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日韓併合時、日本は韓国の人々にどんな損害と苦痛を与えたのでしょうか。
菅首相は、その菅談話の中で「政治的・軍事的背景の下、当時の韓国の人々は、その意に反して行われた植民地支配によって、国と文化を奪われ、民族の誇りを深く傷付けられました。」と述べ、「多大の損害と苦痛を受けた。」と述べています。
その日本が与えた損害と苦痛とは一体いかなるものだったのか、色々調べてみましたが良く分かりません。
ネットや書物なんかではむしろ「良い事をした」との記述が多く目に付きますが、
私の調べ方が偏ってしまったのかもしれません。
日本が韓国の人々に与えた多大の損害と苦痛について御存知の方、できるだけ具体的に教えてくだされば幸いです。

A 回答 (10件)

 質問者さんが、政治的背景を細かく見る習慣があるようなので、補足回答として、詳細を記載させて頂きます。

他の方の質問に対する回答を編集したので、重複内容がありますが、ご容赦ください。(文字数の関係で、質問者さんのコメントに対しては、別の補足回答を作りました。)

1、日韓併合前後の実態

 日韓併合は、1910年
 第一次世界大戦は、1914年から1918年
 関東大震災は、1923年
 世界恐慌発生は、1929年

<日韓併合までの韓国>
 朝鮮半島は「両班」と呼ばれる大地主が貴族として農地を所有し、中央政権を運営していて、国民の大多数は、この大地主のもとで、一生を農地と共に終える農民社会でした。

<日韓併合後>
 この朝鮮半島の貴族社会が、1910年日韓併合によって崩壊し、朝鮮社会に大変革が始まりました。

 広大な植民地や国土を持つ欧米列強に対して、狭い資源の少ない限られた国土しかない日本が、激烈な生存競争をして行くためには、限られた国土を徹底して開発し、土地を効率的に利用し、国民の力を結集しなければなりません。
 そこで、「両班」を消滅させ、土地に縛られた農民を日本国民として、直接政府の元に置き、社会資本を投下して、全土の経済開発を行いました。

 農業の効率化の過程で、潜在的な過剰人口を養ってきた両班を核とする農村共同体が崩壊し、食えなくなった農民が、第一次世界大戦の軍需特需とヨーロッパの工場の破壊によって生まれた、日本本土の爆発的好景気と労働力不足を背景に、朝鮮半島から日本本土へと移動し始め、またたく間に急増しました。


2、韓国併合の背景

 日本は、当時一等国と呼ばれたイギリス・アメリカ・フランスに比べて支配地域が遥かに小さいため、イギリスなどのように植民地を未開発のまま薄く搾取する政策を取るのでは、これらの国に対抗できませんでした。
 そのため、支配民族のレベル向上による独立運動激化のリスクを知りつつも、占領地を徹底的に開発することで、日本の国力向上を目指しました。(独立運動激化:有名な例としては、ナポレオンが、ドイツを勢力圏としてフランスの革命思想をドイツに広めた結果、ドイツ人のナポレオン=フランス排除の機運が盛り上がりました。)

 ですから、イギリスがインドで藩王などの旧支配者を温存し、間接支配の形を取って、イギリス支配によるインド社会の変化を出来るだけ小さくして、波風の立たない体制を作ったのに対して、日本は、朝鮮の支配階級で大地主でもあった「両班」(ヤンパン)を崩壊させ、朝鮮人を日本人として直接日本政府の中央集権体制のもとに置き、教育制度も完備しました。
(尚、この政策は、民族として過去の歴史のない台湾では、相当な成功を収めていました。1000年以上もの歴史のある民族に対して適用できるか、かなりの冒険でした。)

 その結果、韓国は封建的な隷属社会から脱皮して、個人が社会全体を把握して行動する近代社会に移行し、日本に対する朝鮮ナショナリズム(=反日運動)も育まれました。

3、韓国併合の評価
(=評価は、個人の価値観の影響が大きい。私個人の評価と見てください。私は出来るだけ客観的に見ようと意識しています。)

