自分は生まれてもの心つかないうちに、創価学会に強制入会されていました。それは両親が創価学会員だったからです。
自分は親離れする年齢になって聖書を読み、創造主は存在するのではないかと思うようになりました。それで自分の意思でキリスト教を信じるようになりました。
ですが教会の牧師の聖書観と自分の聖書観は違っていました。自分は牧師が聖書を商売の道具にしていることに気づきました。その後、自分は牧師等とトラブルを起こし教会から去りました。
聖書によって人々をマインド・コントロールし、商売に利用できることを知り、聖書そのものに問題を感じるようになりました。
イエス・キリストの言葉に「敵を愛し迫害する者の為に祈れ」とあります。敵とは悪魔のことだとも言えます。これは神と悪魔の区別をなくすようにと言っていることでもあります。この言葉に自分は感銘を受けています。
イエス・キリストは尊敬できるのですが、自分はキリスト教会にもどる気にはなりません。今自分は創価学会の人からもどるように誘いを受けてますが、どうしたらいいでしょうか?
No.1
- 回答日時:
こんばんは。
貴方は、まだ若い方のようです。私は、自分を信じ自分のやりたいことを成された方がいいと思います。この世界はまさに強く、賢く、才能があり、人付き合いがうまく、沢山のお金を持ち、生活環境に恵まれ、アメリカ、中国等とうまく付き合える人が有利な世の中です。貴方は、もう気付いているでしょう、人はお金、名誉を求めるものです。
貴方が、自分の才能に真剣に取り組めば、お金、人は付いてくるものです。其の時彼らが求めているものは、結局は、自分達の幸せであると言うことが分かるでしょう。貴方は、成功したならば、彼らに自分がしてきたことを教えればいいんですよ。お金が沢山欲しければ働きなさい。名誉が欲しいなら人に尊敬されることをしなさいと。
貴方が才能と努力において、運を掴まれ成功されることを願います。人は、勇敢で謙虚であるべきです。宗教は、道に迷った時何時でも受け入れてくれるのではないでしょうか?宗教にとっても、世界にとっても貴方の成功は、よいことのはずです。
No.2
- 回答日時:
賛否両論ありますが、私はない方が世の中は平和だけど、人間は弱い生き物だから仕方なく宗教が存在していると思ってます。
ヨーロッパの宗教建築などは素直に素晴らしいと思いますが、宗教が原因で起こる戦争は後を絶えず、金儲けの道具として利用されているのも事実です。私は宗教否定論者なので、学生時代にそういった勧誘に出くわしたときは不愉快で仕方なかったですが、宗教というのは本来個人個人の心の中にあるものだと思います。個人個人がいろんな思想を持ち、いろんな教えをよりどころにすることは悪いこととは思いません。だけど、それを執拗に人に勧めることはよくないことだと思っています。それが、こんなにいい宗教があるんだから他の人に教えてあげないとといった個人なりの善意だったとしても、それは思想に支配された人間の末路です。群れてしまうといつか自分を失って宗教という他人の作り上げた思想のいいなりと化してしまいます。聖書に限らず、宗教の教え文句の中には良いこともたくさんかいていると思います。それは自分の心の中に思うものとして受け止めればそれで十分で、何か組織に入会するとかいう必要はないと思います。
この回答への補足
ですが人間とは孤独な生き物です。群れに入れれば入りたくなるものです。この群れに入らず独りでいることが幸福なことなのでしょうか?回答をありがとうございました<(_ _)>
補足日時:2012/02/09 07:43No.4
- 回答日時:
あなたは宗教の違いや個人の宗教観の違いに触れたのですから、今度は宗教を必要としていない人間との交流をはかって、一般的な人間が宗教とどう向き合っているかを考えるべきです。
また、宗教が世界の歴史にどう関わってきたかを、客観的な目で勉強しなおすことも重要ではないでしょうか。
そうすることで、宗教の本質が明らかになり、自分の信じるもの、求めるものが何なのかを知ることができるのではないでしょうか。
私は幼い頃キリスト教に触れ、家は浄土真宗でしたが家族が新興宗教にはまって、創価学会とも関わりがありますが、最も良い影響を受けたのは哲学者の先生と出会ってその考え方を知ったことからでした。
自分にとって一見異質なものの中にこそ、真理を導く鍵があると思います。
No.5
- 回答日時:
宗教が必要か否か。
これってすごく難しい問題だと思います。
これは私の個人的意見なので悪しからず。
生物学的に人間は他の動物と変わりません。
