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国鉄時代の電車に詳しい方がいらっしゃいましたら教えて下さい。

昔の国鉄時代の映像を観る機会があったのですがその際に貫通扉を開放しながら走行しているシーンがありました。

たしかどこか地方の普通列車だったと思います。

そこでご質問ですが、
(1):このような光景が見られたのはいつ頃まででしょうか。まだこのような仕様の電車は現存しているのでしょうか。

(2):開放していた理由はやはり暑さ対策なのでしょうか。

(3):現在、私が知る限りではこのような仕様の電車は見ることありませんが開放型が減少、もしくは廃止した理由をご存じでしたらお教え下さい。

何卒、よろしくお願いします。

A 回答 (12件中1~10件)

ご覧になったのはどこの区間でしょうか。

さすがに前面貫通扉を開けて走ったというのは軽便でも無いと思います。国鉄の場合、旧型電車は別として半室運転台がないですから、運転士が風に晒されるようなんてんは市内と思いますが。電車登場当時(甲武鉄道買収線等)であれば、路面電車の延長で解放運転台でした。

なお、新性能車で前頭部に貫通路が出るのは151/153や111/113とこれらの交直形ですが、この時代で貫通路を開けて走ったというのは呼称以外ではあり得ないと思います。ただし、気動車の場合、液体式は特急以外は貫通路ありですから、こういう事例も会ったかも知れません。又、旧型客車はそもそも貫通扉医というのが無いことも多いので客車列車では鎖だけというのは珍しくありませんでした。

で、以下は車輌間の貫通扉に関して

(1) 一時期広幅貫通路が流行した時期があります。典型的なのは営団6000形で、5両ずつ貫通扉のない広幅貫通路でしたが、不評で後期形では二両単位になっています。

(2) 厚さ対策と言うより、見通し向上による開放的視界の確保です。

(3) 特に冬期の加速時、減速時に貫通路を寒風が吹き抜けることによる不評が大きな理由です。他に、編成替え時の不便さなどもあります。
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この回答へのお礼

ご回答、ありがとうございます。この動画を見ていて疑問に思いまして。http://www.youtube.com/watch?v=2QlJDqR8lWM
動画が5つくらいに分かれておりまして、パート5くらいで撮影者の方が走行中に機関車との連結部分を撮影しているシーンがありました。また終始、外に乗り出して撮影しているようで。これも気になりました。youtubeのコメントにもありますが、最近の電車はこのような撮影方法は不可能だと思いましたので。説明不足で申し訳ございません。

お礼日時:2012/01/22 06:39

No1さんへのお礼を拝見した上でお答えします。



(1)
このような仕様の車輌はいわゆる「旧型客車」です。
客車自体は動力を持たず、機関車に引っ張ってもらわないと走ることはできません。
また、乗降のためのドアも手で開け閉めする仕組みでした。発車時にいちいちドアを閉めてロックしたりしませんでしたので、ドアが開きっぱなしで走るのもふつうのことでした。現代の発想からすると危険極まりないシロモノですが。

旧型客車がいつごろまで使われていたかは詳しくは知りませんが、少なくとも私が高校生だった30年前にはまだ福知山線や山陰本線の普通列車に使われており、大阪駅や京都駅に顔を出していました。

現在の定期運転列車では、静岡県の大井川鉄道のSL急行にこの車輌が使われています。
2年前に乗りましたが、たしか貫通路扉は閉めて鍵をかけてあったように覚えています。

なお、「旧型客車」に対して「新型客車」もあります。
こちらは「旧型客車」と比べると、座席が良くなったり乗降口が自動ドアになったりという違いがあります。

(2)
私の想像ですが、閉める必要はないと考えられていたのかもしれません。
走行中は危険ですが、そんなことは見ればわかるだろう、というのが昔の発想のように思います。
現代では通用しない考え方ですが。

(3)
やっぱり乗客にとって危険だからでしょうね。
「新型客車」では列車の端の貫通路扉はきちんと閉めていたように覚えています。

また、機関車が客車を引っ張る列車が激減したからという理由もあります。
このような列車は終着駅に着いて方向転換をする際には機関車を反対側に付け替えないといけません。
これでは手間も時間もかかります。
そのため、両端に運転台があって方向転換が簡単な電車・ディーゼルカーが現在の日本では主に使われています。
機関車が客車を引っ張る列車は現在の日本ではごくわずかしかありません。
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この回答へのお礼

