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宜しくお願いします。
20代後半男性です。

年金崩壊などをうけ、国に頼らず自分の力で生きていくようになる事が必要、などという人がいます(著名な経営コンサルタントなど)

そのために投資しろとかスキルを磨けなど色々
いう人もいますが、本当に国に頼らず生きて行く事なんて可能なのでしょうか?

医者に行くのだって、保険に入っているから3割負担で住んでいるし
ごみの処理だって市役所がやってるわけだし、国に頼らず生きていく、というのはどういうことなんでしょうか?

経済力の事なのでしょうか?
でも結局どこかの会社に、国に属して生きているわけで
自分が稼いでいる給料が自分の実力などととても思えません。。。

特定の会社に頼らず他の会社でも通用する一般的なスキル、
ということならまだ想像できるのですが。。。

国に頼らず生きていくなんて想像できない私は
時代遅れなのでしょうか?

アドバイス下さい。
宜しくお願いします。

A 回答 (6件)

無人島でひとりで生活することを想像してみてください。

不可能です。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。
なぜ著名なコンサルタントの方々は
一人で生きて行く事
国と退治できるぐらいの覚悟・力が必要

というのでしょうか・・・。

凡人の私には無理です

お礼日時:2009/01/01 16:56

国に頼らずいきていくことなんて本当にできることなんですか?


>基本的な部分は無理です。生きていくことはできません。
問題は今回の派遣騒動みたいに、派遣は昔は日雇い労務者の分類に属し身分の安定が無いこと自体、足を突っ込む時点で解っていたはずです。
当然如何にして、身分の安定した職への移行を模索すべきでそれをしてこないで、何を今更というのが国に頼らず自分の力で生きていくようになる事が必要の意味だと思います。
50過ぎ私は自営に移行し、人並み以上を稼いでいます。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

私は同年代の非正規雇用、特に工場労働者の方などを見ていて、
努力をしてこなかった、と言う個人的な問題よりは
構造的な問題、国が正社員を減らして非正規雇用の枠を増やしたために
正社員になれなかった人もいると思うのです。
そのような方に、”国に頼らず生きていく(No3の方のような意味でも)”と言うのは社会的に恵まれて生きてきた論理にしか見えないのです。
(私は正社員ですが・・・)

回答者様のように、先を見て利勉強する能力も必要だと感じました。
有難うございました。

お礼日時:2009/01/01 17:36

「国に頼らず、、」という著名なコンサルタント?が言っているいるのは、「年金とかが減っていくことは確実だから、昔みたいに定年まで働いたら悠々自適に暮らす事ができる時代ではないから、昔みたいに貯金しておくだけでなく、運用とかしたり、スキルを身につけていかないと、昔のサラリーマン(でなくてもいいんですが)が送っていたような老後を迎えるのは難しい時代になってきましたよ」って言ってるだけなのではないのでしょうか?


全くもって国に関与せず生きていけという意味ではないと思いますよ。
質問者様のおっしゃる通り、国に全く頼らず生きることなんてできないでしょう。もし、極端に、全く国に頼らずに自力で生きる(税金は納めず自分の稼いだ金で生きる)という意味であるなら、だったら「息吸うな」って私は思います。その人の吐いた二酸化炭素は誰のお金で処理するのか? その人が歩いて傷んだ道路は誰のお金で修復してるのか? 全部税金です。
 日本の国は、首相もしょっちゅう変わるし、不安定だし、税金は高くなる一方だし、老後を安心して迎えられる国ではないので、昔みたいにどっかり国にのっかって生きてちゃ不安だよってことを言ってるのだと私は思いましたが、、。
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「国に頼らない」とは、国との関係を断つことを必ずしも意味しないのだと思います。


例えば、「自分が国を養っている」のであれば、関係を維持したまま、
頼るどころか、国から頼られていることになるでしょう。

つまり「国に頼らない」とは、自分と社会とのギブ&テイクを考えて、
「スネ齧り」をしていないことを意味するのだと思います。

医療保険であれば、自分がもらい過ぎずに、弱者救済に寄与していることです。
ごみ処理であれば、公共事業にかかる税金等を十分以上に納めていることです。

また、仕事で言えば、自分で稼ぎ出すことができず、大して役に立っていないのに、
高い給与をもらっているというような、会社の「お世話」になっていないことです。
「国」を小スケールにしたものが会社です。

さしづめ、子供でいえば、家族が「国」に該当するでしょう。
家族から、一方的な経済的援助や精神的援助を受けているうちは、
頼っている状態にありますが、
精神的に成長し、さらに自分で職を得るなどして、
一歩的に受ける援助が不要になれば、自立した状態になったといえますね?

