プロが教えるわが家の防犯対策術!

 日本語を勉強中の中国人です。日本語を勉強してから、日本人は自然を愛でるこころを持つとてもデリケート、繊細な民族だと感じました。でも、なぜこのような優しい心を持つ人たちはかつてあの戦争の中で人をとても残酷に殺したのでしょうか。とても想像できません。悪意はありません。ただ長い間こころの中で理解できないことをすっきりしたいと思います。

 また、質問文に不自然な表現がありましたら、それも教えていただければ幸いです。よろしくお願いいたします。

A 回答 (21件中1~10件)

過去の質問者様の質問文やお礼文を読んでみました。


少しのデータからですので、断定はできませんが、私は次のように想像しました。

1.質問者様は、美しい心を持った日本人の美しい文章ばかりで勉強している。
だから、質問文のような疑問が出るのだと思います。
もっと、いろいろな書物を読むべきだと思います。

2.質問者様は大変純粋な心を持った人です。
言い換えれば考え方が幼い。悪賢くずるいところがない。
これでは純粋に学者研究者としてやっていくとしても、大きく伸びるには支障が出ます。
本ばかり読んでいないで、いろいろな人と付き合い、痛い目に遭って苦労してください。

以上勝手な想像で御免なさい。質問者様がわが子なら、以上のように言います。
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この回答へのお礼

 皆様、どうもありがとうございました。考え方が浅いと思います。勉強させていただきます。

お礼日時:2012/07/07 19:32

こんばんは。


日本人の自然を愛でる心というのは、ある種の諦観に基づいていると私は思います。もともと、自然は厳しいものです。厳しいのは天災だけではありません。その営み自体が厳しいのです。その厳しい自然を相手に、美しさや儚さを感じ、思いを馳せ、様々な感情を委ねるので、日本人の自然観は意味深いのであると私は思います。

戦争とは一体なんであるでしょうか。争いとは一体何であるでしょうか。それは、日本人に問い詰めるよりも、万人に問うてよい普遍的なことであると思います。

日本人はやさしい、それがある種の諦観に基づいた日本人のもつ性質であると仮定するならば、戦争当時、自然に屠られるのではなく、同じ人間同士で屠り屠られることに、諦観を抱くことができなかった、随う事ができなかった日本人は、刃向かい、憤り、次第に道理を逸して、やさしい、繊細な心を忘れていったのかも知れません。紛糾に巻き込まれていったという表現が適切でしょうか。

ここまで記述をして、私は、人間が殺しあうということは、不自然なことなのかもしれないと思いました。
道理が一体どこから湧出してきているのかは私には理解できませんが、不合理で理不尽な自然に対しての人間原理として湧出していると仮定するならば、争いは自然であるが、人間にとってはその生き方に反する不自然なことであるといえるのかもしれません。
命の儚さを知るような人間の弱さが、かえって怒らない心を身に付ける機縁となって、争い自体を制するものと言えるでしょうか。

今回の回答に自信はあまりありませんが、以上のように考えました。
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中学生の時、半世紀ばかり昔のことですが。


中国では、日本のマスコミが、子供達に、「何を学んでいますか」と尋ねると。異口同音に
「唯物弁証法を勉強しています。」と答えていました。マスコミは、批判的、嘲笑的に報じて
いたわけですが。
私は竹馬の友に
「おい、中国では、考え方、を教えているぞ。日本は知識を教えているだけだ。
俺達が大人になる頃には、日本人と中国人の知能の差は、大人と子供の差
になるんじゃないのかな」と話したことがあります。
それから50年、どうなんでしょうね。日本人の知恵、精神性、が劣化している。
のは、多分間違いないように思います。
しかし最近の中国人は、アメリカ人以上に、ユダヤ思想、ユダヤ商売、に取り付かれている
ようにも見えます。マルクスはユダヤ人であっても、その考え方は、反ユダヤ思想、であり
、弁証方とは、すべては、変化、転化、してゆくもの。という、元々の東洋思想でも
あり、一般の知恵を超えた、老子の「明」を求めている。という一面はありますよね。
あなたの、質問文を見ると。あのマルクスの父親の手紙。
愛するカールよ、私は悲しい、おまえは大学で一体何を学んだのだ。
お前の言っている事は、言葉、知識を、自分に都合のいいように、並び変えている
だけではないか。何処にそなた自身の、考え方、(知恵)と言えるようなものがあると言うのだ。
という言葉を想起します。何処に、弁証法思考があるのでしょう。日本語、のせいでしょうか。

