質的変異が見られるならば、如何なる心理療法や薬物療法も効果がない可能性があります。

こればかりは、遺伝子の解析を必要としますから難しいと思います。
これが原因だとすると、現時点では治療法がなく「異質的なものだからしょうがない」とご自分で納得して改善に向かうかもしれません。

自分の場合、抑うつ障害を持っていますが、主治医の見解としては
ADD(注意欠陥障害)に付随する二次的症状の可能性が強いと最近言われています。(主障害で仕事上の叱責、注意が抑うつを引き起こすようです)
日本では、ADDに有効な中枢神経賦活剤(リタリン、コンサータ等)が成人には承認されていません。
最近は、「障害だからしょうがない 」と自分で妙な納得をしているので、叱責されても、気分障害の波も少なくなっています(苦笑

また、性格の歪みが原因では?
性格の歪みつまり何らかのパーソナリティー障害に起因するものなら
薬物療法は補助的療法であり、臨床心理士によるカウンセリング等の心理療法が改善に繋がるかもしれません。

精神疾患の治療効果は様々です。
普通は薬物療法→心理療法のアプローチでしょうね。
質問者さんの治療経過を拝見すると誤った選択をしていませんから
改善の兆しが見えるかもしれません。
心理療法は薬物療法と違い、効果が出るまである程度期間を要します。
とりあえずはこのまま治療を続けるのかベターかと

この回答への補足

回答、有難うございます。

発達障害、パーソナリティ障害ありますね。
知識はないのですが自分も疑ってみる必要性から発達障害について主治医に質問した事がありますがごく簡単な事例を挙げ、そうでもないと言われました。
パーソナリティ障害については聞いてはいませんが次回、聞いてみます。

セカンドオピニオンを受けた際にあなたは一回に少なくとも30分位は話せる所へ行った方が良いと言われ現在のカウンセラーの所へ通ってます。

カウンセラーは自分の言う諸症状だけでなく広い角度で客観的に見ていると感じます。

カウンセリングの途中でワイズアール、ロールシャッハテストを行うなど(勿論、自分の合意の上で)。

手元に資料はあるのですがポイントをまとめて伝える事はできません。

初診時に脳波検査を行った時には異常はなかったそうです(あれは、てんかんの検査でしたっけ)

神経症、発達障害、パーソナリティ障害についてもう一度確認してみる必要があり自分はどう努力すべきか話し会いたいと考えてます。

アドバイス、感謝してます。

補足日時:2008/11/23 23:51
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神経症が完治した者です。

その経験から書いてみます。貴方が今の状態から抜ける事が出来ないのは、貴方の認識の誤りからきています。貴方は自分の自我意識の使い方を工夫してみて下さい。

貴方だけではないと思いますが、大抵の人は、自分の体を使う事でも、世の中を渡ってゆく時にも、全て自分の自我意識だけでやっている、或いは生きていると思っています。ですが自分の意思の力、或いは自分の自我意識の意識の力だけで生きてゆく事は無理が在ります。

10年も苦しんでいる貴方には分かり良いかも知れませんので、分かりやすいように書いてみます。

精神疾患というもの、或いは神経症と云うものは、なにがしかの症状が在ります。そうして自我意識が「圧迫を受けている感じが在るはずです」それは、貴方なら、貴方の自我意識のほかにもう一つ分からないながらも意識が在ります。貴方が脅迫観念で悩み苦しんでいると思いますが、その心の矛盾の「相手がそれです」

それは、貴方の無意識を働かせているものです。貴方が自我意識だけを使って、無意識を無視している事から、貴方に「自分が変わってやってあげる」と云う申し込みです。

貴方が10年もやって治らないと云う事は、今言った理由からです。神経症の治りと云う事を説明します。神経症を治すためには「症状」は無視する事です。症状を悪いものとしている考えが症状を作っています。そうして症状を無くそうと云う事がしっかりと症状を固定させています。

