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文章力低いですが一生懸命書きますのでよかったらご一読ください^^;


よくタイトルのようなことを言われます。

「そういう星の下に生まれたんだよ」って良い意味でも悪い意味でも使われますよね。
納得できないことでもコレをいわれたらなんとな~く納得してしまうような、でも不確かな言葉。
この「星の下」の力って実在するんですかね?

世の中にはいますよね。
何やらしても特に苦労もせず、タイミングを味方につけ
出会う人もすばらしい人ばかりの環境に恵まれている人って。
その人が動けば、なぜかわからないけど、よく周りが動いて特に悩むことなくトントン拍子で人生がうまくいく・・・。
困難にぶつかっても、周りの素晴らしい友人や恋人、上司に応援されて、大変ながら充実している日々を過ごしている方。

一方で、その逆の人もいますよね。なにやっても空回り。
環境に恵まれず、応援してくれる恋人友人もいない。
上司も変な人ばかりに当たって精神的にも病んでしまったり・・・
目標を立てて実現に向け行動しても、「星の下」の力が働くのか?
突然の病気、事故となど見えない壁があるかのように行動を妨げられる・・・。

他にも「ご縁」とか「運命」とか似たような言葉がありますよね。
個人的にはこういった、不確かな言葉は大嫌いです。
自分の人生は自分で作り進むしかないと思っています。
自分の人生をこんな不確かな言葉で片付けたくないです。
ただ、上記の二例のような人は確実にいて、「不確かな力」を実感せずにはいられないことも事実です。
やはり生まれたらその星の下に属される、みたいな法則でもあるんですかね笑

皆さんはどう思われているのでしょうか?
よかったらご意見聞かせてください。

A 回答 (10件)

こんにちわ。



『文章力低いですが・・・』だなんてとんでもないですよ。質問者さまの、言いたい事/伝えたい事/は、しっかりされておられますよ。

『星の下?。』/『運命?。』確かに耳にする言葉ですよね。
仰られる様に“お気の毒”としか言い様のないことが続けば「そうした星の下」とした歓迎しない“レッテル”を貼られてしまいそう・・・その逆に、なぜそんなに“ラッキー”なのかと首を傾げたくなることもあることは事実ですよね。

そうした、命運(明暗)の境目とは何によって決まってしまうのか、と考えたら不思議でなりませんよね。・・・「常日頃の行い?。」イヤ、それとは違う。・・・「では、過去世からの事象かと?。」イヤ、これだって誰が証明できるかと。しかし、目に見えるものだけが“存在”(有形無形とした。)している訳ではない事は確かだと言えますよね。

「二度あることは三度ある。」といった“レベル値”ではないかとも思えるのですが・・・何となくこれも違うように思えるし・・・。?

>>個人的にはこういった、不確かな言葉は大嫌いです。
自分の人生は自分で作り進むしかないと思っています。
自分の人生をこんな不確かな言葉で片付けたくないです。

ご尤もなご意見だと思いますね。そして、「運命」は思考性や努力などで切り開き具現化できますよね。しかし、「宿命的」なものを変える事は不可能だと言えますよね。(不動のもの。)

例えば、両親の下で産まれてきたこと(良し悪しは別として。)/日本人として産まれ、黒髪・黒い瞳だと言う事、こうした類は宿命そのものだと言えると思いますね。従って、「運命」と「宿命」は全く別物だということになりますよね。

>>やはり生まれたらその星の下に属される、みたいな法則でもあるんですかね笑

そうですよね・・・言えることは全く「否定」出来ない部分も多いのは確かだといえますよね。
そうした実例が現実として起こっている以上は認めざるを得ないのかともおもいますよね。

ただ、そういった2例を指して「星の下」とした「形容詞」とされたが故に、判り易かったり/定義付けられた/感はありますよね。

そして、質問者さまも仰っている様に『そうした星の下に生まれたんじゃないの・・・。?』なんて結論的な言い方をされると「あ~、なるほど。」みたいに“スッキリ”とはしないまでも妙に腑に落ちてしまうのは何故なのかと思ってしまう。(みんながそうだとは思わないものの。)