日本人は自然を愛でる心を持つとてもデリケートな繊細な民族と感じました。
でも何故、このような優しい民族がかってあの戦争の中で人をとても残酷に殺したのでしょうか。
とても想像出来ません。
あなたは、想像出来ない事を想像している。だけではないのですか。
どちらにも嘘があり、固定的に捉えるのは、「知恵を台無しにした」とマルクスが批判する
形而上学的思考であり。どちらもあり得る、決めてはならない。というのが。
唯物弁証法の、対立物の相互浸透、という考え方ではないのですか。
事実、実在としての歴史は、既にない、あるのは、後から作られた歴史認識。
「ミノルベの梟は夜の帳が降りてから飛び始める」(ヘーゲル)であり。
ヘーゲルを意識しての言葉?
「総ての雄牛が黒く見える夕暮れ時」(マルクス)に自分が居る。ということなのです。
若い頃の私の表現では、人の心を知りたくば、動物の行動を見ればよい。
生まれ成長し、恋愛(好い寄り)をし、を結婚をし、我が子を愛で育てる。という過程
行動は、あらゆると言える動物の心であり、人間の行動も、その駆り立てる、心、に
動かされるのが基本なのです。いろんな性格の人間がいる。のではなく、自分の中に
いろんな性格が存在する。どれを自分として、演技するか、ポリシーとするか。
なのです。それを超え、人間、大人、になろう、とするのが、他の動物にはない、知恵
であり、心を度外視した考え方、哲学。なのです。
私は、終戦後の中国、旧満州で生まれました。
私が母親の腹の中にいる頃、ソ連軍の恐怖、が去った後の、新京(張春ですか)では、連日、八路軍(パウロ)と蒋介石
率いる国民党軍が、昨日は、国民党軍が占拠していたと思ったら、今日は、パウロが占拠している
というような、市街戦を繰り広げられていたそうです。
その後の張春はどうなったか。週刊誌の記事でしたが。
人民のものは、麦一粒、針一本奪わない、歴史上最も高潔な軍隊
とも評された。共産党軍が張春を包囲封鎖し、一般人の脱出も許さず
、兵糧攻め、にし、10万人とかの人々を、餓死させた。張春の悲劇、
とかの記事を見たことがあります。もちろん事実は知りません。
しかし、中国の内戦は、日本が敗れた。後から起きた事ではなく、
づつと前から、繰り広げられていた。中国人同士が殺し合っていたのです。
日本が、侵攻したから。国供合作、日本と戦うための休戦、がなされただけなのです。
中国が、日本を悪者、殺戮者として、被害者の数を膨大に増やそうとするのは。
内戦による、被害死傷者の数を減らす、目を逸らさせるという、権力、体制の意図があるのではないでしょうか。日本から、賠償金を寄り多く取ろうという意図の方が大きい
でしょうけど。
戦後の大人の発言として。「恨みは恨みによって止むものではない、
恨みを捨てる事によって恨みは止む」という釈迦の言葉を残して
東京裁判を退席した、スリランカの判事が知られますが。
言葉だけなら、もっと大人、さすがは大陸人、と思わせるのが。
「業に報いるに徳をもってする。日本に損害賠償は求めない」
と言った。紹介石の言葉でしょう。
言葉だけなら、というのは。思惑が見え見え。満州には、精鋭部隊は
対米戦に転戦していたとはいえ。60万関東軍
がいたのです。
その日本軍を、国民党軍に編入させ、共産軍と戦わせれば
、国民党軍が勝利する。日本に戦争責任を問わない、ぐらいは、安い餌、
のはず、なのです。しかし、共産軍がソ連に頼んだ?かどうか。
60万とかの、日本軍は、シベリヤに抑留されたのです。
国土が荒廃している、スターリングラードは瓦礫の町になっている。ソ連に
60万もの人間を捕虜にし、乏しいとも、食料を与え、シベリア開発を急ぐ
必要があったのでしょうか。
「賢者は歴史に学び、愚者は体験に学ぶ」は中国の諺でしょうが。
誰の言葉だったか。
歴史は、既にない。自分と関係ない出来事、として見るから。客観的に考える
、知恵、に繋がる。
それを、今の感情に結びつけると。心の体験と変わらないものになる。
のではないでしょうか。
 
