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私はどうも子供を自分たち(夫婦)のために作ったりするケースが多いと思うのです。
しかし、本来は生まれてくる子供のことを考えて、「この世に生まれることは子供自身にとって有益であるし~」といったような考えの末に生むべきなのではありませんか?


お願い
回答者は非唯物論者であることを前提に話してますので、基本的に回答は非唯物論者の方にお願いします。

倫理的に正しいとする意見の方は死についての考えと幸福の位置づけを書いてくださると助かります。

A 回答 (16件中1~10件)

>「この世に生まれることは子供自身にとって有益であるし~」といったような考えの末に生むべきなのではありませんか?





そういう親はむしろ危険です。

何故なら、今から生まれてくる子どもの気持ちを分かっていると「思い込んでいる」親だからです。


子どもが産まれ、実際に育て、子どもがコミュニケーションをとるに当たって、その子の考え方などを知って、「やはり自分の考えは正しかった」あるいは「あ、この子はそうなのか、自分の子育て方針を改めないと」など柔軟に対応できる親なら良いのですが、ここまで明確に子どもの利益を定義づけて子どもを作るタイプは、そんな柔軟性を持っているのか甚だ疑問。



柔軟性のある親と言うのは、子どもの事は考えていますが、「子どもの事を常に考えているが子どもの事など本当には分かっていない」と言う「無知の知」を自覚している人が多いと思います。

だから常に手探りで子育てをし、子どもとのコミュニケーションを大切にし、常に自分の考えや教育方針が正しいのか?これで良いのか?模索しています。だから、その子に合わせた教育が出来るため柔軟になれます。




しかし、生まれる前からこの子の利益と言う「明確な定義」を、わかったように「思い込んでいる」親。これは恐ろしい。



ソクラテスは、知らない事を知った風でいる者より、知らない事は知らないと自覚している者の方が賢いと言いましたが、まさにその通り。

そういう生まれきてもいない子の事を知った風でいる親より、「生まれてくる子どもの事は分からない。その子にとって生まれてくる事、私たちに育てられる事、この社会に放り込まれる事、それがその子にとって幸せなのか分からない。でも産みたい。だからこそ精一杯その子を愛そう」


そんな親のほうが、前者の親よりは賢い。


と言う事です。
前者は、モンスターペアレントの危険性も高いと言えます。
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この回答へのお礼

>思い込んでいる」親だからです。
考えの末と書いたのでご会があったのかもしれませんが、私は親が幸せを見つけられていて、それを子供に伝えるプランぐらいはあったほうがいいと考えているので、一種のフィルター的な役割になり、より幸福な人が増えるのではないかと考えたんです。

>「明確な定義」を、わかったように「思い込んでいる」親。これは恐ろしい。
だからこれは恐ろしいと思いますね。明確な定義ではなく、一定の方向性を提供するための問いだと考えています。

>だからこそ精一杯その子を愛そう
でもそれって両親が幸福を実感してるからこそできることですよね?そして幸福にさせてあげたい、できる可能性はあると無意識の内に思っているからですよね?ですからそういう確認のための問いのつもりでもあるんです。

回答者様の捉え方による私の質問から想像された親は私も大いに否定します。

お礼日時:2012/04/25 17:39

子供を作るなんてメリット・デメリット考えたらデメリットの方が遥かに多いよ。


これは実際に経験しないとわからないでしょう。
これを知るには自ら親となって体験するしかないと思いますよ。
考えても答えの出る問いでは無いです。
まさしく「考えるより産むが易し」っす。

本来、出産とか生殖って生物的な本能的な物ですから、理論や論理では計り知れるもんでは無いと思います。
犬や猫はそんな事を考えて子供を産んではいないですから…
逆に言えば人間だけが妙に知恵がついた故の悩みですね。
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この回答へのお礼