やはり、目には見えない、身体に感じない、強力な何かが働いている事は確かではないかと・・・その「何か」とは人の力では到底及ばない導きの「波動だったり/何らかの輪だったり/電流のような流れ/だったりするのかと“スピリチュアル”な域になってしまったけど、そんな気がしますね。

言うなれば、こうしたことも一つの『法則』といえるのではないですかね。
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両方ありますよね。



がんばればうまくいくこともあるし、うまくいかないこともある。

「星の下」っていうと、すべては決まっているかのような言い方ですが、
因果関係はあるにはあります。

たとえば、常に幸運な人は「オレはしあわせだな」っていうオーラを発するし、
笑顔でいられるし、人にもやさしくなれる。

その結果、人を引き寄せ、お金も人間関係も良くなる。

逆も言うまでもありません。

不確かな論理が嫌いなら、もっと単純に考えましょう。

あなたが常に笑顔でいることを心がければ、
相手は安心するし、あなたと会いたいと思いますよ。

心理学でよく言われる好意の返報性です。

後、笑顔でいると脳からうれしくなるドーパミン(だっけ?)が発生する。

これは脳科学です。

この繰り返しで、大きいしあわせが手に入るんだと思います。
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運命は結果論です。



なので、確かに運命や自分の一生って

ご自分で作り上げるものです。


質問者さんはそこはよく理解されていますね。


「運命」、「不確かな力」

極論で申し訳ありませんが、

すべて結果です。


それに適当な理由を後でもっともらしく

付けているだけにすぎません。


ただ、人間は便利が好きな生き物、

楽をしたい動物なので、何もせず

毎日のんべんだらりと過ごせば、

自然に堕落した人間になります。


中国の故事に

「人間万事塞翁が馬」

ということがあります。


簡単に言うと、

過去・現在に起こった幸不幸で

未来は予測できないし、その通りにも

ならない、ということです。

よかったら検索してみてください。


誰も明日のことがわからないですが、

人生はその人が頭で考えているように

なります。


脳がそのように行動するよう潜在的に命令するそうです。


だから、前向き・楽観的、時には注意、

チャンスは思い切って行動、ピンチは雨がやむのを待つ、

要は明るい未来を描いて、かつ様々な困難にも臨機応変に

前向きに対応する。


そのためには若いうちからできるだけ多くの人、

年齢・性別・職業・人種と様々な人に接し、

色々な経験を積むのが良いかと思います。


あとは神様があなたを見てくれています。
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困難ばかり起きる人は


それは偶然ではなく必然だからと
思います。
修行のようなもんかと…
何で自分ばっかりと不平不満
ばかりだと 同じような問題に
ぶち当たり、それでもあなた様のように
前向きに切り開いて行く人は
幸せをつかむのではと思います。
恵まれている人でも 悩みはあるわけで
苦労を見せていない可能性もある
なので最初から 恵まれて幸せな人は
いないのではないかと思う

運がいいか 悪いか。
味方につける人は やはり心の持ちよう
で決まるのではないか
どんな星の下に生まれても 心次第
考え方次第かな!
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今回のご質問文と全く同じことを、幼稚園児が言ったらまだ真実味があるんですよね。



質問者さんはおいくつでしょうか。
10代後半以降であれば、
「自分の人生は自分で作り進むしかない」
の結果が出てきているだけだと思いますよ。

生まれた時から良い方向に人生を切り開き続けてきた人は、何でもうまくいく人に見えて
最近から努力を始めた人は、まだ結果が出ていない、という。

ただ、思い返せば幼稚園児の時にはありました。
顔が良いだけで人気者とか。
そういう意味で、あのくらいの時期こそまさに「そういう星の元」というのが強力に関わっている気がします。
でも中学や高校になった時に、幼稚園の時超人気者だった人がイジメに遭って不登校になったり、顔の造形が成長に伴って普通もしくはそれ以下になっていったり。
あれは「そういう星の元」なのか、それとも星に奢って努力を怠った結果なのか、どちらでしょうね。

まあ、色々総合して「そういう運命」っていう考え方もあります。
運命って、「要するにそういうこと」って意味ですから。
結果論なんですよ。
そうでなければ「あなたはこういう運命だよ」って言葉が100%当たらないとおかしいので。
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因果って奴ですね


