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よく、神様と仏様を同じところに祭ってはいけないと言われます。
喧嘩をするからとのことですが、神や仏とあろうものが喧嘩をするでしょうか。
もしそうならこれはお釈迦さまと天照大神のタイマンを意味するのでしょうか。
本当に喧嘩をするとするならケンカの原因は何ですか?

A 回答 (9件)

喧嘩はしません。


明治時代に神仏分離令が発布され神様と仏様が分けられてしまいましたが、それまでは一緒にお奉りしていました。
江戸時代にも神仏分離をしているところはありましたがごく少数です。

今でも合祀している寺社があります。
有名なところでは、浅草浅草寺の境内に神社がありますよ。

日本の神仏は仲良しですので、喧嘩はしないのです。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

「神仏分離令」との関係は大変興味深いです。
この件に関してもう少し調べてみたいと思います。

私の質問にある事例は、例えば神棚に仏像や位牌を置くような行為を指します。
浅草寺であってもおそらくお社はべつにあるでしょうから、同じでいい部分と分けなければいけない部分の線引きが気になります。

お礼日時:2012/05/11 22:41

面白いお話だとは思います。

タイマンしているところを見学してみたいほど興味をそそりますけど、残念ながらそれはないものと思います。

一緒に祀ってはいけないというのは、神さまも仏さまも同格になるからです。
要するに同じところに祀られて、おまえさんはどっちを信仰しているんだい?と問われてしまうことになるのです。両方信じてますという答えもありはありですけど、どうしたって2つが一緒であれば片方の祀り方に偏ってしまいます。それでは言っていることとやっていることが違うではないかと怒られても止むを得ません。

ここまでなら大丈夫だよと限度を示した形で出されたのが神仏習合の形です。やみくもに全部一緒にできるものではありません。ご自身の意思を通じさせるのに違ったやり方で行ったとしても通る事はないのです。それが教義上において禁忌に触れることであった場合、激しく拒否されてもしょうがないことですね。

残念ですけど神と仏はケンカしません。キリスト教やイスラム教の神であっても同じことです。宗教上の争いとは信じている人間同士の争いです。双方ともに平和を求めていくのに自分たちのやり方のみを押し付けようとして相手を攻撃していく姿では永遠に平和など訪れることはありません。

信じていく人間の祀り方によって神や仏が人間に対して反応を示すだけのこと。お互いがいがみあうのではなく信仰するやり方に違いがあるよと人間に対して教えているだけの話です。サイトも確認してみましたけどやはり原因はそこにあります。

ただ便宜上わかりやすく説明するために、ケンカするから一緒には祀れませんよと言う方もおられます。そうじゃないと納得もしないし面倒くさがるのも多いのが人間なんです。

神様同士とか神仏の間の戦いというのは、ゲームやマンガの世界で人間の娯楽としての考え方に過ぎません。そういうものはすでに超越した存在が神や仏のある位置だと考えます。双方ともに超越した力があるのです。本当にやらかしていたら確実に私たちの生活に影響がでます。まともに暮らすことすらできないでしょう。それは神仏の思うところではないはずです。

以上です。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

神や仏とあろうものが祀り方を気にするのかとも思いますがいたしかたないのでしょうね。

お礼日時:2012/05/13 22:39

 お話の内容からして、お尋ねの「神様」とは、一神教の神様ではなくて、日本古来の八百万の神々のことのようですね?



 でしたら、祀り方によっては、神様と仏様はケンカなさることもあろうかと思います。


 というのは、日本古来の神々は非常に感情豊で、行動も人間的なのです。

 例えば、天照大神様は怒って岩戸に隠れられました。

 原因は素戔嗚尊とのケンカ。素戔嗚尊は一説によると天照大神の弟神ですから、まあ姉弟ゲンカ。

 で困った神々が立てた作戦が、新たな主神の出現を祝うふりをして天照大神の嫉妬を誘って、岩戸から引き出そうというもの。

 で、やったのが天鈿女命による世界初のストリップショーであったり。

 そういう神々ですので、よそから仏教が入ってきて(侵略)、自分の子孫であるはずの日本人がそっちになびいたら、怒るに決まっていると思いますよ。

 それが神側と仏側のケンカの原因。


 しかし天照大神はタイマンはやりません。

 女性神である天照大神がそのようなことをなさると思うのは、神々に対する理解が足りないと言うべきでしょう。

 日本古来の神々は、分業体制なのです。天照大神は機織りがご専門の技術神です。

 代わって、怪力無双の天手力男命など、戦闘集団が戦場に出るはずです。

 ちなみにこの天手力男命は、天孫降臨(大八洲豊葦原瑞穂国征服)にも付き添ってきたくらいですから強い。

 他方、仏教が日本に入ってきた頃の理解によると、神は祟ります(触らぬ神に祟りなし)が、仏は祟りません。

 祟らなければならないような不快な事実は教えてもらえない。これを「知らぬが仏(知らないから仏でいられる)」と言います。

 つまり、仏自身は戦わない。その点は天照大神と同じ。

 故に、日本古来の神と仏のケンカは、

 日本古来の神々の戦闘集団 対 仏教守護神(毘沙門天など)集団の戦いになります。

 しかし、前述の通り両方のボスが来ないので、今や戦線は膠着状態となっている・・・

 のではないか、と、マジメに推定しております。


 ですから、わざわざ戦わせる必要はありません。

 古来の方式で、別々にお祀りください。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

ということは双方のボス以外は人と同じレベルの未熟者ということでしょうか。

お礼日時:2012/05/13 21:59

神と仏を別けたのは明治時代になってからです。

仏教が日本に入って以来、神仏混淆の時代を経て神仏習合の時代になりました。
この時期に関しては諸説ありますが6世紀半ばを以って「公伝」とされています。実際にはそれ以前から民間に広まっていたと考えられています。
それまでも神道は道教などの影響を受け、さらに所謂「陰陽道」の影響も受けています。従って神道そのものの柔軟性によって他の宗教や風習を受け入れるだけの柔軟性が神道にはありました。
つまり相手が敵対しない限り、神道は受け入れ吸収することはあっても喧嘩することなどありません。

