プロが教える店舗&オフィスのセキュリティ対策術

30代無職の男性です。質問させて頂きます。

神経症うつ病と診断され、神経科へ2ヶ月ほど、通院しています。

神経科の初診で、幼少期から現在に至るまでの自分の性格などの問診を受けました。

自分なりに人生を振り返り、回り(同い年)と人間関係に違和感を感じながら接していました。学生時代にいじめに合い、トラウマになっている為、社会人になってからも、いじめはなかったのですが、職場の同僚達に馴染めず、心が苦しくなり、退職を繰り返しています。

担当医に今後の治療方針を相談しましたが、今の自分を受け入れて、ダメ(苦手)な面を相手に理解してもらえるようにしていくとの事でした。

性格や体質は、なかなか変わることは出来ませんが、今の自分を受け入れて、楽な気持ちで生活すること。また、仕事に就けるようになることを望んでいます。

うまく文章がまとまっていませんが、回答者の方で同じように幼少の時から、対人関係を築くことが苦手で、今どのようによくなったのか、ご意見を伺えれば幸です。

よろしくお願い致します。

A 回答 (4件)

少し共感できました。


自分を受け入れるのは、大事なことだと思います。
ありのままの、自分自身を受け入れて、飾らず自分自身のまま、
他人に向き合ったらいいと思います。
疎外されてるとか、思ってる場合でも、実際は自分が他人を無意識のうちに拒んでいるということもあります。
あまり病気だと意識せずに、考えすぎずに、自分自身を受け入れて、
飾らない心でいると、自然と共感できるひとと巡り合えると思います。
みんなに好かれなくていいと思い、ありのままの自分で生きることが、私の回復方法だったと思います。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。
回答者様は回復されてよかったですね。

私は、病院で処方された薬がきいているのか、気分の浮き沈みの激しさは少なくなりました。父親も病気のことを理解していて、「すぐにでも働け!!」とは言わないでいてくれるので助かっています。

正直、今の自分の気持ちを受けられない面があります。いじめられた経験から同級生や年下との人間関係を築くのが怖いです。

その部分をカウンセラーの方と話して気持ちが楽に考えるようになればよいなって思います。

お礼日時:2009/07/02 23:32

先生には「自分を受け入れなさい」と言われた。


そして今のご質問者様は「今の自分を受け入れられることを望んでいる」

ということは、「受け入れろ」と言葉で言われても「はい受け入れます」
という具合にはいかないということですよね。

森田療法はご存知ですか?

森田療法の大家たる鈴木 知準先生が、よくここのところについて仰っていました。
一定以上に心の葛藤が進んだ人は、ただ口で言ってもできないんだ、と。
できないからこそ悩んでいるのだ、と。

私もそうだったので、分かるつもりです。

言葉だけではダメなのですよ。先生は「身をつくる」と仰っていました。
言葉ではダメなので、体で覚える、というような意味です。

一番問題なのは、貴方に治す意志がおありかどうか、ということです。
この苦しみを脱却するために、日常生活を整え、体を動かし、身で知る。
そういう努力をされるおつもりがあるか否か、です。

森田療法においては、意志のある人のみ受け入れます。
もし意志がおありなら、森田療法をお考えになってみては如何ですか。
まずは本など読んでみることです。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。
質問者様がおっしゃています、森田療法のことは聞いたことがあります。

医師から「今を受け入れる」っていわれた時、正直、魔法のように
すぐによくなると思っていたので先生と私の考えに温度差があり困惑はしました。

森田療法については、本やカウンセラーの方に聞いてみたいとおもいます。

お礼日時:2009/07/02 23:38

はじめまして、よろしくお願いいたします。



40代のうつ病患者です。11年患っています。
私は、小学校~高校までずっとクラスの男子生徒にいじめられてきました。クラスの女子とも長続きする友人関係が持てませんでした。不思議なことに、学校に関係ない友達とは普通に遊べて、友人関係も続くんですよ。
私は最近、自分のうつ病は、私が小さい頃から自分のことを、
・イジメられていたので、自分の人格にまったく自信がなく、社会に出てやっていけないに違いないと思っていた。
・人格が破綻しているのだからと、「何になりたい」「将来こんな暮らしをしたい」というビジョンがまったくなかった。
・自分は20代くらいのうちに死ぬだろうと思っていた。だから40代の自分なんて想像もしたことがなかった。今の自分は想定外だ。
・私は、小学校から高校までもれなく男子生徒にいじめられた。だから、自己評価が低い。特に女性としての魅力はまったくないだろうから、「モテたい」と思ったことがない。男性とデートをしたこともあるが全然楽しくなかった。男性から告白されたこともあるが、昔のイジメを思い出すと「彼もあんなに残酷になれるんだ」と恐ろしくて応じる気になれなかった。
・イジメられていたが、「イジメられている」と思いたくなかった。だから、周りの男子がやっているのは普通のことだ。あんなことを言わせているのは、私が先天的に他人に不快感をもたらす人間だからだ。
なので、大人になった今でも「他人の悪意」が認知できない。うつ病発症のきっかけは上司からの毎日のパワハラが主因だが、当時私はその上司を「仕事熱心ないい方で、私のために厳しく指導してくださるのだ」と思っていて疑ったことがなかった。
ことに関係するのではないかと考え始めております。
まず、40代になってしまった自分が、これからどんな生活がしたいかビジョンを組み立ててみたいと思います。

