プロが教えるわが家の防犯対策術!

アメリカ在住40代の女性です。こちらの教会で知りあった49歳の黒人の女性が子供の頃 お母さんが再婚した義理のお父さんから犯されていたそうです。9歳くらいからの話だそうです。お母さんは何が起こっているか知らないフリはしていたけど お父さんが二階で待っているから行きなさいと言われていたそうです。母親は何が起こるのか知っていて私を二階に送っていたとしか思えないと言っていました。何が起こるか分かっていて階段を上っていくときはとてもつらかったと言っていました。この話を一緒に聞いていた教会の上の方の人が彼女に お母さんを許しなさい。と言ったのです。私は人を許すのは自分の為だと言う事は分かっていますが 許すにも程があるだろう?と思うのです。 自分の旦那に犯されているのに我が子を二階に送り続けたその母親が許せません。 私が彼女の立場だったら その母親を哀れみはしますが 許して普通に親子ごっこはできないと思います。私は物事には許せることと許せないことがあると思うんですが私は間違っているのでしょうか? 皆さんのお考えを是非お聞かせ下さい。

A 回答 (14件中1~10件)

 No.6&11です。



 もう今回で打ち切りとします。一人が長いやり取りをするのもはばかられます。


 ★ (No.11お礼欄) ~~~~
  >人間の存在とそしてその行為との区別の問題があるのではないかと。

 それも教会で言われるんです。うちの教会では
 ある人が非常識なことを言ったり したりすると それは彼女のせいではない。
 悪魔のせいだっていうんです。教会だから ”悪魔”なんて言葉を使うけど
 彼女の非常識な行為や言動は 彼女のせいじゃないって言うんです。

 >人間の存在とそしてその行為との区別の問題があるのではないかと。

 と言う発言はそれと同じように聞こえるのですが。
 ~~~~~~~~~~
 ☆ 現代では同じような意味で《ムイシキ》の所為にすると思います。これ自体も 人間の意志を踏みにじる暴挙だと考えます。
 【Q:カインは なぜ・どこが わるかったのか?】
  http://soudan1.biglobe.ne.jp/qa7308621.html


 彼女のせいですよ。(そのお子さんが 成人したあとでは 本人の自由意志のせいに〔も〕なりますが)。

 行為を問うということは 意志行為であるのですから その意志ないしその考え方を問うことだと考えます。あなたの意志行為が 自由であるごとく ほかの人の意志をとうとびその表現の自由を侵してはならないではないかと。精神錯乱に落ち入るのは自由だが ひとに迷惑をかけてはいけないと。

 とことん話し合いを持つのですが・つまり最後まで問い詰めるのですが いかんせん それに対して説明責任を負わない場合には そういう人間だと一たん認識する必要もあるようです。それも(責任をのがれようとすることも) 自由意志の一環だと捉えざるを得ないからです。
 しかもその存在は 受け留めなくてはならないという共生の原理があります。(避けてもよいし 離れて行ってもよいでしょうが)。

 あとは 本人の――したがって 誰にとってもそれぞれ自分の――心のやわらぎの問題となると思います。世界と和解しているか です。
 責任ある者に責任を問うことと自分の心にやすらぎを得ることとは 別の問題です。ひとに責任を問うてその答えが出ないからと言って わが心が晴れないというのはあたかも《アクマの所為にしている》ようなものです。子どもに対しても 中学生くらいからは そう言って行くべきだと考えます。

 【Q:人が 人のあやまちを赦すことができるか?】
  http://soudan1.biglobe.ne.jp/qa7380915.html


 
 不案内な回答だったかも知れません。
 最後の質問の趣旨は 《ひとには 人のあやまちを赦すことも赦さないことも 出来ない》というものです。《赦す・赦さないことをいづれも出来ない》という能力が人は 自然本性においてそなわっている。という命題です。
 この点 お尋ねがあれば 説明責任をはたさねばならないかも分かりません。もういいとおっしゃるかも分かりません。
 
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この回答へのお礼

なにか 今回のあなた様のご回答で 少し分かってきました。
>《赦す・赦さないことをいづれも出来ない》という能力が人は 自然本性においてそなわっている。という命題です。
何かができない能力というのは分かりにくいですが
結局 私達凡人は人を許すとか 許さないとかを言う所ではなくて
