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中国で出版されているとある日本語概説書に「同じ釜の飯を食った仲」はメトニミーとありました。

ただ、同じ本の中で「石橋を叩いて渡る」はシネクドキーとあります。

「石橋を叩いて渡る」が「慎重に事を行うこと」という概念の下位概念とするならば、「同じ釜の飯を食った仲」も「一緒に生活する」という概念の下位概念として言えるのではないかと思ったのですが…

これは、「石橋を叩いて渡る」が意味世界におけるもので、「同じ釜の飯を食った仲」が現実世界におけるものということで解釈できるのでしょうか。

「同じ釜の飯を食った仲」がメトニミーだということを分かりやすくご説明していただければと思います。

よろしくお願い致します。

A 回答 (2件)

下記「換喩」メトニミーの説明に


    「上位概念を下位概念で(またはその逆に)言い換えるのを提喩(シネクドキ)といい、これも換喩に含めることもある。」という文があります。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%8F%9B%E5%96%A9

    と言うことはまずメトニミーとシネクドキーがそうお互いに相容れないはっきりと分かれた範疇ではなくて、何だか境界があるようなないような、いい加減なものという印象を受けます。

    質問者さんが
   「同じ釜の飯を食った仲」対「一緒に生活する」=「石橋を叩いて渡る」対「慎重に事を行うこと」
=下位概念 対 上位概念
    とお考えになるのは至極当然だと思います。
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この回答へのお礼

ありがとうございました!
私自身もいろいろと調べてみたのですが、メトニミーとシネクドキーは違うと言っているものや、そうではないと言っているものもあり、学者によって違うようですね。

お手を煩わせまして…
ありがとうございました。

お礼日時:2011/11/03 12:33

ウィキの説明によると、


メトニミーは「概念の関連・近接性に基づき意味を拡張した比喩」
シネクドキは「あるカテゴリと、それに含まれる個別要素」「全体と、その一部分」
のようになっています。
「一部」である以上「全体との関連・近接性」が全くないということはないわけで、その意味で必ずしも明確に線引きできない場合も出てくるのだと思います。
シネクドキはメトミニーというカテゴリーに含まれることになり、結局、視点の問題になるのだと思います。

ただ、「石橋を叩いて渡る」という概念の関連・近接性に基づいて拡張すると「慎重に事を行うこと」という意味になる(メトニミー)というよりは、上位・下位概念(シネクドキ)という要素が濃いと捉えるのが自然でしょう。
ウイキのメトニミーの例に挙げられている
「漱石を読む」=漱石の作品を読む
と比較するとその違いがよくわかります。
「漱石」という概念を拡張することによって「漱石の作品」の意味が成立しているわけですが、上位・下位概念という関係性までは成立していないでしょう。

では、次の両解釈を比較した場合はどうか。
・「同じ釜の飯を食った仲」は、その概念の関連・近接性に基づいて拡張することで「一緒に生活する」の比喩となっている。
・「同じ釜の飯を食った仲」は、「一緒に生活する」という意味の上位概念を下位概念で言い換えた比喩である。

後者の場合、同じ釜の飯を食うのは一緒に生活することの一部である、というニュアンスになってしまいますが、それは文の意図とは乖離してしまうように思われます。
「概念の関連・近接性」に重点的に着目すべきであり、上位下位という関係性が成立しているとまでは言えない。
というのが、これがメトニミーである根拠となるような気がします。
  
 
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この回答へのお礼

お返事が遅くなってしまい、すみません。
ありがとうございました!

この教科書に載っている例がむしろ逆だった感じですね。
(教科書には「石橋を叩いて渡る」がメトニミー、「同じ釜の飯を食った仲」がシネクドキーだったので)

シネクドキーはよくわかるのですが、メトニミーの【近接性】【隣接性】というのが、
いまいち、私にとって捉えにくいものになっているようです。

これは今後の課題ですね。
ひとまず、質問の例の部分は納得できました。

ありがとうございました。

お礼日時:2011/11/06 11:25

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