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国鉄101系や113系電車の車番は綺麗に揃っている編成が不思議なくらい無くて大抵バラバラでした。
具体的には101系は殆ど全ての所属区でバラバラになっていて工場入場も143系でサンドイッチして電動車2両だけで入場ということが多々ありました。111・113系は大船区所属車が特にバラバラでした。幕張区ではなぜか偶数方の0番代制御付随車がほとんどありませんでした。
しかし183系0番代の編成は綺麗に揃っていました。103系はこれまた独特でして編成内の付随車、電動車ユニット、制御車は個々では連番なのですが種別にばらされている事が多かったと記憶しています。
なぜこのようになっていたのでしょうか?バラバラな編成は部分故障や検査が多発していたという事でしょうか?

A 回答 (4件)

なぜ「編成内の番号が揃わなかった」かと言うと



1.検査体制が今と違い、電動車と付随車の検査周期が
違っていたため、検査のたびに車両が入れ替わっており
それが当たり前であった。

2.1編成で車種が複数あり、その両数が違っていたのに
番号だけは「通し」で振っていたため、落成時から番号が
揃ってなかった。

3.1,2の状態なのに、国鉄時代は車両単位で広域の配転
があり、余計番号が揃わなかった。

111系などは、モロそれですね。特に大船は、横須賀線電車
の配置区がコロコロ変わっただけでなく、総武線直通(=地下
線対応)などで車両単位で細かく入れ替えがあったために、
番号がグチャグチャになったんです。

一方房総の183系は「特急車なのに地下線乗り入れ対応が
なされていた」という特殊な条件のために、車両の入れ替え
がほとんどなく、また、その頃から「編成単位での入場」に
検査体制が変わったために、番号が揃ったままなんですね。

車両の番号を揃える、という発想は「営団地下鉄6000系」が
始めです。あの車両は車種に関係なく先頭から「6001,6101
・・・」と番号が振られ、番号を見るだけで「第何編成の前から
何両目」と判るようになったのが画期的でした。それまでは
「車両の種類や運転台の有無」で番号を振り、編成としては
メチャメチャになってるのが常識でしたからね・・・。
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この回答へのお礼

確かにNo.2だと113系、415系、451系、485系があてはまりますね。
車両替えを容易に行えるようにするために同一機器搭載の車両ならば113系であっても
先頭車をクハ111としたのでしょうね。
余談ですが411系と413系がなくていきなり415系が製造された時は不思議に思ったものです。

そういえば車両配置表というのは古くからありましたが電車編成表は79年以前は見掛けません。
古くは年数回とか頻繁に編成が変わった事もあるのでしょうか?

伊東線の113系等は1000番台のスカ色と0番代のカボチャ色が混合でしたね。
ドア上部に「伊東線」なんて書かれていたような気がします。

確かに地下線対応の特急車とは特殊ですね。
255系登場以前は他に配転させてしまったら予備車が不足してしまいますね。
「あずさ」や団臨運用もあったし。

あの営団6000系は画期的やったんな!日本初チョッパ制御でしたっけ。

お礼日時:2012/05/11 23:13

この時期の通勤型や中距離型の車両(183系は別ですが)だと、新造時非冷房ですから、冷房化工事の進展に伴う組み替えが煩雑に行われています。



山手線の103系だと、ATC化の際、高運転台(細目)導入時に、先頭車だけ交換した場合は、クーラーが乗っていてもMGが無いため非冷房、2-3両目のモハにMG搭載で初めて冷房化という事になります。ですから、当時、先頭車だけクーラーキセがある編成はわざわざ乗り過ごしたものです(東急の、クーラーキセの中が素通しだった冷房化準備車両みたいなのですね)。
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この回答へのお礼

冷改工事のための組み替えというのもあったのですね。
でっしたよね!わかります!
先頭車のみAU75搭載とかあれって一般乗客を馬鹿にしてましたよねw
今思えばよっぽと財政難だったんですねw

お礼日時:2012/05/11 22:43

 車両には必ず運用しない予備車両が必要です。


 予備が無いと車両が故障した時に運休する事になってしまいます。
 定期的に検査をしないといけませんが、検査中は使用できません。その為にも予備が必要です。
 効率を考えますと予備は少ない方が良いので、数両づつ入場させれば予備車両を少なくする事ができます。

 首都圏では103系が活躍していた時期に山手線、京浜東北線でATC化が行われました。そのためには先頭車にATCの機器を搭載する必要がありましたが、ATC対応の新製車を入れて従来の車両を改造せず転出させる方法になりました。
 10両編成で前と後の3、4両は新しい車両で中間は古い車両という編成は珍しくありませんでした。

 183系0番台は幕張のみの配置で、編成単位に導入されましたので揃います。
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この回答へのお礼

検査切れになった車両だけを入場させる方法は合理的ですね。
これは80系気動車でも同じだったのか興味深いです。

確かに国鉄時代は広域配転が多かったですね。
山手線の編成なのに水色の付随車が入っていたりということが多かったです。
それにしても京浜東北線の編成組換えは古き時代の車が生え抜いていたので
趣味的には素晴らしかったです。しかし常に編成の中央だったので
乗客が殺到する階段付近である事が殆どであったのでその非冷房ぶりには悩まされたものです。

お礼日時:2012/05/11 22:34

形式によって製造両数が違うのですから自ずと番号はずれて行きます。


車両の管理を編成単位では無く車両単位で行っているのですからバラバラなのが当然です。
もともと電動車と制御車、付随車では検査にかかる時間も違っています。
最低限の両数で運用しようとすれば検査回帰が来たり故障した車両を抜いて予備車をいれて抜いた車両を修繕してそのまま予備車にする方が合理的です。
183系あたりだと新製時には単一編成ですから番号順にそろっていて予備車も編成単位で持つ余裕が出来てきたので編成替えは稀でした、もっとも近年は編成のバリエーションが増えたり状態不良車の廃車などでバラバラになっています。

それ以降の車両だと設計思想から編成単位での運用に変わり付随車といえども簡単に編成から外せなくなり製造時の編成を最後まで保つようなっています。
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この回答へのお礼

編成の車番がバラバラなのが不可解で不合理だと思っていましたが
電動車の検査回帰が付随車より早い事を考えると逆にかつてのやり方は経済的だったのですね。

お礼日時:2012/05/11 22:02

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