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なぜ仏教徒がクリスマスを祝うの?

日本人は元々多神教なので、許容範囲が広いからでしょうか?

A 回答 (17件中1~10件)

日本において、クリスマスは宗教行事ではないからです。


季節を祝う、節句の1つです。

この回答への補足

ご回答ありがとうございます。

仏教徒の私は、以前、クリスマスに教会に行きました。
そしたら、ろうそくを持たされ、賛美歌を歌うハメになりました。
しかし、何だか、パイプオルガンと人々の歌声により幻想的な気分になりました。
その雰囲気が未だに忘れられません。

様々な宗教をやってみたくなりました。

psytexさんなどは、世界中の様々な宗教に触れたに違いない、と思っています。

補足日時:2010/12/27 08:07
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12月25日に東大阪市の枚岡神社を参拝しました。


この日枚岡神社では『注連縄掛神事』が行われていました。
古い注連縄を外し、新しい注連縄を取り付ける神事です。
新しい注連縄を取り付けたら、神職さん、巫女さん、氏子さん、一般の参拝者さんが
注連縄の前に並び、神殿の方を向いて「あっはっはー」と笑います。
そう、天岩戸にこもった太陽神・天照大神が、八百万の神々が笑うのを聞いて不思議に思い
天岩戸から出てきたという伝説を再現したものです。
別名『お笑い神事』ともいうそうです。

『お笑い神事』の説明書をもらいました。
それによれば、往古は冬至の日に行っていたということです。
冬至とは昼の長さが一年でもっとも短い日です。
太陽神・天照大神の勢いがもっとも衰える日であるともいえるでしょう。
太陽が勢いを増すことを願う祭が『お笑い神事』なのでしょう。

冬至の日に奈良県の一言主神社では一陽来復祭をおこなっています。
一陽来復とは陰陽極まって陽が戻ってくるという意味です。
また冬が去って春が来ること、新年がくることや、悪いことが続いたあとで、よい方へ向かうといった意味もあります。
すなわち 一陽来復祭とは冬至祭で、『お笑い神事』と同様の意味を持つものだと思います。

クリスマスはキリストの誕生日とされていますが
聖書にはキリストの誕生日は記されていないそうですね。

ミトラ教の冬至祭が12月25日に行われていて、それに便乗したもののようです。

なぜミトラ教の冬至祭が12月25日に行われていたのか。
太陽の南中高度は冬至の12月22日ごろにもっとも低くなり、3日後の25日くらいから上昇を始めていくそうです。
それでミトラ教では12月25日に冬至祭を行っていたようです。

でキリストは死んでから3日後に復活しています。
つまりキリストの誕生日が12月25日とされたのはキリストが太陽神だと考えられていたからでしょう。
もっとも、復活祭は325年のニケア公会議で『春分の日の後の最初の満月の次の日曜日』
と決められたせいで、矛盾が生じてしまいましたが。

太陽が上昇して暖かい季節がやってくることを願う気持ちというのは世界共通のようですね。
それで人々はクリスマスをすんなり受け入れるのかもしれません。
日本だけでなく、イスラム世界でもクリスマスを祝ったりしているようです。

http://www.news.janjan.jp/world/0512/0512246756/ …

上記サイトにはイスラム教ではクリスマスはムハンマドの誕生日だと書いてあります。

なぜ『ムハンマドの生誕祭』や『お笑い神事』や『一陽来復祭』ではなく、多くの人がクリスマスを祝うのでしょう。
どれも太陽の復活祭で違いはないはずです。

そう考えたとき、キリスト教の【宣伝力】が、ほかの宗教よりも勝っていたからではないか、と思ったりします。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AD%E3%83%AA% …

上記サイトによれば

キリスト教は改宗者への割礼を強制しなくなり、厳しい食物規制も緩め、それがギリシャ語圏の人間も改宗しやすくさせたものと考えられている(上記サイトより引用)。

とあります。

靴下をつるしておけばサンタさんがプレゼントを入れてくれるなんて、他のどの神事よりも楽しくて受け入れやすいと思います。

あと、近代化のお手本として日本がお手本としたのが欧米であった、ということもあると思います。
日本人は着物を着なくなって洋服を着るようになりました。
食卓にもパンやサラダや肉料理が並ぶようになりました。
それと同じで、冬至にも一陽来復祭やお笑い神事ではなく、クリスマスが選択されたのではないでしょうか。
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仏教徒もコカコーラを飲みます。

