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守護霊って、やっぱりいないのでしょうか。

もし、守護霊がいるのなら、どうして事故や事件に巻き込まれる罪の無い人を救ってあげないのか。例えば、オウムの事件の被害に遭った人たちを例に挙げると、どうして彼らの守護霊は、その日、彼らを霞が関に近づけないようにしてあげなかったのか。守護霊がいるとするならば、おかしい話じゃないか。という守護霊の存在を否定する考えもある一方で・・・

「どう考えても、守護霊様に守っていただいたとしか考えられない」みたいな奇跡経験をされた方もいます。私の身近にもおります。それを「単なる偶然の一致だ」と言ってしまえばそれまでですが。

結局、どっちなんでしょう。
守護霊って存在しないのか、存在するのか。

A 回答 (14件中1~10件)

夜分遅くにこんばんはです^^



私は守護霊は存在していると思います。

>どうして事故や事件に巻き込まれる罪の無い人を救ってあげないのか。

そうですね。考えてしまうのはそこですよね。
守護霊の力は物理的な力ではなく目に見えないものだと思っています。
なので、自分が守護している人に対して懸命に「嫌な予感」や「メッセージ」を送っていても、その人がどうしてもその電車に乗らなくていけない。という現実を優先してしまったために防げなかった事故だと思います。嫌な予感がしたからといってこの電車に乗らない。という選択を出来なかったのではないでしょうか。大事な会議の打ち合わせなどの予定がある方なら時間をずらすこともできなかったでしょう・・・。

困ったときの神頼み的な存在として守護霊を見てはいけないのはわかります。普段からご先祖様や神棚に手を合わせていない私など守ってもらいたいと思うのは不謹慎かと思いますが守護霊や神様は直接語りかけることが出来ないぶん、人に第六感として危険を知らせてくれていることは大有りではないかと思っています。第六感を信じて行動するか・・・理性を優先して行動するかはやはりその人が自分で選ぶこととなってしまうんだと思います。



ご先祖様があって今の私たちがあるのですから、感謝の気持ちを忘れずにいたいですね^^
子孫の幸福を見守っててくださる想いの存在も実在していると思いますよ^^
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守護霊は現実的にはいません。

しかし人の心の中にいます。
心の中にそれぞれを守るなにかがあると言えます。
守られて当然と考えていることこそ、それをないがしろにしています。
守護霊を心の中に宿すのもその人の気持ちや普段の行いなのです。
人の生き死には守護霊でもどうすることはできません。
守護霊はあなたが悩んだとき、苦しんでいるときにふっとあなたの判断を
支えてくれる、精神的に助けてくれる存在だと言えます。
墜落する飛行機に乗り合わせたのは運命としかいいようがありません。
それはあなたの努力が悪かった部分もあるし、そうでないかもしれません。
すべては因果応報なのです。たまたま乗らなかった・そしたら助かった。よかった
守護霊ありがとう・・そう思えるから守護霊は存在するのです。
人が生み出すそれが守護霊と思っていてください。
人に感謝する心、人を慈しむ心をもっている人こそ守護霊は心に育つのでしょう。
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貴方がいると思えばいるしいないと思えばいないでしょう、それが全てです。


奇跡って何ですか?今日死ぬ人が明日まで生きていれば奇跡ですか?
キリストでもお釈迦様でも今生きてますか?
UFOって捕まえて目の前に持って来た人いますか?超能力ってもしあったら
世界を自分の物に出来ると思いませんか?
もし、守護霊がいるのなら悪霊も疫病神もいるとは思はないのですか?
奇跡を望むならば、貴方が誰かの守護霊になればよいのですよ、
身を隠し命を削り、
それが出来れば奇跡と言うんですよ、広島の原爆が落ちたど真ん中にいても
お爺さんになるまで生きた人もいれば御巣鷹山に落ちた飛行機の乗員でも生きてる人は
何人もいるのですよ?
守護霊?チャンチャラおかしい?百匹でも千匹でもフライパンで炒めて塩をかけて喰ってやる!
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地下鉄サリン事件は、その一日後だったら私も被害にあっていたかもしれません。

あの時、霞が関のその場所に行かなくてはならなかったですからね。次の日にはきれいになっていましたが、いい気持ちではありませんでした。

「守護霊」については「わからない」と言うことが「正解」だと思いますね。真っ向から否定するのも大人気ないし、あるというのを公言するのは、なんか違うような気がします。それは、一種の(擬似)信仰の問題ですからね。

「守護霊」の解釈も、信じているという人は、なんとか先生とかいう人の話を丸呑して信じこまされているだけで、本当のことはわからない人も多いのではないでしょうか。そうでないという人は、ユング心理学でいえば、老賢人あたりの感覚を、そういう言葉に置き換えているのではないでしょうか。

