プロが教える店舗&オフィスのセキュリティ対策術

こんにちは。

半年ほど前から『重病にでもかかってはやく死んでしまいたい』などと思っています。
どうしてこんなことを思ってしまうのでしょうか。

リストカットとかはしていませんし、自傷行為は一切ないと思います。
「自然に」「はやく」「死にたい」と思うのです。

この考えがあって生活に不便は感じていないので、やめたいとかではなく、
ただ、どうしてわたしはこんな心理になっているのかな?と思って質問しました。


ただの甘えでしょうか。
私はひとに甘えたいと思っているのでしょうか。
それは確かにあるかもしれません。

それともいまの生活に不満があるのでしょうか。
それは特にないです。あるといえば「バイトがつらい」ということくらいでしょうか。

前はどうしようもない無力感や自己否定的な感情にさいなまれ、ひとりになりたくて
深夜徘徊したりしていましたが、いまは彼氏に止められて我慢しています。

なんだか、疲れました。

日常生活では、わたしはとても明るく、前向きな人間ですから、いろいろな活動をしますし、行動的です。元気ですし、よく笑います。

だから精神的に病んでなんかいないと思います。
もしかしたら、わたし精神的になにか病んでいるのかも…と思うこともあります。

でも、それはきっと自分かわいさにそんなことを考えるのだから、そんな考えしてはいけない。

しかし、薬を飲んで楽になれるなら…

やっぱりそんなのダメだ。自分で、自分の力で自分をコントロールしなければ。自立した人間にならなければ。

薬を飲んで楽になれるなんてことはない。これは自分の問題だから…

こんな思考の繰り返しです。

そして毎日のように『病気になりたいなあ』『はやく死にたいなあ』と思うのです。

これはどうしてなのでしょうか。
どうぞお暇なときにでもご回答いただけたら、と思います^^

A 回答 (7件)

今の生活が充実していないのではないでしょうか。


スケジュール帳を文字で埋め尽くすような充実度ではなく、心の充実度が足りていないように文面からは感じられます。

活動している時、常に明るく元気でいい人間・暗さなど一切見せない人間でいようとしていませんか?
ましてや、いい人でいなければ「ならない」なんて自分に強制していませんか?
もしそうなら、その反動が「死にたい」である可能性は高いです。

精神的に全くおかしくない人間や、病む可能性の全くない人間などいません。
必ず何らかの「傾向」を持っています。
#1様もおっしゃる通り、かなり真面目な性質を持っておられると思います。
それゆえに自分を追い込んでガス欠になった結果、「病気」「死」イコール楽を得たいという心境になるのでは。
それを解消するには、普段から少しずつ楽をすることが一番です。
フルに活動している脳みそ=心を定期的に休ませてやるんです。
でも頑張り屋さんは「楽をしてはいけない」と思っている節があるので、上手な休みどころを掴めていないことが多いです。
かつての私がそうでした。
でも、いきなり生活パターンや思考パターンを変えようとすると難しいです。
アロマでもネイルでも何でもいいので我を忘れて純粋に楽しめるものを色々探して生活に取り入れるとか、
小規模なところから始めるとうまくいくと思います。
趣味を持つなどして1本の筋が通った人間は心が疲れにくいです。

どうしても心配なら受診もいいと思います。
人の性格は人生を通して、いくらか変わるものです。
ずっとこのまま「死にたい」が続くことはありませんので、ご心配なく。
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この回答へのお礼

たしかに、わたしはこういう自分でなければ「ならない」と思って、明るく元気で素直な人間であろうとしてきました。

スケジュールは確かに文字で埋まっていますが…心の充実、ですか。
いろいろ面倒見て、教えてくださる方がいるので、心は充実しているつもりだったのですが…。

わたしはメンタル面が弱いので、強くあらねばならないと思ってその方のもとで必死になっていたのですが、
それは心の充実、ではないのかもしれませんね。

わたしは楽を得たいと望んでいるのかもしれません^^

昔は多趣味でしたが、最近はそのような時間もなく、あれこれしたいと思うこともなくなってしまいました。
成果を出すために、くだらないことに没頭している時間を削らなければ、と思っていましたが、
わたしの心はそれを望んではいなかったのでしょう。

