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一昔前、中学生くらいのひねくれてた時期(現在もひねくれてますが)、
よく歌の歌詞(主にSPEED)に文句たらたら言ってました。
「『永遠』なんてものはありえねえ!」
「百年も続く愛があるかボケ!」など、反抗期のせいか暴言ばかり。
だから「♪この愛は永遠に~」とかいう類の歌詞に呆れてました。

しかし、3年位前から、K-POPやC-POPを聴き始め、
韓国や中国の歌詞にも『ヨンウォン』『永遠(ヨンユェン)』て歌詞がよく出て来るのを知りました。
きっと洋楽にも『FOREVER』が使われてるんでしょうか?
永遠とは宇宙の概念ではありえないけど、人間の理想なんだな、となんとなく理解しました。(勝手な判断ですが。)

永遠とまでいかずとも、百年、千年というだけで壮大ですね。
「千年恋歌」という曲や、私の好きなソン・スンホンの歌に、
「十年経っても」(シンニョニチナド)というのがあり、
「♪十年経っても~ 百年経っても~
 千年経っても~ 君を忘れられないよ~」というサビです。
昔だったら「十年は覚えてるかもしれないけど、百年経ったらもう生きてねえよ!
その上、千年もなんてアホか!?」などと思ったでしょう。

もちろん千年先も…なんて例えとしての表現です。
今の私なら、「千年経っても忘れないくらい愛しているって意味だよ!」
と、ひねくれ時代の自分に言い聞かせられます。
でももし、ひねくれ私が「じゃあお前、3009年の人間と分かり合えると思うのか!?愛し合えると思うのか!?」
と返して来たら…言葉に詰まります。
千年のジェネレーションギャップ…。頭が痛い…。

でも1009年の平安時代の人間となら、桜とか月とか紅葉とか自然に対する思いは共感できると思います。特に桜。
その証拠に百人一首の中で「~しず心なく花の散るらむ」とか
「奈良の都の八重桜~」等、たくさん歌われてますし、
現代も桜ソングを歌う歌手が毎年出てヒットしてますね。

和歌が詠まれた時代から日本史上、日本人が桜を忌み嫌った時期があったでしょうか?
(私の知っている限りで言ってますので、もしあったならいつだか教えてください。)
結論として、自然や季節に関しては気持ちを共有できると思います。
でも人間に対しては…?
何百年前の歴史上の人物でこの人が好きだ!という考えだと、
戦国のヒーローだからとか○○に貢献した人だから、という単純な理由ですよね。
第一、伝記には嘘偽りも多いらしいし、生前はほとんど無名で死後に讃えられたというケースもあって曖昧。

桜はものを言わずその場を動かない。
1009年「花はいとうつくし。」「散るを惜しむなり。」⇒2009年「桜はとても美しい。」「散ってしまうのがもったいない。」。
これはありえます。
人間はものを言い動き回る。
1009年「貴族は贅沢三昧、農民は飢え死に。」「この国は藤原氏の天下。」⇒2009年「貧富の差はあるが法の下に皆平等。」「この国は国民主権。」
これはまるで世界が違います。

だから例の、ひねくれ私の問いかけには答えられません。
そもそも3009年に人類が存在しているという保証も無い。
仮に人間の世があって、今以上に平和な世の中であれば戦争は過ち。
過去の戦犯は戦犯でしかない。人を殺せば罪人。
逆に世界大戦の世ならば、戦争で勝つことこそ良い事。
平和を叫べば非国民。過去の戦犯を見習い、殺した数だけ英雄だ。

これ以上空想してもムダなのでやめますが、この世に千年以上経っても愛され続けるものってどういうものでしょう?
桜と人間を比較すること自体おかしいですが、簡潔に考えて千年でなくとも、
いつの時代にも愛され続ける歴史上の人物とか代表的な人をあげられますか?
それとも人間は常に変化する生き物で、時代によって天使と悪魔が逆転して当たり前なんでしょうか?

おかしな哲学に付き合ってくれる方、意見を待っています。
ひねくれ私と少し大人になった私の両方が悩んでます。

A 回答 (3件)

ん~~、水を差すつもりはないんだが。



千年前の「桜」と、今の(まぁ、明治以降の、だな)「桜」は、別の桜を指しているんだよな。古くに詠まれている桜は、たいてい山桜なんかだよな。だけど、近代では、桜というのはイコール「ソメイヨシノ」なんだな。これは江戸中期ぐらいにできた品種で、日本中に広まったのは明治以降だ。

ぱっと咲いて、潔く散る。これ、ソメイヨシノのことなんだよな。お花見なんかだと、葉が出てきて「葉桜」になると、もう「美しくない」といってみんな敬遠する。が、ソメイヨシノだから「葉がなくてすべて花だけ」という咲き方をするんであって、八重桜も山桜も、咲いている状態はいわば「葉桜」みたいな感じだ。

今の日本人は「桜」が好きなんじゃない。「ソメイヨシノ」が好きなだけなんだ。だから、千年前に歌に詠まれた桜を現代人が見て「美しい」と感じるかどうかは微妙だぜ。

と、水を差すようなことをいっておいて。

美しいとかいった感受性は、文化を共有するからこそありうるものなんだと思うんだよな。そして、日本においては、千年も前から共通する文化的な通念が受け継がれてきていた、ということなんだろう。だがそれは、「この先も常に受け継がれ共有されていく」とは限らない。

