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このたびのバスケ部主将は自殺した。
この主将を自殺させたとされる部顧問の先生は同校で十数年間バスケ部顧問をしていた。
この顧問の先生は十数年間全く同じ主義且つ方法でバスケ部と主将に対して指導していた。
このバスケ部顧問先生は高校バスケ部の間では優秀な成績結果を収め有名な指導者だった。
桜宮高を受験しバスケ部に入る生徒はこの顧問先生の事を十分に知った上で入部した。
この十数年間に自殺した主将など誰一人もいなかった。
過去のバスケ部主将OBはこの顧問先生に感謝こそすれ非難する者はほぼ誰もいない。
このたびの自殺した主将は自ら主将にしてくれと志願した上での主将だった。
その後このたびの自殺した主将は主将を辞めたいと訴えてきた顧問の先生に。
だからバスケ部顧問先生はこの主将に尋ねた。
自ら希望したのに主将を辞めたいとは何故それでは厳しい立場の主将に志願したのか。
それに対し自殺した主将は大学受験スポーツ推薦に有利だからと答えた。
よしそれであれば二軍に落ちてそこから再スタートしてみろと顧問先生は答えた。
この主将はそんなことなら主将辞めずに続けますと答えた。
そしてバスケ部顧問先生はよしそしたらまたどつくぞと返答した。
そしてこのたびのバスケ部主将は自殺した。
そんなこんなで桜宮高校の体育系学科は廃止になって入試すら中止にさせられてしまった。
その穴埋めとしてかどうか大阪府立大塚高校の体育学科の定員を増やすことにした。
大塚高校の例えばバレー部の指導は厳しくてドツキもありは当事者なら明々白々なこと。
大阪市立桜宮高校の体育学科は存続廃止で入学試験中止。
大阪府立大塚高校の体育学科は全くの逆で定員増加の上で入学試験実施。
これら一連の事実に対して疑問というか何か不条理を感じませんでしょうか。
何これ教えてください。
この打算的且つ性根の腐った主将の自殺によって顧問先生が追放されるのは耐えられない。
桜宮高のバスケ部顧問の先生を尊敬し慕っている部員や元主将がもし腹切って自殺したら。
これマジで起こり得る可能性0ではないのではと思ってしまいます。
何これ教えてください。

A 回答 (12件中1~10件)

バレーボール部の常習的な暴力の発覚、学校の隠蔽、生徒の声を公然と無視して、顧問を復帰させたこと、闇寮の発覚と校長命令の拒否、バスケットボール部における常習的な暴力とその結果としての自殺、このような社会通念上許されない学校の状態にも関わらず、在校生が現状維持を求めて記者会見を開いたのは、社会通念に照らして不適切であり、「OB、在校生共に反省していない」、「長年の暴力的指導に疑問を持たない洗脳下にある」と認識されつつあります。



このような、常習的な暴力に関して反省もなく、伝統の継承を求めることは、反社会的行為でもありますので、今後、「桜宮高校出身」であることは、将来にわたって在校生、卒業生の将来を傷つけるものになるでしょう。

桜宮高校の現状は社会が求める教育機関としてあるべき姿から大きく外れていると認識されているということです。少なくとも、大阪府内の中高生を持つ父兄は、自分たちの子弟が桜宮高校出身教師のような暴力的指導の犠牲にならないよう、校内に防犯カメラを設置を要望するなど、抜本的な改善策の導入を求めるべきでしょう。

こののような「桜宮高校」という名前が、府民から警戒される状況から、在校生、卒業生を救うために、桜宮高校を可及的速やかに廃校にし、民間に売却すると同時に校名変更を行うことが最善であると思われます。


他の府立高校の件ですが、同じような常習的な暴力が発覚すれば、大阪の府立高校から体育科を全廃することで再発が防止されると思います。また、府立高全てから、体育教師の総入れ替えも必要かもしれません。

とりあえず、校内で行われていた常習的な暴力的指導を改めようとする強い意志が生徒の間に認められない限り、在校生、卒業生のの印象はますます悪くなるでしょう。

「暴力は一切認められない」という強い姿勢を在校生が見せることができれば状況は違っていたかもしれませんが、「今までの桜宮」を求めた時点で、多くの人々は、大阪市長は正しかったと判断した――つまり、桜宮高校は高等教育機関失格である印象を広げてしまったので、その印象を覆すのは難しかもしれません。
卒業生、在校生の猛省を期待いたします。
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>過去のバスケ部主将OBはこの顧問先生に感謝こそすれ非難する者はほぼ誰もいない