貴重なご意見、ありがとうございました^^
とっても参考になりました。

お礼日時:2009/11/08 12:51

普通ではないですけどね。

病院に行ったら医師が何らかの病名をつけて抗欝剤や安定剤が処方されそうですね。病気は何でもそうですが病気とじっくり付き合うのが大事です。
欝ですが、脳内セロトニンが枯渇すると外から補充しない限り体内では生成されないので思考回路は変わらないと思います。
私は精神科にかかっていますがやはり皆、薬が効くとまた力をだして頑張ると思いますからまだ少しでも余裕のあるうちは薬は考えないでいいですよ。薬は根本的治療になりませんよー。
死にたくなるのはやはり少し欝なんでしょうね。欝の病気にかかってない人は死んで楽になれるんじゃないかとは考えず、寧ろ
自分が死ぬなんて考えたくもない
らしいです。

あなたが今の状態から良くなればそれに越したことないですし同じ人たちだって勇気をもらえます。
ちなみに千原ジュニアみたいなタクましい人もいますよー。精神病を薬なしで乗り切った彼は立派です。
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この回答へのお礼

普通ではないと感じますか…。
鬱になると考え方でどうにか思考回路が変わるものでもないのですね。

薬が根本的治療にならないと知り、とても驚きました。
薬は飲めばなんでもうまくいくようになる、というようなイメージがありましたので^^;

余裕のあるうちは自分の力でなんとかしたほうがいいのですね。
がんばってみたいと思います。

ご回答ありがとうございました。
経験された方の意見を聞くことができて、とても参考になりました。

お礼日時:2009/11/11 23:48

私も似たような思考回路をもっているので、同感します。


理由としては
・競争社会に疲れた
・ライバル意識むきだしの友人にも興味がない
・他人のことはどうでもいいと思う
・自分が好かれると嬉しいけど、人は心移ろいやすいものなので
 独りでいたいと思うときがある(他人に期待していない)
・自分の可能性に限界をかんじる
などです。
いわゆる無気力病なんだと思います。
・がんばっても揚げ足取りばかりされて苦痛
・怠け者でずるい奴のダシに使われるのは苦痛
・他人は何をしても自分を気に入らない
などです。
・生きていても意味がなくかんじる
・したいことがない、もうできない
・自分が幸せになる方法がみいだせない
などです。
不幸感に自らどっぷり浸かり、人生を悲哀に満ちたようなかんじで捨て鉢に生きている人もいますが、そういう思考方法の人っています。

・自分なんて、どうせいてもいなくてもいいんじゃないか。とか。

自分に価値をみいだせない。など。
キケンな思考方法ですが、鬱のグレーゾーンです。
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この回答へのお礼

いくつか共感できるところがありました。

自分は幸せ者で、不幸だなんて思って悲劇のヒロインぶるのはいけないと思っているので、
不幸感につかることはないようにしていますが、やはりどんなに幸せだと自分に言い聞かせていても、
疲れはたまりますし、もういやだと思うこともあります。

ご回答ありがとうございました^^

お礼日時:2009/11/11 23:39

あなたの訴えは,精神科でコタールと呼んでいるものだと思います。


はやく死にたい→なかなか死ねない,私は死ねないんじゃないか(不死妄想)。
自殺につながりやすいので,楽観はできません。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

コタール、について少々調べてみました。
そのような病気もあるのですね。

まったく知りませんでした。
ありがとうございました^^

お礼日時:2009/11/08 20:15

私はあなたととてもよく似た症状。

。というか状態、考え方になります。
明るく、行動派で、友達も沢山います。
一見、そんな事を考えているようにはみえません。

ただ一つ違うのは、本当に重病を生まれつきわずらっています。
でも悲観的になった事はなく、治療も前向きです。

なのに、そんな事を思う。
死にたいのではなく「生きているのが面倒」な感じです。
重病ではやく死なないかなと思っているのは、おそらくあなた自身、自ら死ぬ行為(自殺)はいけない事で、他人に迷惑がかかる事を知っているから、病気で死ねないかなと考えている、言ってみれば常識ある方だと察します。

人間関係に面倒な時はありませんか?
友達といて楽しかったのに、あとから虚しさや、精神的な疲れ、ストレス、言いたい事があるのに気を使って言えないストレス・・・などありませんか?

