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PCでできることはどんどん増えていると思うんですがなんでみんなパソオタを卒業してしまうんでしょうか。パソコンがつまらなくなった理由って何ですか?

A 回答 (8件)

まだ、それを楽しむ人はいるでしょうけど。

興味を持って臨めるかどうかは、年齢にもよるのですよ。
長年同じことを続けている人なら、コンピュータの場合は、玄人からは逃げるかもしれませんね。よほどポジティブにそして、経験的に高い場所を目指して、それを極める人でなければ、満足度が低下しますからね。

それは、どういう意味かというと、
それを好きになるには、ある種のステータスが必要です。それにのめり込むだけの価値です。誰でもできたら、玄人にとっては、それだけの価値はないのですよ。好きであることと、玄人(愛好家)になることは決して同じではありません。

これはPCに限らず、たとえばカメラならピントを合わせるのが難しい写真をマニュアルフォーカスの銀塩で撮影する。何時間も粘って1枚を撮影するというのは、その昔のカメラ愛好家(オタク)や写真家(アマ含む)がやってきたことです。
今は、誰でもデジタルで何枚でも撮影でき撮影した後に、レタッチソフトで背景をぼかすこともできますから、そういう人は減って、もっとカジュアルな愛好家が増えています。

映像の編集も同じで、昔はビデオデッキを複数繋いだり、編集機を買ってジョグシャトルのアナログ操作で、繋ぎ合わせをしていた。プロ顔負けだったのです。それが、ステータスでした。今は、ソフトウェアの中で切る、繋ぐ、削除するができる。簡単なものです。さらに特殊効果も思いのまま。

それは、すなわち玄人にとっても素人にとっても使いやすいが、ワクワクして、時間を使うだけの価値があるかは別の話です。多くの利用者人口を増やし敷居を下げる意味はあるが、それによって誰でも触れる分野となり、潤沢に投資していた玄人は減り、場合によっては離れる傾向があるのです。それは、単純にワクワクしないから、それを評価してくれる人も合わせて減っていくというのもあります。


コンピュータ業界は果たしてどうかというと、今や半自動のプログラミングツールが当たり前となりました。ソフトウェアのベース技術はWindowsであれば、DirectXやWin32API、.Netとして大半の関数を内包しています。IEベースでよければWebサイトを表示するだけなら、Visual Basicなどを使えば少ない記述でできるのです。
そのかわり、ハードウェアを直接制御するような機械語ベースの命令は素人はもちろん玄人でも簡単には扱えないほど、多岐にわたりそして複雑になっています。
コンピュータは、大別するとむしろより概念(ハードに近い部分)をつかさどる部分を作るものと、それに対してソフトウェアだけを使うもの(ソフトを作るにしても、その大半を自動化しているものを使う人)の2通りに分れてているのです。

その中で、これを考えるにはパソコンに何を求めている人が、何から興味を失ったかが重要です。
たとえば、自分で設計したソフトを動かしていた人なら、もしかすると自動化の波が普及することで、それを使うのをあきらめたかもしれません。
ハードを組み立てることが興味の対象なら、モジュール化が進み低価格化が進む過程で、それに飽きてしまったかもしれません。
持たないものを持っているというステータスが重要だったなら、大衆化したことで興味を失うでしょう。

何より、他の人ができないことができるという実感が持てることが少なくなったことで、面白くないかもしれません。ハードやソフトの大衆化なのです。
人は、困難であれば困難なほど、そしてそういう状況になる人が少なければ少ないほどに、それを達成したときの達成感が強くなる生き物です。だから、若いころに初めてやったこと、年齢が上がってでも今日が初めてというものがあれば、それができたときにはうれしいはずなのです。

しかし、それが当たり前に誰でもできている状況では、幸福度が下がる傾向があるのです。
即ち、できて当たり前なら、別に玄人である必要はなく、玄人と素人の明確な境界が薄れていきます。
そうなれば、当然ですがその分野の玄人は満足度が薄れ、投資意欲を失います。

