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死にたくない病?
もう一ヶ月以上、毎日急に死にたくないと思って死に対しての恐怖が爆発しそうになります。
動悸が早くなり叫びたくなります。

人のいるところではぐっと体を縮めて恐怖に耐えます。気づかれないように必死に耐えます。
家にいるときでも理性が働き若干押さえ込んでいて叫びたいが叫べない。暴れたいが暴れられない。頭を抱えて必死に恐怖が過ぎるのを待ちます。
家には家族がいますがばれたくないです。友人にも相談できません。誰にも話せません。
とりあえず似たことで悩んでる人がいないかネットなどで調べてみたりしました。
その結果、うつ病のことがいっぱいヒットしました。うつ病の方は死にたいと思うことが多いらしいので自分はうつ病ではないと思います。うつ病診断のようなものでも正常を少しでたくらいでした。
ネットで調べたりして少し落ち着きます。今これを書いてるときも落ち着いています。
しかし、しばらくするとまたふと死の恐怖がきます。私は魂とか幽霊とか死後の世界というものを信じていません。
とてもじゃないが信じられません。死んだら無だという考えがあってそれが怖いです。
結局なにもなくなると思うと怖いです。

この症状を治したいですが何かのストレスか精神病か、はたまたただの心が弱いだけか
わかりません。病院にいくのも勇気がでません。いくべきか、でもなんでもないことだったら
と思いいけません。

ネットなら顔も見えなく私を知らないひとに意見を言ってもらえるので皆さんの意見を参考にさせていただきたいです。
この毎日の死に対しての恐怖を止めたいです。
本当に困ってます。お願いします。

補足
年齢は20代前半です
死について考えてたいわけではなくかってにわき上がってきます。
もちろん。そんなことばかり考えても無駄だし意味がない。
いずれは死がくるのも頭ではわっています。でも気持ちがわかってくれません。
抑えられない考えがわいてきて辛いです。そのことを考えてしまう不安がいつも付きまといます。限界がくると上のようなります。パニック障害のような何分も続くとかじゃなく数秒くらいです。それが終わると少し落ち着きます。
あと、宗教の勧誘はやめてください。

A 回答 (19件中1~10件)

私は5歳くらいのときから同じような発作的なものがありました。



それから何年もまわりに隠して生活していましたが、あまりに頻繁に起こるようになり、心療内科に相談しました。

最初はパニック発作の診断を受け、薬を処方されましたが効果はありませんでした。
結局、診察やカウンセリングなどを通して、死に対する認識の歪みが原因の、脅迫性障害であるという結論にいたりました。

当たり前ですが、生きている内に死を体験することはできません。

ですから、死や無について考えるとき、それは100%イメージでしかありません。

それは現実のものとどれほど近いかなど確かめるすべもありません。

死は物体の変化の一過程、無はただの概念です。死がこわい、むなしい、無は果てしない暗闇などというのは、イメージが付け加えられたものです。

死に対する恐怖でいてもたってもいられなくなってしまうというのは、このようにイメージの偏りが現実にまで影響を及ぼしてしまっている状態です。

克服にはそのメカニズムを正しく理解することが大事です。

熊野宏昭氏の『マインドフルネスそしてACTへ』という本がとても参考になりました。

また、人間が他の動物と違って死イメージし、恐れることは進化の過程で得てしまったのだそうです。

前野隆司氏の『「死ぬのが怖い」とはどういうことか』も脳科学の視点から死をうまく受容するヒントが書かれているのでおすすめです。
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こんにちは



これ、なかなか答え出ませんよね。
実は私も同じく悩んでます。
世の中にあるものすべては枯れてゆく。
そんなこと頭では分かっていても、ふと湧いてくるんですよね。

暇だからとかではなく、忙しくても、ふと湧いてくるんです。
解ります。

この質問をされた頃から、私も怖いというか「いやだ!」って気持ちになって

先月、やっと主治医(精神科)に相談しました。
「うつが入ってきてるね」って、お薬を頂きました。
気持ち飲んだ後は、楽になります(考えが遠のく感じ)

あとは、やばい!と思ったら、散歩に出ることです。
これは、結構気持ち楽になりました。基本的に外にでると考えが和らぎます。

お互い、忘れていられる時間が長くなればいいですね(*^_^*)
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もともと生まれる前は無だったのなら、死はもとに戻るような、かえるようなものと思うのはどうでしょう。