そら、暴力に耐えられなかった人たちはことごとく追放されたか自ら去って行ったでしょうから、残っている人は表立っては非難はしないでしょうね。でもそれって「殺されなかった者以外は生き残った」っていうようなものですよ。

>これら一連の事実に対して疑問というか何か不条理を感じませんでしょうか

そうですね、受験が目前が迫った今の時期に受験を急きょ辞めさせるのはおかしいと思います。募集を中止するなら来年分でしょ。中止を拙速する理由もないですしね。事実関係が明らかになってから処分なり中止なりでしょう。これではまるで裁判の結果が出る前に刑務所にぶち込むようなもので、とても弁護士の判断とは思えないんだよなあ。
受験しようとしていた子たちが可哀想ですね。

でもだからといって体罰全面容認はどうかと思いますよ。だって、死んじゃった子は30発だか40発だか殴られたってんでしょ。いくらなんでもそりゃやりすぎです。ヤンキー先生でさえ「これは体罰じゃなく暴行だ」といっていましたしね。
主将の役割は「みんなをまとめること」であって、「顧問のドツキに耐えること」ではありません。そこをはき違えちゃダメよ。

>桜宮高のバスケ部顧問の先生を尊敬し慕っている部員や元主将がもし腹切って自殺したら

ないない。可能性はあるというんだったら、誰でもいいからやってみろよとあえて挑発します。顧問の先生が死んじゃったわけじゃないんだから、ないですよ。
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見てきたような語りっぷりですね。



まず、情緒的で余談に基づいたお話は信用できません。
そういうものを元に何か判断しようとするのはあまり賢いやり方ではありませんね。

>一連の事実に対して疑問というか何か不条理を感じませんでしょうか
見てきたようなお話は別として、疑問や不条理は感じますよ。
性急すぎるトップダウンもいいかげんにしろという感じの入試中止とか
入試中止なのに試験や入学後のカリキュラムはこれまでに準じて配慮するとかの羊頭狗肉っぷりとか。

>これマジで起こり得る可能性0ではないのではと思ってしまいます
腹切ってねえ。
どんな想像にも可能性はありますから質問者様がそんなふうに思ってしまうのは仕方ありません。
ですが、理性や知性が十分であれば、リスクとベネフィットのバランス・優先順位を判断できるはずです。
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橋下氏の対応は、不倶戴天の敵とみなしている日教組が体罰に反対しているから体罰を容認する発言を繰り返し、事件後もまるで他人事のように、教育委員会や学校を激しく責めながら、必ず体罰を肯定する発言を付け加えていました。


まあ最後には謝罪しましたが、
敵を作りそれを叩く事で支持率を上げようとする、彼独特のパフォーマンス演じる為、今回の事件を利用した感はあります。

但し、運動部の元主将ら8人が並んで記者会見に臨み「私たちは納得いかない」「学校を守りたい」とほき暴力教師を尊敬し擁護してますね。
感情論ばかり持ち出し論理的思考に欠け、自己中心的で他人を思いやる思考形態も無く、異常な権力崇拝と選民意識に凝り固まった暴力集団の優等生たちを、まるで生徒の代表の様に記者会させたのは、一体誰の差し金?
正にオウム真理教の幹部信者たちです。
サティアンよろしく勝手に寮を作ったり、暴力での支配・洗脳・マインドコントロールで人格まで変形させたのでしょう。
こいつらの考えは間違いなく伝統として受け継がれます。
またそれを扇動する狂ったOBや私利私欲に走った賤しい保護者たち。
主将や仲間や後輩がボコられても当たり前と看過している生徒たち。
自殺されたくなかったら言う事を聞けと脅迫する女生徒
この騒ぎの中、新人戦に出場???神経を疑う事を平気て言う校長

客観的・論理的思考より身勝手な主観的感情論を優先し低能・野蛮で遵法精神の欠片も無い体質を受け継ぐ伝統など断ち切るのが筋。でなければ延々と悪しき連鎖は続く。
負のスパイラルを断ち切る為の入試中止は、少なくとも新入生を救った。