ご回答、ありがとうございます。大井川鉄道のSLも貫通路扉が開放されていたりしたら、ぜひ乗りたいと思いました。こちらは新型客車なのでしょうか。

お礼日時:2012/01/23 20:28

(1)旧型客車をSLやED10などディーゼル機関車が牽引する光景は、ローカル線を中心に昭和45(1970)年ぐらいまでは、極普通に見られた風景です。



(2)西部劇などのシーンでお分かりかと思いますが、開放デッキの考え方ですね。
まだ、屋根と扉が有って周囲が鉄柵でないだけマシだと思います。

(3)電化・ディーゼル化など輸送の近代化により、大井川鐵道のように保存鉄道の色合いの濃いところを除き、旧型客車は淘汰されました。
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この回答へのお礼

ご回答、ありがとうございます。昭和45年ですか。今よりも風情があった気がしますね。

お礼日時:2012/01/23 20:31

映像での、旧式客車の列車ですが、子どもの頃に乗った記憶があります。


普通の乗降用の扉も手動ですから、お客が自ら開け閉めします。開いたまま走っていることも珍しくなかったです。そして、動き出した列車に、駅員の制止を振り切って飛び乗ったのを見たこともあります。逆に、上野など行きどまりの駅で早めに減速すると待ちきれないお客が飛び降りたりすることもあったそうです。

で、貫通扉ですが、先頭で機関車を見たこともありますし、最後尾で展望車見たいに景色を見た記憶もあります。父と一緒にトンネル内で、いつまでも入り口が白い点で見えていたのを覚えています。どちらも、鎖がありましたが、扉を開けてしまえば落下防止としてはあまりにも貧弱ですね。

暑さ対策ですが、私鉄の特急電車で、冷房を入れるほどではないけど少し暑いことがあり、その時全車両の貫通扉(連結面で、ホロなども着いている状態です)を開けっぱなしにしたをの見ました。適度に風が抜けて涼しくなりました。貫通扉を開けると結構涼しかったのでは? と思います。
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この回答へのお礼

ご回答、ありがとうございます。なるほど、乗車のご経験があるんですね。頂いたご回答を拝見しますと、今よりもいろいろと自由な時代だったんだなぁと思いました。夏は開放すれば涼しくていいですが、冬とかはどうしていたんでしょうね。

お礼日時:2012/01/23 20:34

大井川鐵道SL重連 C11 190+C56 44 川根温泉





大井川鉄道 SL急行かわね路号車窓 千頭駅蒸気暖房

http://www.youtube.com/watch?v=Z7XUKLfp7Ec

最後尾でジャンプしたら線路に落ちないか心配してしまいます。

国鉄の客車の自動扉の採用は随分遅くて、

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9B%BD%E9%89%845 …

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9B%BD%E9%89%841 …

http://ja.wikipedia.org/wiki/14%E7%B3%BB

以降だと思います。それ以前の客車では蒸気暖房、車軸発電機のパターンでした。
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この回答へのお礼

ご回答、ありがとうございます。SLですか。SLは1度だけ乗ったことがありますが、ゴロンとシート的なところで。今現在、定期運行されているモノでは、No.1の方のお礼で載せたURLのような客車はないんですね。残念です。

お礼日時:2012/01/23 20:24

ざっくりな回答で申し訳ありませんが、昭和40年ごろに前面貫通路を開放して夏の猛暑を走る気動車(キハ10系、キハ20系など)の写真は小海線や房総各線の列車の写真として鉄道雑誌の鉄道ピクトリアルなどでみたことがある記憶があります。



ご紹介のユーチューブの画像にあるような、いわゆる旧型客車は走行中も扉の開放は可能でしたが、乗降用あるいは車端貫通路扉を開放して涼んでいるところを車掌さんに見つかると、「危ないからやめなさい」などと注意を受けた覚えがあります。
何しろ、昔は冷房などありませんでしたから、扉を開放することで得られる涼味はなかなかのものでした。

