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お世話になります。
大学教員には教授を頂点として、その下に准教授、講師、助手などの階級(?)があります。
(ま、教授の上にも学科長とか学部長とか、学長とか更なる出世の道はあるけど)

教授になるための道(?)は、大学院を卒業して、教授に見込まれて助手を振り出しに出世の道をたどる方法と、別の世界でその道に詳しい人が外部招聘という形でいきなり教授に招かれる方法とがあります。たとえば
●政治家を引退して大学教授になる
●評論家、コメンテーター等、マスコミの世界で名前が知られた人が大学教授になる
●有名大企業の社長が引退後に大学教授になる
といった具合です。

なんとなく前者が正当な就任の仕方であり、後者がいわば一種の天下り、大学幹部とのコネ、割り込み、とんびが油揚げを・・・的な感覚があります。

実際のところ、大学の教育現場では下から一歩ずつ山を登ってきた、たたき上げの教授と、別の業界からいきなり頂点の教授の椅子を得た人では、周囲の目、陰口、うわさなどでの評価の違いというのはあるのでしょうか?

准教授や講師の方々も、たたき上げの教授に心酔して師事してきたら、学長の鶴の一声で
「▲▲教授は今年いっぱいで辞めてもらいます。
 来年からはタレントの●●さんを教授に招くからよろしく。」
なんて言われたらショックだと思います。

 ひところ流行ったいわゆる”タレント講師”とか”タレント教授”などの明らかな客寄せパンダ的な人なら、周囲の目も
「まあ、あの人は大学の宣伝係みたいなモンだから」
となるのでしょうけど。

それとも、学部学科によって
「●●学部の教授のポストは絶対にたたき上げの者しか就けない
 ●●学部の教授のポストはタレント教授招聘あり、むしろたたき上げの者は「研究しか能が無い、マスコミに名前が売れていない」と馬鹿にされる。
 よって、それらの下で働く者、それぞれの教授のポストを目指す者はあらかじめそれを承知の上で自身の研究を進めること」
というような割り切った考え方が公然の秘密になっていたりするのでしょうか?

A 回答 (3件)

アカデミック以外のの世界から教授になる人の中には、特任教授といって教授会での議決に参加できない人もいます。


また、官僚や政治家出身の教授でも、その道の知識があれば、別に問題ありません。特に政策学部などではその傾向があるでしょう。もともと、こういう学部は新しく、自前でまだ研究者を養成できていないこともあります。少なくとも、私が出会った官僚出身の教授は意外に謙虚で、組織の論理を重視する傾向があります。悪く言えば、「先生の方針は?」と聞いても、逆に学生に「他の先生や事務局の方針はどうなんだろう?」と聞き返してしまうぐらいです。

また、官僚出身の教授が大学にくることができる理由は、一般人が思うほど必ずしも単純な天下りではありません。まず、官僚は政策過程という社会科学の研究対象の中にいたため細かいことが分かります。社会科学は理系と違い、演繹法ではなく、帰納法によって研究を行う側面が強いので、これは決定的な優位と言えます。
また、政策に必要な知識でも、一つの学問にだけ精通している研究者よりも、幅が広いのです。幅の広さは理解の浅さと一致することもありますが、トップクラスの官僚だと三流の教授以上の法律、経済、政治などの知識を揃えていることがあります。つまり、深みより総合力で勝負できる部分があります。

さらに、キャリア官僚は研究に近い業務をする時期もあるし、海外の大学院に通ったことがある人も少なくありません。特に実学そのものである、法学や行政学に関しては、アカデミックの人と比べても遜色のない人は少なくありません。
なので、単純な天下りでもないし、「社会科学は仮説だけでやっていける」との見方には、素人の誤解が少なからず含まれているように思います。

ただし、元々レベルの低い大学では、教授としての能力に欠けた人物が教員になっていることも全くないわけじゃありません。でも、そういう大学ではそもそも叩き上げの研究者なんていません。多くの教員も、より格上の大学に行こうと思っています。
それと、教授の評判とか評価は、学内だけでなく、学界においても行われます。変な教授ばかり入れれば、優秀な教員が去り、大学の没落を招きかねません。また、一番困るのは、大学そのものの行政がおかしくなったり、教員の研究を阻害するような事態に陥ることです。
その点でいえば、タレント教授よりも、学生サービスや受験生集めのパフォーマンスなどが過大負担になったり、バカな学生が教員の教育に対する情熱を奪ってしまうことの方が実害が大きいのではないでしょうか。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございました。

