プロが教えるわが家の防犯対策術!

ある神経症をわずらって通院以外は自宅療養中ですが正直部屋で一人でいることがとても苦痛です。他人と接したいんですが、健常者と交流しようとしても自分のような環境にいる人だと白い目で見られるのが目に見えてるような感じがして億劫で出来ません。またしようとしてもどこに行けばわからないし、社交がそれほど得意ではないため自信がありません。ネットでの交流は何だか虚しくなってしまってます。
何か毎日が刑務所の独房にいるような感じがし、このまま社会にとり残されてく感がとても強く今のような状況が続いたら精神的におかしくなりそうです。現状打破したいが何をどうしていいかわからない。
今少しノイローゼ状態なのでわかりにくい文章だとしたら申し訳ありません。
非難はご勘弁ください。

A 回答 (5件)

健常者と言う人と神経症の人の違いは一つだけです。

それは自分を肯定出来ている人を『健常者』と言っているのに対して、自分を疑っている人を『神経症』と呼んでいます。

自分を疑う人は『自分の心に敏感だからです』或は自分には疑うだけの繊細さがあると言う意味になります。

普通健常者と言う人は、自分の心が一つの要素から成り立っていると感じます、何故なら『心にわだかまり=違和感』を感じないからですが、神経質な人は『心に違和感』を抱いています。この違和感こそが自分の心に敏感と言う意味になります。

人間の心は詳細に説明するなら、二つの要素から成り立っています。一つ目は『肯定する心』です。この心を自我意識ははっきりとは認識出来ませんが、『神経質な人は気が付いています』この事を自分の心に敏感と書きました。

二つ目の心は『否定する事から成り立っている心=自我意識です』この二つの意識の落差を『神経質な人は』気が付いた事になります。

一つ目の心は『無意識の中に封印された形で存在しています。』健常者と言う人には気が付か無いかも知れません、何故なら余りにも二つの心の間が『上手く交替、或は交流出来ているために』何も疑う余地がないためです。

神経質な性格と言う意味は、自分の心に違和感があります。それは自分の心を疑っていると言う意味が在るからです。自分の心に疑いを持った場合その疑いを晴らす事で解消します。

神経質な人、或は不安になり易い人は、深い人間性の理解を自分自身に求めている事を意味します。何故ならば自分自身を深く理解する事で、神経質な性格や不安になり易い性格を、最も深い人間性の洞察力を身につけることによって、自分自身の不安の解消を可能にする事が保障されているからです。

ではその疑いを如何して晴らすのかと云う事を書いてみます。

人間は殆どの人が自分自身や、この人生に付いて疑いを持っています。この疑うと言う現われが『何のために生きるのか?』と言う問いになっています。或は何処から来て何処に行くのか?と言っても同じです。或はこの人生そのものが何なのか?と言う問いに関しても同じです。

この疑いを晴らすのが『本来は宗教の目的』と言わざるを得ませんが、西洋においても東洋においても、今は宗教離れが進んでいると言う時代背景があります。

人間の苦しみや苦悩に付いて、鈴木大拙博士は『深い人間性や、高い人格の表れ』と云う事を書いています。悩みが深い場合高い人格が求められていると言う意味ですが、それは自分自身に付いてその『心の深みで自分自身を掴む、或は自分自身を知る事』が求められていると言う意味になります。

簡単な言葉にするなら、意識している自分の他に、『自分にはもう一つ意識が存在する事』が人間の苦悩になっていると言う意味です。答えを言うならば『その者は、自分が意識する事をを放棄した時、そのまま自分自身になっている』と言う意味です。

言葉を替えるなら『無意識の自分』からの情報が『そのまま自分の疑い』となっているという意味です。身体に付いて疑う場合『身体が狂ってしまったと言う感覚です』

行動時において『自分を疑う事が』神経症の原因となっているという意味です。

自分自身の心を『正常か如何かを疑う時』心を病んでいる事になっています。


それは自分自身の『無意識からの情報』を疑っていると言う意味になります。つまり『心の矛盾』を自分の何処に感じているのかという事が具体的な症状となっているという意味です。

森田療法の不問、或は禅における不問、或は人生における『教えて教えられないもの』を掴む事、或は何事に付いても『頭の理解では得られないもの=体得』すると云う事に通じています。

考えても結論が出ない場合、行動する中にその答えがあると言う意味になります。それは頭で考える事を放棄すると言う意味です。身体全体で考える事の中にこそ、その答えは存在すると言う意味ですが、誰もその答えは教える事が出来ないと言う意味です。その人自身が自ら答えに出会う以外答えは存在しないと言う意味ですが、答えは『疑問を抱いた時から、もう既に、自分の心の中に用意されています。』

その答えに自ずから気が付く事を求められています、何故なら『その答え自身が問いを作っているからです。』分り難くてすみません。

孤独とは人と一緒になれない事ではありません、自分自身の心が自分自身の心と仲たがいしていると言う意味です。それは自分の心が『無意識の自分の心』を無視している事を意味しています。
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この回答へのお礼

長文の回答ありがとうございます。
森田療法は自分も聞いたことがあります。回答者様の文章にもいくつか興味深い箇所があり参考になりました。ただ難解な部分もあり全体像を理解するにはもっと追究する必要があるみたいです。本屋に行っていろいろと調べてみようと思います。