別の興味があればそちらに進むでしょう。それが人です。

ちなみに、若い世代でそういうことが好きなものは、今でも興味をもつはずです。ただ、長年続けてきた人からすれば、自分たちの感覚でのオタクとは異なるものとなります。それでも、オタクなのには変わりはない。玄人であり愛好家です。ただ、大衆化の中でのカジュアル愛好家であるため、今のスタイルに適応します。
これが、PCでは顕著にみられます。また、PCおよびそれに基づくハードやソフトウェアに吸収された絵をかく(イラストレーター)、音楽を作る(作曲家)、写真を撮る現像する(写真家)などのコンテンツに関しても、ある程度は同様の傾向が生じているといえます。

この先も、こういうことは増えるでしょう。だから、卒業または興味を失って失望する人が出てくることはこれからもありますし、自分では認められないような愛好家が出てくるかもしれません。
ただ、それが時代の流れというものです。まあ、それが社会や将来にとって良いかどうかは、また別の話です。
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この回答へのお礼

ありがとうございます

お礼日時:2012/09/04 10:33

パソコンがまだ普及していない頃は、パソコン使いは変わり者と思われ、オタクだ、と思われてました。



会社ででも自分のノートパソコンを持ち込んで仕事に使っていると、ひどいのになると、そんなのはだめだとか言って否定する者もいたくらいです。

インターネットが普及しだし、パソコンブームになり、今は猫も杓子もパソコンですから、オタクという言葉も死語になったんだと思います。
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この回答へのお礼

ありがとうございます

お礼日時:2012/09/04 10:33

パソオタというジャンルが不明瞭ですね。

まあ、PCが一般化してある程度のオタク層が
一般人とみなされたからオタクに見える人間が少なくなったからとか?

結局、PCは手段に過ぎず、それ自体を目的にする者は非常に少なくなった。
また、自作PCと言うジャンルもプラモデルより簡単だと知れた今、オタクと
みられなくなっている。まあ、そんなもんじゃないの?

モー娘。やAKBが流行って、一昔前ロリコンといわれていたファン層が、
今、一般化しつつあるのと同じではないかと思われる。
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ありがとうございます

お礼日時:2012/09/04 10:33

誰でも安価に買えて誰でも簡単に使えるようになったから

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この回答へのお礼

ありがとうございます

お礼日時:2012/09/04 10:33

オタクにもいろいろあると思います。

純粋にパソコン本体のオタク、ゲームオタク、ネットオタクなど…。自分は、今はパソコンにほとんど魅力を感じない、80~90年代のパソコン本体オタクでしょうか…。

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パソコンがテレビや電話と同じふつうの生活家電の1つになり、誰でも簡単に使える道具になりました。パソコンは安くで手に入るし、周辺機器やソフトを追加で買わなくても最初からなんでも揃ってるし、勉強しなければ使いこなせない、ってほどでもありません。

やはり、簡単に手に入るものほど飽きやすい。オタクになってまで、どっぷりはまることもなくなり、パソコンそのものにも魅力を感じなくなったのでしょう。

インターネットの普及でパソコンでできることは増えたし、つまらなくなったことはないと思いますが、携帯電話やゲーム専用機、その他の娯楽など、パソコン以外にも楽しめることもたくさん増えたので、「パソコンが特別な魅力を感じるもの」と考える人が少なくなったのは間違いないでしょう。

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自分がパソコンの魅力にとりつかれたのは中学~高校生のころでしたが、パソコンはモニターとセットで35万円~50万円くらいするのが普通でしたし、学生が簡単に買えるものではありませんでした。パソコン雑誌などを読みながら、パソコンを買ったらあんなことをしたい、こんなことをしたいという妄想にふける「準備期間」ってのがあったんですよね。

で、バイトをしたり、お小遣いをためたり、親にねだりまくったりする、長い道のりを経て、ようやく買えたパソコン。でも、電源を起動したところで、BASIC言語が立ち上がるくらいで、何もできない。やりたいことがあるなら、再び高いお金を出してソフトを買うか、自分で勉強してBASICなりプログラムをマスターするしかない。

で、勉強に勉強を重ねても、たいしたものが作れるわけではない。だけど苦労して手に入れたパソコンなので、なんとか使いこなそうと必死に勉強してたんですよ、当時のパソコンオタクは…。

