日本的な非対称の美の構成において
気勢感のバランスをとるという手法は、絵画的であり、古典的なものと思われますが
左方は下降的な気勢感、右方は上昇的な気勢感が、一般的であるように思われます。
それは静と動のバランスといったもののようにも感じられます。
勝手、逆勝手といわれる構成もそうしたところから生じたようにも思えます。
気勢感を生じる非対称の美と、それを生んだ日本的な感性との関係をお聞かせください。
線と量感の美学といったものでも結構です。
よろしくお願いいたします。
参考例 尾形光琳 紅白梅図
龍源院 枯山水石組の立石
A 回答 (15件中11~15件)
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No.5
- 回答日時:
難しいテーマですが、参加することにい意義があるということで、何らかの新しい見方ができるかどうか自信がありませんが…。
非対称ということが日本的な美ということでもないと思いますが、確かに日本の伝統では墳墓、建築物などを除いて厳密なシンメトリーといったものは(能面などにはありますが)見当たらないようです。
本来美人の顔などをはじめとして、しっかりした対称形は美の基本だと思いますが、それは自然からは離れた人工の美ということになるのでしょう。気勢感という言葉をどうとらえるべきかよくわからないところがありますが、本来非対称というのは静ではなく動きを感じさせます。静かに安定しているというのではなく、落ち着かない、不安定なものです。その動感を気勢感というのではなかったかと思いますが、やはり日本の移りカかわりの激しい、天変地異の多い風土感に似合ったスタイルなのでしょうか。
安定した美に対して、不安定な、動きの美というのはやはりどちらかといえば古典的というよりも、より進んだ、新しい美に属するものだろうと思います。以前きらきらしいメジャーな美に対するわびさびのマニエりスム的な美を考えていた時のように、対称的な堂々たるメジャーの美に対する非対称のマイナーな、ちょっとひねった美という考え方もありかもしれません。いずれにしても日本人の美意識の高級志向というか曲を好み、ちょっと奇をてらう粋の姿勢がそういったものを発展させたのではないでしょうか。
全く平凡な作文になりました。
>粋の姿勢・・・
粋、という言葉・・・いいですね。
粋は生きている、という事でしょう。
生きているか死んでいるかを決めるのは、そこに躍動する生命感があるかどうかだと思います。
同じものを見ても、そこに生命感、生命感覚を見いだせるかどうかの違いが
人それぞれにおいての様々な表現感覚の違いとなって現れてくるように思います。
感覚的な捉え方の少しの違いが大きな違いとなって現れてくる、という事です。
>曲がり・・・
何が曲がっているのでしょう
ただの形が曲がっているだけなのか
それとも曲がっている別なものが、そこにはあるのか・・・
感覚が対象に入ってゆくという世界において見えてくるものの正体とは
そのへんに気勢感というものの捉え方があるのかもしれません。
ありがとうございました。
No.4
- 回答日時:
こんにちは。
気勢感を生じる非対称の美として私は仮名文字を思い浮かべます。
平仮名は漢字のような中心線を必要とせずに左右が非対称です。
それでいて静と動のバランスが絶妙にとれていて流麗で美しく感じられます。
その流麗さからは川の急流などの我が国における水のイメージが想起されます。
伝統的な墨流しはまさに流水のイメージで、偶然や意外性、非定型の趣を愛でる技法ですね。
そしてその波の模様は、時に穂や萩のたおやかにしなる様子にも見てとることができます。
和歌集で散見し得る描かれた葉の線と文字との相関関係に日本的な感性と美意識が見い出されると思います。
量感についてはやはり中国伝来の墨がまず浮かびます。
等伯の襖絵に描かれた霧には能登のしっとりとした心地良い湿り気が感じられる気がします。
あるいは風や空気の流れの余情なのでしょう。
水は我が国において恵みである一方畏怖や恐怖の対象でした。
那智滝図のうちに人知を超えた自然の崇高さを見い出したように、光琳も描くものに対して己の線と量感のうちに近しい自然崇拝のようなものを感じとっていた・・・と考えるのはあまりに牽強付会でしょうか。
ありがとうございます。
平仮名については仰る通りですね。
流麗な美しさ、繊細な美しさがそこにはあると思います。
書には疎いのですが・・・
筆勢という言葉が示すように、筆使いの勢いの感覚が大切なようです。
それは一文字、一行、書全体においても重視されるものと思われます。
少し脱線かもしれませんが
書と絵の共通感覚的解釈といったものを一つ試してみたいと思います。
光琳の紅白梅図は、(気勢的な)書簡の美ではないかと思うのです。
書簡は右上から書き始めて、左下で終わります。
右上から左下へ進む下降気勢があり、反対に、左下から右上へ昇る上昇気勢が感じられます。
終わるところには重心があり、重心から放たれた気勢が右上へと向かっているようです。
流水紋様は明らかにその事を示しているようです。