世の中に、「常に変わらぬ美しさ」はない、とオレは思う。そして、それでいい。そして、ないからこそ、今あるこの「美しさ」は尊いのだ、と思っている。いつか失われるかもしれないからこそ、今、それを愛でるのだとオレは思う。「失われないことが保障されている」ものなど、絶対に美しくなんかない。

反語的かも知れんが、「永久である」ものが永久に存在しても何も美しくはないしいとおしくもない。「限りある」とわかっているものだからこそ、それが存在することが美しく、また愛おしい。「千年愛」てのは、「千年は存在することが保証されている」からすばらしいわけじゃないぜ。すぐに消えていくはかないものだとわかっているからこそ、不可能だとわかっているからこそ、美しい。そうじゃないか?

「じゃあお前、3009年の人間と分かり合えると思うのか!?愛し合えると思うのか!?」

その通り。分かり合えないだろう。愛し合えないだろう。だからこそ、分かり合おうとする、愛し合おうとする試みは尊いのだ。最初から分かり合える、愛し合えることが保障されていたなら、分かり合う、愛し合うことに価値などない。決して普遍ではないからこそ、、そこに美しさ尊さがあるのだ。――オレならそう答えるな。
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この回答へのお礼

ありがとうございました。
平安時代の桜は現代の桜と違う種類だったのですね!
それじゃあ堂本剛さん(エンドリケリー)の
「ソメイヨシノ」という曲こそ現代の桜ソングと言える訳ですね。

>すぐに消えていくはかないものだとわかっているからこそ、不可能だとわかっているからこそ、美しい。
感激のご回答ですね!
ひねくれ私の問いかけにも、logger_manさんの答えを
直接ぶつければ解決です。
なんか失礼かもしれませんが、非常に哲学者的なお答えで圧倒されました。

お礼日時:2009/03/08 18:51

いやいや。

中学生の頃の質問者様はひねくれているのではなくて素直だと思います。私も、誰が100年愛し続けるか、と思います。100人愛す事はできても100年愛す事はできない。「1000年たっても忘れられないくらい愛している」と言う方が、よっぽどわけがわかりません。1000年生きてもおおかたボケて、愛していた事どころか、相手の名前さえも覚えていないような気がします。たわけた事を言っていないで、今だけでいいから、燃えるほどに愛して欲しい、と思う。

桜はともかく、総称して花なるものは、1000年よりも昔から、人々に愛され続けているのではないでしょうか。名も知らぬ花でさえも愛でる事ができるのですから、花を愛した人々は、これから先1000年の事はわからないけど、これまで1000年と、これまで2000年と、これまで3000年と、どれくらいか前かから、花を愛してきたと思います。

歴史上の人物ではないけど、1000年女王とかは、1000年ぐらい愛され続けていると思う。

時代によって天使と悪魔が逆転、と言うのはよくわからないけど、ある種の人間は常に変化する生き物であるのは当たり前だと思う。
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この回答へのお礼

ありがとうございました。

>総称して花なるものは、1000年よりも昔から、人々に愛され続けているのではないでしょうか。
そういえばそうですね。
和歌にも菊とか朝顔(現代でいう桔梗?)も歌われてますし。
何よりひねくれ発言を素直だと言って頂き嬉しいです。

お礼日時:2009/03/08 18:59

アンカテで随分長文ですね^^;


「桜の木の下には死体が埋まっている」

戦争に及んでしまってはそれだけで語り尽くせませんよ。
ベトナム戦争の帰還兵がどういう扱いを受けたのかや日本でも靖国問題があるのはご存じでしょう。
“英雄”とは誰も思っていません。
ただ悲しい歴史の被害者であるとは個人的に考えます。

天使と悪魔もそんな簡単なものではなく、短絡的に善か悪かで判断するのはどうかと。
天使の無邪気さからくる残虐性は知っていますか?
悪魔は策略した考えを伴っての行為なのでまだ優しい面があることも多いのです。
神は旧約聖書では、まで言ってしまうと宗教の批判になり兼ねないので控えます。

人の想いは永久ではなく移り変わるものですよね。
それは桜も同じで冬には惨めな姿になっても春には芽吹いて初夏には葉桜になり・・・
しかし見える姿は変わっても根幹が生きていればその気持ちも生きているものです。
決して花が咲いているとき「だけ」が桜ではないのです。

別に人生、梅の木でも良いと思いますよ。
桜が真っ直ぐに伸びるのと比べて、梅は「わざと」曲がるように剪定します。
そのほうが綺麗ですから。
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この回答へのお礼

ありがとうございました。
戦争の事実、天使と悪魔の概念、など
私の考えがアマちゃんでした。

桜もコブクロの桜ソングを聴いて、
(コブクロの曲はなぜか「つぼみ」や「花」などの歌詞が多い。)

>人の想いは永久ではなく移り変わるものですよね。
>決して花が咲いているとき「だけ」が桜ではないのです。
というご回答の意味が理解できました。

お礼日時:2009/03/08 18:36

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