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地震の波動とか流体、固体の内部応力と変位などの物理量を計算する場合の偏微分方程式の導出を考える場合、必ずといって良いほどテイラー展開が用いられると思います。そしてテイラー展開の高次の項をネグるような処理が行われると思います。極限操作とかいろいろな言い方がされていると思いますが。最終的に誘導された偏微分方程式は高次の項をネグるという近似がなされた式という風に見えます。しかしその方程式は現象を支配する完全な方程式とされていると思います。そこにギャップ(近似と完全)があるように思われます。完全といっても対象を連続体として近似していたりするわけですからそれほど完全でもないと思うのですが、式ができてしまえばそれに則って考察されていくわけですので、そのときはその式が憲法ほどの重みを持つように思います。私のイメージとしては無限小に漸近させるとき、収束するスピードが同じもの同士でバランスする式が方程式として成立することを数学が保証してくれると考えているのですが。(そのために解析学では高校の数学程度から極限を考えている)
よろしくお願いします。

A 回答 (5件)

数学が明らかにしようとしているのは哲学者カントの言う「分析的真偽」です。

すなわち、言葉の定義の間の無矛盾性を論じる学問です。したがって、言葉の分析だけで判断し得る「真偽」を問題とします。それ故数学は人文科学の一種として分類されています。一方、あらゆる自然科学が明らかにしようとしているのは数学とは違って、「総合的真偽」です。例えば「手に持った物を離すと下に落ちる」は、言葉をどう分析してもその真偽は分かりません。実際に実験してみて初めて分かる真偽です。事実、人工衛星の中ではその命題は偽ですから。物理学は自然科学であり、数学は自然科学では在りません。物理学にとって、数学はこの総合的判断を下すための道具です。数学は我々が間違った言葉を話さないための文法学と言うことも出来ます。ですから、数学の整合性をどんなに分析しても、物理学の狙う現象に対する真偽の判断は出てこないわけです。この辺りを先ずしっかりと認識して下さい。

>地震の波動とか流体、固体の内部応力と変位などの物理量を計算する場合の偏微分方程式の導出を考える場合

まず、この偏微分方程式が間違っていることは、始めから分かっています。その証拠に、現在では物質は原子や分子と言う不連続体で出来ていることが分かっているからです。一方、これらの例に関する偏微分方程式がな成り立つのは、厳密には連続体だけです。したがって、これらの例に関する偏微分方程式はこの世に在りもしない架空な現象を取り扱っているわけです。もし、厳密に取り扱いたいなら、これらの現象を分子運動論とよばれている、力学の第一原理に基づいた理論を使わなくてはなりません。しかし、しばしば我々が取り扱おうとする物理量(例えば空間的な長さ等)が巨視的な量であり、分子間の距離のような不連続性を表す微視的な量と比べて、十分大きい場合、すなわち、前者に対する後者の比が途轍もなく小さくなっている場合には、その比の高次を無視する近似が良い近似になっていると期待できます。ただし、それは期待だけであって、良い近似になっていることを証明したわけではありません。

物理学では、このように経験に照らして多分良さそうだと期待して得られた法則や方程式のことを、現象論的法則とか現象論的方程式と呼んで、古典力学のニュートンの方程式やマックスウェルの電磁方程式や量子力学のシュレーディンガー方程式や宇宙論のアインシュタイン方程式などの物理学の基本法則、あるいは第一原理と呼ばれる法則とは、厳格に区別しています。工学で使われる方程式はほとんどの場合、現象論的方程式です。そして、物理学者とは「この宇宙にはこのような物理学の基本法則または第一原理と呼ばれる物が存在し、この宇宙に起こる全ての現象が生命現象までも含めて、この第一原理によって統一的に説明できる」と言う、未だに誰も証明したことがないことを信じている物理教の信者のことです。

したがってこの物理教信者の立場からすると、上の例のような偏微分方程式が果たして正しいかどうかを証明するには、この近似から得られた架空の現象論的偏微分方程式の解を、物理学の第一原理から得られた分子運動論の方程式の解と比べて見みなくてはなりません。ところが、一般に分子運動論を解析的に解くのは、偏微分方程式を解析的に解くのと比べて、桁違いに難しいのです。現在の物理学でも、分子運動論が、近似のレベルでも解けている例は僅かしか在りません。分子運動論は現在多くの物理学者達が挑戦している、非常に今様な研究課題の一つです。したがって、現在の所、現象論的方程式の正当性はほとんどの場合、実験との比較とで行われております。しかし、上で述べたように、それでは物理教信者を説得しきれないのです。