それはHigher Powerが判断することで 凡人の私たちはそれをするに及ばない。
と理解して宜しいでしょうか?それだったら 賛成です。

色々よく考えてみたら 彼女自身は麻薬を売ったり(=他の麻薬中毒者を増やす手助け) 障害事件(知りもしない人を気にいらなかったらナイフで切りつけたりしていたそうです。)を起こたり 盗んだものを売り払って生活していたりと 彼女本人はお母さんのことばかり
非難する義理じゃない。と思ってきました。 人からは物は盗まないけど 大きなお店からは
大量に盗んだ。だから自分は良心があるんだと自慢していました。

話が横道にそれましたが 今回は私の疑問に辛抱強くお付き合い頂いて 大変感謝しています。
未熟者ですが 又疑問があって質問した際にはお付き合いいただければ幸いです。
ありがとうございました!

お礼日時:2012/04/18 12:15

許されていい訳がない。

そんなことは当たり前じゃありませんか。許すなんぞ言語道断。

大切なのはどうするかですよ。

同じ目に遭わせるのか、訴えるか、殴るか、銃で撃ち殺すのか・・しかし、復讐では救われませんね。

そういうことが今後起きないようにするために具体的に何をするかでしょう。
自分の体験を発信し、その悲惨を訴え、そういう子供達が少なくするようなシステム作りをやることが彼女の救いになるでしょう。
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この回答へのお礼

>そういうことが今後起きないようにするために具体的に何をするかでしょう。
自分の体験を発信し、その悲惨を訴え、そういう子供達が少なくするようなシステム作りをやることが彼女の救いになるでしょう。

そうですね。全くその通りだと思います。

でも そんな幼児体験があり ろくでもない母親だったからか 不幸にも学歴なし。
刑務所に合計13年服役。刑務所を出たあとはうちの教会が助けるまでは
薬物中毒で壊れた建物に住みホームレスで盗みをして生計を立てていたそうです。

でも自分の不幸を元に それだからこそ人を救えたら精神が解き放たれるでしょうね。
又 違ったご意見大変参考になりました。ありがとうございました。 

お礼日時:2012/04/18 11:44

宗教の目的は『心の矛盾の解消です。

』この意味は、人間が感じたり思っている事は『多面的』に物事を捉える力と、『個として』物事を捉える力が二つ存在する事を意味します。

違う言い方をするなら、人間の苦しみは、個としての『自我』とその自我に全ての、働きを持たせている力『命の働き』が存在していて、その二つの意識が『相争う事が』人間の心を圧迫しています。

この圧迫感を『罪の意識として』人間は感じています。言葉を替えて云うなら『漠然とした不安です。』=『何処から来ているのか分らない、心の苦しさです。』

貴方が提示する問題『親を許すにも程があると思う私が間違い? 』と言う問題とは、かけ離れた事柄に見えるかも知れませんが、根元は繋がっていると思うからです。

人間の苦しみとは『受け入れられない事に出会う場合です。』この事を極端に表現するなら、『生と死』です。或は有限と永遠です。

罪の意識の最たるものが『死に対する不安や、恐怖感』です。是が『心の矛盾』です。

この意味するところは『有限と言う自我意識』=『個としての自分』VS『永遠の存在である、自分自身の命の働き』=『全てを見通して働いている、自分自身の働き』=『五官から入る全ての情報を受入れていながら、更に脳梁を通して自我に伝えている働き』と云う事になります。

簡単な言い方をするなら、自分の『我』VS『命の働き』

脳科学から言うなら『左脳に存在する意識』VS『右脳に存在する意識』と言う構図になります。

右脳に存在する意識を、脳の障害によって、上手く表現している『脳科学者』の動画を載せてみます。


URL:


この動画から読み解く事は、人間には全てを肯定していて、全てを受入れている存在が『自我意識と共に同居している事です。』この同居している意識と、上手く同調出来なかったり、仲違いする事が『人間の障害になっている事です。』

この二つの意識が上手く同調出来た場合を『健常者』と呼んでいる事です。

この者は『命を働かせている意識です。』一人の人間の『生命維持装置として働いている者』です。この者と同調出来ない場合に『心の矛盾』として、湧き上がる感情があります。

自分自身と『同調出来ない部分』を症状と呼んでいます。

簡単に分類するなら『身体の生命体として、同調出来ない場合を』自律神経失調症。