A.朝鮮半島全体でみれば、日本の資本により開発が進んだが、社会システムが大きく変わったので、個人レベルでは、大損したり生活苦に直面した人も多数出た。

B.もともと指導者・知識人階級でもある「両班」階層が日韓併合で没落したため、朝鮮半島の伝統・独立性を守る反日運動の中核となった。(=元の支配者層なので、没落したとはいえ、教育程度は高くリーダーシップも持っていて、社会に対する影響力は大きかった。)

C.農村では食えなくなった人々が多数日本に流入し、今日の在日問題の原因の一つとなった。

D.相当根深い反日運動にもかかわらず、日本人化政策はかなり進んだ。
 朝鮮志願兵部隊がアメリカ相手に、「天皇陛下万歳」と叫んで突撃した例もあるように、日本人化が進んでいて、あと二十五年(一世代分)日本との併合状態が続けば、「朝鮮独立」はなかったのではないかという評価もあるようです。
 → 韓国からは大反発を食らい、日本の国益にもならないということで、日韓双方の学者は、あまり大きくそのことを指摘することはないですが。(著書のどこかに、二~三行書き加えてある程度。) 
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この回答へのお礼

sudacyuさん、丁寧な解説誠にありがとうございます。
当時の欧米列強が植民地を未開発のまま薄く搾取したのに対して、
日本は韓国を自国とみなして徹底的に開発した。
このことが根本的な問題点だということが分かりました。
このことで、韓国は封建的な隷属社会から脱皮はしたが、
自分は両班と思っている韓国人の大半が土地を失って大損したと思っている。
その結果日本に対する朝鮮ナショナリズムが生まれ、治安維持法によって投獄獄死という苦痛も受けている。
また、日本が整備したインフラは朝鮮戦争で壊滅したため、
今の韓国の発展は日本のおかげともいえない。
そこへ韓国の人々が下に見ている日本に支配されたという屈辱感から来る憎悪。
これはもう、一方的にいいこともしたと思っていても、
立場が変われば見方も変わるということなのでしょうね。
少し分かってきたように思います。
ありがとうございました。

お礼日時:2010/09/25 08:00

<菅談話の言う多大の損害と苦痛とは何か>



 国家レベルの損害と言うことではなく、個人レベルの損害と言うことでしょう。

 「両班」階層は、個人レベルでは、土地を失い大損しています。
 また、これは朝鮮半島・韓国側の事情によるものですが、人口の8割の人間が、自分は「両班」階層の出身だと自認しているようです。ですから、韓国国民の8割が、個人レベルでは日韓併合で損をしたと表明していることになります。
 → 日韓併合による社会変化で大半の土地を失ったとはいえ、かなりの財産をまだ持っていた「両班」階層は、共産党の支配下では、命も危ないので、朝鮮戦争では、故郷を捨てプサンへと逃げて行きました。日韓併合以上の大きな社混乱で、誰が元「両班」であるかというのは、ほとんど分からなくなってしまい、「両班」のもとでその土地の管理を助けていた祖先が「両班」の血をひく人間も、元「両班」と自称し、「両班」階層間にほぼ限られていた婚姻も、経済基盤がなくなって、事実上縛りのない状況となっています。ですから、本当に祖先の誰かが「両班」階層である人は激増しています。100年間で4世代、各世代4人の子供とすれば、「両班」の血をひく者の数は、250倍に膨れ上がる計算になります。(まあ、100倍くらいには、なっているでしょう。)

 苦痛について
 支配階層から転落し、朝鮮ナショナリズムの基盤となり、反日運動の中核となった「両班」階層は、精神的苦痛を相当受けているでしょう。
 
<日本国内と同等の「治安維持法」のもとに投獄獄死ということになりますが、
これは何も特に韓国人に対して行ったわけでもない。
となると謝罪しなければならないとまではいえないように思えてきます。
つまり当時の日本政府は、特に韓国に対して・・・というのではなく、
自国として投資し、国内法を適用してきた。
それを今の韓国の人々が、特に韓国人に対して行ったと解釈するからややこしくなる・・・、
ということでしょうか。>

 微妙ですね。私は、どのような状況であったか示すにとどめる方が無難だと考えます。
 治安維持法自体は、当時の日本国籍を持つ人すべてに同じように適用されたわけですが、朝鮮民族の「日本人」だけが、朝鮮独立運動を行っています。その結果、治安維持法を適用されていることに対する解釈は・・・

