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「釈迦入滅の地クシナガラの統治部族マウラ族は当初仏舎利の専有を表明し、仏教を国教とする周辺国との間に仏舎利を巡って争いが発生する事態となったが、結果として8等分され、それに、容器と残った灰を加えて周辺内外の10か所の寺院に奉納された。
200年の後、インドの敬虔な仏教徒であったマウリヤ朝のアショーカ王はインド統一を果たした後、全国8個所に奉納されていた仏舎利のうち7か所の仏舎利を発掘し、遺骨は細かく粉砕しひと粒ひと粒に分け、灰塵は微量ずつに小分けする作業を行って、最終的に周辺国も含めて8万余の膨大な寺院に再配布を実施した。」(仏舎利wiki)

遺骨を8万にも分骨したのですから、現在でも残っていると考えてよいのでしょうか?
それともインドで仏教は一時すたれてしまったので、もう残ってないのでしょうか。

よろしくお願いします。

A 回答 (4件)

日本の明治時代のこと、当時インドを支配していたイギリスがインドの遺跡で


仏舎利が入っていると書かれた壷を発掘、大英博物館に寄贈するべく、
イギリスに持ち帰ったところ、タイの仏教界が激しく反発、仏教国に返還するべきと
国際世論に訴えました。結果、イギリス政府はタイ国王にこれを譲渡。この時、
タイを支援した日本政府に感謝するとしてタイのラーマ5世王が仏舎利を分骨して
日本に寄贈。日本仏教界は宗派を越えて仏舎利をお迎えするべく、名古屋の
覚王山に日泰寺というお寺を建ててこれを納めたとされています。
回答としては日本にも現にあると信じられています。
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例えば


広島には、平和運動で有名な日本山妙法寺が建て、広島市に寄贈した「二葉山平和塔」と言う仏舎利塔あります。
昭和二十九年四月、日本山妙法寺山主藤井日達聖人により地鎮祭が行われましたが、その後、十二年を経て昭和四十年、地元の開拓団の方々が、各自の土地の一部を売却して建設資金をつくり、日本山妙法寺や有志の協力により完成し、昭和四十一年八月五日落成式と広島市への寄贈式が行われました。
塔内にはインドのネール首相より贈られた仏舎利が一粒、モンゴル仏教徒やセイロン国(現スリランカ国)より贈られた一粒、モンゴール仏教徒より贈られた各一粒も併せて奉安されています。

釧路市にも日本山妙法寺の仏舎利塔が。あります。

仏舎利塔は、仏舎利(釈迦の遺骨)を収めたチベット仏教起源の仏塔で、チベット・中国・日本など、世界にに多数あります。古くは法隆寺の五重塔も、仏舎利塔です。

お書きになられたように
アショカ王が、墓から遺骨を出し、細かく粉砕しひと粒ひと粒に分け、小分けする作業を行って、周辺国も含めて8万余の膨大な寺院に、仏舎利を配布したので、世界中に仏舎利塔あるとか\(^^;)..
遺骨、叩かれてバラバラにされた、お釈迦様は、お気の毒ですが。
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 そもそも仏舎利なる存在が実在したかどうかも判然としないのだから、こうした設問の仕方自体が成り立たないと僕は思う。

宗教なんて胡散臭い存在でしかない。死者の骨を拝んでありがたがるとの精神状態を疑ってしまう。
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日本では阿含宗がご本尊(仏舎利を受領してからご本尊を変更した)として所有しています。


検索すれば詳しい事情もすぐに分かります。

ただし、仏陀が入滅した後、その直弟子が仏舎利を拝む民衆に対して、それは過ちであることを説いています。
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