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 ultraCS様も仰っておられている様に、クリスマスは元々、太陽の勢いが減少傾向から増加傾向に転じる日である、冬至を祝う祭りであったものを、後から生まれて、権力も得たキリスト教の教会が、異教の行事を認める事が出来ないため、イエス様の誕生日を祝う日だとしてしまったものです。


 途中で祝う目的を変えてしまった行事なのですから、現代において再度目的を変えて、プレゼント交換やデートをして、浮かれて騒ぐ日としてしまっても、構わないのではないかと思います。
 又、元々はキリスト教とは無関係で、どちらかと言えば太陽信仰的な祭りだったものなのですから、天照大神を主神とする神道もある日本で祝うのは、あながち間違いとは言えないのではないでしょうか。
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木造米虫さんよう、しばらく。

私は相変わらずあんたの反応には感心しているよ。でも最近、文学で面白い人を見付けちまって、あんたにケチを付ける間が無くなっちまった。あんたの回答には相変わらず関心ているから、私のことも忘れないでね。あんたにこの辺りでラブコールして置かないと行けない気になっちまった。だって、今日は未だこちらではクリスマスだもの。正月になったらまたラブコール送るからね。
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愚拙は聖夜を祝っている仏教徒なぞ見たことが無いぞ!



日本では聖夜を利用して商人どもが売り上げを増大したいと考え、それも一つのお祭りと考えて百貨店の売り出しに出かけた人が多かっただけじゃあないかな。

ホント、仏教徒が聖夜を祝っているところなんて、この世にあるものなら、一度見てみたいですな。

蛇足ですけど、Ottamaさんは精神障害二級だから仕方ないのかもしれないけれど、「なぜ××は○○なのですか?」と質問するのではなくて、「××は○○なのですか?」と質問した方が良いよ。そうすれば回答者はYesとかNoとかで回答できるし。
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12月は忘年会シーズンで、何かにつけて酒を飲むことが多く、そのなかに違和感なく入り込め、かつ、子供にプレゼントという形で良い目を見せてやれるという、おあつらえ向きの企画だからです。



バブル期以降はカップルのイベントになりましたが、それ以前(高度成長期あたりまでだな)だと、お父さんはキャバレーや飲み屋のクリスマスパーティーに参加し、子供にはお土産として不二家の長靴形(靴下には見えないので)のお菓子セットを買って帰るというのが定番でした。つまり、クリスマスにかこつけて飲んでいたんですね。まあ、バラクーダの「日本全国酒飲み音頭」の世界ですね。

クリスマス自体、冬至(太陽が新たに誕生する日)の祭りに、キリストの生誕を結びつけて太陽信仰をキリスト教が取り込んだという経緯があります。ですからそんなに厳密な祭儀じゃないんだから、深く考えんでも(酒が飲めりゃ)いいんでない。
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私の周りは仏教とか無宗教でキリスト教徒はほとんどいませんが、クリスマスはイベントに悪乗りしケーキは買っています。


もちろんキリスト様を祝っているという意識は皆無です。

また、清水寺や平安神宮、伊勢神宮など有名な宗教の寺社等には(宗教は何か知りませんが)多くの外国人を普通に見かけます。
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祝ってなんかいませんよ。


単にケーキとケンタチキンを食い、プレゼントをあげる日なだけです。
メーカーのマーケティングに踊らされているだけですが、日本人は「とりあえず」踊るのが好きなので。

それに日本人は仏教徒ではありません。4月8日には何もしないくらいですから。
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原始の宗教は自然崇拝ではないでしょうか。

多神教と云ってもきちんとした教理のあるものを
受け入れてきたわけではないでしょう。昭和初期ぐらいは、家中神様だらけだったと思います。
井戸の神様、厠(便所)の神様台所の神様 かまどの神様というぐあいです。
キリスト教の神は人格神です。
全知全能の神と称されています。キリストはインマヌエルの主神がともにいます事を告げた
救い主でもあるのです。
クリスマスはなんの中身もなく真似だけする日本人の模倣の文化ではないでしょうか。
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