イジメは高校まで続きましたが、当時は前述したようにイジメられていると思ってなかったので、トラウマと思ったことはありません。ただただ、他人の嗜虐性を喚起してしまうらしい自分が悲しかった。そして、自分のどこがいけないのか、顔か、声か、態度か、言葉か、本当にわからなくて、悩みました。
イジメられていた原因は、大人になってみて、なんとなくわかっています。まず、両親の教育方針が「自由に、個性的な人間であれ」だったのが大きい。私は「他人に合わせる」ということの価値を知らずに育ちました。好きなことを好きといい、皆が「海が好き」と言う中で「私は山が好き」と無邪気に言う。集団の中で一人だけ意見が違っても堂々と主張する。今で言うなら「KY」そのものです。他人と自分が違っても全然気にしない。これで、学校で浮かないわけがない。加えて、私は典型的な「いい子ちゃん」でありました。人の嫌がることはしない、他人の悪口は言わない、服装は校則通り。絶対仕返しなどはしないから、イジメやすかったでしょうね。中学生の私の写真を見ると容姿はともかく印象が「真っ白な少女」という感じ、全然すれていない、これは踏みにじって汚したくなるわ、と今は思います。
大学に入って、私は初めて友達ができ、友と付き合うことの楽しさを知りました。大学とそれまでとどう違ったのかは色々ですが、学生たちが望んでそこに入学し、クラスメイトが同じような学問の分野に興味を持っている共通項があった点かな。大学では「私はこれが好き」と言ったら、「ああ、そうなんだ。でも私はあれが好き」と、違う個人をお互い認めあえる雰囲気がありました。
社会人になって、同僚となじめなくて苦しいとは思いませんでしたが、酒席では面白みのない自分に劣等感を感じていました。フリーターをしてましたが、根無し草の自分に不満はなかったです、自分の生活ができる分だけ稼げればいいと思ってました。出世欲もやりがいも欲しいとは思いませんでした。
ある職場で、うつ病になり、隠して勤務していましたがあることで会社の労働組合に知られてしまい、労組の要求で半年休職できました。しかし、復職してから同僚のイジメに苛まれました。あまりのひどさに隣の課の職員から労組に「見てられない」と苦情がきたほどです。私は例によって同僚たちの悪意が全くわからず、「これが教育者(そういう仕事でした)のすることか?」とただ情けなかった。そこは「休職もさせ、復職の便宜も量ったのに、まだうつ病が完治してない」という理由で解雇されました。
その後、うつ病の安定してる時は就職して働き、悪化しては退職しの繰り返しです。うつ病が悪化せず同僚も環境もよかったけど、会社都合で解雇されることも多かったです。

今どのようによくなったか?
今の私には大事な友達が何人もいます。大学の頃から20年以上かけて築いた同じ趣味でつながれている広い人脈もあります。
私は、幸福で、恵まれていると感じています。
なのに、うつ病が治らない。
うつ病で身体が動かなくて、友達に約束をキャンセルする電話をかけるのは、とても悲しい。
これは確信ですが、いつかうつ病が治ったら、そこには発症前の自分よりきっとより素敵な自分がいるだろうと思います。

長々と思いつくまま書きました。お役に立てればいいですが。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございました。
回答者様も大変な環境いたことなど、共感することが多々ありました。

わたしもいじめられて時、言い返す勇気がなく無視して乗り切りました。乗り切ったとおもってもいじめのことが原因で症状が悪化したので乗り越えていないのではと考えてしまいます。

けど、今、自分と向き合い、いじめ連中に、私はこれだけ成長したんだ!!と言えるようになりたいです。ゆっくりと前進して行きます。

お礼日時:2009/07/03 00:01

真摯なレスありがとうございます。

まず私自身の経験をお話させていただきます。
「二本柱」ということです。

まずは森田療法のお話です。
私は思春期頃から神経質・強迫観念・欝症状その他に悩み、森田療法の若干の治療・活動と、
それから本などを読み実践することで、40代頃まで何とか生きてきました。
そして、以降「パーソナリティ障害」という精神医学の学問で自己分析を行い、
良き自己愛ということを知り、これでやっとスッキリとした感じがしております。