 「当時の日本政府は、特に韓国に対して・・・というのではなく、自国として、国内法を適用しただけ」とも理解できますし、
 「朝鮮民族」の日本人に対してのみ、特別に適用された治安維持法の罪状と解釈することもできるでしょう。

 これは、多民族国家が常に内包するリスクで、現在の日本人には、存在を意識されない傾向があります。
 
<まとめ>
 大局的に見て、日本の戦前における朝鮮半島に対する投資を大きくクローズアップし、今の韓国の現状はその投資に依っているとするのは、現実と異なると考えます。

 日本が作ったインフラは、韓国の場合には朝鮮戦争で壊滅状態となり(北朝鮮はある程度残った。)、朝鮮自身が日韓併合前から持っていた家屋や水路なども大きな被害を受け、社会資本としては日韓併合以前のレベルからの出発です。
 戦前の日本の投資による整備されたインフラが、韓国の成長の基盤になったという事実はありません。
(注:朴政権以降の日本の投資は、韓国の経済発展の原動力の一つになっています。)
 韓国以上に投資が大きく、朝鮮戦争後もそれがかなり残っていた北朝鮮が、現在は『超貧乏国』です。
 また、アメリカの爆撃で、壊滅的打撃を受けた日本が、10年程度で戦前の生産レベルを回復し提案す。
 本当の復興の原動力は、目に見える『財産』ではなく、その土地に住む人間の『意識』です。


 今の韓国の発展をもたらしたのは、日本による、朝鮮の伝統的社会システムの破壊です。日本の支配によって、朝鮮の封建社会は崩壊し、個人中心の近代社会が生まれました。
 これは、日本による上からの改革=破壊と創造です。韓国社会の個人個人に、損害と苦痛を与え、発展への意識改革を根付かせました。

 客観的な歴史認識としては、朝鮮伝統社会の破壊によって、韓国は発展できる国民国家に生まれ変わったのですが、上からの改革を行った側から、『破壊を感謝しろ』とは政治的に言えるはずもありません。

 日本が根付かせた意識改革を、独裁政治によって封印してしまった北朝鮮は『超貧乏国家』になってしまいました。
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この回答へのお礼

sudacyuさん再度の御回答、誠にありがとうございます。
コメントは、書かれた内容をもう少し良く読んでちゃんと理解してからにさせて頂きます。
本当にありがとうございました。

お礼日時:2010/09/23 02:20

1、朝鮮半島に対する日本の開発投資について



 日本は、日韓併合をした結果、朝鮮半島が日本の国土のとなったので、未開発の国土を開発するために、投資をしたのです。自国領土内で経済効率のよい所に投資をするのは極めて自然な話です。

 日本政府が当時、『後日、朝鮮半島を独立させる目標を持っていて』朝鮮半島に投資をしたのなら、朝鮮半島の人のためにと言う論は成り立ちますが、朝鮮半島を独立させる気は全くなく、将来は完全に一体化をすることを目指し、投資を行いました。

 日本が戦争に敗れたため、投資効果が表れて儲かる頃になって、朝鮮半島が別の国になってしまって、日本が大損したという厳しい現実があるだけです。

 ネット内の歴史の順番無視の論は多く見られる所です。
 小沢有利というネットの情報が間違っていたように、ネット上でよく見かけると言うのは、あてになりません。


2、日本の朝鮮半島への投資は、当然のことながら朝鮮半島の経済発展に寄与しました。
  とはいえ、その経済投資の効果・結果も歴史的事情によって、捉え方は異なってきてしまいました。
 
 朝鮮戦争で主戦場となった韓国地域では、日本の投資によって作られたインフラが大打撃を受け、現在の韓国人が「日本の投資によって経済開発の基盤が整ったわけではない」という感想を持つこともありうるでしょう。
 韓国・朝鮮人が主体となって、アメリカと共に、日本の投資の多くを粉々にしまいましたから。
 
 鉱山・ダムなどが主体の北朝鮮への投資は、ある程度残って、金日成・金正日親子の権力の経済基盤となる結果となってしまいました。これもよかったと言えるかどうか。


3、日本の意図した朝鮮半島の日本化は、経済開発とは全く逆に、心理的なマイナスが多く残りました。
 
 日本の一部になっている状態で、「朝鮮半島独立運動」をする人は、当然ながら内乱罪で、犯罪者です。日本の国内法に従って、「治安維持法」のもとで多くの朝鮮半島の知識人が投獄され、獄死した人もかなり出ました。
 → 尚、当時、日本本土でもこの「治安維持法」によって、日本人が獄死したりしています。