行動に対する働きと、同調出来ない場合を『神経症』

心に対しての働きと、同調出来ない場合を『心を病む』と読んでいます。

そうして深刻な悩みを抱えている場合も同じく『心に矛盾を抱えている事を意味します。』

この心の矛盾の解消を、果たす役割が『宗教の目的となって』宗教文化の発展を促してきました。

その究極のものが、『全てを受け入れる事』です。受け入れられない事、やものが『人間の苦しみの元になっているからです。』

全てを肯定して受入れた時『全ての苦しみから解放される時』だからです。

良いとか、悪いとかも言わないで全て受入れる時『絶対肯定』と言う立場に立つことが出来ます。

ストレスが多い人とは『受け入れる事が出来ない事が多い人の事を云います。』

ストレスがない人とは『全てを肯定して、全てを受け入れている人の事です。』良いとか悪いとかを云わないで、嫌な事でさえ『受け入れる事が出来た場合には』死の淵にある場合でも、安らかに安楽に死を迎える事が出来る事を意味します。

それが『悟り』の功徳です。
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この回答へのお礼

あなた様のご意見 とても考えさせられました。ジルさんのレクチャーも最初はこの話とどんな関係があるのだろうと不思議でしたが 最後まで彼女の話を聞いて考えさせられました。 右脳で生きる人間になりませんか?というメッセージだと受け取りました。確かにゆったりしてて心の広い人とセカセカした心の狭い人がいるとおもいますが それもこのレクチャーで右脳で考えられる人と左脳でしか考えられない人が居て そこが違うんだなと思いました。 脳は開発されるのでいっぱい考えて いっぱいいろんな方のご意見を聞いて 右脳を磨きたいと思います。

>ストレスがない人とは『全てを肯定して、全てを受け入れている人の事です。』良いとか悪いとかを云わないで、嫌な事でさえ『受け入れる事が出来た場合には』死の淵にある場合でも、安らかに安楽に死を迎える事が出来る事を意味します。

そうおっしゃられては 言い返す言葉もありません。その通りだと思いました。

精神修行がんばります。

ちなみにジルさんのレクチャーは英語だったので 13歳の息子にも見せて話しをしようと思いました。

ご回答ありがとうございました。

お礼日時:2012/04/17 12:05

 No.6です。



 ご参考に。

 【Q:ザビーヌ事件について なぜそれを無効の行為だと判断してはならないか?】 
 http://soudan1.biglobe.ne.jp/qa5724038.html

 ▲ (ヰキぺ:ザビーヌ・ダルデンヌ) ~~~~~~~~~~~
 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B6%E3%83%93% …

 ザビーヌは1996年5月28日、12歳のときに通学中に誘拐され、犯人の家の特製地下室(幅99cm・奥行き2m34cm)に80日間閉じ込められる。その間、小児性愛者である犯人から性的虐待を受け続けた。
 ・・・
 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 ☆ 蚊が刺しただけですよ。
 法的な処置が どうなるかの問題とともにでしょうが 法律に対してもそれに先行して 人間の存在とそしてその行為との区別の問題があるのではないかと。
 無効の行為については ひとは為すすべがないと。
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この回答へのお礼

ザビーヌ事件は知りませんでした。
関係ないですが性的な幼児虐待やレイプをした男性達を刑務所に入れると国民の
税金がかかるので そう言う人たちは世間に野放しにはするけど男根を切断すると言う
刑にしたら 税金はかからないし もう 幼児虐待もレイプもできなくなって 世の中がより上手く
収まると言う意見を私は持っています。

>人間の存在とそしてその行為との区別の問題があるのではないかと。
それも教会で言われるんです。うちの教会では
ある人が非常識なことを言ったり したりすると それは彼女のせいではない。
悪魔のせいだっていうんです。教会だから ”悪魔”なんて言葉を使うけど
彼女の非常識な行為や言動は 彼女のせいじゃないって言うんです。

>人間の存在とそしてその行為との区別の問題があるのではないかと。
と言う発言はそれと同じように聞こえるのですが。

私の読み もしくは 理解が足りないのでしょうか???