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自分から能動的にやり始めたものは、どんどんハマっていきますよね。時間を忘れてパソコンに没頭し、オタク化しやすかったと思います。だけど今のパソコンは、受動的…というか、やらされてる感が強い。やりたくもないのに、まわりもみんなやってるし、嫌でもやらなきゃいけない時代になっている。そんな感じでやっても、ハマりませんよね。

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パソコンは格段に性能は上がっている、できることも多くなっている、面白いコンテンツもいっぱい増えた。それは間違いないのですが、初めて手に入れたときのような、ワクワク感がいっぱい詰まった「夢の箱」ではなくなってしまった、ということでしょうかね。

初めて買ったのは カシオのポケコンPB-100。台風の中1万円をもって買いに行き、できることが限られているハードウェア性能の中で、がむしゃらにBASICプログラムを打ち込んだ記憶があります。
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この回答へのお礼

ありがとうございます

お礼日時:2012/09/04 10:34

BDドライブでは、BDのコピーができませんし、dvdもコピー禁止になりましたから、世界を狭く感じたのではありませんか。


   
私も、アーカイブの楽しみが消えたので、2個有るPCを1個に減らそうと思います。
もっとも、デフレで資金難になっているのですけど。
   
ユーザーには、PCよりスマート・フォンの方が魅力的なのでは。スマホ、タブレットを仕掛けられて、大きな機械を駆動するまでも無い状況にはあります。 
プリンターばかりか、プロジェクターまでも。
   
ゲームは、もう禁止みたいなもんで。正規取引だけでは、面白みに欠ける。金を払うべき広がりは、ゲームからは既に失われている。つまらない物へは投資はしない。ってことで。wえへ
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この回答へのお礼

ありがとうございます

お礼日時:2012/09/04 10:34

>>パソコンがつまらなくなった理由って何ですか?



それはね、PCの技術が発達して、複雑化すると同時に、単なるユーザとしては簡単になったからです。そして、そこそこ誰でも満足できる環境が入手可能となったから。

秋葉のラジオ会館にビットインが存在した頃は、パソコンは、「マイコン」って呼ばれていて、実用レベルで使うには到底難しい性能だった。でも、ちょっと雑誌を読んで、増設パーツを追加したりすれば、使いやすくなるし、その改造過程が楽しいもんだったんですよ。たとえ失敗したとしても・・・。
技術レベルが低いから、誰もが制作側にまわれて、オタクもどきになれた。

そして、メーカからは、毎月のように新技術、新製品、新ソフトが発表されて、「次はどんなものが出るんだろう・・」とワクワクだったものです。PCの雑誌も書店にいけば、山のようにあり最新情報が溢れていた。いまのAKB48の話題みたいに。

エディタで設定ファイルを修正して、何度もの試行錯誤の作業を続けなくとも、日本語入力ができ、アプリが死なずに起動でき、通信ができて、プリンタに日本語で印刷ができる時代になったら・・・・、「いじる楽しみ」が減ったんですね。技術が高度化したので、簡単に技術オタクにはなれなくなった。

昔のモデルガンは、カタログにあるような動作を火薬でさせるには、難しい調整が必要でした。ヤスリで削ったり、油を差したり・・。最近では、そんな調整は不用で、買ってきた状態で快適動作します。でも、「いじる楽しさ」っていうのは、昔のモデルガンのほうが多かったみたいなものでしょうか?

そして、秋葉のラジオ会館からPC関連のお店が撤退し、スーパードルフィなどお人形さんとか、エロ同人誌のお店が増えると、パソコンオタクは減ってゆきました。私も、メイドさんの立ちんぼが溢れる秋葉を歩いたとき、「ああ、もう、ここに来る魅力って激減したな」と思ったものです。
(オウム真理教のPCショップの店員が配布する宣伝チラシを受け取ったころがふと記憶からよみがえる・・・)
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この回答へのお礼

ありがとうございます

お礼日時:2012/09/04 10:34

つまらなくなった理由というか…



パソコンの内部の仕組み(機械的・電気信号的など)がわからなくても扱えるようになった
市場が広がり、理数系が得意なだけの一般人もその分野を勉強して就職するようになった

とか、まあインターフェースが要因じゃないでしょうかね
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この回答へのお礼

ありがとうございます

お礼日時:2012/09/04 10:34

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