 朝鮮半島独立後は、これらの人々は「日本支配に反対して殉死した英雄」とみなされています。
 日韓併合期間中は、これらの人々は「国内法に違反した犯罪者」です。

 どちらも、時代背景・法の適用について、必然的なものと言えます。
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この回答へのお礼

sudacyuさんご回答ありがとうございます。
そうなんですね、ネットは良く言えば自由に物言う場、
悪く言えば無責任な発言の場ということなので、
私も慎重に良く見極めねばならないと思っています。
それで、菅談話の言う多大の損害と苦痛とは何かをネットで調べたら、
「良いこともした」的な論調が多いのでこのような質問をしたくなりました。
あなた様のご回答を拝見しましても、日本が韓国に対して自国並みに多大の投資をした、
インフラ整備をしたということは厳然たる事実ということのようですね。
そこについて見ますと少なくとも多大の損失と苦痛はあまりないように思えます。
強いて言えば、日本国内と同等の「治安維持法」のもとに投獄獄死ということになりますが、
これは何も特に韓国人に対して行ったわけでもない。
となると謝罪しなければならないとまではいえないように思えてきます。
つまり当時の日本政府は、特に韓国に対して・・・というのではなく、
自国として投資し、国内法を適用してきた。
それを今の韓国の人々が、特に韓国人に対して行ったと解釈するからややこしくなる・・・、
ということでしょうか。
ありがとうございました。

お礼日時:2010/09/21 14:51

具体的な損害と苦痛は沢山の事例がありますからお調べ下さい。


でも、次の観点をお忘れならないで、情報を選択して下さいね。
★併合は植民地にかなり近いものです。あなたが支配される側だったら、どうですか?
 その弊害は生活の全てにおよぶことが想像出来ませんか?
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この回答へのお礼

takuya223様、御回答ありがとうございます。
具体的な損害と苦痛について沢山の事例があるとのことですが、
もしURL等がお分かりなら教えて頂けないでしょうか。
かなり調べたつもりですが、日本は「良いこともした」の記事ばかりが目に付くのです。
それでこの質問をさせて頂きました。
損害と苦痛の具体例を教えて下さい。
よろしくお願い致します。

お礼日時:2010/09/21 00:33

No6 の者ですが、写真の添付に失敗したようですので、再投稿します。

「日韓併合時、日本は韓国の人々にどんな損害」の回答画像6
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韓国人の中にはこういう人もいます


http://sankei.jp.msn.com/politics/policy/100828/ …

あたかも全員が日本の敗戦を喜んだかのような意見がありますが、これこそが歴史の歪曲です。

添付した画像は朝鮮で行われていた”腸チフス除け”のまじないだそうです。ニンニクと牛の頭で腸チフスを防げると信じられていたのです。この他にも朝鮮は様々な迷信が支配していましたが、朝鮮総督府はこれらをやめさせ、近代医療を導入する事で半島の人口は倍増しました。が、朝鮮人の中には「文化を奪われた」と不平を漏らす者もいるようです。

土人にいきなり近代文明をもたらしたために、受け入れられなかった、と言う部分はあったかも知れません。しかし、強制連行や従軍慰安婦、そして収奪を行ったと言うのは全て捏造です。例えば元従軍慰安婦だという朝鮮人の女性がこう語っています
http://sankei.jp.msn.com/world/korea/100807/kor1 …
「父と死別し、再婚した母に連れられ忠清南道禮山にいた17歳の時、中国に行けば工場で働かなくてもお金を稼げる、という近所のお姉さんの話を聞いて、1944(昭和19)年6月、故郷を離れ、ソウルや中国の天津を経て12月に中国の漢口に着いた。着いてからどういう所か知ったが言葉も分からず、道も知らず、逃げ出すことなどできなかった。そこには12棟ほどの慰安所があり、入り口には日本軍が使っていた建物が守っていた。言うことを聞かないと平壌出身という主人夫婦に棒で殴られる者もいた…」