少なくとも、昭和40年以降の国鉄電車においては停車中に手動で開閉できる構造であっても、扉が開いた状態では運転できません。また、ブルトレの元祖である20系客車でも、扉は手動開閉ですが運転中は施錠された状態となります。
なお、ここで言う電車とは電気で動くが機関車ではないところの「電車」であり、列車全般を指しているわけではありません。
基本的は電気で動いて機関車のない「電車」、ディーゼル機関で動いて(ディーゼル機関で発電しているなどのディーゼル機関以降の構造は問いません)機関車のない「気動車」または「ディーゼル車」、機関車(蒸気機関車・ディーゼル機関車・電気機関車の総称)に引かれ又は押される「客車」という分類があります。ここではこの分類によった電車です。
一般に鉄道を走っているものをまとめて「電車」と言うことも、一般にはよくありますが、このような区別があることを知っていただければ幸いです。最近は「国鉄」を知らない世代も増えてきたとか・・・。

閑話休題(←余談をやめて本題に戻すときに用いる語です)

前面貫通扉の開放においては、何より乗務員が暑さに耐えかねて開放して走ったことが多かったのではないかと思います。
転落事故さえ無ければ、冷房のない列車の前面をあけて車内に涼風をもたらすサービスも、旅客からそう文句は出なかったのでは無いでしょうか。

なお、現在のJRの高崎などを中心に使用されているような、JR所有の旧型客車(ご紹介のサイトで走っているタイプの客車のことです)は走行中は扉を閉めて施錠するように改造されていますので、昔ながらの扉を開けて涼むことはできません。
大井川や津軽などの客車がどのようになっているかは存じ上げませんのでご容赦下さい。

現在は、旅客の転落などの事故対策として、ご質問で言うところの開放型はありません。ただし、誤って転落することのない状態にした上での開放は今後もあり得ないとは言えないでしょう。
ちなみに、昔のひとは転落しないが最近は転落しやすくなったわけではなく、近年の法律を含めた状況からの判断と思われますことを付記しておきます。

ご質問に対する明確なお答えではありませんが、少しは昔の感じを掴んでいただければと思い、回答いたしました。
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この回答へのお礼

ご回答、ありがとうございます。ということは何か転落事故などがあったのでしょうか。たしかに転落事故があってもおかしくない車両だとは思いますが。ある意味、昔の方が自己責任だったのでしょうか。

お礼日時:2012/01/23 19:05

元国鉄職員(現JR社員)です。


質問者様がNo.1様へのお礼文に貼っておられたURLの映像を拝見致しました。

世間一般の皆様が線路の上を走る車両をすべて「電車」と仰るのも無理はないかと思いますが(実際、今は大半が電車ですが)件の列車は正しくは「電車」ではなく「客車列車」になります。動力を持たない客車が機関車に牽引される形の列車は、たとえ電気機関車に牽かれていても「電車」とは呼ばず「客車列車」となります。

件の映像に映っている旧型客車の場合、「車軸発電機」と蓄電池の組み合わせで車内の電灯を点灯させるのがやっとで(扇風機がついていれば上等な方w)、機関車から供給される圧力空気もブレーキ管のみで、その一部を拝借して「水揚」(床下のタンクの水を洗面台やトイレに流す)程度に使うのが関の山でした。
もし電車のようにドアの開閉に圧力空気を使うとブレーキがかかってしまう可能性があるので(「ブレーキ管」の空気圧力が下がるとブレーキが掛かる仕組みゆえ)ドアエンジンは使えませんでした。
さすがに暖房だけは機関車から蒸気または高圧直流電気を通して効かせてありました…冬季の蒸気暖房は白い蒸気が出ているのがなんとも風情がありました。
ただし機関車と客車の間に貨車を繋ぐ混合列車の場合は機関車から蒸気をもらう事が出来ず、ダルマストーブを置いてましたw 今でも観光客集めにダルマストーブ使ってるところはありますがw

客車デッキのドアに話を戻しますと、旧型客車は上述の通り機構上出入戸すら自動化しておらず、ドア開けっ放しで発車、あるいは走行中もドアが開いているのは日常茶飯事でしたが、それゆえ数々の名作映画(ラブロマンスからサスペンスまで)の印象的シーンによく使われました。

貫通扉に至っては「最初から無い」形式の方が多かったくらいです。(せいぜいチェーンで申し訳程度の転落防止策をとっていた)
これは、デッキに関しては船のデッキと同じような考え方で「旅客は車室に入るべし」「自己責任」といった建前がまかり通っていたためでもあります。
降雪地域のみ、冬場はデッキが雪で埋まるのを防ぐために列車の両端は貫通扉を閉める事が出来るようにして組成したり(デッキにも貫通扉がついている車両もあった…車掌室がついている客車の車掌室側など)、貫通扉に防雪カバーをつけたりしていました。