でも 蚊が刺したという考え方は 私に起こったいやな事に対する 考え方として
使わせていただきます。 ”こんなことなんて心に悩むことではない。 蚊が刺した位のものだ”と
何かあったときに考えさせていただきます。 ご回答ありがとうございました。

お礼日時:2012/04/17 12:29

教会のいう「許す」という意味がわかってないんだよ。



許すのは、その母親の為だと思ってるから許せない気持ちになるんだよ。
どの程度ひどいと許せて許せなくての、許す判断基準の問題じゃないんだよ。

許すのは、本人の為だよ。本人が幸せな未来をつかむ為だよ。
本人の心が幸せにならねば、幸せになりにくいんだよ。だから自分が幸せになる為に許せって言ってんだよ。
極端にいうと母親がどうなろうとどうでもいいんだよ。
でも親族に恨みを抱いたまま生きたら、様々なシーンで支障が出るんだよ。想像できるかい?

あなたが許せない人がいたら、許してみん。あなた自身の心の状態がどう変わるかよく理解できるから。
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この回答へのお礼

私もふつつかながら 人を許すのはまさに自分のためだと思っています。
だから 私から高価な物を盗んだ人も 人のものを盗むまでしてお金がいるのなら
それはそれで仕方がないと許していますし、ひどいことを言った人も そんなこと言わないと
気がすまないなんてわいそう。とあっさり許せます。でも これらの事は
自分の体と関係ないからです。例えば自分や、子供や配偶者が一ヶ月間意識不明になるくらい
なぐられたり 無理やり性行為を強いられたり 自分の子供が自殺するくらいイジメたおした いじめっ子を許せるか?とか 体が関係あることは そう簡単に許せないと思ったので質問しました。
でも 結局 母親を許せれば彼女のためには一番いいのはわかっています。
でも私だったら 許せなんていわれたら それを言った本人を人を使って犯してもらって
真犯人の私を許しなさいと言いたくなります。

お礼日時:2012/04/16 13:55

私も許せないと思います



教会側が間違っていると思います

牧師さん個人の考えなのか宗教の考え方なのかはわかりませんが

異常な結論に到っていると思います

まぁ、宗教家がモラリストだとは限らないので

そういう人なんだと思うことしか出来ませんね

お国柄という可能性もありますし
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この回答へのお礼

あなた様のご回答を読んでいて はっとしましたが
こんなことが許されないといけないのなら なんで罪を犯した人を刑務所に入れるんでしょうね?
自分の子供に売春をさせていたお母さんが逮捕されたというニュースは聞いたことがありますが
子供を自分の旦那のセックスの相手にさせていたのは許されるんでしょうかね?