”同じ朝鮮人に騙されて、朝鮮人の経営する売春宿に売られた”としか読めませんが、いかがでしょう?。これでどうして日本が批判されなければならないのか意味不明です。

こうやって朝鮮人が執拗に日本に因縁をつけてくる大きな理由は、優越感を打ち砕かれた事による感情的なしこりがあると思われます。
http://japanese.joins.com/article/article.php?ai …

驚くべき事に、当時東アジア最貧の土人国家であった朝鮮が日本を見下していたのです。これは清の属国であった朝鮮に「清(中国)に近いほど上等で、遠いほど下等」と言う思想があったためでもあります。大陸と地続きで、国境を接する朝鮮の方が海を隔てた日本より上等というわけです。しかし、現実には日本の方が遙かに進んでおり、近代化にもいち早く取り組み、宗主国の清を倒し更にロシアを破り朝鮮を併合するに至る。その現実をどうしても感情的に受け入れられない、それが一連の歴史捏造に繋がっていくのでしょう。

過去に日本の統治を受けた国は幾つかありますが、いまだに謝罪や賠償を要求する反日国家は南北朝鮮だけです。朝鮮より長く日本の統治を受けた台湾などは親日で有名です。朝鮮だけが特別に過酷な扱いを受けたのでしょうか?、そんな事はあり得ません。わざわざそんな事をする理由もメリットもない。
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この回答へのお礼

kendamakunさん、御回答ありがとうございます。
うーん、全ての韓国人が日本の敗戦を喜んだかどうかというと、
確かに100%全員が喜んだとは考えにくいですね。
ただ、私がネットで調べたところによりますと、
日本の敗戦が分かった途端、韓国や中国の人々は豹変し、
日本人への暴行・リンチ・強姦・略奪が日本国内でも横行したようです。
韓国内でも日本の敗戦と同時に、
ついこの前まで父と呼び母と呼び家族同然の恩を受けていた日本人夫妻を虐殺した例まであるそうです。
このことから考えると、韓国の人々はいくら日本人から親切にされても、
恩恵を受ければ受けるほど心の中では憎悪の気持ちがどんどん高まって行くもののようです。
恩を受ければ感謝するのが当たり前と私達日本人は思いますが・・・。
しかしあなたがおっしゃるには、一方では韓国のほうが中国に近いから上等という優越感がある。
これらから考えると、日本統治時代の韓国人の心の中には、
今でこそ日本人の世話にならなければならない状況だが、
元はといえば我々のほうが優れた民族なんだという気持ちを、
ずっと持ち続けていたということになります。
そして日本人からいくら親切にされ、恩恵を受けても感謝する気になる所か、
「この生意気なやつ今に見ておれ」とますます憎悪の気持ちが増徴していった・・・。
こう考えると、我々日本人は韓国人には近づかないほうがいいということになってきますが、
一方ではご紹介して頂いたような日本統治時代を経験した韓国人の証言もある。
こういう「まともな」方が増えてくることを願うしかありませんね。
本当にありがとうございました。

お礼日時:2010/09/19 08:44

連続回答失礼します。

先の回答について、後半部分に不備がありましたので、下のように訂正します。失礼いたしました。

また、
http://www10.ocn.ne.jp/~war/siganheiseido.htm
では、貴族院議会の答弁として
「姓氏令、即ち名前を変へると云ふことがありましたが(中略)時に依ると警察の圧迫に依って斯う云ふ風にしたのである、或は学校の生徒等が動もすれば父兄がさう云ふ圧迫を受けるからさう云ふ風になったのであると云うやうな不平も聞く」
「創氏の問題、志願兵問題等に付きまして、官邊の強制と云ふやうなことに関してでございまするが、是は私共も仰せの如く同じやうなことを耳に致して居りました」
という二人の発言があったと載っています。
この二人は、「朝鮮半島での、創氏改名や志願兵について、官吏の強制があった、という話を聞いた」ということを言っています。
それが事実であったかどうかはともかく、1943年当時から創氏改名や志願兵について強制があったと、信じている人々がいた、ということは言えそうです。

私自身は
「当時の朝鮮半島で、日本人(や日本人の手先である朝鮮人)が強制連行や志願兵の強制、創氏改名をしているという噂が、朝鮮人内部や日本人内部であったことは事実ではないか」
「その噂が事実であるかどうかはともかく、当時の朝鮮の人々はその噂を信じたのではないか」
ということは言えるのではないかと思います。