私高校の時、教師から、大陸、とあだ名され。結構気にいっていました。



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戦争とは相手国の人を殺すことです。


もちろん、第二次大戦前までは、非戦闘員の殺傷は国際法違反でした。
それゆえ日本軍も、真珠湾でも南方戦線でも、軍事目標への攻撃に
限定していました。
南京「大」虐殺も、場内にいた第三国人の日記や報告では、殺戮の
記述はごくわずかで、中国政府の宣伝する、南京城市人口に匹敵する
無差別殺人など、政治宣伝のための妄言に過ぎません。

当時の日本側の記録によると、確かに数千~1万人弱の「平服を着た
人間の殺害」はあったようですが、そもそも、その原因を作ったのは、
「南京城」を包囲して、入場した日本軍が目にしたのは、無数の脱ぎ
捨てられた軍服だった、という事実です。
まさか、中国軍兵士が素っ裸で逃走したというのでしょうか?
要するに、彼らは平服に着替えて、市民に紛れ込んだのです。
これは国際法違反であり(正しくは白旗を掲げて降伏すべき)、その結果
日本軍は、市民を取り調べ、残党と判断された場合は処刑したのです
(降伏しなかったのだから合法)。
もちろん、そうした中に無実の市民が混ざっていた可能性も高いが、これ
から統治しようとする城内に、ゲリラ化した敵兵を残す訳にもいかなかった
のも事実であり、主な責任は卑怯にも軍服を脱ぎ捨てて市民に紛れた
中国軍にこそあります(最低の軍隊だと思いませんか?)。

まして、既に多くの市民が逃げて人口20万人を割っていた南京城市で、
30万人もの無差別殺戮があった(それも戦後、時間が経つほどに数が
増えるというインチキぶり)などと、どうすれば主張できるのか?
別の戦闘地での累々たる死体の写真を「虐殺シーン」だと主張したり、
“有料で”戦死体の処理をしていた奉仕団体の遺体処理報告を根拠に
したり(さぞ儲けたことでしょう)、肝心の南京市民の証言では、先述の
ような“ゲリラ化兵士の探索と処刑”にあたる局所的な処刑の記録しか
ないのが、何よりもこの事件の本質を表しています。

確かに、第二次大戦の遂行の中で、各国とも近代戦争の本質は消耗戦
=生産施設の破壊である事を理解してきて、無差別爆撃、絨毯爆撃を
行なうようになりました。
重慶爆撃も、最初は軍事目標を設定していましたが、天候が悪さや
対空砲火の回避もあり、後半は無差別爆撃に変わりました。
ただし、主に非軍事目標をターゲットにしたアメリカやドイツとは異なります
(ていうか、規模がはるかに小さいし)。

その後の、国民党と共産党との惨劇や、共産党による「文化大革命」に
おける粛清の様子を見て、本当に中国人は残酷だと思いました。
もちろん、中国政府の宣伝を信じるあなたは、日本人を残酷だと思われる
のも仕方ない事ですが、(中国と北朝鮮をのぞく)世界の国々は、そういう
あなたの国に対して低い評価をし、日本に対しては世界トップクラスの
評価をしているのだから、別に問題はありません。
(周りから危険人物と思われている人に批判されても、何のマイナス効果
もないし、往々にして性格の悪い人物ほど、他人を批判するものですから)
「中国に良く思われたい」と思うような、まともな国になるよう、頑張って下さい。
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日本人が選択したのは戦争であって、個々の殺人ではないと思います。


戦争は敵戦力の無効化が目的であって、殺害は付随的なものですが、実際には殺害を避ける手段はありません。敵兵は「危険性の排除」ということで殺害されます。かの東京裁判も、連合国にとっての「危険性の排除」であって、それ以上でもそれ以下でもないそうです。
戦争は辛いですね。

戦場での個々の残酷な行為に関して、
日本は元々の国力が低かったのと、近代的な戦争が不得意なのもあって、戦場統制が破綻していたんでしょう(欧米諸国は戦争が得意でしょう?)。私もあなたも、そんな状況(混乱した戦場)だったら、生き延びたい一心で残酷なことをしてしまうかもしれませんね。

私には
「日本人は、なぜ戦争で残酷なことをしたのか?」
という質問より、
「日本人は、なぜ戦争を選択したのか?」
という質問の方が正しく思えます。
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 日本語についてです。