さて、再び仕事の話に戻しますが、
稼げるスキルがある人ならば、他の会社でも重宝がられるので、転職も可能ですが、
「お世話になってばかりいる人」だと、とうてい転職などできません。
このことは、「自分が、選択の自由を持っているかどうか?」ということが、
頼っているかどうかの目安であることを意味しています。

投資などの副業をしている人は、資金提供などの方法で、自力で稼ぎ出しています。
十分な副業収入があれば、正業で首になったとしても、それほど困窮することがありません。
むりやり会社にお世話にならなくてもよいのです。
自営的な副業であれば、それを発展させて正業に変えることにより、
まさに起業者としての自立を果たすということになります。

自立度の高い人は、一つの関係に固執する必要がなく、
自分の判断で自由に選択をすることができます。
日本の価値観が合わないとき、外国に移住することもできる、という人もいるでしょう。
「関係を断つという選択も可能な人」のことを言うのかもしれません。

では、あらゆる意味で、しっかり「国を養える人」になれるよう、お互い頑張っていきましょう!
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。
おっしゃることは大変分かります。
私も以前荘思っていました。

しかし、正論だからこそ強者の論理に聞こえてしまうのです。

例えば、体が弱い人は?
貧しくて教育が受けられなかった人は?
投資と言いつつ貧しくてパソコンを買えない人は?

私の考え方がおかしいのでしょうか・・・
犯罪の被害にあったり精神的な体調を崩したり
色々な人がいると思うのです。

どうしても選択肢が狭まれざるを得ない人のことを
考えてしまうと違和感を感じてしまうようになってしまいました。。

暇人だからでしょうか・・・

回答ありがとうございました

お礼日時:2009/01/01 19:40

結局国に支えられている側か、国を支えている側かの視点の違いでしかないと思います。

国の財政を健全化しようと思えば平均的に税金2割増が必要。年齢別平均納税額+2割を収めていない層は国に負担を強いている側となりますが…。
強者の理論とおっしゃいますが、日本は資本主義を曲がりなりとも標榜しているわけですしある程度は仕方のないことだとは思います。それに人間は本質的に差違を求めるので、強者弱者のない社会というのはどうしても無理があると思いますよ。
それでも日本は学歴社会であり、トップには東大京大といった国立が居座っているうえ免除制度もあるため学費自体はどうとでもなります(特別、進学校に行かなくても東大京大に入る程度は可能ですからね。進学校はあくまで有利というだけです。中高でも特待生になって家を出てしまうという手もありますし。東大生や京大生なら家庭教師や塾講で生活費程度は十分稼げるでしょうから。)ので、若い頃の努力次第である程度スタートラインが有利になるという点では資本主義社会の中ではかなり健全な方だと思いますよ(日本は資本主義的は社会主義国家ですが)

先天的に病弱であるとか疾患を抱えている、他者の過失事故による障害に関しては手をさしのべることは確かに必要だとは思います。ですが、過去に何かから逃げたことが現在に影を落としているという場合は、私は自己の責任と考えます。中でもそれを言い訳にして現実から目を背けようとする方に対しては、失礼ながら好ましからざる感情を抱かざるを得ません。


最初の質問ですが、国に頼らず生きていくということは私自身は出来無くはないです。
母方の家が土地持ちですから農作物は自給自足できますし、医療関係施設への繋がりもあり、保険がきかなくとも困らない程度の収入はありますので生きていく上で国の保障はそれほど求めていません。警察組織による治安維持くらいでしょうか。警備やSPはコストが高いので。
正直年金などはいらないので支払いを拒否したいと思っていたりしますが(払っていますけどね。そもそも加入は自由だったはずなんですが…。運用失敗のツケを国民に押しつけるのは些か問題があると思いますね)
どうしても日本が駄目になれば海外に移るだけですね(母は年の半分以上外で暮らしてますし、私自身日本の古来の文化は好きですが現在の文化や国民性には正直心は惹かれないので)

投資云々の話がありましたが、パソコン(投資運用に耐えるもの)が買えないようではそもそも投資は出来ませんよ。一番多い取引単位は一株あたりの金額x100なのである程度まとまった額がなければ身動きはとれません(例外もありますが。額面50円では1000株単位の取引が必要ですから、どんなに安く見積もっても最低50000万はいります。)し、最低でも100万単位で資金が用意できる状況でなければ博打と変わりませんので、PCが買えないような懐具合で行うのははっきり言って自殺行為です。
目先の金銭に目がくらんでそういった投資を行う方をわざわざ止めたりはしませんが、愚かしい行為だとは思います。
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お世話様です。

No.4に対するお返事へのレスポンスとなります。


「国に頼らず生きていけるようになる」とは、
「弱者であることから脱却すること」を言うのだと思います。

自分が弱者である以上は、
やはり、他力に頼る割合が増えることになってしまうのではないでしょうか?


ここで、逆に言えば、「頼って生きている人が弱者なのだ」とも言えそうです。

そう考えれば、経済力や職業能力などの生活力が比較的低いような一般的弱者でも、
他者に負担をかけることなく、分相応に振舞い、極力自立的に暮らすことによって、
「なるべく頼らずに生きている」という状態を作れるのだと思います。

(しかしそれを果たすにも、何らかの、知恵・精神力・生命力などが必要でしょう。
何もない「真の弱者」ならば、やはり他者に頼らねば生き伸びられないでしょうね)


「強者の論理」→「賢者の論理」に少し改変してみたつもりですが、いかがでしょう?
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