噂が事実でなかったとしても、そう言った噂を朝鮮人の人々が信じたということは、結局のところ、日本政府が彼らから支持されなかった、彼らとの間に信頼関係を築けなかった……ということになるのではないでしょうか。
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この回答へのお礼

わざわざのご訂正、誠にありがとうございます。
頂きました資料についてもよく読ませて頂きます。
ありがとうございました。

お礼日時:2010/09/19 06:27

よい政治とは何なのか、と考えた時に、よい政治の一つに、『統治している人々から喜ばれ、支持されている』ということは書かせないかと思います。


支配者が『俺はとってもいい政治をしているんだぞ! 俺の政治は善政! 万歳!!』と一人悦に浸っていても、支持率がゼロ%なら、彼の政治はいい政治とは言えないと思います。

これは伝聞で申し訳ありませんが、私の知人は日本人ですが、終戦を朝鮮半島で迎えました。
日本が負けたというニュースが広がった途端、朝鮮人のみなが大喜びし、街中は朝鮮の旗をふり、朝鮮の歌を歌う人々が行進していた、と聞きました。
日本が負けたことを喜ぶくらいですから、彼が住んでいた街では、『統治されている人々の支持がなかった』ということでしょうし、彼が住んでいる街であったような現象があるのでしたら、朝鮮全体で『統治されている人々の支持がなかった』ということも言えるかもしれません。


ネット上では強制連行はしばしばデマだと言われます。あるいは「徴用」されたのはごく少数である、ともいわれます。
しかし、
http://www10.ocn.ne.jp/~war/kyousei.htm
では、「自由募集」「官斡旋」などの名目で、朝鮮から日本に行った人の中にも、実際には自由ではなく無理やり連行された人々もいる、という可能性が提示されています。
たとえば、当時の役人の文書に
「徴用は別として其の他の如何なる方式に依るも出動は全く拉致同様な状態である
其れはもし事前に於て之を知らせば皆逃亡するからである、そこで夜襲、誘出、其の他各種な方策を講じて人質的掠奪拉致の事例が多くなるのである」
と言う文章があることが示されています。
この文書が事実であるかどうかは分かりません。ただ、当時の人々の一部がこういうような認識を持っていたということは言えるかもしれません。

また、
http://www10.ocn.ne.jp/~war/siganheiseido.htm
では、貴族院議会の答弁として
「時に依ると警察の圧迫に依って斯う云ふ風にしたのである、或は学校の生徒等が動もすれば父兄がさう云ふ圧迫を受けるからさう云ふ風になったのであると云うやうな不平も聞く」
「創氏の問題、志願兵問題等に付きまして、官邊の強制と云ふやうなことに関してでございまするが、是は私共も仰せの如く同じやうなことを耳に致して居りました」
という二人の発言があったと載っています。
この二人は、「朝鮮半島での、創氏改名や志願兵について、官吏の強制があった、という話を聞いた」ということを言っています。
それが事実であったかどうかはともかく、1943年当時から創氏改名や志願兵について強制があったと、信じている人々がいた、ということは言えそうです。

私自身は
「当時の朝鮮半島で、日本人(や日本人の手先である朝鮮人)が強制連行や志願兵の強制、創氏改名をしているという噂が、朝鮮人内部や日本人内部であったことは事実ではないか」
「その噂が事実であるかどうかはともかく、当時の朝鮮の人々はその噂を信じたのではないか」

噂が事実でなかったとしても、そう言った噂を朝鮮人の人々が信じたということは、結局のところ、日本政府が彼らから支持されなかった、彼らとの間に信頼関係を築けなかった……ということになるのではないでしょうか。
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この回答へのお礼

