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因果応報って確実にあると実感することはありますか?

例えば、不倫→略奪婚して長く幸せになったという人がいたとしたら、
因果応報は働かなかったということになりますよね?

また、人を傷つけても自分は幸せに生きている人もいますよね?
元カレには散々傷つけられましたが、新しい彼女もいて幸せにやっていることでしょう。
略奪した彼がいる友人も、今のところ、順調に続いているようですし。

その反面、自分の仲間の悪口や酷いことを裏で言っていた元友人は
なかなか子供ができないみたいです。
(子供に罪はありませんし、不妊が因果応報とは言いません。)

果たして、因果応報はあるのでしょうか?

A 回答 (15件中1~10件)

お初です。


因果応報は、必ずあると思います。
巡り巡って、溜まりに溜まってから、忘れた頃に本人に、もしくは、その人の大切な人に返って来るのだと思います。

「いつまでもあると思うな、
親と金。
無いと思うな、運と災難」

イイ事ばかりも続かないし、
ワルい事ばかりも続かない。
イイ事もワルい事も必ず起きる?んです。

生きていれば。

ワタシの独断と偏見ばかりで、大変申し訳ありませんでした。
また。長々と偉そうに、大変失礼致しました。
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この回答へのお礼

回答有難うございます。

お礼日時:2012/12/18 10:35

有るような 無いような感じですね。



例えば、不倫→略奪婚して長く幸せになったという人がいたとしても、その人の心の内面までは分からない訳ですよね。
若しかしたら、反省して「済まない事をした」と思っているかも知れません。

つまり、ある程度の出来事は分かっても、内面までは分からないから判断のしようが無いのが実情です。

確かに、意地が悪くて誰にでも酷い事を言う人が、何かで酷い目に合えば「自分に返ってきた」と思うでしょう。
ですが、厳密に分析すれば何でもない事かも知れません。
普通はそこまでしないですよね。

ですから、有るような 無いような と表現したいと思います。
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この回答へのお礼

回答有難うございます。

確かに有るような無いような…ですね。

お礼日時:2012/12/18 10:22

無い。



私の経験から言っても、それは無い。
悪くて長生きする人もいる。
誰かを泣かせて平気なやつでも、ラッキーは訪れる。
そういう「天の罰」というものは、無いんだ。

考えてごらんよ?。
戦争に行って、特攻や勝ち目が全く無い場所で戦って死んだ人は、みんな悪人かい?。
絶望に打ちひしがれて死んだ人は、一体何をした、っていうこと。
ただ普通に、平和に暮らしてきた人ばかりだったと思うよ?ほとんどの人はね。

よくよく考えてごらん。
大事なことだから。

「人を不幸に出来る存在」というのは、主に、そのほとんどが「同じ人間」の仕業なんだ。
神様のせいじゃない。
人間が、人間を不幸にするのだし、悲しませ、苦しませるんだ。

その「事実」から逃げないことだよ。
逃げなければ、自分なりの答えは見つかる。
でも、逃げれば、答えは生涯見つからないぞ?。
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この回答へのお礼

回答有難うございます。

お礼日時:2012/12/18 10:23

幸せの意味を勘違いしている人が多いようですね。



金持ちになったり、権力を握ったり、成功者になることが幸せではないのです。
生きている間、幸せな気持ちでいることが、幸せなのです。
他人が幸せかどうかなど、暮らしぶりを見るだけで分かるわけがありません。
一見幸せそうに見えても、本人が心の中で本当に幸せを感じているとは限りません。

私は、一時的に、本当の幸せを感じた経験がありますので、それが良く分かります。
それはあらゆるしがらみから解放され、心が落ち着いて、何も怖いものが無い心境です。
そして、あらゆる人に対して、感謝と慈愛の気持ちがあふれ出ます。
そのような境地に達することが、本当の幸せです。
残念ながら、私にとっても、それはホンの一時的な経験であり、私が今も、その状態を継続できているわけではありません。
しかし、一度その幸せを味わったので、それを再現することが、私の生涯の目標の一つになりました。
尚、私は、変な宗教に狂ったことも、麻薬もやったことも、一度もありませんので、誤解なきように。
一時的に、頭がおかしくなったのかも知れないというのは、完全に否定することはできませんが、その時の、職場の同僚、上司、客先の反応からすると、頭がおかしくなったのではないようです。
逆に、急に仕事ができるようになったと言われました。
しがらみや恐怖から解放され、感謝と慈愛にあふれた心境が、人間として、ベストの状態でしょう。
逆に、普段の状態の方が、頭がおかしい様な気がします。


さて、略奪婚をしたままの精神レベルで、そのような幸せな気持ちに到達することは、まず不可能だと思います。
例え、金銭的に恵まれた生活をしていても、略奪婚をするような人の心は、本当の幸せを感じるようなレベルにありません。
略奪婚を受け入れた相手の方も、同様です
そのような人々には思いもよらない様な幸せなのです。

他人の悪口を言っている人も同様です。
そんなことをしている限り、本当の幸せには到達できません。
また、子供ができるかどうかも、本当の幸せの条件ではありません。
その境地に達すれば、子供ができても幸せだし、子供ができなくても幸せです。

また、例え不慮の災害で亡くなったとしても、生きている間、もし本当の幸せの境地でいられれば、その人は幸せなのです。

何をバカなとおっしゃる方には、思いもよらぬ事でしょう。

そう言う意味では、因果応報は100%確実に存在します。
自分の心の状態により、幸せを感じることができるかどうかが決まるのです。
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この回答へのお礼

回答有難うございます。

お礼日時:2012/12/18 10:25

ない気がします。


悪口を言おうが何をしようが、できるものはできますからね。
ただ、例えば略奪なんてものは自分の事しか考えていない人のする事なので、その性格が将来災いを招く事は無きにしも非ず・・
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この回答へのお礼

回答有難うございます。

お礼日時:2012/12/18 10:25

>たして、因果応報はあるのでしょうか?