さて、その僅かに解けている例に対して、ほとんどの場合、巨視的なスケールの場合には、この現象論的な偏微分方程式が大変良い近似で分子運動論による解と一致していることが確認されています。それ故、実際の工学的応用などでは、遥かに簡単に解ける現象論的な偏微分方程式を使った方のが便利なので、学校でもそれを教わるのです。

ところが、場合によっては、この二つの解の間に際立った違いが出てくる事も在ります。もし、何方かがある系での在る現象に対してその違いを指摘できた場合には、物理学に於ける大変質の高い仕事として評価されます。このような違いの起こる原因には幾つか考えられますが、簡単な場合は、近似の適用限界を無視して偏微分方程式の解を現象に応用してしまった場合です。もっと深い例では、先程述べた、小さな比で、たとえばこれをεと呼ぶことにすると、ε=0の点が特異点になっていて、その点の周りでテーラー展開が収束していない場合もあるのです。特異性で有名な例としては ε log ε と言うのが知られています。他にもいろいろあります。そのような特異性があったにもかかわらず、テーラー展開の収束を期待して、それを低次で近似してしまうと、それによって得られた偏微分方程式は、現実の系の振る舞いとは全然違った振る舞いを予言してしまうことになります。

物理学は数学を使って論じる学問ですが、道具としての数学の論理に魅了され、全幅の信頼を寄せてしまうと、道具が一人歩きして本末転倒なことを言い出す危険が在ります。数学は脳味噌の考え出すあらゆる論理の整合性を探る学問ですから、必然的に、「一般化」を狙います。一方、物理学とはこの宇宙の個性を探る学問であり、数学的にはこれだけ多くの論理的に整合した構造があり得るのに、この宇宙は何故あの論理構造を選ばずに、この論理構造を選んでいるのかと言う、「特殊化」にその根本的な狙いが在ります。狙った方向に関しては、数学と物理学は、こと程左様に水と油の違いが在ります。事実、本職の物理学者と本職の数理物理学者の間では、しばしば会話が不可能です。

結論:全ての現象論的方程式は近似方程式であるか、場合によっては間違っている方程式です。その現象論的な裏にある第一原理を探し、それに基づいて、全てを統一的に説明しようと言う神懸かった努力を日夜しているのが、物理教の信者である物理学者なのです。
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この回答へのお礼

回答、有難うございます。特異点にまでもご考察の射程が及ぶというものであり、大変示唆に富むご指摘かと存じます。
議論をスケールダウンして数学的に滑らかで特異性もなく、十分解析的でテイラー展開の収束性も十分保証されているような対象を考えます。その場合、テイラー展開を行って高次の項をバッサリ切り捨てて偏微分方程式系を作り上げることを割りと平気で行います。なぜそうなのか、そうしていいのか、という問いには、”極限操作により”という素っ気無い回答しかないように思うのです。もう少しは説明が欲しいというのがこのスレッドの発端です。また、このようにして誘導された方程式が究極的には誤りであることは承知しています。

数学がメタで構造主義的で一般化を目指し、それであるがゆえに個別対象が見えずに使い方を誤れば大怪我をするということは分かります。それを承知の上で数学を使って誘導された現象論的な方程式がどうして有効性を持つのか、どういう使い方をしたら誤りなのか、ということが一般的なテキストにおいてもう少し言及されるべきじゃないのかなと思っています。

お礼日時:2009/01/24 08:11

物理現象から支配方程式を導出するとき,



1.物理現象からモデルを考える
2.モデルから支配方程式を考える

という2つのステップを踏みます.

ここで,モデルが完全である(閉じた形式になっている)ことは数学で証明できるでしょう.理学であれば閉じた形式の理論を構築することを目指しますし,工学であれば必ずしも閉じてなくてもいいから実用なもの(およびその適用範囲)を考えるでしょう.

ただ,1つ目のモデル化が問題です.理論物理学は昔からずっとこの1つ目を追及してきた学問で,現在は素粒子やら超ひもやらを考えていますよね.

数学を使える抽象の世界に実際の世界を引きずり込むには,モデルが必要となります.しかし数学を使える世界の前の段階ですから,これを数学で証明することはそもそも不可能です.物理ではすべてが仮説というのはこういうことです.