貴重な御意見ありがとうございます。
そうですね、ateoaaaさんがおっしゃるとおり、
日本の敗戦をそんなにも喜んだ朝鮮の人々は、
恐らくこれで解放されたと思ったのでしょう。
この事実は大きく重いですね。
日本がいくら「良い事もした」と思っても、
それを喜んだ人がいなかったら、
それは朝鮮の人にとっては「余計な事」だったということになるのでしょう。
ただ・・・、日本にとっては、
ロシアの南下政策に対抗するために必要な国策であった。
しかしその国策を遂行する上で、少なからずの朝鮮に対する「上から目線」があったと思われます。
これは戦後直後にも存在した「差別」に明確に現れていると思います。
このような差別意識が、
日韓併合時にはなかったと考えるほうが無理がありますね。
こういう意識を伴いながらの統治ですから、
朝鮮の人々はさぞかしプライドを傷つけられたことでしょう。
あなたのおかげで、少し分かってきました。
ありがとうございました。

お礼日時:2010/09/19 06:23

定番コピペですが…



日本が犯した悪事

1. 朝鮮国民を飢餓・内乱から救った罪
2. 朝鮮国民をロシアの民族浄化(極東ロシアを見よ)から救った。
  (閔妃の処分を含む)
3. 朝鮮国民に教育を実施し、就学率を61%まで高めた罪
4. 耕地面積を246万町から449万町まで拡大した罪
5. 鉄道を3827km引いた罪
6. 禿山に5億9千万本の植林を行った罪
7. 反あたりの収穫量を、0.49石から1.49石まで増加させた罪
8. 平均寿命を24歳から56歳にひきあげた罪
9. 独立国家にするために支援した罪
 (伊藤博文が安重根に殺されなかったら実現していたかも)
10.ハングルを整備して広めた罪
11.人口を1313万人から2553万人に増加させた罪
12.大規模インフラ整備を行った罪
13.日本国として対等に接した罪
14.朝鮮人に希望を持たせた罪
15.2000年以上に渡って続いていた中国の従属国から独立させた罪
16.幼児キーセンと呪術的医療の禁止という罪
  (朝鮮巫術師だった本物のチャングムを失業させた罪)
17.人身の自由、私有財産の保障、法のもとの平等の導入と実践させ、
  李承晩のような山賊は逃亡せざるをえなくなった罪
18.小鹿島に収容所を立て、ハンセン病患者を社会から弾圧されないように保護した罪
19.旧ソウル師範学校(現ソウル大学)梨花女子大など1000以上の学校を建てた罪
20.ため池をたくさん作り、現在の韓国国内のため池の半分は、いまだ
   日本帝国謹製だという罪
21.ソウルの日本帝国記念館にあるような李氏朝鮮の残虐な拷問を廃止し、日本人相手に殺人を犯した金九でさえも、 一年半で刑期を終えるように罪刑法定主義を徹底した罪。
22.日本国内が東北を中心に、朝鮮からのコメ輸入を制限して欲しいと懇請しているのに、
  朝鮮総督府が現地人資本の充実を優先し、日本に輸出ドライブをかけ、その結果、
  朝鮮人は麦飯しか食えず、日本の農家は娘の身売りが頻発した罪。
23.洪中将、金ウンソン少将など、朝鮮人にたいしても分け隔てなく扱い、
  日本人兵士に対してすら『死ね』と命令できる軍の高位に抜擢した罪。 
24.犬、ブタ、馬と同様、家畜扱いだった朝鮮女性に対して名前をつけるように要求し、
  人間扱いさせ、家長の権限を制限した罪
25.地籍を整備し、耕地を耕作者の所有とみなし、朝鮮の大多数を占める農民の生活を、
  成り立たせるようにさせた罪(リャンバンはその分つらくなる)
27.朝鮮内部でもグチャグチャだった度量衡を統一し、貨幣価値の安定と物資の流通に資した罪
 (モノを受けるときは大きなマス、売るときは小さなマスを使っていたリャンバン特権が剥奪された)

36年間、悪辣で残虐な日本人が韓国社会を暗黒の時代に突き落として塗炭の苦しみを味あわせた挙句に韓国人の人口と平均寿命を二倍以上に延ばしてしまって本当にごめんなさい
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この回答へのお礼

う・・・・ん、恩知らずめ・・・。
何が苦痛ですか、何が損害ですか、
またなんてお人よしな日本人。
情けは人のためならずといいますが、
この隣人には当てはまらないのですね。
やっぱりいいことをしたことの方がはるかに多く、
一体菅首相は何に対して謝罪したんでしょうね。
ただただ訳も分からず先方の言いなりに謝罪しただけということでしょうか。
なんというアホ、なんという無知・・・。
情けない限りですね・・・。
ありがとうございました。