神経症の完治を求めるならば、もう症状はとれないものと云う諦めが必要となってきます。症状は有ったままこのままで生きてゆく他はない、と云う決心が必要となります。そうして決心をしても症状は無くなりません。症状を受け入れる事が大事な事になります。

辛い生活が続くかも知れませんが。貴方が症状を完全に受け入れる事が出来るなら、症状は消えます。ただ消えると云う意味は無くなってしまうと云う事では有りません。症状は良く心を観察すれば気が付くと云う感じになります。意識には全く上がって来なくなります。是が神経症の完治です。症状があったままで気にならなくなると云う事です。

神経症を起こしているのは貴方の認識と云えます、貴方の心で云えば、無意識を無視していると云う事です。又ほかの言い方をするなら、世の中を、目の前の現実を好きと嫌いで区別して見ていると云う事になります。目の前の一つの現実を二つにして見ていると云う事になります。

分かり易く言うならば、一つの現実を天国、地獄として見ていると云う事です。地獄を嫌っている考えから、天国に入れなくなっています。

具体的に学ぶとしたら森田療法を学んで下さい、鈴木知順先生の本が良いと思います。私がお世話になった先生です。貴方と同じ症状の人達も載っています。人間の心の性質と云うものを学んで下さい。そうして「人間はどうして悩み、苦しまなければいけないか」と云う事を学んで下さい。この答えが分かった時に貴方には症状が消えてゆきます。

この回答への補足

回答、ありがとうございます。
敢えて話します。
実は3年前に転院して森田療法をやっているのですが日記をつけてきなさいと言われて始めはこと細かく印象に残った事を書いてましたが日記を見た医者は「別にいいじゃない」の繰り返しで一向にそれについてアプローチもなしで症状は改善されない。
だから日記をつけるのも雑になり今では書いてません。
森田療法らしく薬は減りました。それでやってますがあまりの診療時間の短さからふとした事で知り合った臨床心理士の先生の所へ通い始めました。繋がりのある職業だから連絡はいってるかもしれません。
少しおかしな二重構造状態です。
森田療法の症状を「追い出さずにあるがままに生きる」というほんのさわりの言葉だけは知ってます。
また臨床心理士の先生から症状が出て治療を始めたのが7年後で付き合いが長く元気な頃には戻れない、うまく症状をストップさせる術を身につける事が大事と言われました。それがどの様な物かは実感できませんが自分でも「うまく付き合っていけるならそれでも良い」と考えてます。
この上手に付き合う術、ストップさせる術を身につけた時に症状が改善されていくのでしょうか?


「目の前の現実を好きと嫌いで区別している」何だか当たってるな、と漠然と感じます。

今までは心理療法の本は自論としては読まないで目標らしき物に自力で辿りついてこそだと思って読みませんでしたが御指摘の本、読ませて頂きたいと思います。

おかしな二重構造はどうにかしなければいけません。

この文章中にもし気分を害される事がありましたら敢えて事実を書いたために御容赦下さい。

補足日時:2008/11/21 00:48
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私も2年ほど前ぐらいに、精神疾患で発病し、症状が悪くなって苦しんだときもありましたが、薬を投与しつつ、徐々に治しました。