無はふるさと と
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この回答へのお礼

それは考えたことがあります。
ですが不安が消えません。

お礼日時:2012/12/09 17:33

こんにちは。



私もタナトフォビアです、主さまともしかしたら共通するかもしれませんね。ついでに主さまにはどーでもいいかもですが、双極性障害、離人症、その他人格障害もちでもあります。

私の場合、単純?に死にたくない(タナトフォビア)だけでなく、老いて醜くなりたくない、醜形恐怖症でもあります。極端な話、死ぬのは免れなくても老けるのはごめんだ、死ぬなら美しく若いままでと切実に願っています(アホですね)。

死に関する様々なサイトでの質疑応答を拝読しても、「人は必ず死ぬ」「暇だからそんなこと考えるんだ」「何か生き甲斐を見つけては?」などなど、まるでコピペですか?(失礼)な定番パターンに終始し、質問者さまが本当の意味で納得・安心できないまま、「ありがとうございました、前向きにがんばります」などとお礼→締め切るパターンにならざるを得ない流れがほとんどなんですよね。まぁそりゃそうだ、と言っても、本人が本当の意味で納得できなければ根本解決にならないし。何の悩みでもそうですけどね。

なんで唐突にタナトフォビアに陥ったんですか?人間の本能として死への恐怖はどんなに取り繕っても少なからず誰しもあるとは思いますよ。「死ぬのは皆一緒、仕方ない」と言ってても、いざ自分が、余命○ヶ月宣告されて「あ~わかりました、あっはっは」とかできる人間なんて、ゼロとは言わないけどまずいないと思いますよ。

何かきっかけがあったんですか?それとも、以前からうっすら蓄積していたものがコップの表面張力オーバーしてダム決壊?ネットで鬱病判定(これも一長一短なんですけどねぇ…。ネット情報は玉石混淆で、いかに正確な情報を見抜くか、これまた象が針の穴をくぐるくらい難しいんですけどね)、しかし病院は勘弁。

さて、どうしましょうか。

主さまの状況を、できれば差し支えない範囲で教えていただけますでしょうか。
そして、どうしたい、どうなりたい、どのように現状打破でも回避でも、とにかく死の呪縛からどういった形で解放されたいのか、教えていただけますでしょうか。

この回答への補足

確かに死にたいする内容での回答は似てました。
私はその答えをなんとなくしか受け取っていないかもしれません。
私の状況は特にかわったことはありません。正直普通に暮らしています。
身近でなにか大きな事件もなくただ日々をすごしていたらふと死の恐怖がわいてきて。
それが毎日のように続き始めたというだけです。それまではそのことをまったく考えていなかったのにです。私がどうなりたいか。普通の生活に戻りたいです。頻繁にわき上がる死の恐怖を少なくしたい。

補足日時:2012/12/08 19:26
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自分は特定の宗教は持ちませんが、宗教は良いとおもいますよ。


元から死の恐怖を取り除くって目的が宗教にはあります。

一度お寺なり、教会なりに行かれて、お坊さんや神父さんに悩み打ち明けて見ると良いと思います。
自分なりに納得の行く答えが得られればそれで良いでしょう。
元から宗教とはそういうものですから、変に拒絶するのもどうかと思います。

ただ、妙なカルトには走らないように…彼らはそういった心の隙間に入り込みます。
一応長い歴史を得た宗教はそれなりに体系が出来てますからねぇ。
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この回答へのお礼

最近ではお坊さんに話を聞いてもらう人が増えてると聞いたことがあります。
私は宗教はあまり信じませんが、特別拒絶しているわけではありません。
こういった質問の場で弱ってる相手を勧誘してくる宗教が嫌なのです。
ご意見ありがとうございました。

お礼日時:2012/12/08 19:16

>不安を取り除くにはどうすれば?



