アプリ版:「スタンプのみでお礼する」機能のリリースについて

もう98歳になる祖父が戦争経験者でその昔は
パイロットと聞いて居ます。

祖父の父親の兄弟が偉い指揮官だったらしく
昔、ニュース関係の雑誌の取材を受けました。
今ではボケで聞けないのですが
昔の戦闘機は簡単に運転できたんですか?
日本から海外に行くって難しいですよね
今のようにGPSや方向が分かる計測器もないですし・・

A 回答 (6件)

 プロペラ機はまっすぐ飛ばない。

なぜならプロペラは一方向へ向けて回転しているので、片方へ曳かれるような動きになる。
 ま、「操縦」という言葉さえ知らないキミには理解できんと思うが。
    • good
    • 0

 航空機は運転するより操縦すると言う方が適切と私も思います。



 戦闘機の操縦は簡単ではありません。離着陸、飛ぶ事は当然できた上に、目的地まで自分で飛んでいく必要があります。戦闘もできなければなりません。
 空母の艦載機部隊でしたら、短い飛行甲板で離着艦できる必要がありますし、攻撃の時は目印の無い海上を飛んで敵まで行かなければなりません。帰りに空母からの誘導はありまあせんし、移動していますから、自分の力で計算して戻らなければなりません。
 戦闘機に乗る人はとても優秀な人です。

 あと、このような話もあります。南太平洋海戦で角田司令は出撃する搭乗員にこう言ったそうです。「(搭乗員の)帰還は喜ばない。戦果のみ喜ぶ」これをどう思いますか。

 大変な苦労をされたのは間違いないでしょう。
    • good
    • 0

>昔の戦闘機は簡単に運転できたんですか?


 できれば操縦と言ってあげて下さい。
 お祖父様の年齢から考えると戦前・戦中に現役パイロットをされていたわけですよね。その頃の戦闘機を含む飛行機全般に言えることですが、発動機の信頼性や機体構造等にはまだまだ問題があって、また操作も基本的に人力でした。したがって上手に飛ばすにはたいへんな技能が必要で、頭もよく運動もできるものを選抜して厳しい訓練をし、その中からさらに適性を備えた者だけが一人前の操縦士になれたわけです。訓練中の事故率も現在の比ではなく、多くの訓練生が命を失っています。簡単なんてトンでもありません。

>日本から海外に行くって難しいですよね
 基本的にはコンパスに天測と地文を加えた航法技術頼りとなります。海軍航空隊では洋上を飛ぶことが主体で、機位を失えば即墜落につながるため航法訓練にかなり力を入れていたようですが、陸軍航空隊ではそうでもなかったようで、陸軍機が東南アジアに空路で進出する時にはかなりの率で喪失機を出していたようです。これは航法の問題に加え、エンジン他の機械的な信頼性の低さもあっての話です。本当に命がけの飛行だったようですね。

 お祖父様がかつて戦闘機パイロットで海外に進出した経験もあるとすれば、今でいえば運と技能と頭脳を備えた大変なエリートだったということだと思います。
    • good
    • 0

98歳のお年でパイロットということは、坂井 三郎(さかい さぶろう、1916年(大正5年)8月26日 - 2000年(平成12年)9月22日)氏と同年輩の歴戦の勇士だったのでしょう。


坂井三郎氏は『大空のサムライ』『続大空のサムライ』等の書籍を表しておられますので、読まれたらよろしいでしょう。

坂井三郎wiki・・http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9D%82%E4%BA%95% …

坂井氏は飛行機に憧れ、海軍に志願兵として入隊、希望して砲兵から操縦練習生を受験して合格。霞ヶ浦航空隊に入隊20日間の地上訓練を経て、初飛行し訓練を重ね希望どおり艦上戦闘機操縦者として選ばれた。訓練は、教官同乗の水平飛行から始まり、敵戦闘機に見立てた飛行機に繋がれた吹き流しへの射撃訓練、空中格闘技まですべてマスターする過酷なもので、特に射撃訓練のマスターには苦労をしています。
この訓練期間は機上で8カ月に地上約1カ月の合計9ヶ月ですね。

坂井三郎氏が主として搭乗していた零戦には、洋上航法を補助する装置として無線帰投方位測定器が新たに搭載されている。これはアメリカのフェアチャイルド社が開発したものを輸入・国産化したもののようですね。

参考URL:http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%9B%B6%E5%BC%8F% …
    • good
    • 0

第一次世界大戦の時とは違い、第二次大戦では「航空母艦」「戦闘機」が有力な武器として登場してきます。

戦闘機は飛躍的な技術的向上を受け、機能も一段と充実し、性能もアップしています。世界と世界を繋ぐ「平和な道具」として、かのチャップリンは映画「独裁者」のラストシーンの魂の演説で、ラジオと航空機を挙げている程です。

零戦を初めとする日本の戦闘機だって例外では無く、高度な訓練と技術が必要でした。レーダーだって無論積んでおり、それと無線を駆使し、敵機や敵地を発見し攻撃などをしていたんです。ご祖父様が今ご病気でなければ、今でもセスナぐらいは操縦できる筈です。一度身に付いた技術はそうそう何十年経っても色あせる事はありません。ご祖父様は大変立派で軍の中でも抜きん出た頭脳と技術を持っていたからこそ、海軍に籍を置き、航空機部隊としてご活躍なされたのでしょう。

ここに興味深い動画がありますので貼り付けておきます。

    • good
    • 0

今の戦闘機よりは、簡単だったのではないですか


ただ今は、コンピューターでかなりカバーされていますが、当時は有りませんでしたので、すべて個人の技量だけですけど
当時は速度も遅いので、その分見て間に合ったともいます
航法は天測を行っていました、昼間は、時間と太陽の位置から出していて、夜は、北極星を使ったと思います≪現在でも船では使われることもあります≫
    • good
    • 0

お探しのQ&Aが見つからない時は、教えて!gooで質問しましょう!