生物としての本能で子孫繁栄を求めて繁殖していきます。
しかし幸か不幸か人間は他の動物よりも考える事ができるようになりました。
そして生物として抗いようがない「死」という物を認識しました。
その死に対して絶対的な恐怖を覚えた人々は、その恐怖から逃れるために形而上学的な存在「神」を創造しました。
自分たちの理解しえない出来事や恐怖をその「神」という存在に一任する事により精神的安定を得ました。
そしてその「死」い至るまでの道程、人生に対しても関与するようになりました。
当然そこには様々な思想が織り交ぜられます。
その思想が大きくなり、集団になったのが宗教だと私は考えています。
その様に考えると宗教は必要であると考えられるでしょう。
人の精神安定剤なのですから。
ところが世の中で起きてきた戦争の多くは宗教が起因していると言います。
生きるための宗教が死をもたらしている現状があります。
その視点から見ると、世界が平和であることを望むならば宗教は必要ないです。
質問者様はある牧師が聖書を商売の道具に利用しているとおっしゃられる。
でもそれは必然です。
先述した通り宗教は人が集まってきます。
人が集まるところには必ずビジネスが生まれます。
しかしそれは聖書のせいではありません。
利用する人間のマインドの問題です。
使おうと思えばたいていどんな物でも商売に使えます。
しかしその物の持っている本質は異なりますし、不変です。
質問者様が聖書に感銘を受けたのならば、その教えが質問者様にとっては正解なのです。
宗教を、聖書を商売の道具に使っていない宗派だって多々あるかと思います。
「質問者様にとって」宗教が必要なのならば、それを自ら探し歩くべきでしょう。
もし創価学会の教えを質問者様が是と思うのならば戻ればよしです。
さんざん歩き回って見つからなければ自分一人で立ち上げるのも有りでしょう。
何も〇〇教〇〇派という団体に属さなければいけないという決まりはなんも無いんですから。
結局は何処でどのように精神的安定を求めるかだと思いますから。
ちなみに私はキャバクラ教さおりちゃん派です……
No.6
- 回答日時:
こんにちは。
ふたつ主題があります。
ひとつは 個人の信仰と集団としての宗教とを分けて捉えることです。
組織宗教というのは 個人の信仰から得られた観想(テオーリア)をさらに理論(テオリー)として・倫理規範として・もしくは教義として しかもこの教義を守ることを――人間の能力と意志の弱さからして守られるはずもないけれども――至上命令とした集団心理としてのあつまりです。
ひとつは 日本人の置かれているその位置ないし条件が 特殊であろうと思われることです。
日本においては 信仰は――憲法にのっとる限りで――良心・信教の自由でまもられています。
そして宗教となると かたちをもった組織としてではなく まづ日本という社会ないし国じたいが そのひとまとまりとしての存続およびその秩序安寧という観念において おおきく日本教という宗教をかたちづくっています。
これは 《和を以って貴しと為せ》という観念の共同・あるいはつまり共同幻想・さらにあるいはいわゆるクウキのことです。これが・これも れっきとした集団心理であり そのあつまりです。
個人として 和をたいせつにする。敵をも愛するという倫理規範として表現されるそのことを大事にしている。――というかたちで ひとつには 現われると思われる信仰をいだいている。(という意味は 敵を愛するというおしえを 自分ひとりの力で為し得るとは思っていない)。
ところが このおしえが共同の観念として持たれるときには 個人の次元を超えて 集団としての心理となりそれとしての志向性をかたちづくります。
日本教は――或る意味でそれは基礎として神道のことですが―― その心理共同やらクウキやらのままに 組織を作らずして成った宗教です。
この日本教のもとに いわゆる具体的な宗教が――個人の次元ないしその信教の自由とはあたかも別様に――各宗教および各宗派に分かれます。神道・仏教・キリスト教およびコミュニズムに大きく分かれ さらにそれぞれが各宗派に細分化されています。共産主義ないし社会主義も むろんのごとく おおきくはこの日本教に属します。
日本教・キリスト教派・プロテスタント部・何々支部ですとか 日本教・仏教派・法華経部・日蓮支部・創価学会支店のごとくにです。
もしこの構図の中にそのまま――何も考えずに 《日本人らしく 物分かりのよいあたまに成って》――入っていくとすれば あとは 社会力学の問題です。成り行きによって自分の所属した支部の宗教が隆盛となる場合があるということではないでしょうか?