弁明の機会すら放棄し失った死者を糾弾するべきでなく、事実のみを受け止めるべきでしょう。
また、
>腹切って自殺?
少なくとも原因が違法行為によるもので有りませんので、問題は無いでしょう。
抗議の自殺が怖わがって、必要な遵法行為を躊躇うべきでは有りません。
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ひとつお答えし忘れていました。



今まで、長年生きて、色んな事件を見てきましたが、1970年代以降、事件の当事者が責任を感じて自殺するということはなくなり、今や、自ら職を辞すということもほとんどありません。事件の当事者はたとえ裁判になっても弁護士に囲まれながら、とことん戦うのが現代です。

>バスケ部顧問の先生を尊敬し慕っている部員や元主将がもし腹切って自殺

つまり、このような行為はまったくの無駄死にです。
もし、自殺など、社会通念に照らして異常な行為があれば、「桜宮高校では、オウム真理教以上の洗脳があった」、「戦時中の軍隊並みの洗脳」、つまり、「桜宮高校はカルト」だったと判断されるでしょう。

部員、卒業生が尊敬する顧問は、麻原彰晃なみの人物だと証明されるわけです。

大阪市役所における記者会見以来、カルト、洗脳が疑われている状態ですから、桜宮高校の伝統、常識は、一般社会にまったく通用しない非常識だったのだと、在校生、卒業生の皆さんが少しでも早く理解されるよう祈ります。
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多くの人が勘違いをしているようですが


自殺者が出たから、顧問の暴力が悪いのでは無いのです。

暴力自体が悪いのです。違法行為なのです。
それが、自殺者が出たことがきっかけで、外部へ明らかになり、
関心を得るに至っただけです。

残念ながら、違法行為が世間に知れ渡った以上、罪を免れることはできません。
体罰が必要とか不要とかの議論のレベルを越え、法律上の問題となりました。
刑事事件の対象となるかもしれません。
暴力を振るった顧問は、懲戒処分となるでしょう。
免職となるかは判りませんが、
少なくとも、部活動の顧問を続けることは困難です。
ちなみに、彼等をかばい報告しなかった校長も処分の対象となるでしょう。


それに、もう一つの勘違いがあります。
事実上、入試は中止になっていないのです。
名称こそ普通科になりますが、試験方法や学区は体育系科のそれとおなじです。
教育委員会はできるだけ早く体制を整え、体育系科を復活することを目指しています。

しかしながら、教師・生徒・保護者の間に暴力を容認する雰囲気がある間は
体育系科の復活はできないのでは無いかと想像します。

その学校の教師や生徒がやらなければいけないのは、
入試中止に反対とか言っていないで、
暴力追放ののろしを揚げることなのです。
学校が一丸となって、暴力追放の運動をやり、
暴力容認の雰囲気を払拭することができたら、
体育系科の復活が早まるのでは無いかとおもいます。

このことこそが学校を守ることでは無いかとおもいます。
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質問者さんの気持ちや疑問は至極当然と思います。

著名人等は「いい人」に思われたいので無難な事しか発言(コメント)しません。また厳しいスポーツや厳しい修業をした事のない人間には厳しい練習の必要性がわからないんでしょう。私は地位も名誉もありませんので下心もなく正直にいいます。

テレビ等で金・銀等のメダルをもらったり、優秀選手が多く出ていますが、彼らがそこまでになるには自分との戦いがあり、天才と呼ばれるまでには人の知らない苦労があり、何度も挫折したりしながら登って行くんですよね。たとえばバレーボールやサッカーのボールを体や頭で跳ね返す時の痛みは経験した者でないとわかりません。ボクシングやレスリングもそうでしょう。体罰程度ではないでしょうに。どのスポーツでも、登山や探検等のチャレンジでも「死と隣り合わせ」といっても過言ではありません。

>これら一連の事実に対して疑問というか何か不条理を感じませんでしょうか
  はい、感じます!!
顧問になぐられて出血多量で亡くなったのならわかりますが、あとでなぜ自殺したのか。また体罰受けたのを聞いた両親の対応が疑問です。「もっと正念入れて頑張れ」と言ったのか、めんどくさかったのかはっきりしません。私なら息子の話を聞いて「やめたほうがいい」とか「死ぬ気でやれ」といいます。もちろん覚悟をきめて。母に捧げるバラード(武田鉄矢)の母のように!!

