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こんにちは、理学部生物学科3年のものです。
さっそくですが、自分が生物学の研究者に向いている、向いていないを判断するにはどうしたらよいでしょうか?
研究室に配属される前なのでこの時期での判断は難しいのでしょうか?

ちなみに私は分子生物学、生化学的手法を使った研究者になりたいと思っており、向いていないと判断できた場合は学部卒あるいは修士卒で就職したいと思っています。よろしくお願いします。

A 回答 (8件)

やりたいという気があれば向いている、無ければ向いていない


やりたくないのにやっても碌なことはない
いずれにせよ自分の道は自分で選ばなければならない

この回答への補足

早速の回答ありがとうございます。
debukuroさんのおっしゃる通り、やる気の問題ですし自分で選んでいかなくてはいけないと思います。しかし今の段階で何か判断材料はないのでしょうか。私の大学では実際の研究を見学することは難しいようなので。

補足日時:2009/06/21 13:50
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難しい問題ですね。

当の研究者達も自分で判らない人が多いと思います。
後ろ向きなアドバイスになりそうですが、配属される研究室を選ぶ前に、この問題を考えなければならないと推察いたしましたので、あえて
、いくつか考慮したほうが良さそうな要素を挙げてみます。

1)お金に不自由しないこと(お金持ちという訳ではなく、少ない収入で将来満足できることが大切です)。最低でもポスドク時代を乗り切る覚悟は持った方が良いでしょう。どんなに恵まれた環境であっても、5年程度データが全く出ない状況は十分にあります。出世や留学どころか、契約切れ後の居場所を心配する状況もあり得ます。楽観的に過ごせる精神面の強さも必要でしょう。

2)研究に時間をつぎ込む自信があること。ある程度のポジションを望む者なら、培養等を理由に、土日も研究室に顔をだしていると思われます。

3)暖かく見守り、後押ししてくれるボスにめぐり合うこと。

いろいろ列挙しようかと思いましたが、考えてらっしゃる分野は、頭の良し悪しよりも時間と努力が反映される分野です。1)2)に問題ないようでしたら、研究室に配属されてみて実感すべきだと思います。

というのも、個人的な要素以上と言って良いくらいにボスの人間関係と実力が影響します。研究室配属は、望む分野のボスや先輩方と接する貴重な機会です。研究室に恵まれてとんとん拍子で研究の道を歩んでいる方も多い反面、強い志と実力があっても、恵まれない研究室に入ったばかりに先が見えずにドロップアウトする場合も多々あります。配属先選びは、すでに研究者としての第一段階となり得ますので、慎重に選ばれることをお勧めします。

頑張ってください。
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kaitara1です。

私のイメージでは、いわゆる研究者で最後まで気分よく生活するためには、激しい競争に勝つ必要があります。研究が好きといってもそれだけで研究を続けることはできません。研究費を獲得するとか偉い人に気にってもらうとか普通のサラリーマンと同じような、いやそれ以上の苦労が付いて回ります。なかなか研究を純粋に楽しむことはできないことです。学校の先生を職業として色々な意味で余裕があったら、自分なりにマイペースでゆっくり研究を倒しめると思います。もちろん授業そのほかで時間はとられますし高額の研究費や設備も使えませんから、趣味程度の研究になってしまう確率は高いともいます。しかし生徒に生物学の楽しみを教えることも大きな喜びになるはずです。私は夏目漱石の生き方が理想のように思えます。彼は朝日新聞社員になって義務として新聞小説を書くことによって安定した生活を確保したうえ好きな趣味を楽しむ生活を選びました。漱石ほどの人でさえ小説を書くことで安定した収入を得ることは難しかったのだと思います。漱石の弟子の芥川龍之介も同じ考えで学校の先生になって安定した収入を確保して、その余裕で数々の名作を書きました。研究者が安定した収入を得られる地位を確保するのもたいへん難しいものです。
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正直、研究者になる前には分かりませんし、なった後でも分かりません。



もうちょっと色々アドバイスを差し上げられたらと思って書き始めたのですが、やっぱりこれ以上のことは何も書けないようです。すみません。
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この回答へのお礼

大変確信をつく回答ありがとうございます。
きっとその通りなのでしょうね。アドバイスを考えていただきありがとうございます。

お礼日時:2009/06/21 18:38

>現在では研究成果を社会に還元することが強く求められている


おっしゃる通りです。でも二十年前は真逆のことが起きました。米国からの「基礎研究ただ乗り論」から研究者は基礎研究へと追い立てられました。
今大学を含め何処の研究機関も「大脳空白状態」に陥りかけています。忙しいばかりで何も新しいことが見つかりません。
歴史を考えると、また十年すると変わるでしょう。
>本来の研究者の未来はない
上記の様な揺り戻しが起きなければ、人類の文明は「停止」してしまいます。
そうなってから生き残りの研究者を掘り起こすのが見物ですが、その頃には私は生きていないでしょう。

この回答への補足

>今大学を含め何処の研究機関も「大脳空白状態」に陥りかけています。
ということは今新しいことを見つける研究をするのは難しいが、今後変わる可能性があるのということでしょうか?
当初の質問から離れてしまいましたが大切なことに思えるのでお教えください。

補足日時:2009/06/21 18:18
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やはり今の時点でほかの人が考えていないような疑問や興味が一つや二つはないと研究を生涯の仕事にしない方が良いと思います。

しかし少しでも研究生活に対する憧れがあるのだったら学校の教師になって自分なりの研究を行ってみるのも良いと思います。余裕があるのならば大学院に進んでから判断しても良いのではないでしょうか。

この回答への補足

kaitara1さん、ありがとうございます。
質問なのですが、教師になって自分なりの研究を行う、とはどういうことでしょうか。お教えください。

補足日時:2009/06/21 18:07
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#1のお答えと同じようなことを言いますが、悩む人はもうそれだけで「向いていません」。


米国の指揮者・作曲家の故レナード・バーンスタインがおっしゃっていました。
わたしはよく「私は音楽家になれるでしょうか?」と聞かれます。私の答えはいつも誰に対しても即座に「駄目です」です。禅問答の様でしょう。(笑い)←氏の笑い。
音楽家は好きや嫌い、なれるかなれないかに悩むものではありません。
他になるものがあるなどということを考えつかない者がなるものです。
芸術家はみんなそういうものですが、研究者も芸術家と同じです。
そこに世界があるから研究せずには居られない。食べていけようと他人が止めろと言おうと関係無い。研究することだけしか考えつかない人がなるものです。
もし悩むような人がなると精神病になります。

この回答への補足

回答ありがとうございます。
私も研究者と芸術家は似ていると思っています。なので研究者はそれぞれの知的好奇心?を満たす研究をすることが本来の姿だと思います。しかし現在では研究成果を社会に還元することが強く求められているので、そのような研究をすることは少なくとも日本では難しい、あるいは求められていないのではないでしょうか?このようなに考えると本来の研究者の未来はないように感じてしまうのです。
私の憶測、偏見の塊だと思いますがどうお考えでしょうか。

補足日時:2009/06/21 14:23
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畑正憲(ムツゴロウ)が書いた「青春回想談」ふうのものを,いくつか読んでみてはどうですか。

時代がずいぶん違いますけど。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。いろいろ読んでみたいと思います。

お礼日時:2009/06/21 13:53

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