>子供を作るなんてメリット・デメリット考えたらデメリットの方が遥かに多いよ。
私の周りにはそう考えている人ばかりではないのでなんとも言えませんね。

>計り知れるもんでは無いと思います。
もちろんそうは思っていますが人間というのはなぜか悪い性質を持っていてそちらに流れる可能性があると考えているので、この問いが全てではないにしろ一種のフィルターのような役割を果たすことによって社会が良くなるのではないかと考えたのです。

もちろん生むのは簡単ですが、、、

ご回答ありがとうございました。

お礼日時:2012/04/25 17:33

それではあなたは、美味しい食事をする時に、


「体に良いから美味しい」と感じていますか?
本能は、たくさんの条件反射的衝動の集合の
上に、「進化=個体を維持する+生殖する」を
実現します。

それをいちいち個別の効果に分析し、即ち
根源的な進化への貢献において、充足感を
感じられるほど、人の認識は深まっていません。
せいぜい、それぞれの衝動が社会的にも意義の
ある事を認識し(自己の社会生命性の自覚化
=助け合いとしての社会行動=愛)、衝動の
発現のコントロールに喜びを感じるだけです。

性への快楽によって交配したとしても、その後
の母性・父性の愛によってフォローされる限り、
「たくさんの条件反射的衝動の集合の上に」
目的を達成する事に変わりありません。
そして結果的に、他への愛は自己の肉体の
消滅をこえる意志を導き、他への信頼の限り
において死をこえた充足感をもたらします。

この回答への補足

ご回答ありがとうございました。

補足日時:2012/04/25 17:33
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この回答へのお礼

>母性・父性の愛によってフォローされる限り
まさにそこが気になるんですよ。もしかしたら私の思い込みかもしれませんが、性への快楽>子供の人生 となるような両親が本当に愛を注げるのかという疑問です。
もちろん、性への快楽から子供への思いへのベクトルの変化はあるかもしれませんが、人間には一種の継続性があると考えていてそれは良い物は良くなり続けるし、悪いものは悪くなり続ける可能性が高いというものです。
ですから、最低限私の質問で上げたような問いをすることによって幸福になる子供の割合を高められるのではないかという考えです。

お礼日時:2012/04/25 17:30

非唯物論,唯物論,云々…


ここからの回答は貴方の価値観を満足させるものではないと思います。
ある種の疑問,怒りを感じ,反論等もあるでしょう…
子供を作るという時点で,貴方は驕りを持っています。
次に子供を欲するのは本能です。じゃ人は他の動物と同じかと思うでしょうが,答えは自分でみつけて見てください。驕りがあるうちは見つけられないと思います。
ま~子供のことを考えるのはいいことですが,考えすぎですよ。
自然に任せることです。(家族計画はちょっと別ですけど)
死,今の貴方のレベルでは,幾通りもある概念の説明をしても理解できないでしょう。
子供のことを理解出来ていませんし,死の深淵をみた経験がないですから。
それと,幸福に定義はありません。
人それぞれ,人生も無限に広がっていきますから。
http://oshiete.goo.ne.jp/qa/7421220.html
を参考にして下さい。
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この回答へのお礼

>子供を作るという時点で,貴方は驕りを持っています
自然界から与えられた機能にしろそれを使って人為的にするんですから、作るといってもいいでしょう?

>自然に任せることです
自然に任せた結果今のような経済的にも倫理的にも崩壊に向かう社会があると考えているのでこうして疑問を呈しているんです。

>死,今の貴方のレベルでは,幾通りもある概念の説明をしても理解できないでしょう。
子供のことを理解出来ていませんし,死の深淵をみた経験がないですから。
子供を理解するなんてそれは驕りにならないですか。
それと死の深淵を見たことがあるのと理解するのは関係ないと思いますが。。。

幸福に定義はないと思いますが各人がそういうものを良心に従って持っていると思っているのでそれに任せています。
その上である程度子供のことを考えなくてはならないのではないか?という質問です。
ご回答ありがとうございました。