おっしゃるとおり、正確には天下りとは違いますね。
(ただ、僕としては
「出世の望めなくなった銀行員が、定年前に早期退職して融資先の経営陣に加わる」とか
「大企業の幹部社員が定年後に子会社の社長になる」といった
楽チンな転職のことは全部天下りに準ずる、と思ってるんで ^^; )


人気者、有名人だけを教授にしてしまうと大学が凋落する、というのはよくわかるご説明でした。

お礼日時:2009/08/10 08:06

評価基準によりけりでしょう。



傾向として、理論と実験結果の裏付けが不可欠な、自然科学系分野では、
タレント教授は少ないでしょう。
結果として(某プラズマの人のように)『タレント教授』と
目されるようになってしまった人もいますが、
彼らの場合は『教授タレント』と言う方が正しいです。

一方、社会学系はタレント教授が多いように感じます。
自然科学系分野だったら『仮説』でしかないことが、
その人個人の中では結論であり、動かしがたい定説と同等です。
この手のタイプは、論文よりも本を書くことの方が多いです。
前者は査読に耐えなくてはなりませんが、後者は自説ぶっ放しでもOKですから。

学術的視点からの査読に耐えた研究論文を国際的な舞台で発表するひともいれば、
狭いウチワだけにしか通用しないレベルの論文を数えるほどしか出さず、
本ばかり書いて、著者としての方が有名なひともいます。

どちらを上等とするかは、評価基準よりけりです。
研究者としてなら前者の方が評価できますが、
営業力や集客力という観点では後者の方が高く評価されるでしょう。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

>傾向として、理論と実験結果の裏付けが不可欠な、自然科学系分野では、
タレント教授は少ないでしょう。

確かにおっしゃるとおりでしょうね。
TVのワイドショーでよく開業医の先生が解説してたりしますが、ああいう人が「ちょっとTVで有名だから」ということでいきなり大学の医学部教授になった話はあまり聞きませんからね。

>一方、社会学系はタレント教授が多いように感じます。
政治・経済評論家系統のコメンテータなんてのはTVで名を売ると、割とすぐに私大の教授になっちゃうように見受けられますね。私見ではテレビ朝日の政治経済討論番組で有名になると、すぐに中堅私大に呼ばれて教授になっちゃうように思えます。
 ほかにはTVの局アナからフリーアナに転身した人なんかね。これこそ客寄せパンダでしょうね。そういわれると本人は不満だとは思いますが。

お礼日時:2009/08/08 15:42

知る範囲でお答えします。



>大学の教育現場では下から一歩ずつ山を登ってきた、たたき上げの教授と、別の業界からいきなり頂点の教授の椅子を得た人では、周囲の目、陰口、うわさなどでの評価の違いというのはあるのでしょうか?

ぼく個人は助手から教授まですべての職階を登っています(階級とはいえないでしょう)。途中で大学を2回移り,そのつど採用人事を経ることで「品質保証書」の更新も行っています(こういう感覚の人は日本には少ないですが)。以下は,叩き上げの観点からの記述です。

大学の業務は,授業をすることだけでなく,入試や教務,会計をはじめとする各種の事務的業務,研究業務,社会貢献・啓蒙業務などがあります。今年からは教員免許更新講習の講師も加わりました。叩き上げの人間は,長年のうちに各種の委員や業務をやることで,大学業務全般に通じています。仕事もめちゃくちゃ多いです(ぼくの年齢になると次々に「長」職が回ってきます)。

いっぽう,外部からひょっこりやってきた人は,平然と「私にはわかりません。委員はお引き受けできません」いうことがあります。しかも,それで給料に違いはでませんから,ハラワタ煮えくりかえりますね。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。
給料おんなじじゃやってられないでしょうね。
委員を引き受けることに対する手当て金は出ないのですか?

回答者様が真摯な教育者であることは周囲には伝わっていると思います。学生の育成にご尽力くださいませ。

お礼日時:2009/08/08 15:32

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