気勢感全体の構成が書簡の構成と同じではないかと思われます。
流水紋様と一対の紅白梅は、全く違った形でありながらも同じ気勢感を表していると思います
左が白梅で、右が紅梅なのも、その気勢感に相応しい色彩を選んだからだと思います。
梅の樹形はデフォルメされたものですが
白梅はよいとしても、紅梅の樹形は紅梅らしくないものです。
これは白梅の枝振りであり、そこに紅梅の花を付けたものです。
なぜそうしたのかといえば、どうしても右側に上昇的な気勢感を与えたかったからだと思います。
白梅の下の方の、落ちて跳ねあがるような枝振りは、実際にある形の誇張です。
そこには上下の気勢感の変化が見事に示されているようです・・・
・・・・・・・
脱線につぐ脱線になってしまいました。
どうしても、こういった目に見えない感覚の計算の世界に、つい深入りしてしまいます。
なぜ、そうしたのか、という計算を読み解こうとしてしまいます。
面白いといえば面白い・・・のですが
気勢感の構成の計算は確かになされていたと思います。
それを行った感性は、線と面に対して鋭敏な日本的とも呼べる感覚であった・・・のかもしれませんね。
非対称の美というものが、そこから結果的に生じたものなのか
それとも、非対称の作為的構成から感性の計算を美として示そうとしたものなのか・・・
どうなんでしょうね。
また、考えてみてください。
ありがとうございました。
No.3
- 回答日時:
非常に面白い質問だと思いつつ、成り行きを見守っていました。
しかし質問の趣旨が、よくわからなかったので、補足をお願いしてもよろしいでしょうか。気勢感というのは、ネットなどで検索したところ、ここのスレッドにしか行きあたらないので造語だと思いますが、「気勢:意気込んでいる」の派生語でしょうね。芸術家が着想した創作イメージのようなものでしょうか。これの「バランスをとる」と仰る。しかし、バランスをとった結果が、左右非対称になるというのです。バランスをとった結果、左右対称になる、ならば筋が通っています。ここには、矛盾か、飛躍があると思うのです。言わんとすることをお教えいただけませんか。
ありがとうございます。
正直に申し上げますと、この事は私にとって長年の一つの疑問でした。
そして今も、気勢感というものに対して確かな答えは出ていないのです。
この疑問の始まりはといいますと・・・
私が造園職人の駆けだしの若い頃でしたが
竹垣根の製作の講習に度々参加していて
名人級の熟練工の方に話を聞く機会がありました。
その中で印象に残っている言葉があります。
竹垣根の一番下で、横にして使う竹は、左が元口、右が末口にする
左から右へ使うのが基本
だと言うのです。
私はその反対に使っても、何ら変わりはないのではないのか?
と思ったものです。
しかし、どの熟練工の人に聞いても、左から右だと言うのです。
また、絶対はない、とも聞かされました。
それらの方は他界して今はもういません。
それから・・・
造園を手がける者として、竹垣根だけではなく、沢山の樹木や石を長年扱ってきました。
その中で気がついた事があります。
右へ傾いたものと、左へ傾いたものとでは、そこから受ける感覚が違う
右へ傾いたものの方が自然で良く見える
左から右への流れのほうが良い・・・という事です。
銘木というような庭木でも、右から左へ傾いた状態を鑑賞する木には、どことなく違和感がある
ただし、他の樹木との組み合わせにおいては、その違和感が解消されてしまう・・・といった事でした。
左から右への流れ
右への傾き、という事が端的に感じられるのは、樹木よりも自然石を据え付けた場合です。
それは、単独の場合には明瞭に感じられるものです。
龍源院の立石はその事を示していると思います。
また、複合的な日本庭園の石組は、変化をつけて組み合わせる、というだけではなく
それらの石の持つ気勢感の組み合わせでもあります。
これは、生け花にも同様に通じるデザイン性だと思われます。
生け花の形にも、思いきって傾けたものを取り入れた生け方もありますが
見ていて、形だけの安易な変化を求めたものが多すぎるように感じます。
素材の持つ、目に見えない気勢感を捉えた組み合わせが欠けているようにも思うのです。(中には素晴らしいものもありますが・・・)
日本庭園の石組といえば、龍安寺の石庭が大変有名ですが
一つ一つの独立した石組そのものは、粗末というか陳腐なもののようにも感じられます。
しかし、そこには確かな気勢感の釣り合いを図った跡があります。
一つ一つの石組が、単独で完成度の高いものであったならば、逆に名庭にはならなかったとも思います。
それぞれに違う気勢感の石の組み合わせが、不完全ながらも、離れ離れに置かれているところに面白味があるようです。
わざとそうしたのでしょうが・・・
この庭全体にも、左から右への流れがあります。
左側の大きな石から右への感覚です。
光琳の杜若図も、左から右へです。
このへんは似ているものがあると思います。
さまざまな日本的デザインに共通した、この左から右への流れ
或いは、右上がりの自然さ、というものの本質は何なのでしょう?
