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年取って悪口が多くなったとか、普段から悪口を吹聴する人とかいると言う話を聞きますし、このQ&Aでもよく投稿されるようです。

でも、一方で、人のことをほめてばかりでとか、人のいい面ばかりしか気付けないで、あまりに警戒心が薄いとか、そういうことを困ったと言って相談してくることがどうもありません。私の周りでもそういうのは聞いたことがありません。

なぜ、「人をほめる」くせがある人がいないのでしょうか。
いたとしても圧倒的に少数なのでしょうか。
それともそういう事例は問題にならないから相談にならないのでしょうか。

でも、世の中に「被害妄想」って言う言葉はあっても、逆はありませんね。これはなぜなのでしょう。

A 回答 (4件)

No.3です。

お礼ありがとうございます。


>悪徳商法に引っかかるのも、最近は自分の欲を利用されると言う感じが多くないでしょうか。

欲をどういう意味に取るかにもよりますよね。
私が特にイメージして書いたのは、20数年前、ペーパー商法で世の中を騒がせた「豊田商事事件」です。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%B1%8A%E7%94%B0% …

あの事件でターゲットになったのは、独居老人だとか老夫婦が多かったです。
当時の取材も見ていましたが、被害者は子供が独立していて、普段寂しい思いをしている方が多かったと記憶しています。

被害者の中には、その時のセールスマンを息子のように愛情を感じて、憎めないと仰っている人もいました。
結局、お年寄りはお金儲けがしたかったというよりも、愛情が欲しかったのだと思います。愛を注ぐ対象が欲しかったから、セールスマンの人の良さそうな面にしか目が向けられず、現実を見誤ってしまったのでしょう。

そして、こちらは比較的最近のことですが、認知症を患っているお年寄りや知的障害者が、リフォーム詐欺に遭うケースがありました。物事の判断力が弱いからだと言われればそれまでですが、やはり家に招き入れてしまったのは、セールスマンが親切で良い人だと信じてしまうケースが多かったということも見逃せないと思います。

これらは、お金に対する欲ではなく、愛情に飢えていた面があると思います。一人でいるのは淋しいから、優しくされて、警戒心のないまま人を信じてしまったのでしょう。


>人のことをほめてばかりでとか、人のいい面ばかりしか気付けないで、あまりに警戒心が薄いとか、

質問者さんは、こういう人を無償の愛に溢れた、感謝の心をいつも忘れない人だと思いませんか?
でも世間一般では、そういう人を馬鹿にしている風潮があると思います。
そういうことを美徳とは捉えず、「お人好し」 「ボランティア精神の人」 「世間知らず」と、尊敬ではなく侮蔑の念をこめて呼ぶ人が多いと思います。ですから、“そういうことを困ったと言って相談してくることがどうもありません”となるのだと思います。何か起こっても自業自得だと思っているのでしょう。

結局、人は損得勘定で動く人が多いということではないでしょうか。
No.2さんが仰ることを私なりに解釈すると“人をほめても相手にされなくなる”とはつまり、人を褒めてばかりいる人は、先ほどもあげたような侮蔑の念を持たれることが多く、距離を取られると言うことだと思います。そして、所詮、他人事だから“悩みとはならない”つまり、相談には至らないと言うことだと思います。

豊田商事事件の被害者を「子離れできない親」と思うか「愛情の深い人」と取るか、リフォーム詐欺の被害者を「判断力に劣る人」と取るか「優しさに飢えた人」と取るか…。
“相談してこない人”とは、それぞれのようなケースを前者として受け止めるのでしょうかね。

そう考えると淋しい世の中ですけれどね。
やはり、巻き込まれるのが避けたくて距離を置くことは一般にありそうです。


>周りはそういう人ばかり、というご回答者さんの立場はかなり厳しいです。

“だった”と過去形です。今は距離を置いています。
そうでない人も知っていましたが、もう亡くなっています。
無償の愛に溢れている人は心から人を褒めることが出来るけれど、その心境に至るのは難しく、見返りを求めて人を褒める人は意外と多いと思います。
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この回答へのお礼