その癖、「神」というものはこういうものだとか、「仏」というものはこうだと言えば、真っ向から否定してくるのが、今の人たちのあり方かもしれません。信仰なき人の「神の代用」です。

人はひとりで生きているわけではないし、生きている人間同士で保護し合い、支え合っていかなくては、いくら、そういう霊的なことをアテにしたところで、現実の世界で、他人といがみ合っていたり喧嘩していたら、どうしようもありません。

霊とか神とかを信じても、社会的に向かわなくては、社会は何も変わらないと思います。未だに、神風が吹くと思っているような気がします。それが、今の日本の姿で、どうしようもなく閉塞的だから、内向きになって、その象徴に「スピリチュアル」なんていうものがあるのだと思います。

オウム真理教というような殺人集団を生み出した社会的背景というものが問題があります。殺された人たちは不幸だと思いますが、守護霊とかいうものよりも、そういう流れを食い止める力が社会になかったし、今でも、警察側では監視をしても、私たち自身が、社会的正義自体を信奉するものがなければ、なんにもならないように思います。そういうことを少しも考えようとしないのです。今も危険な宗教団体があるけれども、警察が「危険」とレッテルを貼るまでは野放しになっています。

私は、今のスピリチュアリズムという問題は、またひとつの流れだと思います。あまり良い方向ではありません。人の命の重さが軽くなっているような気がします。心霊主義者たちの、亡くなった人に、その責任を押し付けるような考えは、私は許せないと思います。また、そういう風潮が悲しいですね。
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守護霊の役割という意味を理解するには、まず死後の世界の存在が大前提です。


死後の世界を信じない者が守護霊の議論に入る資格はありません。それ以前の問題だからです。
第二に、死後の世界を信じているなら、この世と死後の世界の垣根を取り払う必要があります。
生きている世界だけの価値観で、死後の世界の価値観を認めなければ何を以って守護と言うかが理解できません。

多くの人の論議は現世利益の上だけの議論です。だから、事故や犯罪から守れない=守護霊は居ないという事にしかならないのです。
また、守ってくれたと言う経験も同じく現世利益だけの価値観で言うから不平等感が生まれます。果たして命を永らえる事が利益であるのか・・・という議論が起きなければ真の守護霊の役割に踏み込む事は出来ません。

守護霊の「守護」とはなんだ? それに対する定義未だ無いのに、守護霊の有無など議論できるわけありません。また守護霊が居るかどうかも判るはずありません。
全ては仮定のうえでの議論です。
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こんにちわ。


私はそうした“スピリュアル”なことには興味はありますが、よく分からないというのが本音です。
>守護霊って、やっぱりいないのでしょうか。
“いる”とか、“いない”とした発想と少し違って、守って下さっている“霊”なり、ガイドを担う“霊”などいろんな役割をする“霊”とか、背後には必ず何人かの霊がおられて守ってくださっていると思います。(偉い方になると身内関係ではない凄い霊もついてられる方もいるとか・・・。)

>その日、彼らを霞が関に近づけないようにしてあげなかったのか。守護霊がいるとするならば、おかしい話じゃないか。

そうお考えになる事も分からなくはないです、しかし、『この世とあの世』では時限が違います。それはこの世の判断のしかた・・・。(亡くなられた方には申し訳なくご冥福をお祈り申し上げるのみですが。)あの世と、現世とは、計り知れない比べ物にならない未知の世界であり空間(宇宙)ではないかと・・・。この世の考えと、あの世とでは概念がまったく違うのではないかと思います。

だからと言って、亡くなられた方はもうそうした“世界に留まっている”という事では決して無いと思います。・・・ご供養でお仏壇の前に正座をし、“おりん”を『チ~ン』と鳴らすとどこからでも一瞬にして飛んでくる(たとえ地球の裏側にいたとしても、一瞬にしてお見えになる。)という事を聞いたことがあります・・・。
特に、身内の霊は必ず守って下さっていると信じています。『霊』の存在は多いに有りです。
そんな風に考えております。
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そんなの存在するなら何の落ち度の無い人が殺害されるか?