お礼日時:2012/04/25 17:25

唯物論も幸福についてはきちんと考えていまして、


観測可能なものを実在とおくことから、以下のように規定されます。

『人間は架空の世界においてではなく、生きている間に幸福になるべきである』
(もうちょっと強く、ジェレミー・ベンサムなどのように
幸福になる義務を負う、といってのけたかっこいいハゲもいますが。)



一方、倫理において、幸福とはなんぞや、というと
『倫理に従って生きることを幸福と呼ぶ』という規定になりますね。
つまり、倫理の存在の根拠とは、それ自体であるのです。
(このへんの理屈はカントの『~~批判』に出てくる、
哲学の一大テーマのひとつなので、一読を強くお勧めします。
文字通り純粋に重い・・・じゃなかった、おもしろいですよー。)



さあ、両者の立場がわかったところで、
質問者さんの提示した前提、『唯物論』を否定した上で
『倫理』を組み上げてみましょう。何がおこるでしょうか?

唯物論を否定するのですから、実際に観測される幸福や
幸福であろうとする人間の努力のような不純物は全く無意味です。

『親にとって有益』『子にとって有益』なんて対価性は
唯物論の考え方。これも排除しましょう。
ああ、『対価』なんてあさましい。
親子関係なんですから無償万歳ですよねー。



結果として・・・



『子は親の為に尽くすことを幸福と呼ぶ』
・・・・という『倫理』ができあがります。


何かおかしい?いえいえ、問答無用でそれを幸福と呼ぶのですから、
全く矛盾しません。そもそもこの考え方、
儒教にも慣れ親しんでいる我々日本人ならば一度は聞いたことが無いですか?
父子の考ってやつです。
つまり想念に生きる人間は、観測に寄らず、ただそれを幸福と
定義するだけでよいのです。


それでもなお、おかしいと思いました?
で、あれば。あなたは想念の世界のみでは生きられない、
まごうことなく、人よ現実にこそ幸福であれかしと願う、唯物論者であるのです。
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この回答へのお礼

>つまり想念に生きる人間は、観測に寄らず、ただそれを幸福と定義するだけでよいのです。
確かにそうなると思いますがそれは良心から出たものとその人の哲学にそって構成される必要があると感じます。そういう一時的な根本のない定義は想念に生きるものにとって幸福を奪い去り、この世界においての幸福が削がれるように思うのですが。

ご回答ありがとうございました。

お礼日時:2012/04/25 17:17

私はどうも子供を自分たち(夫婦)のために作ったりするケースが多いと思うのです。


しかし、本来は生まれてくる子供のことを考えて、「この世に生まれることは子供自身にとって有益であるし~」といったような考えの末に生むべきなのではありませんか?

○ まあ、本当のことがわからないからこういう質問がでるのでしょうから、何が本当かを知る必要があるのですね。
まず、子供は何もかも知った上で生まれてきているのですね。だから、両親がどのように考えようが産んで、育ててもらえば嬉しいのですね。まあそれで、両親が離婚もせず楽しくしてくれれば更に良いことですね。
たとえ、離婚しようと予想済みということなのですね。こんなことは大きくなるにつれ忘れてしまいますから、ひどい両親だとか、いろいろ恨みを持つ人が多いですが、これは勘違い、筋違いのことですね。
たとえ、どのような環境であれ、生まれてくるためには両親の許可がいるわけですから、生まれたいと思う子供は土下座して頼んで生まれてきているのですね。
こんなのが昔は常識だったので、親殺しは五逆の大罪の一つなんですね。現代でも同じなんですよ。なにがあっても親に手をかけるな、なんですね。人格がちがいますから嫌なら逃げることなんです。

つまり、親になってみんなわすれているのですから、夫婦のためでもなんでもいいんですよ。むつかしい理論も倫理もなく、子供を産み、育てることは立派なことということなのですね。
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この回答へのお礼