ちなみにわたくしは 組織宗教は 個人の信仰が自殺行為をした結果うまれたと考えています。わがたましいを 社会力学という名の悪魔に売った――それによって 或る程度は出世できる――その自殺行為によって生まれている鬼っ子であると。したがって すべての組織宗教に対して 自己解体を勧めています。
No.7
- 回答日時:
>>イエス・キリストは尊敬できるのですが、自分はキリスト教会にもどる気にはなりません。
質問者さんの思われたように、教会(バチカン)はすでに悪魔の手に落ちていますので、いまさら戻る必要はないでしょう。
もちろん、イエス・キリスト様が尊敬できるのはそのとおりです。
>>今自分は創価学会の人からもどるように誘いを受けてますが、どうしたらいいでしょうか?
戻っても、良いことは無いでしょう。それは、ご自身も判っていらっしゃるのでは?
>>宗教は必要か?
人間が行動するとき、お金、地位、名誉、肉欲などいろんな価値観を元に、やめるか、やるか?の価値判断を行っています。
究極の価値判断は、「自分の命がかかったときどうするか?」でしょう。
この世だけ、目に見えるものだけがすべて、という唯物論者は、すべてに優先して、「命が大切」といいます。
でも、宗教は、目に見えない世界、神の世界について教えを説きます。
そして、自らの命よりも善が、正義が大切と教えます。
そして、肉体が滅びようとも、魂は永遠だと理解していますので、勇気ある行動ができるのです。
すべての価値観の根っこには、宗教があるのです。なので、宗教は人間にとって必須なんです。
P.S.
現在の日本の政権は、神の目からみると許しがたい状況なので、昨年の3.11に続くようなできごとが天罰として年内に起こりそうです。
No.8
- 回答日時:
宗教は必要だからあるのではありません。
自然発生的に存在するだけです。また宗教は必ずしも神を拝むものだけではありません。
だから社会主義や共産主義でも信仰を持つ人は消えないのです。
ネット内で検索すると
「宗教とは、人間生活の究極的意味を明らかにし、人間問題の究極的解決に関わると人々によって信じられている営みを中心とした文化現象であり・・」宗教学者、岸本英夫
とあります。つまり主義もある意味、宗教と呼べることになります。共産主義に人間生活の究極的意義を見出せば共産主義も立派な宗教です。
また多くの人が宗教に対し、ある程度の依存性、根拠を正さず、妄信的信用を向けていることを考えれば、たいした根拠もなく科学を妄信すればそれはやはり、科学教信者だということができます。
信仰や宗教の発生は、あくまでも自然発生的なものであって、必要は否かで判断できるものではないのです。
No.9
- 回答日時:
>宗教は必要か?