>異常な結論に到っていると思います
私もそう思ったので質問出せていただきました。
ご回答ありがとうございました。

お礼日時:2012/04/16 13:38

間違っているのは貴方が通っている教会です。


もしからしたら教会ではなく、彼女に「許しなさい」と言っている人個人かもしれません。

いづれにせよ、このような非人道的な発言・指導をする教会からは距離を置くべきでしょう。
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この回答へのお礼

この質問でいろんな考え方を ご教授させて頂きましたが、
やはり 許せないですよね?
私を無理やりレイプした男性が仮にいたとして 
たった一回のレイプでも許せないですよね? それが 彼女の場合何年も犯されてたんです。
子供なのに。私も人を許せないことがあるので この話から 他の方たちの考え方を教えていただきたく質問させていただきました。
>間違っているのは、彼女に「許しなさい」と言っている人個人かもしれません。
言った本人は男性です。どう考えても無責任に感じるんですけど。私。
率直なご意見ありがとうございました。
救われた気がしました。

お礼日時:2012/04/16 13:28

間違ってはいません。


ただし表現を変えると、あなたの言いたいことは、
物事には許せることと
そう簡単には許せないことがある、ということかと思います。
しばらくお付き合いください。

私たちは一回きりの人生を偶然のように生きているわけではありません。
誰もが数え切れない輪廻転生を経験しているその途上にあります。
また同じように、
私たちの人生は自分でどうにもならない運、不運に翻弄される、波間に漂う
小舟のようなものでもありません。
私たちの人生は、
実は始められる前に作られた青写真に従って展開されていきます。
私たちがこの三次元という物質世界へやってくるのは、
この次元でしか学べないものを学ぶためです。
私たちの生きる宇宙には法則があって、その一つに、
「自分が与えたものを受け取る」というものがあります。
つまり、好むと好まざるとに関わらず人生に降りかかってくる出来事の
ことを言います。
これが一般的に「カルマ」と呼ばれているものです。
私たちは繰り返される輪廻転生の数ある生涯を送る間には、
多くの経験の中でさまざまなものを与え、また与えられてきました。
そして「自分が与えたものを受け取る」という宇宙の法則は一貫して、
私たちの転生を貫いて正義を現します。
つまり自分の人生に現れる出来事は、自分が承諾した事なのです。
私は誰をも裁いているのではありません。
人にはそれぞれ誰にもわからない、
当事者同士にしかわからない理由があるのです。
その女性が逆らうこともできず、
母の命令で二階の義理の父のところに行かなければならなかったのには、
当事者同士にしかわからない、前世からの理由があったのです。
私たちは、至高の創造主から生まれた魂であるその本性のゆえに、
自分の人生において
欠けていた愛と正義のバランスをとろうとするものです。
その魂が持つ高貴さのゆえに、
私たちはいかに非道に思える経験であっても、受け入れようとするのです。
それが、
実は真の意味で、自分を癒すものであることを魂は知っているのです。
そのゆえに、彼女がお母さんを赦すのは、正しいのです。
しかし多くの場合、
私たちは不運を嘆き、相手を憎み、運命を呪って、そこで思考停止します。
赦せ、というのは簡単ですが、
私たちは以上のような事柄について学び、心から納得する必要があります。
そうするとき、私たちは真に癒されて、
自分が受け取りたいものを人にも与えようと、生きるようになるのです。
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この回答へのお礼

未熟な私にもわかりやすいようにご親切に回答を書いていただき 恐縮とともにとても嬉しいです。
さっき 義理の弟とちょうどカルマや あなた様のおっしゃるところの
>「自分が与えたものを受け取る」
のキリスト教版の you shall reap what you sow について話していたばかりのところです。
これを私なりの和訳をすると あなたが収穫するものはあなたが蒔いた種から育ったものだ。
とでも言うところでしょうか?