そんなの信じてる人が多いから「坊主丸儲け」って言葉があるだろ。
人間死んだら終わり。
灰なるだけよ。
坊主は税金も払わず儲け過ぎや。
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守護霊は、存在します。

質問者さんの疑問ももっともですが、人間の人生にはさまざまな要因が複雑に絡まっているので、一概に守護霊がいつも危険に対して守護されるとは限りません。
 また生死の問題は、「死ぬことは悪いことだ」的な人間の考えとは違い、あらゆるのもが最後は死を迎えることからも解るように、あちらの世界では違った意味を持つことなのです。とくに人は、不幸から物事の本質を学ぶのが苦手であると思います。

 この世界の出来事は、その事件からから引き起こされる周りの人の感情や、心情、それを基にしたほかの人々の反応、すべてがつながって人間の精神的成長の原因となり結果となっているのです。悲惨な事件や災害は、多くの人の心に、人に対する優しさや思いやりを取り戻すきっかけともなります。亡くなられた方々は、人の愚かさを知らしめるために身を犠牲にされた尊い方々なのです。

 基本的には、人間が短絡的に考えるような常識は、あの世では常識ですらないということです。

 偉そうなことばかり書きましたが、スピリチュアルを勉強して仕入れた知識を披露してみました(笑)。参考までに。
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こんにちは。



『守護霊』…このような言葉、単語はいつ頃出来たのでしょうね。
海外には『ガーディアン・エンジェル』と言う言葉も有りますね。

どちらにせよ『守護霊』と言う言葉の『定義』が曖昧ですと、
議論にも、存在の有無にも結論は至りませんよね。

しかし、『目に見えずともエネルギーとして存在するモノ』で
尚且つ、ご自身を護ってくれているモノと言う事でしたら、
そのエネルギーの存在は否定できませんね。

例えば、スポーツのサポーターの応援…、
これは『念』とも言えるかも知れませんが、
『アウェイとホーム』の勝率は殆どが『ホーム』の勝率が上回ってます。

となると、質問者様を応援してくれる存在、
現存されている故人を問わず、『守護霊』と解釈しても御幣はないでしょう。

故人となれば『身近にはご先祖様』と成るでしょうが、
ご自身の子孫が不幸や災難に遭う事を決して望んでは居なかったはず。

『子孫繁栄』ですね。

また、もっと身近には『自己防衛本能(潜在能力を含めて)』、
『火事場の馬鹿力』ではありませんが、
『守護されている』と解釈されてもよいのでは有りませんか?

しかし、『サポーターと意志の疎通が未熟(野次や罵声など)』であったり、
ご自身の潜在能力を否定してしまうと、これらの力は発揮されないどころか、
逆効果、『試練を与えるもの』に変化してしまいます。

しかし『試練=人を成長させる糧』と解釈すれば、
やはり『長い目で見た守護』になりますよね。

都合よく『守護霊=自分自身の想い通りの力になってくれる』と解釈しては、
『個人の精神的な成長を妨げる』結果となり、本来は『守護』であっても
受け手のほうが『誤解している』状態となるでしょう。

・・・奇跡体験ですか、
『人為的でない、人知を超えている出来事』を奇跡と呼ぶなら、
それは『たくさん存在している』と思いますよ。

また、『偶然』と言われているものは逆にありえないのではないかな?

『必然でありながら想定できていなかった事』を
偶然と呼んでいるように思います。

例えば、『今日、銀座に言ったら偶然、小学校の同級生と会ったよ…』、
何気ない日常会話でありますよね。

しかし、『その時銀座と言う場所に行った』のは
『其々双方の意志』での行為ですから、
『単なる想定外』で必然ではないでしょうか?

話がそれましたが、質問者様が『守護霊をどのように定義するか』によって、
自ずとその答えは得られるのではないかと思います。

あまり、メディアやマスコミ、オカルトには洗脳されない事ですね。

それでは。
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 居て欲しいものですが、残念ながら居ないんでしょうね。


 
 『オウムの事件の被害に遭った人たちを例に挙げると、どうして彼らの守護霊は、その日、彼らを霞が関に近づけないようにしてあげなかったのか。守護霊がいるとするならば、おかしい話じゃないか。』ってその通りなんです。

 信じている人の中には「祖先を蔑ろに・・・」なんて実際に被害者やその関係者が聞いたら憤慨するようなことを平気で言う人もいます。「そう無神経に生きてる人だけ守ってるの?」って突っ込みたくなります。

 昔アメリカの戦争映画で従軍牧師と兵士が敵の弾の飛んでくる塹壕の中に縮こまりながら兵士が牧師に「あんたの神様は今何処にいるんだ!」って怒鳴る場面がありました。これも同じでしょう。キリスト教者は「それも神の思し召し」とか言うのでしょうね。

 『くもの糸』のお釈迦様だって、『人間は極限では本能的に自分を守る』っていうことさえ理解していなかった?のですから、これが本当にお釈迦様だとすればあんまり当てには出来ません。

 要は、この“現世地獄”には神も仏も居ないってことでしょうか?
 
 まぁ、『善事は神の所為、悪事は人の所為』って、もがきあがいて頑張るしかないか・・・・・
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