クスリを飲むことも大切なのですが、やはり、規則正しい生活をする、というと変ですが、仕事の状況や日常生活の状況にあわせて、
何事も、時間通り行動すべきことが治療への最善の道だと思います。
たいがいメンタルの問題を抱える人は、家族の問題、仕事の問題で
問題をかかえている人が多いんです。そういうことに巻き込まれて
精神を病んでいく人が多いと思います。だからカウンセリングに
走る。でもそれで悩んでいる時間が長すぎて、心の負担がかかり
なおさらノイローゼになってしまうのですよね。
問題を放置せず、行動によって解決するほうがいいのに、行動が
できない、のはやはり、時間や規則、常識やいざというときに
きちんと行動できない人んですよ。そういう人は何も解決できないし
ただ呆然としているのと同じです。
何年も前、何十年も前、のことや、何年も先、何十年も先のことを
うじうじと考えては、抽象的に悩む。今すべきことを考えずに
他人に反省や内省ばかりを求める人間は、自己内省型ともいえ
ますが、そういう人に限って、今現在しなくてはいけないことに
集中できていなかったり、過去や未来にばかりとらわれていて
今すべきことが理解できていない。心配や取り越し苦労ばかり
してしまう。そういうふうにしていると、精神疾患やノイローゼになります。今という現実がみえなくなり、考えても、結論や答えがでない問題にとらわれ続け、頭がパニックになるからです。
そして、それが現実生活に支障がでるからです。
そして無限の悩みのループにはまり、抜け出せなくなるのです。

この回答への補足

回答、ありがとうごさいます。
規則正しい生活、今現実にできる事はやってきてるつもりではいるんですが(100%ではありませんが)。
「無限のループにはまる」確かに当たってる感じもしますね。
不調になってからは気苦労が多くそれから強迫観念を生じやすくなったともいえますね。
辛口な部分もありましたが参考になりました。

補足日時:2008/11/20 02:16
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この回答へのお礼

書きそびれましたが自分も薬はあくまで補助的な物と考えてます。だから飲み忘れが多いし、薬に頼るばかりでは改善はしないと思ってます。

お礼日時:2008/11/20 02:38

発想の転換が出来るようになることです。


物事の捉え方や考え方を変えることで柔軟な対応をしてみしょう。

なぜ病気を治したいかのかと思うのは、いまの状況を受け入れることが
出来ないために自分から取り除きたいと思っているからでしょう。
いまの状況にもしOKをだすことが出来るのならば、何も改善する必要は
なくなり他のことにエネルギーを使うことが出来るようになるはずです。

強迫性障害、睡眠障害があってもいいではないかと、いまの状況を
受け入れてみることで自分の気持ちがどう感じるかを確かめてみましょう。
もし気持ちが楽になるのならばそうすればいいだけのことです。
そして気分さえ良くなれば問題は自然と消えていくと思います。

この回答への補足

回答、ありがとうございます。
確かに今の状況を受け入れる事はできなく取り除きたいと思ってます。
世の中がバイトでもよく経済的にもゆとりがあるならば問題はないと思いますが。
今の状況のままではやはりマズイと思います。
アドバイス、ありがとうございます。

補足日時:2008/11/19 23:05
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私は症状に対しての課題を設けるのを止めました。

そんな気持ちを変えることで自発的に治るなら、とっくに治っているはずだ、という理屈です。

心の病気については、自分で治そうという課題を設けると、それが心への負担になって治療を妨げます。健康に良いつもりで、自分で不摂生をしているようなものです。

もともと偏頭痛持ちで飲んでいたデパスは続けていますが、抑うつに対する薬は4年くらいで済んでいます。

この回答への補足

回答、ありがとうございます。
確かに焦ったりすると良くないと聞きます。
自分もバイトとはいえ目の前の仕事が忙しくて余裕なく(他人からみるとそうでもない)クリニックに行っても10分も話せないし、また考えるのが煩わしいので薬だけ郵送して欲しいと言ってた時期がありました。3カ月位医者と会わない時もありました。
この時は自分自身に注意がそれてた様な感じで楽な一面もありました。
が、強迫的症状は改善されない。休みの日はひたすら眠りたいという気で一杯で眠りから覚めると不安感に襲われやはり社会生活をきちんとおくれるようになるには自分自身に対して直視して治療が不可欠かな?と思いました。
この仕事で無理したのかその後の反動にも往生してます。
先日、口腔外科に行き大変痛い思いをしたのですがメンタル的な治療もこんな感じでいければいいんですけどね。
アドバイス、ありがとうございます。

補足日時:2008/11/19 21:11
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