私も宇宙には法則があると信じているので あなた様のご回答には納得できました。

>私たちは不運を嘆き、相手を憎み、運命を呪って、そこで思考停止します。
赦せ、というのは簡単ですが、
私たちは以上のような事柄について学び、心から納得する必要があります。
そうするとき、私たちは真に癒されて、
自分が受け取りたいものを人にも与えようと、生きるようになるのです。

すばらしいメッセージをありがとうございます。うちの教会の牧師に是非このメッセージを
日曜日の説教に取り入れてくれといいたいくらいです。
ご回答心より感謝致します。

お礼日時:2012/04/16 13:19

 こんにちは。



 ひとと行為とを分けてみてください。

 ひとの存在と ひとの思惟や行動 これらを分けて捉えてみてください。

 後者について それなりにつぐないをするべきでしょう。つぐないをするよう 他者としてでも要求してよいと考えます。最小限のこととしては 《ごめんなさい》とのひと言を言わせることです。
 ひとの自由意志を踏みにじったという咎です。


 存在は われわれと同じく・またわれわれもそのアヤマチについて自分のアヤマチなら容易に赦しますから 互いにとうとぶのが ふつうのことです。

 といったふうに考えて行ってください。
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この回答へのお礼

>ひとの存在と ひとの思惟や行動 これらを分けて捉えてみてください。

やっぱり哲学の分野の方々のご回答は深いですね。 私は未熟者なので
人も その人の行動も思惟も一からげにして その人を憎んでしまいます。

>存在は われわれと同じく・またわれわれもそのアヤマチについて自分のアヤマチなら容易に赦しますから 互いにとうとぶのが ふつうのことです

そのように考えられたらいいのですが 過ちにも程度があるのではないか?と思ってしまいます。
当然 あなた様のように考えることができる人間になれたらいいなと思い
その道筋を教えていただきたく 質問させていただいていますので大変参考になりました。

>最小限のこととしては 《ごめんなさい》とのひと言を言わせることです。
ドキッとしました。まさに 彼女はごめんなさいに一言が欲しいのだと思います。
そしたら やはり母親なので許せる気持ちになれるだろうと思いました。

ご回答大変ありがとうございました。

お礼日時:2012/04/16 13:01

>>親を許すにも程があると思う私が間違い?



○ 間違いですね。

まあ、本当のことがわからないからこういう質問がでるのでしょうから、何が本当かを知る必要があるのですね。
まず、子供は何もかも知った上で生まれてきているのですね。だから、両親がどのように考えようが産んで、育ててもらえば嬉しいのですね。まあそれで、両親が離婚もせず楽しくしてくれれば更に良いことですね。
たとえ、離婚しようと予想済みということなのですね。こんなことは大きくなるにつれ忘れてしまいますから、ひどい両親だとか、いろいろ恨みを持つ人が多いですが、これは勘違い、筋違いのことですね。
まあ、話はひどいですけど、肉体は滅んでいくものですから、肉体の嫌な思いは捨て去ることですね。精神は心を閉ざせば誰も踏み込むことができませんし、犯されることもありません。
たとえ、どのような環境であれ、生まれてくるためには両親の許可がいるわけですから、生まれたいと思う子供は土下座して頼んで生まれてきているのですね。
こんなのが昔は常識だったので、親殺しは五逆の大罪の一つなんですね。現代でも同じなんですよ。なにがあっても親に手をかけるな、なんですね。人格がちがいますから嫌なら逃げることなんです。
産んでくれた母が自分の弱さのために羊を差し出したということなのでしょうね。子羊はそのような弱い母に同情すれど憎しみをもってはいけませんね。産んでくれたことで許してあげましょうよ。
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この回答へのお礼

ものすごく深い内容で私のような人間では一回読んだだけでは 真髄の意味が分かりませんでした。
プリントして 何度も読んで 勉強させていただこうと思いました。
なんだか宿題を頂いたようで嬉しいです。ご回答ありがとうございました。

お礼日時:2012/04/15 14:13

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