人間には宗教が必要かというご質問ですが、イエスキリストを知る者としては、宗教の必要性は全く感じません。教義とかしきたりとか、ましてや宗教行事などには全く興味はございません。
プロテスタントのクリスチャンでモルモン教、エホバの証人、統一教会とは何ら関係はございません。私どもプロテスタントのクリスチャンは聖書で語られているイエスに目を向けます。極論すればイエスにのみ目を向けると述べたほうが良いかもしれません。
聖書は「重要なことは多くない。むしろただひとつのことが重要だ」と述べています。つまりイエス以外重要なものはないと言っても良いかもしれません。従いまして私どもはイエスキリストを知ることが宗教だと思っておりません。しかし部外の方々はキリスト教という宗教だと考えているのも重々承知しております。
つまりキリスト教にまつわる儀式や格言のような教えを宗教と考えておられるのであれば、そのような宗教は必要ないと思います。
しかしながらイエスキリストを知るというのはなにか学問的な理解を得るとか、どなたかを知識と知っているということと、異なります。イエスキリストをキリストが望む程度に知ることになりますと、即座にその瞬間からあなたの内面が変わります。またご自分でも変わったという瞬間がわかります。つまりイエスキリストがこの地上におられた時から、十字架に架かって、彼を殺そうとするものに対して、イエスは十字架の上から次のように述べられました。聖書では以下のように書かれています。
「どくろ」と呼ばれている所に来ると、そこで彼らは、イエスと犯罪人とを十字架につけた。犯罪人のひとりは右に、ひとりは左に。そのとき、イエスはこう言われた。「父よ。彼らをお赦しください。彼らは、何をしているのか自分でわからないのです。」彼らは、くじを引いて、イエスの着物を分けた。ルカの福音書23章:33-34
このイエスを知ることにより、人生向きが180度向変わります。すると教えを守ろうとかよいこでいましょう的な束縛から開放され、あるがままの自分が受け入れられていることがわかります。イエスは自分を殺そうとするものも赦し受け入れましたので、真面目なご質問者さんを受け入れるのはたやすいことと思います。
>自分はキリスト教会にもどる気にはなりません。今自分は創価学会の人からもどるように誘いを受けてますが、どうしたらいいでしょうか?
仏教になんら造形がございませんので、お答えできませんが、心の底を静かに見つめていただいて、ご自分が真に欲する生き方はどいう言うものかご検討されてみてはいかがでしょうか。イエスは求めなさい、しからば与えられるであろうと述べられました。祈って求めて見てください。答えてくれるはずです。
No.10
- 回答日時:
1,宗教は国家や社会にとって有益なものです。
どういう有益性か、というと秩序を作り、維持
するために、宗教は有益なのです。
新渡戸稲造の「武士道」にあります。
「お国では宗教教育をしていないと聞きましたが
ホントですか」
「ホントです」
「おー、それでは子供たちにどうやって道徳を教える
ことが出来るのでしょう?」
つまり、宗教を利用して、道徳を教え、社会の秩序を
作り保つのです。
現代人なら、神など持ち出さなくても、道徳教育ぐらい
できるだろう、と思うヒトもいるでしょうが、教育よりも
宗教を利用した方が効率的なのです。
中国では、道徳教育が盛んですが、彼らの道徳レベルは
かなり低いです。
それは中国には、そういう宗教が無いからです。
又、人間には天敵が存在しませんから、傲慢になります。
人間を謙虚にする存在として神が必要になります。
後、死に対する恐怖を弱める、などの効用もあります。
2,以上は、社会や国家について必要か、ということです。
個人レベルの話になれば、必要でないヒトも、必要なヒトも
いる、という答えになります。
まして、キリスト教とか創価学会とかは、個人が決めればよい
ことです。
必要だと判断するヒトは入信すればよいでしょう。
キリスト教が尊敬できる、というのですから迷うことは無いでしょう。
教会に通う必要は無いのではないですか。
宗教団体てのは大きくなればなるほど、商売に精を出す
ようになります。
自分で勉強して、信仰を続けていれば良いのではないですか。
そうやって、レベルが上がれば、本物と偽物を見分ける
眼も造られるでしょう。
教会に通うのはそれからで十分でしょう。
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