>まず、子供は何もかも知った上で生まれてきているのですね。
どうしてこの文章がひねり出されたのか理解できません。

>育ててもらえば嬉しいのですね
一時的にはそうでしょうね。

>つまり、親になってみんなわすれているのですから
どうして親になって忘れているという結論が出たのか理解できません。

なんとも意味がとりにくすぎて理解できないです。

お礼日時:2012/04/25 17:06

 子どもは「作らないと出来ない」ってことを前提にすれば、夫婦が行動を起こさない限りこの世に生命は誕生しませんね。


 でも、人間は存在する。

 では、すべての生命の誕生に理屈が必要なのか・・・。といえば「No.」ですよね?


 ではなぜ夫婦の為に子供が必要なのかを考えると、「結果論」でしかないと思うのです。

 生命の誕生と死、それと幸福の位置づけを同列にすること自体がおかしいと私は思います。

 まず、生有き。
 次のステップが幸福論
 それから「死」でしょう?

 私は「死」について考える事自体を否定していますからそこで反論が来るかもしれませんが、スルーします。

 生まれ来る子供に存在の意味を有意義だと誰が定義づけをするのか?親しかいませんよね?有意義になるように準備して覚悟の上で子作りをするべきだというなら、納得し、賛同します。

 でもDNAに逆らうことは出来ない。何故なら本能だから。でもその本能すら全うすることが現代ではかなわないのはなぜでしょうね?神のいたずらなのか?

 少なくとも私は産んだ子供を「自分の子供」と位置づけはしていて責任もあると認識していますが、誕生と同時に別個の人間であるとも思っているので、有益という言葉は使いたくないです。

 有益とは・・・・だれかが「益を得る」必要があるわけで、それを子供に与えらえない夫婦は子供を作るべきではないと。そうお考えなら、あなたは「有益」」ですか?

 無償の愛がこの世になければ、異種生物の幼生を育てたりしないでしょう。

 少なくとも何らかの算段があると仮定して自分がこの世に存在するとするならば今すぐ死を選びたいと私は思います。

 誰かに有益か無益なのか勝手にステッカー貼られるのは遠慮したい。ていうか誰にもレッテルを張ることは出来ないと考えるからです。


 余談ですが、
>>お願い
回答者は非唯物論者であることを前提に話してますので、基本的に回答は非唯物論者の方にお願いします。
 は、「質問者は・・・・」のまちがいですよね?

 

この回答への補足

いろいろな回答や自問自答で考えが変わりました。

>すべての生命の誕生に理屈が必要なのか
私は誕生には必要とは言いませんが社会を維持し、高めていくには必要だと感じています。

>「結果論」でしかないと思うのです。
すみませんがここがよくわかりません。生まれてみなければ有意義だったかどうか判断しかねる。という意味でしょうか。

>同列にすること自体がおかしいと私は思います。
一応死が生すべてを虚しくするといった考え方などもあるし、回答者がどのような死生観を下に考えているかも知りたいと感じたので教えていただきたかったんです。死のみは生まれた瞬間から直面することが決まっている重大な問題だと考えたんです。特に非唯物論者には、、、

>有意義になるように準備して覚悟の上で子作りをするべきだというなら、納得し、賛同します。
これです!質問の言い方がまずかったんですがそうしたほうがいいだろうと考えたんです。 社会の観点から見ればすべきだと思います。

>でもDNAに逆らうことは出来ない。
非常に難しいと考えていますが、主体にとっての生に直接かかわらない限り理性で抑えることが可能と考えています。
特に子作りにつながる性衝動に関しては現代になって、抑えることが用意になったんじゃないかと思います。(性コンテンツの充実)