お礼日時:2011/07/05 23:37

私は普通に生活はしてますが


友達付き合いはしてません
今はネット付き合いだけですよ
全然虚しくないですね
顔も声もわからない
でも心は通じてるから
私はそんなみんな大切にしてます
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。
ネットだけの付き合い、自分は試してみたんですがやはり限界がありました。ずっと長い間、人と接しないと不安に駆られる自分がいます。弱いのかも知れません。

お礼日時:2011/07/03 23:20

旅が嫌いでなければ


ちょっとした旅をしてみませんか。
暗いうちに徒歩で自宅を出て、
隣の隣町くらいまで行って、帰ってくるだけでも
早朝から営業しているお店の人と話をしたり、
似顔絵を描いてあげたり、街並みのスケッチや撮影などを楽しみながら
諸々の刺激的な素晴らしい出会いがあるでしょう。
そんな気軽な旅から始めて、自転車旅行、ドライブ旅行、
世界一周の船旅などに発展させましょう。

魚釣りを趣味にすれば、多様な出会いがありますし、
茶道と親しめば人との出会いのみならず
多様な文化、価値観との出合いがあります。

毎日、お知り合いに絵手紙を出せば、
毎日、お知り合いから返信の絵手紙を受け取れます。

Japan-guide.com のフレンドフォーラムには
日本の文化に触れたい無数の人たちが
交流を望んでいます。初めは e-mail によるコンタクトですが
展開次第では多様な交流を演出できるでしょう。
安全で、無料です。

それがダメなら、
精神保健福祉センターや生活支援センターなどで
交流相手を探してみてください。

質問者さまご自身で
触れ合いのNPOを立ち上げるのなども
検討課題にならないでしょうか。

マインドマップを書きながら思考を進めていれば
いいアイデアが浮かびます。

常に、
与え上手のスタンスであれば嫌われることはありません。
大丈夫です。とりあえず、
受け取り上手になるところから始めてみませんか。
矛盾しません。受け取り上手は、人の心を快くする
与え上手なのです。

受け取り上手 心理学
で検索してみてください。

プラスのストロークって意外と大切なんですが、
日々、笑顔で、プラスのストロークを積み重ねることは
容易にできそうですね。

プラスのストローク
で検索してみてください。

人間って笑ってないと幸せが来ないんですね。 (瀬戸内寂聴)

ストレッサーがなくなれば神経症から脱けられます。
猜疑心を捨て、自己中心主義を捨て、
あらゆる拘りを捨て、
与え上手、受取り上手になって、
バランスのとれた食事を摂り、生活のリズムを整えて
心身を健康にしてストレッサーを追い出しましょう。

1行限定の
感動感謝日記を書きませんか。イラストもOK。
3行はつづかないけど、1行はつづくかもしれませんよ。

五木寛之さんは
初め「うつ」になった際、
嬉しかったことを無理やり探し出して、1行だけ、日記に
書くことをつづけていて回復したのだそうですが再発した際には、
かなしかったことを、やはり1行だけ書くようにして回復されたそうです。

長々と五月蠅く書いてしまいました。
ごめんなさい。
なにかしら考えるヒントになれば幸いです。
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この回答へのお礼

長文回答ありがとうございます。
旅での出会いも考えましたが、自分の境遇などを聞かれた場合のことを考えたら億劫になってしまいます。生活支援センターあたりが今の自分に一番望ましいかも知れません。
いろいろと御親切にありがとうございました。

お礼日時:2011/07/03 12:14

こんにちは



病気の時に、一人で部屋にいると思考も暗くなって行きますよね。

病気のことをよく理解して下さる方々と交流することから始めたいですよね。

通院されているのですよね。主治医か病院のソーシャルワーカー(相談員さん)に、無理のない範囲で他者と交流できるところを紹介してほしいと相談してください。

病院によってはデイケアを運営しているところもあります。
デイケアでは、手作業やレクリエーションを通じて社会適応の練習ができます。

通院されている病院に無くても、何処か紹介してもらえると思います。

ソーシャルワーーカーさんなら、デイケアの担当者に繋いでくださると思いますよ。
慣れないところへ一人で行くのは不安ですよね。

それは誰でも同じですから、担当者に繋いでほしいとお願いしたらいいですよ。
それがソーシャルワーカーの仕事ですから、遠慮しないでくださいね。


歩みはゆっくりで良いですよ。
お大事に。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。デイケアというのは聞いたことがあります。参加するのに少々不安はありますが、通院先で思い切って聞いてみようと思います。

お礼日時:2011/07/02 12:40

社交がそれほど得意でないということですが、いきなり他人と交流というのは、うまく行かなかった時のリスクが質問者様の頭を過ぎり、これが次段階ヘの支障を懸念します。


焦らずということではないでしょうか。

先ず、私の意見としてですが、図書館とか行って、静かな環境で自分が興味のある本を読んだり、教養を深めてみては如何ですか、社交という意味からは少し違うかも知れませんが、他にも何人か誰かが読書に来ています。
気分転換程度にはなると思います、
的外れでしたらゴメンナサイ、ご参考にして下さい。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。図書館に行って新聞を読んだり、ネットをしたりしました。これからも時々行こうと思います。

お礼日時:2011/07/02 12:30

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