医師と貴方様との間に未だ温度差があるとするならば、
「タモリさんの料理好きについて」ということを過去に書きましたので、
ご覧いただければと思います。これが幾ばくかでも参考になるかも知れません。
鈴木先生が「ありのまま心理学」と呼んで、一部の医師を窘められたことがあったのです。
結局理屈ではないのです、最後は。もしかしたらそういうネックが、幾ばくかでもあるのかも知れません。
私もそこが分かった時、森田療法絡みの自分がやっと大展開したのです。

http://oshiete1.goo.ne.jp/qa5056348.html

次にパーソナリティ障害のお話です。
40を過ぎてこの学問に出会い、専門書を読み、しかし当初は まるでピーンときませんでした。
その数年後、やっと自分が自己愛性人格であると知りました。理屈の上では間違いないぞ、と。
それから暫くして、精神分析学で云うところの「抑圧された怒り、悲しみの解放」が起き、
大泣きをして大転換をしました。
この学問においては分類がされております。境界性、自己愛性、強迫性、回避性、依存性…等々です。
加えて最終的に現在は、殆ど全ての心の問題を網羅するカタチになっているのですが、
この学問上では私は一番強いのが自己愛性で、二番目が強迫性であると知りました。
そして主に森田神経質の範疇は、この二番目の強迫性人格に含まれるものでありました。

しかして特に対人面での問題については、対人恐怖というより、この自己愛性人格によるものが大きかったのだと。
今はつくづく、身に染みて分かるのです。

パーソナリティ障害の基本は、精神分析学です。
パーソナリティ障害においては、幼児期前後に主に親との社会心理的な「心のふれあい」がうまくいかなかったことにより、
健全な自己愛~自立心が成し遂げられなかったことを、その原因の最たるものとしています。

いじめによりご苦労をされたお話がありますが、これは幼児期までに健全な自己愛を親に築いて貰っていれば、
この問題は乗り越えられたはずだ、と考えることも、大いにできると思われるのです。
この辺りについては、加藤 諦三さんの本も、大変役に立つと思います。
加藤さんご自身が若い頃大いに悩み苦しみ、自己分析によって大悟に至り、その経験を元にお仕事をされているのです。

実は森田療法は究極的には、大変な精神力を必要とすると言っても過言ではないと思います。
何というか、もし鎖国前の日本のような社会状況であっても、その中で強く生きられる生き方、なのだと思うのです。
水道も電気も何もなくても生きていける。極端に考えれば、そういうものを求めない生き方に繋がるのだろうと。
或いは侍の生き方です。鈴木 知準先生は最終的に、道元禅の「瞬間に生きる」ということと森田療法を結び付けたのです。

ですから一面において森田療法は、非分析的とも云えると思います。
それに対してパーソナリティ障害は分析的であり、まず最初に「自分で自分を愛すること」から始めます。
それはとても個人主義的な欧米型だと思うのです。この学問の発祥の大元はアメリカです。
決して森田療法を非難するつもりは無いのです。
森田療法は、その自己愛の問題をも含め、全てを「ありのまま」に背負い生きていこうとするものだと思います。
それを分析的に捉えることなしに、です。
しかしどうも、これは私が森田療法に対し、やや中途半端だったせいも大いにあろうかと思いますが、
パーソナリティ障害から進んだほうが、より容易であるとも思うものです。

よってこのパーソナリティ障害からのアプローチも、強くお薦めしたいのです。
今すぐに申し上げたことを全て理解・実践せよ、とは申しません。それは余りにも膨大な量となります。
ただ長期的なアドバイスとして、そういったことを心の片隅に置いていただければ、必ずプラスになると思っています。

又結局、どちらも行き着くところは同じだとも思います。
それは「自分の力だけで自分を支えることのできる考え方・感じ方」を身につける、つまりは「精神的な自立」です。
誰のせいにもせず、何のせいにもせず、今この瞬間を自分なりに精一杯生きることだと思うのです。
私はメタボになり尿酸値が上がり、一時は薬を飲んで尿酸値を下げていました。
今はダイエットをして、薬は必要なくなりました。
全ての病が最後は薬が必要なくなるとは決して申しませんが、そういう「両面」があると思います。
薬等による物理的な治療の側面と、精神的な「心のダイエット」の側面です。

自身と似たような運命を背負われた貴方様の、今後の一層のご多幸をお祈り致します。
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この回答へのお礼

youchan37さん再度の回答ありがとうございます。
ご自身の自己分析をきちんとされていてすごいと思いました。

わたしは、まだそこまで自己分析はできていませんが、医師・カウンセラーの方を信じて受診をしていこうと考えます。

自己否定せず、同級生などと自然体で接しられるようになりたいし、
世の中、誹謗や中傷を気にぜずに生活をおくれるようになりたいです。

お礼日時:2009/07/03 18:15

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