 ★ ただ長い間こころの中で理解できないことをすっきりしたいと思います。

 ☆ たとえば次のように 相手との間(ま)を測るような表現のかたちを採ると さらに自然だと思います。

  ○ ただ〔* この問題は〕長い間こころの中で理解できない〔* で来ました。その〕ことを〔* この場で是非みなさんにお尋ねして〕すっきりしたいと思〔* ったのでした〕。

 ☆ あるいは 《・・・すっきりしたいと思うのですが いかがでしょう? おしえていただけませんか?》といったように語りかけるかたちを採ると 日本語のふつうに自然な文章になると思います。

 英文などは このように必ずしも相手との間合いを取るかたちでは表現しないように思われます。中文では どうでしょうか? ということは 言語によってのクセのようなものでしょうから どちらが優れているかとか正しいとかの判断とは別だというお話です。
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長い民族の歴史を振り返れば、この国に限らず、飢餓と殺戮の歴史です。



この前の太平洋戦争(と日本では言います)では、西洋の列強国家からの自国防衛が目的でした。
シナ(と日本人は蔑称していました)のように中央集権が脆弱な地域は奴隷国にされてしまう、
それならば我が国が領土として治めて東洋の軍閥を確かな物にし、西洋の侵略を防ごう、という考え方です。

ただしそこには、自国を愛するあまりの選民思想があり、
「日本のような素晴らしい国」の妄信の元で「天皇万歳!」がスローガンでした。

こういうところは現在のキリスト教やユダヤ教の原理主義と同じです。
彼らが今なにをしているかを観察すれば、「愛国心=選民思想」という本質が見えます。
民族意識を利用すれば軍部とつるんだ統治者は便利です。
根拠のない自尊心にすぎなくても、日本凄い!を国民に刷り込みながら治世していくものです。
(現代中国でも、中国偉い!をやってますよね)

ひとくくりにして「中国」と言ってしまうのは治政軍閥を喜ばせるだけですが、
無数の民族を繋いで国家を運営していくには武力による中央集権が必要です。
一つの中国でなければ侵略されて鬼国に残酷に殺されるぞ、という例えとして、
記憶に新しい太平洋戦争での日本の侵略を鬼演出しているのです。

実際に大量虐殺もあったでしょうし、無慈悲に殺された民も無数に居たはずです。
それでもロシアや英仏の兵隊の下品さに比べれば、日本人兵の多くは道徳的だったとも聞きます。

戦争ですから誰だって残酷に殺します。
それが戦争であり、戦争しない国はありません。
なるべくなら戦争したくないのは中国人も日本人も同じです。
民が苦しんで治政者が潤うのが戦争ですから。


中国の歴史を振り返れば、中央を治める民族は「力ずくで入れ替わる」という実力主義です。
乱れて飢餓に苦しむ地方民族が、腐敗した治世民族を殺戮して入れ替わってきました。
日本でも同じことが繰り返されてきたのですが、時の蛮勇に取り入る能力に長けた皇族は生き延びてきました。
規模も小さい領土ですから統一感もあり、単一民族国家(と妄信しながら)ならではの倫理観を創り上げてきたのです。

そういう仲間意識の強い日本民族なので、神社仏閣・天皇制・言語を統治地域に強要しました。
文化を破壊して日本風にしても所詮は似非日本人に過ぎないのですが、仲間意識を強めないと不安だったのでしょう。

中国の人たちは政権をあまり信じないですよね?
日本人の多くは未だに政府妄信者です。
個人より組織を優先して、仲間意識のある会社で個人を守ってもらおうとします。
チームワークこそ日本人である、という美学でしょうか。

中国を良くしていくために、日本人の自尊心は利用できますよ。
尊重されれば協力したくなるのが道理ですし、いずれは日本もベトナムも中国の一地方になるはずです。
チベットのように力で抑えようとすれば組み込めませんし、豊かで平和な国家への方法論は課題です。

あなたのような真面目で真摯な人が中国に増えていくことを望みます。
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>何故なら、貴方の経験した日本人と同じような方がアメリカにもヨーロッパにも幾らでも居るからです。



それはそうかもしれませんね。欧米もいろいろです。確かに僕が交際している欧米人が、ハイソサエティに所属しているだけかもしれません。しかし僕の言いたかったのは、日本ではハイソサエティの人さえも差別を助長するということです。大学院生の交際するような日本人でさえ、差別的なのですから。先生の話と照らしても、僕は日本が特殊なんだなと思います。欧米なら、知的階級の人が平然と差別を口にすることはないということなのでしょう?