敵対:仏と神が敵対する事はありませんがヒトが嫌悪したことはあります。その有名なものが神田明神と成田山新勝寺です。
ご存知のように神田明神には平将門公も祀られています。将門公は関東人にとっては朝廷の圧政から解放せんと立ち上がった英雄であります。一方新勝寺は関東平定の為に朝廷が使わした寛朝大僧正によって開かれた寺です。つまり関東人にとっては敵。そこで神田明神の氏子たちは生涯新勝寺には参詣しなかったといいます。

仏と神が喧嘩するなどという風評がどのように生まれたかはわかりません。
もしそのような説があるとすれば、私は明治新政府による扇動だと考えます。
明治新政府は仏教を重んじた徳川幕府に対し、天皇を神格化して天皇を頂点とする神道国家を創ろうと考えていました。今の神社神道の原点は明治時代のものです。
このため新政府は神仏分離令を発し、これに過剰反応した下郎役人らが廃仏毀釈を始め、国はこれを実質黙認しています。つまり仏教は徳川幕府の象徴として破壊しようとしたわけです。
でも、元来組織として、また思想として理論武装した仏教が簡単に破壊されるわけがありません。なので、神と仏は喧嘩するなどという風評を流し、分離を加速させようとしたのではないでしょうか。

神仏習合にしても分離にしても、いずれもあくまで政治的なものであって神仏の教えなどには全く関係の無い次元のこと。
懐の深い神道における神が仏と敵対するなどありえませんね。つまり仏壇と神棚を同じ部屋においても問題はありません。
それに春日大社、厳島神社など多くの神社で僧侶による読経が行なわれえていたのは歴史的事実です。

但し、冒頭で申したように、これはあくまで相手が敵対しない限りにおいてです。仏教の宗派の中には神を排斥しようという教えを持つものもあります。神道の方ではそのような宗派についても特に排斥するとは書いていませんけど、相容れない場合もあるということです。あくまでも仏教宗派の見解でですが。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

結局は人間同士の争いということですね。

お礼日時:2012/05/13 21:56

けんかはしません。


けんかをするのは神や仏の威を借る人間(亡者達)です。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございました。

お礼日時:2012/05/11 22:44

神様は喧嘩しません。



喧嘩するのは人間です。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございました。

お礼日時:2012/05/11 22:44

神様と仏様を一緒に祭ることはないですよ。


家の中なら神様は神棚(高い場所)、仏様は仏壇の中ですから。
それぞれに正しい祭り方をしなさいという意味の戒めじゃないでしょうか。
ちなみに神様は神様によって一緒に祭れない同士もあるので
気をつけたほうがいいです。
仏教では崇拝の対象は仏様(ブッダ)だけです。仏陀はいろいろな変化(へんげ)が
あるので種類があるようの思いますが、本来はお一人です。
神様は天照大神は「伊勢におわします神」と言ってたくさんいる神様の一つです。
日本には古来、大国主や高皇産霊神をはじめ、山の神様、便所の神様とか
あらゆる場所に様々な神様がいます。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

>ちなみに神様は神様によって一緒に祭れない同士もあるので気をつけたほうがいいです。

これも私の疑問と同じたぐいの理由なのでしょうか。
例えばケンカをするのでしょうか?

お礼日時:2012/05/11 22:43

喧嘩はしません。

ご安心を。


>神様と仏様を同じところに祭ってはいけないと言われます。


『同じところに祭ってはいけない』・・・と言うよりも、どちらも
同じように信仰の対象として祀り上げること自体が愚かな
行為であると思います。


『仏教』は仏教であるし、『神道』は神道であるのだから。


さらに言ってしまえば、現在の世の中にある『仏教』と
言っても、様々な宗派が存在する中で、その根本たる
尊敬(そんぎょう)対象が様々に存在している事に、何ら
疑問を持たない事が不思議としか言いようがない。
また、仏壇が有ったりすれば、当然祖先に対して線香
をあげ、手を合わせるわけですが、その仏壇の奥に何が
置いてある(祀ってある)かすら、無関心なのですから。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

十把一絡げなのは日本らしくていいとは思いますが形式だけというなら意味はないですよね。

お礼日時:2012/05/11 22:35

初耳です。



>神様と仏様を同じところに祭ってはいけないと

でもそれは なくとなくわかる気がしました。
同じ霊的なもの、という感じはするものの、神様は、亡くなった人ではないですよね?

霊界も悪霊とか身分の高い霊とか、、、ここでも 格差社会なんですかねぇ?
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

そうらしいですよ・・・・

http://gyao.yahoo.co.jp/player/00309/v09910/v098 …

お礼日時:2012/05/11 18:18

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