私は有ると思います

風が吹けば桶屋がもうかる みたいな現象が
この世に存在するすべての物、すべての現象に関わって
世の中を作っていくです

私がこの世に生まれたのは 
私の父と、私の母が出会ったからです
私の父母がこの世に生まれたのは
私の祖父母が出会ったからです

私の祖先の誰かが、違う人生を歩んでいたら
この世に私は生まれてきませんでした

そして私が この世界に干渉することで または
干渉しなくても世界は回ってます
私が干渉したすべての物が、何らかに影響を与える可能性が有るのなら
世界は私が回していると言っても過言ではないでしょう
たとえ私が無職のニートであったとしても です
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>困難にぶつかっても、周りの素晴らしい友人や恋人、上司に応援されて、大変ながら充実している日々を過ごしている方



外国のことわざで、「自分の子供がどんな人間か知りたければ、その友達を見るといい」というのがあるそうです。ちゃんとした人っていうのは、自ずと周囲の人たちも同じようにまともな人が多いです。ロクでもない奴の周りには、やっぱりロクでもないのが集まります。
だから周囲の人たちに応援される人ってのは、やっぱり応援されて然るべき人物である場合が多いし、見捨てられる奴には見捨てられるだけの理由があったりします。

ただ生まれた環境がツイている、ツイてないというのはありますね。例えば私たちがもし外国のスラム街のようなところに生まれてしまったら、そこから人生を逆転するのはとても難しいです。ゴミを拾って生き延びるか、男は麻薬の密売人になるか、女は娼婦になるしか人生の選択肢がないようなところに生まれてしまったら、本人の努力ではどうにもなりません。それとか、アフガニスタンのようなずーっと戦争をしているような国に生まれてしまったとかね。小学校にもまともに行けなかったら、学で身を立てることもできませんしね。
私の友人でも若くして会社の社長をやって我々から見ると贅沢な暮らしをしている人がいます。彼はそうはいっても頭は良くて、受験で慶応大学に受かるくらいではあるのですが、しかし彼がツイていたのは生まれた家がお金持ちで若くして社長ができる程のお金が家にあったというのはあると思います。私たちしもじもの者はやっかみ半分で「お金持ちの家に生まれたからだ」なんていいますけど、単なる金持ちのボンボンじゃ商売は成功させられませんからね。
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「そういう星の下に生まれたんだよ」って、私も「運」や「縁」と同じ意味だと思います。

自分を含めていろいろ世間を見ていると、こうしたコトがあるのは否定できません。だからといって、こうした力について、「やはり生まれたらその星の下に属される、みたいな法則」があるとはまったく思いません。そんなことがあったら、世の中の根本が変ってしまいます。そんな法則を考えるのはまったく時間のムダだと思います。私は「人事を尽くして天命を待つ 」のが好きですね。それが精神的にもいいですよ。
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質問文と同じ様に思っていた頃



宿命は持って生れた星の下と同じか・・な

運命は自分で創る事が出来ると聞いた

他人から見れば狂気の様な始めだったが

周囲の支援・温情に恵まれて、3無(財、金、人脈)で過ごして来れた

自力だけではなく、必然も偶然もあり、心の中に神仏はいますね
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>何やらしても特に苦労もせず、タイミングを味方につけ


>出会う人もすばらしい人ばかりの環境に恵まれている人

という人も、

>なにやっても空回り。
>環境に恵まれず、応援してくれる恋人友人もいない。
>上司も変な人ばかりに当たって精神的にも病んでしまったり・・・

ていう人も、それぞれに原因があるんですよ。
もちろん、いい原因もあり悪い原因もありますよね。
個人的には、常日頃の行いが招いた結果だと思っています。
行いが良ければ周りが付いてきますし協力もします。
行いが悪ければ、困っていたとしても誰も手を差し伸べません。放っておかれるだけです。



>ただ、上記の二例のような人は確実にいて、「不確かな力」を実感せずにはいられないことも事実です。

ということで、私から言わせれば、それは不確かな事実ではなく、日ごろの行いと自身の(質問者様ではなく世間一般の)正確や鍛練(勉強など)が招いた結果だと考えています。
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