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先日,放送があった「リゴレット」 ドレスデン国立歌劇場(2008. 6)を観ました。
時代感覚に合わない衣装を見ただけで「いつの時代の話?」と疑問に思ったり,
前衛的な舞台や話の内容に無関係な演出が気になったりして素直に楽しめませんでした。
これまでにも時代感覚に合わない演出を何度か観ていますが,いいと思ったことはありません。
何のオペラだったか忘れましたがスポーツカーが出てきたきた時には呆れました。

舞台演出も新しく生み出される芸術として,過去からあるようなものの繰り返しでは駄目で,
斬新なものを創作していかなければならないのでしょうか。
音楽は古い(作曲当時の)ままなのに。

A 回答 (2件)

こんにちは。



以前他の方へのご質問でも回答したことがあるのですが,この「リゴレット」を観て以来,少々のことでは驚かなくなりました(笑)
http://www.bayerische.staatsoper.de/888-ZG9tPWRv …
動画も少しですが観ることができます。我々が「普通」と思ってる外見のニンゲンだって,基準が変われば異形の存在にだってなり得るのだよ,といいたいのかなんなのか,私には分かりませんが(笑)。

そういえば,「さまよえるオランダ人」に登場する糸を紡ぐ娘たちが,スポーツジムでエアロバイクを漕ぐお姉さんたちになっていることもありました。「♪ぶんぶん回れ(糸)車♪」って,そりゃまあそうなんですが(笑),そんななのにオランダ人船長は原作どおりの風貌だし(むしろそのギャップが狙いなのかもしれませんが)。
http://www.bayerische.staatsoper.de/888-ZG9tPWRv …

音楽中心で観る(聴く)私のような者にとっては,正直に申し上げれば「余計なことはしてくれるな!」ということも往々にしてあるのですが,おっしゃる通り,舞台の世界にはまたいろいろとチャレンジしていかなければならないこともあるのかもしれませんね。
大きなオペラハウスでしたら,ワンシーズンあたり数作品ずつ新プロダクションを用意しないとやっていけないでしょうし,そうなると,たまには奇抜なものが出てくるのもいたしかたないことなのかもしれません(もちろん,新演出でもオリジナルを尊重しつつ,というものもありますが)。

たまに目玉が飛び出るようなエキセントリックなものが出る,というのは,現代音楽の作曲,あるいはクラシック作品の演奏もまた同じかもな,と思います。こういういろいろな実験行為の中から,新たな古典が生まれていくのかもしれませんね。実験に付き合わされる方は大変ですが(笑)。
アーノンクールなんかも,出た当時(今でも?),多くの人の目玉が飛び出たことと思います。(指揮者本人も?ぉぃ)


---(余談)---
故朝比奈隆氏とある新進ピアニストの会話。
 朝「君はどんな音楽をするのかね?」
 ぴ「ええ,今は実験音楽などにも力を入れて取り組んでいます」
 朝「そうか。で,その実験はいつ終わるのかね?」
ジョークみたいですが実話です。
(ピアニストご本人から聞きました。・・・はっ,もしかすると私がいっぱい食わされてるだけか!?)
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この回答へのお礼

宇宙のリゴレットはドレスデンのものよりも奇抜ですね。(本音:最悪)
もし,ヨーロッパに旅行に出て,苦労してチケットを手に入れ,
楽しみにしていたのがこれだったら怒ります!

私のように怒る人ばかりなら劇場の運営は成り立たないですが,
客が集まるということは,認めている人もいるということですね。
考えてみれば公演する側は年間に何回もあり,新演出を考えなければ
ならないので斬新なものも必要かもしれません。
しかし,演出者はいったい何を考えているのか!と思ってしまいます。

>その実験はいつ終わるのかね?
深い意味がありそうな面白い言葉です。
あるいは,意味は何もなく,朝比奈さんの思い違いでオトボケ漫才なのか。
実験なら,どんな仮説があるのかと,ふと思いました。

ドレスデンのリゴレットでマントヴァ公爵を演じたテノールの
フアン・ディエゴ・フローレスは,この公演を最後にリゴレットは封印する,
もうリゴレットは歌わないと公言したそうです。理由が分からないので
勝手な想像をしてしまうのですが,演出が気に入らなかったから?とか。

更に奇抜な(奇妙な)2つの例のご紹介,ありがとうございました。
マルケ王がモーターボートでやってくる演出を連想してしまいました。

お礼日時:2009/01/13 22:33

こんにちは。


大した見識もないのに 図々しく回答させて頂くご無礼お許し下さいませ。
私も常々質問者様と同じような気持ちになる事がありまして…私の場合は主にピアニストの斬新な?演奏スタイルに『どうしてこういう解釈 演奏が持て囃されるんだろうか』と疑問を持ち ひどい時は自分の感性や解釈が時代遅れなのかな…なんて悩んだりした事もありました。オペラのような総合芸術なら尚更 斬新さを売りに?しないと興行的に苦しいのかなぁ…とか。演奏家自身は確固たる明確な解釈の基で舞台に挑むのでしょうが 往々にして舞台演出家とは 常に斬新な演出を追求して行く性を持っているような気がします。私が自身の感性や解釈のズレを悩んで 友人に話しをした時『今の時代 まともな演奏したんじゃ話題にもならないから 奇をてらった演奏スタイルで売るって事も 時代のニーズに対応してるのかもね』という答えに クラシックも商業的音楽なんだな…と変な諦めと寂しさを感じました。
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この回答へのお礼

>まともな演奏したんじゃ話題にもならないから…と,お友達のお話,

なるほど面白い発想ですね。演出家の心理として,それもありかと思いました。
でも,私のように古いスタイルを期待する客ばかりだと,あまりにも奇抜過ぎると
次からは客が誰も来ませんから,一か八かってところもありますね。
人によっていろんな好みがありますから,全員から拒絶されることはないでしょうけど。

音楽を勝手に編曲したり,話の筋を勝手に変えたりはできないので,
大きな変化をつけるとすれば演出ということになります。

>舞台演出家とは 常に斬新な演出を追求して行く性を持っている…
新しいものを追究する使命のようなものが演出家にあるのかもしれません。
芸術であることと,興行であることの両面を考えないといけないので
難しい仕事ですね。仕事をしていく上で,歌手と演出家の考えの対立,
指揮者と演出家の対立はないのかなと思ったりもします。
もし,私が指揮者なら,あんな演出ではやってられない!と決裂してしまいます。
ピアノリサイタルなら対立する相手もいないので大丈夫ですね。
ありがとうございました。

お礼日時:2009/01/14 00:35

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