お礼日時:2010/09/18 15:34

朝鮮は昔から、中国の属国でした。


中国に貢物をしてやっと独立した地位を与えられていました。経済的にも行き詰まっていました。朝鮮人は、額に汗して働くのを尊いことと考えませんでした。ここが日本人と大きく違います。したがって朝鮮の当時の特権階級である両班たちはなにもせずに代々暮らしていたため手足が小さく退化しました。
なにもしない両班が国の特権階級として君臨したのですから産業は停滞し、国は崩壊寸前でした。
日本としても放っておけば、ロシアが領土的野心を強く持っていましたので朝鮮を日本の勢力下に置く必要がありました。
そういった国際環境のもと、日韓併合は行われました。
私は個人的には併合する必要はなかったと思いますが、併合してしまったのは実はコリアの尊大さにありました。コリアは昔から中国の属国の道を選び、朝鮮が中国の第一の家来、日本は第二の家来として日本を馬鹿にしておりました。
ところがその日本が明治維新後、力をつけ強国となってしまったのですから、悔しさは尋常ではありませんでした。朝鮮としては第二家来の日本に併合されることは忸怩たるものがありました。大国であるロシアならまだあきらめがついたかもしれませんが、馬鹿にしていた第二の家来に併合されて、たいそうプライドが傷つきました。

併合後、遅れていた韓国にはどんどん近代化の波が日本から押し寄せました。コリアに始めて大学が日本政府の手によって創立されました。病院、道路、製鉄所、ダム、あらゆる近代国家の基盤が日本の資金で作られました。ハングル文字は当時の韓国では漢字より劣るものとして扱われていましたが、日本がハングルを奨励し、普及させました。産業は成長し、国民生産は飛躍的に増え、人口も増加しました。日本は赤字で半島に資金をつぎこみました。

しかしながらそれらはプライドだけは高く日本を第二の家来と馬鹿にしていたコリアンからはどう写りましたか。腹立たしかったんです。第二の家来に占領されて立派になった!? プライドがずたずたになりました。あなたが経営していた会社がのっとられたら立派になった。どう思うでしょう? 悔しくありませんか? 乗っ取られたら会社がだめになった。それみろと言いたかったのでした。
日本は略奪者でなければならなかった。でも実際はそうではなく立派にしてくれた。存在しなかった大学まで建ててくれた。くそ! チョッパリ野郎奴! というところでしょうな。

日本はロシアの脅威を防ぐことに成功しましたが、良いことは何もありませんでした。朝鮮は赤字でしたし、プライド高いコリアンからは反感をもたれるし、おまけにその反感は百年経って強まっているんです。
先日のテレビで出席していたコリアンの青年はたいへんおかしなことを言いました。「そのころ虐げられていた人たちが生きているうちは日本を許せない」と。逆です。当時日本統治を受けた人は日本統治が良かったことを知っています。むしろいまのねじ曲げられた反日教育を受けて真実を知らない世代の反日が日本にとって厄介です。

韓国という国は強い者には、逆らいません。日本が軍事大国として強かったときには羊のようにおとなしかった。現に韓国はロシアや中国にはなんにも言えません。
自国の大統領が現役であるときは大きな権力をもっていますからおとなしくしておいて退陣すると攻撃して辱めます。
対日本も同じです。日本は憲法で戦争を放棄した安全パイです。いくら文句を言っても決して攻められない。韓国は日本を徹底的に悪者にして日本を憎悪させることによって国内の不満を解消させ、政権を安泰にする作戦に出ました。それはいまでも伝統的に続いています。

まー、とんでもない隣人です。そのことを若い人たちは知っていて欲しいです。日本は併合時代、よいことをいっぱいしてあげてむしろそれがために逆恨みをされているということを。
日本はコリアなんて無視してりゃ良かったんです。そうすれば恨まれることもなくコリアは怠け者の両班が国を支配し四等国のままで日本製品の競合相手になることはありませんでした。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。
大変分かりやすく、よく理解できました。
nishikasaiさんの切り口はユニークで「なるほどー」と大いに納得させていただきました。
そういうことなんですね。
ありがとうございました。

お礼日時:2010/09/18 15:26

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