太陽が朝、東から昇るというようなものなのか
それとも人体の感覚によるものなのか
(お不動様の二童子にも現れている、ヨーガで説く二つの気道の事)
分からないんですよ・・・
日本的な非対称の美の構成の中で、感覚的に計算されてきた、この事の本質が分からない・・・
私も下手くそながらも、この計算を大分やってきた者の一人です。
しかし分からないのです。
何かしらヒントをいただければありがたいと思っています。
No.2
- 回答日時:
南宋画の影響ではないでしょうか。
構図を対角にとり、空白を大きくとるのが南宋画の手法です。これは中国文人画の系譜ですので、日本の水墨画は、きっと思想的にもこれに汲むところがあったのだと思います。ご存じと思いますが、明治になって岡倉天心が推進したのは、北宋画の影響を受けた狩野派などをベースに西洋化することでしたが、北宋画は軸を中心線に取り、画面を全体的に使います。そのため、堂々とした静けさや雄大さを表すのに適しています。
文人の手遊びで気力だけで描いたような、南宋画風の主観的な表現は、急激な西欧化の時代には否定されてしまったのでしょう。
でも、日本的な感性というと、わたしは自然描写はもちろんですが平板なデザイン的要素の強い文様などを思い浮かべ、寧ろあまり気勢のないところに感じたりします。床や台に水平に紙や画布を置いて作業するのと、イーゼルや壁画のように縦向きで作業するのとの違いもあるかもしれません。
ありがとうございます。
北画と南画は、線か気韻かというところになるのでしょう。
強い気勢感を生じる要因は、やはり線にあるように思われます。
鑑賞する人にどのような気勢感を与えるものか、という事を前提として表現がなされていると思います。
一方、気韻を重視する場合には、量感的表現による空間の広がりや奥行きによるものと思います。
どちらの構図や構成においても、緻密な計算がなされているのではないでしょうか。
人の感覚を捉えてしまおうとする計算です。
特に、光琳の紅白梅図や杜若図を見ていると、計算され尽くしたものという感じさえあります。
それは日本的な美しさをたたえながらも、どことなく非情の美と呼ぶにふさわしいもののようにも感じられます。
線と気勢の秘密がそこにはあるのではないでしょうか。
そのへんに踏み入ってみたい感じがします。
描き方など、参考とする見方を広げてくださりありがとうございました。
No.1
- 回答日時:
自然は基本的に曲線から成り、また非対称です。
主に遊牧文化(雨の少ない地域の植物を集約して利用する)を
ベースとする西欧文化は、厳しい自然環境において、自然を征服し、
改変する事で成り立ってきたので、たとえば西洋式庭園は、直線
&幾何図形&対称のデザインです。
日本は高温多雨で豊かな植生に恵まれ、自然&季節に従う稲作
農耕文化をベースとするので、自然と一体化したり、自然を模した
デザインが、日本庭園を初めとして見られます。
左右の非対称を特徴付ける、人体の非対称性は、敵対する時に
どちらかの手=側面を敵に向ける必要があり、重要な器官である
心臓は、その反対の側に移動した方がリスクが少ないため、右手
が利き腕で、心臓は左寄りにある事に由来します。
同様の理由で右手で未知の物を探るので対象の識別能力が高く、
左手は感覚が未分化で対象の形をそのまま感じるのに優れます。
それは神経交差を経て、右脳の図形認識、左脳の文字認識に
反映されています。
ありがとうございます。
>日本は高温多雨で豊かな植生に恵まれ、自然&季節に従う稲作
農耕文化をベースとするので、自然と一体化したり、自然を模した
デザインが、日本庭園を初めとして見られます。
日本の豊かな自然から、優れた絵画や庭園美が生まれた事は確かだと思います。
写実や縮景といった手法から始まった庭園美は、やがて抽象的な美を含むものへと変わってようです。
それらの表現を担った感性の実際面を知りたいと思っています。
>右手で未知の物を探るので対象の識別能力が高く
>左手は感覚が未分化で対象の形をそのまま感じるのに優れます。
>それは神経交差を経て、右脳の図形認識、左脳の文字認識に反映されています。
参考論としてはありがたいのですが、できれば体験的実感に踏み入ってみたいものです。
ありがとうございました。
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