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信玄の六男 葛山信貞について質問です。

桶狭間の合戦の時、今川方として5千余の隊を率いて星崎方面に従軍していた葛山信貞とは同一人物ですか?
永禄3年に信玄の六男が元服しているとはとても思えませんが・・・・

もしかして葛山元氏と混同して表記しているのでしょうか?

A 回答 (3件)

同性同名の別人です。

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明らかに別人ですね。

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今川氏の研究家、小和田哲男氏によると、桶狭間の戦時には


葛山信貞という武将はいなかったとの事です。
その根拠は天文末~永禄初年の今川氏関係の確かな資料には
葛山信貞は一度も出てない。  当時は葛山氏元である。

「信長記」には「かずら山」とあったのを、「甫庵信長記」が
勘違いで葛山信貞にしたのだろう。
これが元になって多くの本が誤りを書いていると、推理して
います。

「甫庵信長記」は貴重な資料ですが、誤りも多いと知られて
います。

誤りの例として「三河物語」では「大高城には鵜殿長もち(持)
いたり。」とあるが当時長もちは故人になっており、子の長照
とのこと。

甫庵は養子になった信玄の六男の名がひょっと浮かんで、
書いてしまったのでしょう。

 詳しくは小和田哲男「桶狭間の戦い」学研   御覧下さい。

葛山信貞は天正四年四月十六日の信玄の葬儀では位牌をもつ
役を務めています。
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