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カトリックやキリストに興味があります。
これらのことはどのようなこのについて教えを説いているのですか?
この2つについては全くの無知です。
教えてください

A 回答 (4件)

プラトンって人が古代ギリシャにいたんですね。


人は全くの善(普遍)の世界にいたが、肉体という有限(悪)を持ったことで、全くの善ではなくなり、悪をやっても気づかないようになったと考えた。

全くの善に帰還するためには、微塵も悪があってはならない。(全くの善の世界に悪が少しでも入ることはできないから)
中には有限の肉体を持っていながらも、全くの善を認識できる人がいて、その人の言う通りにしていれば、善悪がわからない者でも悪をやらずにすむ。
こう考えたわけです。 理論的に。


そのプラトンの教えがキリスト教。
えっとですね。キリスト教っていろいろ宗派があり、ローマ・カトリック教会はそのうちの一派。
その聖職者が、全くの善がなんたるかを認識できる人とされ、信者たちは理解できなくても、その人たちの言う通りしてさえいえば、死後天国に行けるみたいなことを言っているわけです。
ローマ・カトリックは厳格なヒエラルキーがある。

「どんなことがあっても許しなさい」というのがキリスト教の考え方。
例えばあなたの妹が大勢の男にレイプされて殺されても、犯人たちを許さなければならないと説いている。
これは掟です。


ユダヤ教も許しについて解いていますが、無条件に許せとは解いていない。
どういったときに許しなさいと解いているかとうと、過失です。
あなたの財産である家畜が、隣人の家畜とけんかして、隣人の家畜を谷底に落としてしまった場合、祈りの時間であっても、隣人に謝罪しにいかなければならない。
謝罪を聞いた隣人は、許さなければならない。
どうしてか? 要するに「情けは人のためならず」と同じ理論。

人の財産を侵害した場合は、律法だと罪になる。
だけど、隣人が謝罪を受け入れたら、裁判所に訴えず、律法にそって処罰されることは無い。
過失に関して、お互い許しあえば、平安・シャロームと挨拶しあってそれぞれ同じ共同体の一員として助け合って生きていけるってわけです。

情けは人にためならずのこの理論を何度説明しても理解できない人であっても「これはルールです」と律法の掟として書かれているとなると、許すしかないわけです。
すると、逆に自分が他人の財産を侵害したとき、とにかく謝罪しに行けば許されるので、処罰を免れることができるわけです。
よくわからないけど、掟をやったら、処罰されなかった、律法は真実だ ってなるわけです。


この考えはキリスト教にも受け継がれたのですが、「情けは人のためならず」としては理解されていない。


ユダヤ教の一派にクムラン宗団というのがありまして、砂漠で隠遁生活をしていました。
この宗団の教えの一つに「右の頬を打たれたら左の頬を出せ」。
キリスト教の教義にも「右の頬を打たれたら左の頬を出せ」とあります。
しかし、キリスト教徒で、この意味を理解している人は少ないのではないかと思います。
相手の右ほほを打つというのは、相当の侮辱を表しています。
それに対して、クムランの教えは「左の頬を出せ」ですが、意味は「侮辱してくる者の相手をするな」です。
侮辱してくる人の対応に時間をつぶされるような愚か者であるな ってことです。


それが本当の意味だとキリスト教徒は知らないので、私が煽ると反応してくれて、私とバトってくれました。
「あのねぇ 口で言っていること・人に薦めていることの意味すら知らないからそうなるの。 自分が知らないものをいいものだとよく人に薦められるなぁ」っていつも思っていた。笑


ま、真実を知らない人が知らないゆえに悪をやってしまわないように、意味がわからなくても、とにかくわかる人の言う通りにしていさえすれば、、、とプラトンは説いたわけですが、実際意味を知らない人は、プラトンの教えを無視しちゃうみたいです。


新約聖書は、ヘブライ語も離せなくなったディアスポラしたユダヤ教徒のために語られたもののようです。
毎日教えを受けているわけではなく本国から遠い地域に住んでいる異国の市民権を持ったユダヤ人のために、理解しやすいように書かれたもの。
したがって、新約聖書は旧約聖書の一部を、子供にもわかりやすいようにと、砕いて解説したもの。
だから、新約聖書の内容はすべて旧約聖書に既に書いてあることばかりなんです。
イエスが語った内容は、旧約聖書の内容。 子供向けの解説書みたいなもの。
その子供の役割をペトロがやって、質疑応答をすることで、読者が理解しやすいようにしたわけです。
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この回答へのお礼

詳しい回答ありがとうございます。
悪は許される存在ではないけど、人間がいる以上悪が存在する。
だから悪が出てきてもそれを許し、善の世界を守っていこうとしているのですね。
とても面白く興味深い考えでした。
時間ができたらもっと深く勉強してみます

お礼日時:2010/03/12 14:55

カトリック、キリスト教、といっても、いろいろな側面があります。



おおまかに言えば、そこにあるのは2つです。

ひとつは聖書に記されている真理の教え。
これを知ることによって、わたしたち人間が本来手に入れるべき歩みを見出すことができます。

もうひとつはその真理の教えをともに生きる仲間(共同体)。
これに属することによって、大きな励ましを受けたり、支えを手に入れることができます。

関心を持たれているなら、是非お近くの教会に足を運んでみることをお勧めします。
百聞は一見にしかず、です。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。
いろんな回答を見てみましたが、本当にいろんな考えがありますね。
今まで宗教だと単に嫌っていましたが、教会に足を運びいろんなことを聞いてみたいと思います

お礼日時:2010/03/12 14:57

子供のころに習いました。



神様は皆の心に中にいます。いつもあなたを見ています。人の過ちを赦しましょう。
と、言われると誰に対しても悪いことをしてはならないですね。

そう心がけたいと思いながらすでに数十年たってしまいましたが、今でも心の支えになっています。

近くにきっとカトリック教会があったり、中波放送で番組を組んでいたりしていますので、関心あればどうぞ。きっと快く迎えてくれると思います。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。
宗教とは人の心の支えになるものなのですね。
近くに教会があったと思うので暇を見つけ足を運んでみます

お礼日時:2010/03/12 14:40

ご参考までに下記アドレスを紹介します。


http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AB%E3%83%88% …
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます
参考URLをしっかり読んで見ます

お礼日時:2010/03/12 14:38

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