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不当な目的でも手段が正当であれば許される(正当化される)でしょうか。

例えば、誰かをいじめる、という不当な目的があったとして、クラス全員と教師の同意を取り付けていじめた場合、このいじめは許されるのでしょうか。。。許されるような気がします。
何か間違えているでしょうか。

手段が正当であっても目的が不当であれば許されない、という事例はないでしょうか。

A 回答 (8件)

手段と目的の間には、互いの善悪を決定する関係はないと思います。



手段が正当でも、目的が悪なら、あくまでも目的は悪です。ただ、それによって手段までが悪になるわけではありません。
逆に、目的が善であっても、それによって手段が正当化されるわけでもありません。


ご質問の例ですが、「いじめ」は許されないと思います。
少し細かく分けて考えてみましたら、下のような流れになりました。

1.Aさんが、なんらかの理由でBさんを攻撃する必要を感じる。
  (たとえば、BさんがAさんの嫌なことを言う、Aさんに暴力をふるうなど)

2.AさんはBさんへの攻撃手段として「いじめ」を選択する。

3.AさんはBさんへのいじめを周囲に認めてもらうべく、同意を求める。

4.周囲の人はAさんのBさんへのいじめを承認する。

5.AさんがBさんをいじめる。

この場合、2の「いじめ」を選択する発想と、4の周囲の人が承認することが誤っています。

2の発想についてですが、「いじめ」という漠然とした単語を使うと認識の違いが起こっている可能性はありますね。
私は、何か理由があって、AさんがBさんを無視するとかいうのならば、互いの人間関係だけのことで「いじめ」とは呼べないと思います。ただ、その場合でも、まず自分の要望を伝えるべきだと思いますね。
悪口を言ったり、暴力をふるったり、となれば、ダメです。理由は簡単で、極端に言えば、犯罪だからです。悪口を言う=名誉棄損や侮辱罪、暴力をふるう=傷害または暴行、です。
また、この方法では、1で発生しているAさんがBさんを攻撃したい原因が解決されません。したがって、問題解決方法の選択としても不適切です。

4の承認についてですが、2で悪口や暴力は犯罪だと述べました。つまり、犯罪を見過ごしたか加担したわけですので、共犯になることもありえますね。
モラルの点から見ても間違いです。特に教師は、根本の問題を解決するように導くべきです。


何をもって「正当」と呼ぶのか、「許されない」とは誰に許されないのか、そのあたりの定義によっては、違う結論になるかもしれません。
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この回答へのお礼

詳細な検証ありがとうございます

お礼日時:2011/07/04 22:37

死刑の執行が典型です。



人の命を奪うという目的が、正当な手段によって執行されているので、賛否両論が有るわけです。

21世紀にになって、中国、アメリカ、日本を除く多くの国では、手段が正当であっても人の命を奪ってはいけないという方向になってきました。
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この回答へのお礼

ありがとうございます

お礼日時:2011/09/30 21:27

目的も行為も正当化できて初めて、正当ではないですか?


結構質問者さんの例でもいじめられたひとは被害をうけてますから。
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この回答へのお礼

ありがとうございます

お礼日時:2011/09/30 21:26

されないでしょう。



いじめる、ということであれば、教育ですので親の許可も必要です。
学校全職員、クラスメ全員とその家族がOKというならいいでしょう。

ただ、本人がOKを出した時点でいじめでは無くなります。
本人がOK出してないなら正当じゃないです。
いじめではなく組織的暴行ってレベルに行きますね。

ストーカーも同じです。
もろもろの目的を正当にできるようにしたら、それはほとんど交際です。

手段が正当で目的が正当化される事例を出してください。
それがあればいいですけど、多分無いと思います。
もっとも「正当な手段」と言うものの定義にもよるかもしれません。
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この回答へのお礼

ありがとうございます

お礼日時:2011/09/30 21:26

 クラス全員と教師の同意をいじめの手段に使って、それは正当化にはならないでしょう。


 ただクラス全員と教師の同意を取り付けた大義名分の他にいじめという真意があったとしても、それはその個人の問題でしょう。
 或いはいじめという動機を本人も意識できていないとしても、それはその個人の問題ですね。
 社会としては、それらが表に出なくて、許される範囲の行動なら問題はないでしょう。
 目的がいじめで、クラス全員と教師の同意の元に一定の範囲の行為をする個人は、自己の問題として持ち続けるのでしょう。
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この回答へのお礼

ありがとうございます

お礼日時:2011/09/30 21:26

クラス全員と教師の同意を取り付けた


場合、それでなぜ、手段が正当と言えるのでしょう。
本人が了解していないのに。
多数決だから手段は正当だ、とでもいうつもりですか?

何故、人権という概念が創られたのか、考えて下さい。
民主制というのは、多数決で物事が決められます。
しかし、それでは個人や少数者の利益が害されることがある。
それで、例え多数決でも、いや全員が一致しても
本人が是認してさえ、許されない場合がある。
それが基本的人権、という考え方です。

この基本的人権を具体的に守るため、種々の制度が
設けられています。
司法制度がそれです。
議会や政府は多数派から構成される。それでは個人や
少数の利益が護られない。それで司法制度が設けられて
いるのです。
多数決だから何でも許される、なんてことは有りませんよ。

正当かどうかは、一般には(1)目的の正当性と(2)手段など
態様の正当性、この二つを総合的に考慮して決定されます。

例え目的が正当でも、手段が不当ならそれは不当です。
警察が令状も無しに逮捕するのがその例です。

目的が不当で、手段が正当な場合も当然に正当化されません。
犯罪の一つですが、訴訟詐欺というのがあります。
これは裁判制度を利用して財物を奪う、という
ものですが、立派な犯罪とされています。
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この回答へのお礼

私は多数決で正当か不当かを決められると思うのですが、また別の機会にしたいと思います。
訴訟詐欺の例、参考になりました。

お礼日時:2011/07/04 22:51

果てしなく続く因果の連鎖の中で、「原因と結果」は実質的に


分ける事は不可能であり、同様に「目的と手段」も、その人の
意識の中の仮想に過ぎません。
人は往々にして、「お金(結果)をもらうために働く(手段)」と
考えがちですが、それは現代社会が物質主義に毒されている
からであって、精神的充足感が生きる目的であれば、働く喜び
(心)が目的で、お金(肉体)は、その手段に過ぎなくなります。
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この回答へのお礼

深い回答ありがとうございます

お礼日時:2011/07/10 19:41

現民主党、管内閣 かな~ 



例えが大き過ぎ?
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この回答へのお礼

ありがとうございます!

お礼日時:2011/07/04 22:37

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