さてそのような危ない?旧型客車は1980年代でも急行列車にさえ使われていましたが、'80年代以降は急速にその数を減らし、一般的な列車では国鉄分割民営化直前の'86年秋に山陰本線・函館本線などを最後にほぼ全廃となり、例外的に残っていた「和田岬線」(山陽本線兵庫駅から分岐する支線。殆ど三菱社員の通勤専用列車)も'90年にディーゼルカーに置き換わり使用されなくなりました。

今は動態保存されている列車やトロッコ列車などの観光列車にのみ、出入戸が非自動の車両も存在しますが保安要員を乗務させて安全上の配慮を行っていますから、マニアなどが走行中の列車の出入戸や貫通扉を開けて撮影する事は不可能です。
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この回答へのお礼

ご回答、ありがとうございます。なるほど、既に廃止されているんですね。残念です。一度はこんな電車・・・じゃなくて客車列車ですねww に乗ってみたかったと思いましたが。電車と客車列車、違いがあったのも知りませんでした。大変、勉強になりました。

お礼日時:2012/01/23 19:00

旧式客車の冬ですが、あんまり寒いような記憶はないです。

暖房は蒸気で、窓の下に出っ張りがあって、結構熱を出していたように思います。
隙間風も合ったのでしょうけど、あまり覚えていないです。むしろ、その後の電車の方が隙間風で寒かった記憶があります。旧式客車は窓が木だったりするので鉄より熱が伝わりにくいとか、古くなった鉄の窓より密閉性が良かったのかも?
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この回答へのお礼

ご回答、ありがとうございます。なるほど、昔の方が暖かかったというのは意外でした。それにしても窓が木で出来ているとか・・・最近の電車からは全くイメージが付かないですね。

お礼日時:2012/01/26 02:10

 ご質問のタイトルやご質問内容から添付しました写真のような国電のことを想像していました。

私以外、他の方々も同様なことを思い浮かべられた方が多いことでしょう。
ところが、No.1さんへの回答へのお礼欄を拝見すると、示された動画のなかのシーンだったのですね。
では、この動画を主体に回答します。

 回答の前に一言、これを前提に回答します。他の方々も既に回答されているように、
貫通扉 ⇒ これは貫通扉ではありません。旅客乗降口の扉です。
電車 ⇒ これは電車ではありません。電気機関車が引く列車の客車です。
機関車との連結部分 ⇒ 機関車との連結部分ではありません。客車と客車との連結部分です。

(1) このような客車は昭和の末期までは見られました。現役の車両ではありません。博物館には同種のものが展示されています。

(2) 扉は手動で閉めることになっていますが、乗客に任されていましたので、最後に乗った客が閉めなかったのでしょう。尤も冬期は寒いので乗客も気を配りますが、夏期は冷房も無かった時代ですのでよっぽど混まない限り開放しておくのが一般的でした。

(3) 安全に対する考え方が変わって来ています。当初は列車速度もそう速くなく、また自己責任という考えもありました。
現在は国の規則により旅客用乗降口の扉には自動戸閉装置を設けなければならないことになっていますので、開放することはありません。(鉄道に関する技術上の基準を定める省令 第74条)
「国鉄の貫通扉について」の回答画像9
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この回答へのお礼

ご回答、ありがとうございます。なるほど法律が変わっていたのですね。知りませんでした。最近は自己責任という言葉をよく耳にしますが、昔の方が自己責任という度合いが強かったのかもしれませんね。

お礼日時:2012/01/26 02:07

個人的な意見です、


電車の乗降用ドアは終戦直後には自動化されていた。 下記参照。
戦前から自動化されていたかも?

列車が自動化されなかったのは、電源供給のためと思います。
車軸の回転で発電する方式は、室内灯では供給できるが、=最悪電気がつかないだけ
ドアに電気を供給すると、長時間停車した場合はドアの開閉ができなくなる。

寝台特急には電源車があります。=ドアが自動化されている。

参考URL:http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%A1%9C%E6%9C%A8% …
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この回答へのお礼

ご回答、ありがとうございます。なるほど、電源供給とは意外でした。

お礼日時:2012/02/01 01:58

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