心の病気などではないと思います。
まじめで沢山の事を考えすぎたりして脳が疲れているのかもしれませんね。
人間楽になりたいという意識からそんな事を思ったりするもんです。
だけどまた頑張ろうって思ったり。。その繰り返しなんでしょうね。

ただ一つ言えるのは 重病だから楽に早く死ねる訳ではないです。
病気のまま長生きもします。私のように(笑)
人間意外と丈夫にできていますよ★
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この回答へのお礼

生きているのがめんどうだ、わずらわしいことだとよく思います。

自殺は他人に迷惑がかかります。だから実行しようとは思わない、というのもあるのでしょう。
ただ、自殺をすると、悲しむ人がいるのです。
わたしが将来めんどうをみると約束した祖母しかり、いまの彼氏しかり。
悲しませないためにも、わたしは常に成長し、生きていかなければならない。

ただ、病気なら…
悲しんでも、憤っても、そのうち、仕方ないこと、とあきらめてくれるでしょう。
だからわたしは自殺しようとはしないのだと推測しています。

それにしても、生きるのがめんどうだという心理は案外多くの方が陥る心理状態なのですね。
文明が高度に発達すればするほど、きっとこのようになる方も増えるのではないでしょうか。
今ではそう考えるようになりました。

生きることに執着しなくとも生きることができる。餓えることもなく、生きるだけなら普通に生きれる。
そんな時代だからこそ、生きることが逆にめんどうにすらなってしまうのかも…しれません。

貴重なご回答、ありがとうございました。
いろいろ考えさせられました^^
本当にありがとうございました。

お礼日時:2009/11/08 20:08

私もだいたい質問者様と似たようなことを考えていました。


「自殺したいわけじゃない。でも生きてるのもめんどくさい」って。
また、仕事でそのようにおっしゃる方を相手にすることがあるんですが、私はその時相手の気持ち(自殺、死にたい願望)を否定はしません。
心の中で思う分には誰だって自由ですからね。
私は自分がこのように「生きることに消極的」な考えなので、質問者様を特に病的だとは思えません。

ただ、ご自分で思ってる以上に質問者様は心がすり減ってるように感じます。

<日常生活では、わたしはとても明るく、前向きな人間ですから、いろいろな活動をしますし、行動的です。元気ですし、よく笑います。

このようにおっしゃってますが、外ではかなり自分を作ってるんじゃないですか?だから疲れたんじゃないかな?…と思いました。
また、自分を完璧にコントロールするなんて、誰にもできることではないですしね。

ネガティブな考えって否定されがちですが、私はそれも大切だと思うんですよ。何事も二面性があるように。

私は特に人生に何か意味を見出したり、すごい生きがいがあるわけではありません(消極的ですから)。
でも毎日を平凡に、細々と生きていく…それでいいんじゃないかな?と自分で思えるようになってからは、心が楽になりました。

質問者様も、ご自分に課すハードルを少し下げて「こういうことを考えてしまう自分もやっぱり自分の一部なんだ」って認めてあげてはどうですかね?
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この回答へのお礼

>「自殺したいわけじゃない。でも生きてるのもめんどくさい」
まったく同じです。
同じような心境になるかたもいらっしゃるのですね。
心配していたわけではなかったはずだけれど、やっぱり少し安心しました^^

外で「自分」をつくるようになったのはもう小学校のときからですから、
つくった自分以外の「自分」なんてもはやわたし自身、わかりません。

きっと、自分の思うがままに生きることができれば、幼い時のように毎日が光に満ち溢れた生活ができるのかもしれませんが…。

しかし、つくられた「自分」でしか生きられないわたしは、これから先もなんとなく疲れたままなのでしょうか…

毎日を平凡に、それでも幸せだと思えるような生活がいいですね^^

ご回答ありがとうございました。
参考になります^^

お礼日時:2009/11/08 14:05

>やっぱりそんなのダメだ。

自分で、自分の力で自分をコントロールしなければ。自立した人間にならなければ。
この辺は真面目な人のような反応ですね。アルコール依存症の人も麻薬依存症の人もそのように考えて行動できればいいのですが、人はそこまで強くないので大方の人は低くい方に流れます。病気かと言われると難しいですが病院なら適当な病名はつきそうです。暇があったら病院に行ってみてください。何かの行動で自分の道が新たに開かれる場合があります。
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この回答へのお礼

はやい回答ありがとうございました。
まあ、きっと病気…とまではいきませんね^^
でも病院に行ってみれば、何らかの変化はあるかもしれませんよね。
ご意見、ありがとうございます。
また暇をみつけて行ってみようかなと思いました。

お礼日時:2009/11/08 12:37

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