まとめると,
・「式がモデルを完全に記述していること」・・・数学で証明可能
・「モデルが物理現象を完全に記述していること」・・・数学では証明不可能
ということです.
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この回答へのお礼

回答有難うございます。
超弦理論や素粒子の理論はこれはもうどっちに転ぶかわからないというほどの先端部分だろうと思います。日常的な感覚も通じない世界と拝察します。また、対象が離散的で微分という概念もないように思います。流体とか固体のような古典的な対照の場合、さらに微分操作が可能であるとまで条件を絞り込んだ上でさえも私は完全性と近似性の問題がすっきり解消しないなという感じを持ち続けているのです。

お礼日時:2009/01/25 08:05

”誘導された式は完全ではなく、近似である”という考え方をされていると思います。


>近似ですよ。固体内部の応力とかは微小部分の応力勾配のバランスで式が誘導されますが、各軸方向の微小部分距離にリニアに比例して応力が上がるという「近似」をしています。

以下は回答になっていません。数学をようようする立場からの私見です。私は数学者ではないので、数学的センスはありませんが全てを論理的につじつまあわせしていく数学には敬服しています。しかし実世界ではそれを待っていては何も出来ませんから。過去は解析的に解ける様近似したりするのが普通と認識しています。完全だが誰も解けない式を持っていても誰も解けないでは価値がありませんから…。テイラー展開で高次項を無視出来る数学的根拠はわかりません。ただ、0.01とかのオーダーの物を2乗以上したものは無視できるという工学的経験則は正しいと思います。それを数学的証明したものがあるかはわかりませんが、それは他の回答者のお答えがあればいいですね。
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この回答へのお礼

回答有難うございます。
このような議論は、高みから見下ろすと客観的な考えが示せますが、実際にこれに取り組むとなると、式がすべてを記述しているような錯覚に陥ります。その式がどのような適用範囲で成り立つというようなことをすっかり忘れてしまいます。実際にプログラミングしているときは式をすっかり信用しないと作業が先に進めないということもあるので仕方ないのかななどと思っています。

お礼日時:2009/01/25 07:54

質問は何?日本語で書いて。


ちなみに、近似式は、人間の脳みそに合うように作られる。
ふつうは、直接、コンピューターに数値ぶち込んで終了。
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この回答へのお礼

すみません。質問の言葉を明確に書くことをしませんでした。(書いている間に中断があったので)

質問の主旨は、なぜ、人間の脳はその近似を承認できるのかということです。そのことが承認できないと自分がシミュレーションプログラムをスクラッチから書き上げて実行したとき、元の式が間違っていたのではないかと疑う範囲が広がってしまいます。言い方を変えると主旨は、式の妥当性が揺らぐことがない境地に至るにはどうしたらよいか、数学が大方の保証をしてくれるのではないかということなのです。

お礼日時:2008/12/28 02:02

その通りです。

ですので扱う物理現象次第で、無視出来る項を決めているのです。

例えば弾性力学では変形勾配ΔFの線形項まで。非線形弾性学では2次のΔF(FΔ)項迄含む等です。完全に微小項に対しては完全に含んだ式などないのではないでしょうか?その意味では全ての式は近似式といえるかもしれません。その目的の多くは「線形化」にあると思います。式が解き易いからです。完全な解けない式より、近似でも解ける式がという事だと思います。

収束するスピードに関しては、微小Δxの2次以降は無視するとかの事かと思いますが、苦労して非線形方程式を解いても、殆ど線形と同じ結果が出る場合が多いです。但し、カオスの様に初期的入力値の微小差が結果に大きな違いをもたらす場合もあるのも確かです。ただ、実用上「解けてほぼ近似」な線形化が「厳密でも解けない」より使われているのが現状だと思います。ある意味全ての項を含んだ厳密式を解く事はほぼ不可能というのが私の印象です。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございました。

お答えから察すると”誘導された式は完全ではなく、近似である”という考え方をされていると思います。私はその反対でそれを完全であると考えてもよいという保証を数学が与えてくれているのではないかということを考えています。εδ論法だとか、n→∞という近似で収束を調べたり、一様収束だとかの解析学の諸概念はそれが完全だと考えてもよいという保証を与えてくれているのではないかということなのです。テイラー展開の極意はあのような形で高次の項を打ち切ったとしてもその誤差が低次の項に与える影響を抑え込むことができるという証明と読めるからです。

お礼日時:2008/12/28 01:55

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