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ゲーム理論を解説しているページを見ていてふと思ったのですが、現在の世界はゼロサムなのでしょうか?

例えば世界中のマネー(為替、債権、株等全部ひっくるめて)は、既に総量が飽和状態であり、右から左、左から右へ種類を変えて流れているだけで
(インフレ・デフレは鑑みず価値自体の)総量が変わることは、絶対あり得ないのでしょうか?

あと、この世の”富”として考えた場合、”富”はゼロサムですか?

ヒト,モノ,カネ全部ひっくるめて、もしくは個別にでも結構ですが、どなたか分かる方がいたら教えて下さい。

あと、上記で質問したようなことを数学的に証明しているようなサイトがあれば教えて下さい?
 

A 回答 (5件)

勘違いがあるようです。



「ゼロサムゲーム」というのは、「ゲーム理論において」得をした人と損をした人の損得の合計がゼロになるような特徴のあるゲームを指します。

あるゲームがゼロサムである条件は、そのゲームにおける得点が、参加者同士の点のやり取りだけであって、得点が新たに産出したり消滅したりしない、ということです。


さて現実社会ですが。「冨」を得点として考えた場合、たとえば石油などの鉱物資源が産出しますし、農作物が収穫されるなど、得点が増加します。
また自動車がガソリンを消費したり、我々が食物を食べて消費しますから、得点の消滅が起きています。したがって「冨」はゼロサムゲームにはなりません。





>例えば世界中のマネー(為替、債権、株等全部ひっくるめて)は、既に総量が飽和状態であり、右から左、左から右へ種類を変えて流れているだけで

「総量が飽和状態であり」というのはどういう意味でしょうか?

たとえばある会社が株式を発行するためには、どこかの会社が株式を償却して消滅させないと株式が発行できない、という意味でしょうか?
「飽和」というのはそういう意味です。そんなことはありません。株式を発行しようと思えばいくらでも発行できます。

債券も同じです。社債にしても国債にしても、どこかが償却しないと新たに債券を発行できない、などということはありません。

為替というのは通貨と通貨の交換のことであって、マネーではありません。「交換」が飽和するというと、ドルと円を交換するためには誰かがポンドとユーロを交換するのをやめてくれないとドルと円を交換できない、という意味になると思います。

なにか勘違いがあるのではないでしょうか。


貨幣(流通量ではなく、現実に発行されている量)に関しては近似的にゼロサムと見なせる可能性があります。通貨の返還レートが変化することを利用して為替取引により利益を得ようとした場合には、冨の生産も消滅もありませんから、ゼロサムゲームになると考えられます。
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増えている。



数千年前と比べて、現代は明らかに富は増えている。人口も増え、生産する食料も増えている。特にこの傾向が強くなったのは産業革命以降。
近年も世界中の貧困層が急激に減っているように、ここ20年ほどでも世界は急激に豊かになってきている。
このように下層の富も増える一方で、上位の富も増えている。
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現在の「世界」とは何の世界でしょう。


ここは経済のカテなので経済の世界として答えてみます。

マネーの世界を考えるとややこしいので、物(モノ)だけの世界で考えます。
生産のない交換だけの経済を考えると、モノの総量は一定で、ゼロサムです。
しかし、Aがイモだけを持っていて、Bが牛乳だけを持っている場合、イモと牛乳を半分ずつ交換することにより、AもBも、栄養のバランスのとれた食事をとることでき、効用(満足度)を増大させることができます。この効用(満足度)を富と考えると、ゼロサムではなく、プラスになりますね。

次に生産のある経済を考えると、労働や資本(機械)、技術を投入し、イモと牛乳からケーキを作って食べれば、効用はさらに増大します。労働の質や技術を向上させれば、失敗や無駄がなく、よりおいしいケーキを食べることができ、効用(満足度)はさらに増大します。
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この回答へのお礼

私が記載した世界とは、先進国も発展途上国も貧困国も全て含めて、という意味で記載しました。

確かに物々交換が成立していた時代では、シンプルで分かりやすいですね。

ただ、お金というそれ単体では食べることを着ることもできない、”信用”という目に見えない物に重要な価値を与えてしまった現在だからこそ、とてもわかりにくくなってしまったのですかね。

お礼日時:2009/07/04 20:53

 仏教の考え方がそうですね。


 根本を、「この世はゼロサム」としています。

 私自身は、仏教の本質を「哲学」であって宗教ではないという風にとらえています。
 その哲学は「色即是空、空即是色」「不増不減」です。

 石油などの「富」も、顕在化させて使えば、未来の可能性を減らすことになります。
 経済開発は、自然破壊と裏表です。

 尚、参考ですが、
 ある系(=世界としてもよい)において、「真理であるのに、証明できないものがある」という数学的証明がなされています。
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富 → 価値として



マルサスあたりまでは、農地が価値を生み出すとしたので、農地は限界があるという意味で、ゼロサム。なので、マルサスでは、人口が等比級数的に増えるので貧困になるとした。

マルクスあたりだと、労働価値説なので、労働者が増えれば価値は増える。

現代は、効用価値説なので、富は無限。
効用価値説では、「おれ、これに価値を認めるよ」と認めれば価値があることになります。主観の総和になるので、無限です。
http://ja.wikipedia.org/wiki/価値
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