結局、世知辛い世の中って言うことらしいですね。
性善説はあまりに危険だから採用できない。安全を取って、性悪説でいくしかない。そうしない人間は逆に信用できない。なんとも行きにくい世の中ですなぁ。

お礼日時:2009/06/16 14:18

人のことをすごく褒める人はいますよ。


褒めて褒めて褒めちぎる…。
それでそのままかというと、何かすれ違いがあると、今度は途端に攻撃に身を転じる――私が知っている“人を褒める人”とは、そんな人ばかりです。


相手のすごいところ、尊敬できるところに目を向けて、感嘆の意のみで人を褒めることが出来る人は少ないのだと思います。
私が知っている“人を褒め称える人”は、みんな自分こそを褒めて欲しがっている人ばかりでした。

「すごいよね。あの人本当にすごい。でも、それに気がつける私もすごい!」
「こんなに人の良いところに目を向けられる私ってすごい!!」
「すごいあのひとと知り合いの私もすごい!」
「すごい人を応援している私もすごい!」
「自慢の家族を持っている私ってすごい!」

私はそんな感情を臆面もなく表出させて、褒めちぎる人が嫌です。
だから、自分のことでも褒められてばかりは素直に喜べません。
相手から計算や見返りを感じて嫌悪感を持ってしまいます。

見返りが欲しくて人を褒める人なら沢山います。
ただ感動したり、本当にその人に感嘆して褒めているのなら、それはそれで良いことだから、何も問題はないですよね。


>人のことをほめてばかりでとか、人のいい面ばかりしか気付けないで、あまりに警戒心が薄いとか、そういうことを困ったと言って相談してくることがどうもありません。

これは、悪徳商法に引っ掛かるなど、生活に直結した問題まで発展しなければ、特に問題ないからだと思います。
身内がその様な目に遭い、自分が借金の肩代わりをしなければならないという事態になって、初めて相談するケースが多いのではないでしょうか。
自分にも被害が及ばなければ、心配しない人って多いのではないですか?

“人のことをほめてばかりでとか、人のいい面ばかりしか気付けないで、あまりに警戒心が薄い”――そんな人は希有だと思います。
そういう人本人は、何かあっても人の所為だなんてあまり思わないんでしょうね。ならば、滅多に人には相談などしないから、事件が大きくなるまでは周りにも発覚しないと思います。だから、相談そのものがないのは不思議ではないと思います。


「あのひとはお人好しだからね」
「ボランティア精神の人なんだね」
自分に火の粉が振り掛からなければ、そんな感じで終わるのだと思います。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。
方便とか社交辞令的にほめる人は仰せのとおりいますね。
周りはそういう人ばかり、というご回答者さんの立場はかなり厳しいです。私がイメージしたのは、心から自然に人への賛辞が湧いてくる人ということです。なかなかいませんでしょうかね。
悪徳商法に引っかかるのも、最近は自分の欲を利用されると言う感じが多くないでしょうか。振り込めはちょっと違いますけど。

でも、ご回答の一番の要はここだと思いました。
>“人のことをほめてばかりでとか、人のいい面ばかりしか気付けないで、あまりに警戒心が薄い”――そんな人は希有だと思います。

お礼日時:2009/06/13 09:13

人をほめても相手にされなくなるだけだからではないでしょうか。

悩みにはならないのではないかと思います。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。ほめると相手にされないとはよほどすさまじい状況ですね。

お礼日時:2009/06/13 09:14

いやいやいやいや



悪口吹聴や被害妄想は問題が表面化するけど、ほめごろしや自信過剰は問題が表面化しないだけですよ。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。
ほめ殺しも悪意なので、そういうのではなく、心底素直にほめるって言うのがないものでしょうかね。

お礼日時:2009/06/13 09:14

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