人間は頭脳においても、運動能力においても皆違います。劣っている者は人以上の努力(訓練と苦労)を必要とします。教師に「切磋琢磨させ競争させる」ように言っていた橋下氏の頭脳は今どのようになっているのでしょうかね。
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体罰自体は違法なのだから、第一に法に則って裁けばいいと思います。

しかし、自殺したものが正義というのもおかしいですね。自殺の責任は、多かれ少なかれ、当事者や両親、先生、生徒、市長、それぞれあると思いますよ。
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人が一人死んでる。


その事実はとてつもなく重く、真摯に受け止めるべき事。
例えばどんなに優秀な人であれ、どんなに優しい良い人であれ、例えば何かの事故でさえ人を死に至らしめてしまう事があればその過去の優秀さや良い人さ加減なんてあまり関係なくて…その罪は重いと言わざるを得ないと思う。

しかし、なぜそれを回避できなかったか、なぜそうなるにいたったか、それらの原因やいきさつについてしっかりとした分析と反省が必要になり、それらを今後の教育や部活や学校、教育の運営に生かす必要がある…とは思う。

特に今回あったと思えるような偏った力関係が生まれてたり特別扱いされ権力が集中したり行き過ぎた行為が発生し始めたような際にそれに対してブレーキや見直しのきっかけを与えられるものがなかったとかには…その先生本人だけでなくその周りにいた教員の人達や組織や仕組み・構造といった周りも含めて原因も責任もあると言えると思う。

だから当の先生が責められ、“学校”と呼べる教員や組織について、またその仕組みについても見直しがなされ、その見直しにより当然その学校や生徒にもしわ寄せが来て変化がもたらされる事も仕方がない事に思う。
人が一人死んでるのだから。

ただ…だからといってとにかくなんでもかんでも“体罰は良くない”とか、そして全てが“体罰=暴力”となってしまっていて、問題の全てが、そして諸悪の原因が『体罰』になってしまってる…というよりそう“なってしまう風潮”もかなりおかしいように思う。 
もちろん今回の自殺の直接的原因の一つには『体罰がある』という事はもちろん否定しない。けれど、だからといってここぞとばかりに“体罰=暴力”にしてしまい、“暴力反対”と声高に言う人をみると少し気持ち悪くなる。

それはまるで過去に何かの罪で罰せられたその方法に体罰があって、今もその時になぜ罰せられたかに考えが及ばずしっかりと理解せずに反省も不十分に至らず、その時の腹立たしさが未だ解消しきれてないその怒りをここぞとばかりに出して仕返しをしているんじゃないか…とも思えてしまうくらい。

そもそも“体罰”というのは何か罪をおかした時、何か悪い事をしちゃった時に『罰』としてされるもの。 
今回はその“罰”にかなり『行き過ぎ』があったきらいがあり、そしてそれがどうやら常態化しており、そして成果を出す方法として見せしめに主将一人だけにその罰を与えていたというその『偏り』や『方法』にも問題があったとは言えるかも。 
でもそれは“行き過ぎ”や“方法”が問題ではあったとは言えるもので、だからといってそもそも『悪い事をしたから罰を与える事=暴力』…とはならない。

“体罰を与える教師は教師としての能力が足らない”と言う人も多い。 でも体罰を使ったから悪いかどうかを考えるとそうとも言えない。 確かに“どの程度の事で”とか、“どういう手順で体罰に至ったか”において、その手順や思慮がしっかりなされてないのに早々に“体罰”に至っているなら…そしてその方法を簡単に使い過ぎて例えば常態化してるならその教師の能力が問われると思う。 ですがそれを逆に言えば、たとえ能力の足らない教師でさえ“体罰を使えば悪事を抑える事ができる=それは悪い事だと判らせる(=教える)事ができる”という…つまり『体罰って実はかなり有効なんだぞ!』』と言ってるのと同じ事にもなる。 