あると考えて行動したほうが
幸せに暮らせる。ということです。

何か嫌なことがあったら、自分の過去の悪業のせいかも
しれない。そう考えると気持ちがざわつきますからね。
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この回答へのお礼

回答有難うございます。

お礼日時:2012/12/18 10:27

いい忘れてましたが、自業自得も因果応報も同じ意味ですよ、どちらも「行為の善悪に応じて、その報いがあること」という意味です、ただ自業自得は一般には悪いことした方に用いられます、因果応報も現在では悪い方に用いられることが多いそうです。



何度も言いますが、この世は確率によってイベントが発生するんです、前も言ったように悪いことをしていれば悪い報いがかえってくる確率が高くなる、それが自業自得とも因果応報とも言うんです。

ただ突発的な災害や無差別殺人などの無差別バッドイベントだけは自らの行為は関係ないんです、なにせ無差別ですからね。因果応報自業自得はその意見の通り自らの行いと関係することだけを指します、当然無差別イベントには適用されません。
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この回答へのお礼

回答有難うございます。

お礼日時:2012/12/18 10:29

「自業自得」はよくありますね



「因果応報」は、それらしく見える現象もあります
が、どちらかというと、正義感を持ち合わせている人間の願望かな…という気がします
つまり、悪いことをした人にはそれなりの報いがあってほしいという願いです

私自身は「悪い出来事は全て自分の行いが悪かった報いだ」という考え方に反対します

なんの落ち度もないのに、不幸に巻き込まれる人はごまんといます
通り魔に刺された人は、何の報いだったのでしょう?
登校途中に車に突っ込まれた小学生は?
津波で命を落とした人は?
3.11で命を落とした人は?
飢餓地域に生まれて生き延びられなかった子供は?
生まれながらに重い障碍を持ち、一生ベッドから離れられない人は?

どんな悪行の報いなのでしょうか?

私にはわかりません
まさか前世の報い?
それとも親の因果ですか?

迷信にも程があると思います

「自業自得」はあるが、「因果応報」はないのではないでしょうか
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この回答へのお礼

回答有難うございます。

お礼日時:2012/12/18 10:30

因果応報はあるよ、何か悪いことをしてそれが原因で人の恨みを買ったりすれば復讐されます。

人を殺せば復讐で誰かに殺されることもあります。他人に対して善意で接すれば善意がかえってきます、しかし悪意でもって接すれば悪意がかえってきます、これも因果応報です。
飲酒運転すれば身体能力が低下し、事故の確率が高まります、事故ればそれは因果応報です。
勘違いしないでおきたいのは確実に因果応報が起きるわけではありません、あくまで確率が高くなるだけです。
危険な場所にいけば危険な目に合う確率が高くなり、結果危険な目にあえばこれも因果応報。

因果応報な目に遭いたくなければリスクを負うような悪いことはしない、人の恨みを買う危険な行為をする、大切なことをうっかり忘れや怠けたり等などをしないことです。

あくまで確率が高くなるだけです、正しいことしていても低確率でバッドイベント起きて酷い目に合うこともあります、ただ日頃から善い行いをしていればその時他人から助けてもらえたりして被害を抑えられます、これが因果応報です
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この回答へのお礼

回答有難うございます。

お礼日時:2012/12/18 10:31

何を良いとし、何を悪いとするかの捉え方で因果応報が働いたのか?の解釈が違ってきます。



>例えば、不倫→略奪婚して長く幸せになったという人がいたとしたら、
>因果応報は働かなかったということになりますよね?

この例の場合、不倫、略奪婚を悪いことと捉えています。
取られた側から見れば、間違いなく悪いことをしているので、因果応報に当てはめるなら、長く幸せになった…おかしくね?となります。

しかしながら、取った側、もしくは不倫、略奪婚で幸せになった夫婦の方割れからみたらどうでしょう?
取った側、幸せになった夫婦の方割れは、「幸せになる努力」をおこなったに過ぎません。
努力した結果長く幸せに暮らせるとなります。
努力=悪ではないので、因果応報は成り立ちます。
さらに言うなら、夫婦関係がうまくいってない原因が、残された側にあるとするならば、取った人は「不幸な人間を救った」との見方もできます。

なんでも因果応報…全ての人の現在の姿は、過去の積み重ねでしかないと思います。
でも、私は仏教徒じゃないので、こんな言葉を用いた事がないです^^
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この回答へのお礼

回答有難うございます。

お礼日時:2012/12/18 10:32

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