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快楽はなぜ求めてはならないんですか?
わたしの考えだと快楽は人間の真の人生の内にある目的から目を逸らさせるからです。
みなさんどう思いますか?

A 回答 (15件中11~15件)

”快楽はなぜ求めてはならないんですか”


    ↑
快楽はあまりにも強力だからです。
あまりにも魅惑的だからです。
だから、求めてはならない、とするぐらいで
丁度良いのです。
快楽を求めてもよい、どんどん求めろ、と
いうことになったら、世の中どうなる
でしょうか。
薬物氾濫、犯罪だらけの世界になるでしょう。
だから、快楽を自制する必要があるのです。
快楽はいけない、というのは、その為の
人間の知恵です。

”人生の内にある目的”
    ↑
そんなものは存在しません。
それは人間は特別な存在だとする思い上がりです。
人間は、他の動植物と同質の存在に過ぎません。
分子生物学も、進化論も人間存在の特別性には
否定的です。
人間は、意味なく産まれ、意味なく生き、意味なく
死んでいくだけです。
それがイヤだ、というひとが色々理屈をつけている
だけです。
そんな理屈に惑わされるのは愚かというものです。

この回答への補足

上半分は同意です。

>”人生の内にある目的”
>    ↑
>そんなものは存在しません。
ここから下の文について。

人間が動物と同質なわけないと思うんですが。
動物と我々は理性において大きな開きがあるとは思いませんか?
記憶能力だって歴然たる差があり真に生きるうえで大切なするべきことがなんなのかを見極め、それ故人間は目的に向かって生きていけるんじゃないですか?

補足日時:2012/12/31 02:05
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こんばんは。



>快楽はなぜ求めてはならないんですか?<
人間は 自然本性として快楽を求めるようにできているからでしょう。過度な快楽の追求や安易な脳内麻薬によるコントロールは 脳に致命的なダメージを与えることになりかねないから。ランナーズハイやドーパミン過剰による依存症等
だから お釈迦様は あるがままに物事を観てあるがままに生きなさいと言われたのだと思います。人間には知恵があり 誰にでも自分の好きなことがあります。それは 他人から褒められることにより好きになり 他人は貴方が優れているから褒めるのです。人は好きなことをして 普通に生活すれば幸せなのです。
人間の人生は この世界の生滅(ゆらぎ)と連動して 誰にでも良い時と悪い時の波があるのです。この世界は一時も同じではない諸行無常なのです。貴方が変化するだけでなく世界も変化している。それが 心の穏やかな状態なのです。生死だけが変化だと思わないようにね。^^

ただ このことを悪用して貴方をコントロールしようとする団体には注意してください。

脳内麻薬の仕組み
http://light.kakiko.com/sionta/NouSuper.htm

脳内麻薬の作り方
http://light.kakiko.com/sionta/MayakuSakusei.htm
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この回答へのお礼

よく分かりませんが、ありがとうございました。

お礼日時:2012/12/31 02:24

>わたしの考えだと快楽は人間の真の人生の内にある目的から目を逸らさせるからです。



 上記には賛成なんですが、では「人間の真の人生の内にある目的」を達成する事を目的とした人が、「人間の真の人生の内にある目的」を達成するために行った行為の間に感じる感覚は、「快楽」ではないのか?と考えた事はありませんか?。その意味で、「人間の真の人生の内にある目的を達成する」ための快楽は受け入れて良いのでは?、と自分は思います。もっとも「人間の真の人生の内にある目的」とは何か?、には議論百出でしょうが・・・。

 自分は、「煩悩の中に悟りあり」「悟りを求める心こそが、煩悩である」という戒めを、上記のように受け取っています。

 結局は、次のような事だと思います。

 例えば自分が利他行為をしたとして(命をかけて、誰かを助けたとしても)、結局それは自分の気持ちのために(望みのために、快楽のために)やったのだ、という事を、自覚できるかどうかだと思います。そういう事を自覚してる人間は、口が裂けても「人のためにやった」などと、言えません。せいぜい言ったとしても「人間として、当然の事をした」が関の山です。それも、恥ずかしがりながら・・・。


 人とは自分のために生きています。人間は好きな事(納得した事)しかやりません。人間は、動物ですからね。でも「人は自分のために生きている」という自覚を持たない人は、結局、他人の痛みはわからないと思います。
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この回答へのお礼

>「人間の真の人生の内にある目的」を達成するために行った行為の間に感じる感覚は「快楽」

>例えば自分が利他行為をしたとして(命をかけて、誰かを助けたとしても)、結局それは自分の気持ちのために(望みのために、快楽のために)やったのだ、という事を

真の人生の内にある目的といからには、それを快楽と呼ぶのはあまりにも軽薄すぎると思うんです。自分の気持ちの為に利他的行為をしてもそれは快楽ではないと思います。

>もっとも「人間の真の人生の内にある目的」とは何か?

これも説明不足でした。回答ありがとうございます!

お礼日時:2012/12/31 02:22

快楽をどう捕らえるか、それが問題です。

快楽を罪悪視するのは、快楽といえば、通常は肉体的快楽のことであり、精神的退廃を招くと考えられるからです。
それとは別に、あなたの言っている「人間の真の人生の内にある目的」を達成することに快楽を求めるのであれば、それこそ求めるべきものということになります。
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この回答へのお礼

まあ、そうですね説明不足な感はありました。
回答ありがとうございました

お礼日時:2012/12/31 02:15

>快楽はなぜ求めてはならないんですか?



別にそんなことはありませんよ。

他人に危害を与えない範囲で、個人が快楽を求めることを禁止する法律はないし、宗教でも一部の禁欲的宗教がこれを求めるぐらいで少数派でしょう?

肉食妻帯を禁じていたはずの仏教でさえ、出家坊主が結婚して、セックスして、子孫を残して、寺院を私物化し、世襲させるなど、現世の快楽を追及すること容認しています。

個人的には悲しい、寂しいと感じますが、これが厳然たる事実なんですよね。
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この回答へのお礼

ありがとうございました。

お礼日時:2012/12/31 02:22

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