   残念ながらありません、そう悟ったときが貴方の全治です


  病名を付けるなら不安神経症か強迫神経症でしょう、あくまで病名をつけるならです。

  今は神経症性障害と少し病名が変わりました。




   http://blog.livedoor.jp/torapa1701/archives/5255 …


   http://www.jinseimondainokaiketsu.com/


   http://fujitarou.web.fc2.com/page129.html
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この回答へのお礼

そんな病気もあるんですね。
少しばかり調べてみます。
ありがとうございました。

お礼日時:2012/12/08 19:12

私は20代の時、バイクに乗っていて、大型トラックにはねられて、ヘルメットが割れて25mくらい飛ばされました。

警察官に死んでも不思議じゃない事故でしたよ。これからはオマケの人生と思って生きなさいと言われました。私は意識を失っていた間、ずっと自分を見ていました。私の周りに人が集まって話をしたり、救急車に乗せれて、病院へ運ばれている所、そして、よく云われる川に流されてたどり着いた所は、とてもいい気持ちがする美しいお花畑で人生の中で一番幸せを感じました。それから意識が戻ってしまいました。

お花畑から先は行ってませんが、死ぬ事はあまり怖くなくなりました。

信じるか信じないかは貴方次第です(テレビをパクりました)
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この回答へのお礼

一度死にかけたことがあるんですね。
その不思議な体験のおかげで死に対して恐怖がなくなったのは少しばかりうらやましいです。
あまりマイナスのイメージばかりなのを改めたいと思います。

お礼日時:2012/12/08 19:10

自分の気持ちをきちんと感じていることは立派だと思います。



出て来るものは、そのまま裁かずに受け止めて受け入れる練習をしていけば大丈夫だと思います。

何かに頼ろうとしない気持ち。とても大切です。そんな考えがある貴方であれば、きっと乗り越えられると思います。

私も自分を救えるのは自分だけだと思っています。何かに助けてもらおうと思っている限り、幸せを手にすることは出来ないと思います。

まずは心を満たすために楽しい事や喜びを感じる事を探して実行していきましょう。

心が満たされてきたら、自分に向き合い受け入れる練習をしていきましょう。

私が行っている方法です。『なぜ死ぬことが怖いのか。』という感じで、自問してみましょう。更に質問の内容が深まって行くかもしれません。『なぜ○○なのか』と繰り返し質問をしていくと、過去の映像・人物・感情が蘇るかもしれません。蘇った時には過去の自分に対して「もう大丈夫だよ。終った事だからね。安心して良いよ。愛しているよ。大好きだよ。ありがとう。」という感じに自分なりの言葉で、自分を安心させるように何度も声をかけて行きましょう。登場人物が笑顔に変わったり、感情がすっきりとするかも知れません。


ご参考までに。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございました。
楽しいことを探して心を満たしていき自分と向き合うというお考え
大変ためになりました。

お礼日時:2012/12/08 00:54

タナトフォビア Thanatophobia 死恐怖(症) ですね。



 私も10歳ごろからあります。別の件で精神科を受診していますが、この恐怖のことを話したときには、「そういう哲学的なことは自分で研究してください。デパス(抗不安薬)でも出しておきましょうか?」と言われました(笑) その処方はしてもらっていません。

頭ではわかっても気持ちがわかってくれない、というのはそのとおりです。気持ちでわかるにはどうしたらいいか。どうしたらいいかと頭で考えて、すぐにわかるかどうか。

ある意味では、この恐怖感は、生きているという強い実感を自分に与えてもくれていると思うのです。そうして生まれてくる気持ちには、敬意をもって対したほうがよいのではないでしょうか。

常識ぶって(楽をして)考えたつもりになりがちな頭も、もっとすきなように(あるいは努力して)動かしてよいのではないですか。
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この回答へのお礼

そういう症状があるんですね知りませんでした。
とても参考になる意見でした。ありがとうございました。

お礼日時:2012/12/08 00:50

>死んだら無だという考えがあってそれが怖いです。


>結局なにもなくなると思うと怖いです。

>ネットで調べたりして少し落ち着きます。今これを書いてるときも落ち着いています。

何かやってたら落ち着くのであれば、死ぬ前に何かを残すために動いてみてはいかがでしょうか?

それ以外の方法は、病院が嫌でしたらカウンセラーに相談されるといいと思います。
いろいろなことを一緒に探して貰うのも、一つの方法だと思います。
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この回答へのお礼

病院とカウンセラーはべつのものなんでしょうか?
病院へ行ってカウンセラーに会うというイメージですが。少しばかり調べてみます。
ご意見ありがとうございました。

お礼日時:2012/12/08 00:47

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