>そうお考えなら、あなたは「有益」」ですか?
有益なんて言い方より有意義のほうが適切ですね。
ご指摘感謝します。

>無償の愛がこの世になければ
これについて私はそれをすることによって得られる満足感と捉えてます。つまり自分の満足感のために動いてるのかもしれないと。しかしこれだと言葉の定義の問題になるので議論は無意味ですよね。

>少なくとも何らかの算段があると仮定して自分がこの世に存在するとするならば今すぐ死を選びたいと私は思います。
つまり決定論は受け入れがたく、自由意志のもとに生きたいと考えるわけですか。

余談について
いえ、回答者であってます。
唯物論は絶対的に拒否しているのでその唯物論的観点から出る議論は避けたかったんです。(どのような議論になるかわかりませんが一応)

補足日時:2012/04/16 20:34
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございました。
この厳密な分野において私の言葉の選択が曖昧なことが議論の大体の原因になってしまいますよね。申し訳ない。

お礼日時:2012/04/16 20:35

第二の誕生 と言う言葉がありますよね



人は二度生まれる 一度は命として そして二度目は(概してですが)精神として

一度目の誕生は動物として生まれるのです

本能のままに生まれてきます

今でも人間は食物連鎖の中にいて 弱肉強食の強者です

動物を殺して生きています

しかし人間は命と精神を持ちます

私の考えでは人間の本質は精神です

命も大切ですが 精神(心)も大切です 動物として生まれてきた赤ちゃんを

精神としての人間に育ててください 本能 欲望 感情を持った人間ですから

育てるのは大変ですが 人間と言うものは尊いものです。

森に放置された赤ちゃん アマラとカマラは狼と共に生き

人間としては十分には育たなかったそうです。

この回答への補足

色々な回答や自問自答の中で考えが変わりました。

本来の性悪説の方みたいですね。

>私の考えでは人間の本質は精神です
私もほぼ同じ考えです。

本当に尊く育てるのは大変なんでしょうね。

ところで私の質問にある子供よりも親の優先順位が高いことに関する疑問に対する答えが見つけられないのですが。。。

補足日時:2012/04/16 20:15
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございました。

お礼日時:2012/04/16 20:15

1)>.生まれてくる子供のことを考えて、「この世に生まれることは子供自身にとって有益であるし~」といったような考えの末に生むべき



そういった考えもあるでしょう。子供本位論者 ですね。一方

2)>子供を自分たち(夫婦)のために作ったりする

ことも当然あると思いますよ。これがけしからぬという理由は格段ありません。
誰だって子供はかわいいですが自分だってかわいいからです。自分は自分でかわいがらねば(護らねば)誰からもかわいがられることはないというのがおおかたの彼らの論理でしょう。自分しか信じられない、自己責任ということでひたすら生きているのが自分なのです。狂っているとは思いませんが、ただ、偏狭だという懸念はあります。それが貴方の気に染まない理由なのでしょうか。

自身を犠牲にして子を護る(作る)というのは倫理ではなく、自然世界のオートマチズムからきているのだとおもいます。美しく感じられるのは2)よりも自然の形にかなっているからでしょう。

私もそうありたいと思います。

この回答への補足

いろいろな回答や自問自答があって考えが変わりました。

2)は何も不思議な事ではなく、1)はただの私の感情を下にした考えでした。考えが変わった上でも1)のほうが幸福を増すと考えていますが気に染まないことはなくなりました。

>美しく感じられるのは2)よりも自然の形にかなっているからでしょう。
自身を犠牲にしてまで行くかどうかわかりませんが、自然の形にかなっているという考え方はストンと腑に落ちました。

私もそうありたいと思います。

補足日時:2012/04/16 20:08
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございました。

お礼日時:2012/04/16 20:08

動物が本能のままにやることに


論理も倫理もないでしょう。
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この回答へのお礼

私は本来の性悪説の立場に立っていて、人間は本能に従うととんでもなく質の悪いものになると考えているのでこういう質問を呈しています。

お礼日時:2012/04/16 20:01

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