また、『ちゃんと話せば(指導すれば)判る』とか『罰ならボランティアでもさせればいい』とか言う人もいるけれど、その理屈で実際に事足りるなら例えば重罪を犯した人に対する死刑制度だって要らない事になるしそもそも刑務所なんて要らない。 犯罪を犯した人はボランティアをさせればいいし 『ちゃんと話せば判る』という理屈は大抵の人には通じるが、大事なのはちゃんと話しても通じない人やその重大さや違いが判らない人に対してどうするかであるはずで…その際はやはり“厳しい指導=厳しい罰”が必要になると思うんです。  
そこにはまるで憲法九条を掲げていれば他国は侵略してこないと主張する人の理屈と同じ面があって『ミサイル飛んできたらどうするの?』の解決策に『強く抗議します!』と言う人に『その抗議の返答にもっとミサイル飛んできたらどうするの?』っていう突き詰める問いに相手は答えられないのと同じで、武力=悪というのと同じように、体罰=暴力と単純に決めつけれるものではないかと思うのです。


しかし今回、人が一人死んでいるわけです。
それは重大な事なので、武力の是非(≒体罰の是非)というよりも、どのように“武力”が使われたかについては見直す面があるのは間違いないとは思います。

ただ…それよりも何よりも、
実はもっと重大な問題が誰しもに簡単に看過されているように思うんです。
それは子供達が『死ねばいんだな!』『自殺すればいいんだな!』と、そう思ってしまうそんな風潮(流れ)を望まぬも、そしてまた『更に』作ってしまってるんじゃないかって事。

今回、お子さんを亡くされた親御さんの心中…その愛する子を失うその深い悲しみを思うといたたまれない思いがします。
二度とその思いをさせる人を作っちゃいけない。“死ぬしかない”と思わせる人も作っちゃいけない。
出来れば回避しなければいけない。
『だからこそ体罰が~!』という人もいるが、でもちょっとアホかと思う。 
よってたかって体罰教師をやり玉にあげ、体罰が悪だと声高にさけび大騒ぎをし…そんな事をすれば“自殺したもの勝ち”になってしまう。 まだ思慮の足らない子供達ならなおさら『僕が死ねば判ってくれるはずだ!』『最終手段として自殺すれば考えてもらえる』 『死ねば大問題になってやり返してやれる!』となる。
いったい自殺者を減らしたいのか、自殺を促したいのかどっちなんだと思ってしまう。

子を亡くした親御さん達の気持ち、そして自殺を選ばざるを得なかった当事者の苦悩を思えばやりきれない…でもそれでも、もちろん体罰については重々検討分析議論反省するにしろ、もちろんそれが起こった学校、人、仕組みに変化や罰を与えてもなお、それら以上に『自殺をする事はなによりも悪だ!』という事を第一に掲げなければいけないように思うのです。
そうでなkれば『最終的には自殺するしか…』『やっぱり自殺するしか…』そして『自分が死ねば…』という道を作る事になっちゃうんじゃないの?って思うんです。

今の世論…回答にある様々な答えはどれもが“ごもっともな”意見です。
でもそれらはまるで“お前ら仕返ししたけりゃ自殺だぞ” “おおごとにしたけりゃこんな風に死んだらいんだよ”と言ってるがようなものでもある…
自殺を有効な手段に思わせてしまう深慮の足らない『“体罰は暴力”論者』達の大騒ぎ…それらは間違ってる気がする。
これ以上自殺者を出してはいけない。 だからこそ 個々の問題や原因も大切だがそれ以上に…

無くなった当事者の苦悩や今悲しみにある人の心を思いその清濁併せのんでさえも、それでも『自殺が悪』『自殺するのはバカだ』としなければいけないのに、誰もそれを言えず、そして気付かず、自分にとっての正論を振りかざして騒ぐ人達…

発想の起点や着眼点はどこか変でも、それらに一石を投じるかのような当質問者さんの問いかけはとても素晴らしいものだと思います。
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生徒一人が亡くなった事実があります。

これに関する報道だけなら問題ないのですが、これに関連して諸々の問題をこの際いっきに解決しようとしているように感じます。しかし背後の闇の問題は、報道関係者が口をつぐんで報道しないので、ますます不自然に感じます。

想像ですが、公立高校では「公にできないような事案があるのでは」と懸念します。この問題を解決する意味で、橋下市長が「桜宮高校の全教職員の更迭」と主張しているのではないかと思います。既得権益というか、伝統という言葉で「隠された闇の問題」があるように思えてなりません。市立高校のスポーツ科に入学を熱望する中学生・保護者が居るということは、そこに「何かがある」と思います。この「何か」が判明しないと、いつまでも疑問は消えないと思います。

一般の人は、「報道」を待つしか他に術はありません。
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