話が脇道にそれていくところで、いっそプライベートなことを書きますと、お恥ずかしい話ですが、かくいう僕の両親も、残念ながら、中国人と韓国人が大嫌いなんです。スラムに住んでいるのでもない、ブルジョワとは言わないが、社会的にちゃんとした人です。さっきの中華料理の喩え話の焼き増しですが、徹底的に中国や韓国を嫌いなら、それは一貫していて、よくわかります。でも餃子やプルコギを食べ、映画『レッドクリフ』だとかドラマ『冬のソナタ』だとか、それらの国の文化を愛好しているのにもかかわらず、その国の人間が嫌いとは恐ろしい矛盾です。この矛盾をやって平気なのだから、僕は、日本人は不思議なもんだなぁと思ったものです。

さて、もう一つは話がここに付け加わります。あろうことか、僕のフィアンセは中国人だったのですよ。両親に紹介したら、何が起きたかは、追って知るべしです。相手は才色兼備、日本語も完璧で非の打ちどころのない方でした。彼女は自分が拒否されるなどとは夢にも思わなかっただろうし、とても無邪気だったものです。ただ何となく差別があるかもしれないとは分かっていたんでしょうね。「あなたのお母さんへの私の印象、どうだったかしら?」と聞かれるたびに辛いものでした。僕も彼女と結婚する場合は、両親と縁を切ろうと思ったものです。

結局、もうかなり昔に、その彼女との関係は終わってしまいました。それに僕の彼女も、無邪気すぎたなとは思います。差別があっても乗り越えて人生を歩めるような決意をもっていたわけではなかったのですから。それに僕といれば、社会的な立場が安定すると思っていたところもあったのだから、まさかさらに差別されることになるとは思いたくなかったでしょう。前の回答に出てきた、売春を求めていた語学学習者の客というのは、僕の彼女の教えていた日本人男性ですよ。残念ながら、よくある話らしいですね。――僕が日本人を大嫌いな理由は、これでおわかりでしょう(日本文化は好きですが)。冷静に注意するというのは、大変な忍耐を必要としたものです。僕はご存じのように、基本的には激情型の人間ですから。普通なら殴っているようなことを、理路整然と話すのは大変なことです。

以上、僕が書いたことは主観的な事実に過ぎないという指摘の仕方もあるでしょうが、一応、知的階級に所属している僕の交友関係でさえこれなのです。日本のハイソサエティがいかに恥ずかしいかという事例の一つにはなるでしょう。ちょっとプライベートなことを書き過ぎたので、読んでいて不愉快だという人もいるかもしれませんが、それはお許し願いましょう。

しかし先生がこうもアメリカの差別に対して深い理解をなさっているということを知って、僕は満足しましたよ。僕もそうありたいものです。
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 こんにちは。



 ★ 戦争の中 
 ☆ は ほかの世界あるいは生活の場面とは別だと考えます。別だと見なければいけないと考えます。
 
 ★ 戦争の中で人を 殺した
 ☆ ことに
 ★ 残酷に
 ☆ もあるいは やさしく《自然を愛でるように繊細に》もないと捉えるべきだと考えます。
 日本人であろうとほかの国の人びとであろうと その区別については 同じであろうと見ます。


 もし
 ★ 日本人は自然を愛でるこころを持つとてもデリケート、繊細な民族だと感じました。・・・このような優しい心を持つ人たち
 ☆ について なぜという疑問を持つとすれば それは どうして戦争という手段を採るに到ったかではないでしょうか? 採るに到ったなら あとは 残酷です。決まっています。

 この場合の疑問にかかわってでしたら 次のような質問を挙げたことがあります。
 【Q:あたらしい世界と日本】
  http://soudan1.biglobe.ne.jp/qa6327949.html
 ご参考に。
 〔欧米の人間からは 自分たちと同じ人類の一員だとは見なされていなかったということ。それに惑わされたのかどうか われわれ日本人は けっきょく田舎者であったようです。がむしゃらに・下手にたたかう破目に陥りました。うんぬん〕。
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日本人は自然を愛でるこころを持つとてもデリケート、繊細な民族ではありません。


そういうことを宣伝したい政府とテレビ局だけです。
太古の昔から現代にいたるまで、中・下層貧民にそんな余裕はありません。
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