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伊藤左千夫の短歌「物寂し青葉の宿の五月雨の室にかなえる沙羅双樹の花」の意味を教えて頂けませんでしょうか。「室にかなえる」の音読は「むろ」で良いのでしょうか?

A 回答 (4件)

#2です。



>この歌の解釈を知りたい理由は書道の作品に書いてみたいと思ったからです。
 :
それであれば、まずこの歌文は発表時のそのままにて揮毫をされるべきでしょう。
漢字の「物寂し」では限定されますから、ここはありのまま平仮名に。「青葉」は本字の「靑葉」に。「かなえる」は本来の「かなへる」に。題字を入れる場合「蝸牛庵即事」の「即」は旧字の「卽」に。

>意味が解らずに書き上げることは出来ませんが、「室」をムロと読んでは間違いになりますでしょうか。
 :
まず読み方ですが、「室」は音読みは避けて、そのまま「へや」で落ち着くでしょう。「むろ」訓みでは土や岩の穴居、もしくは部屋でも特に僧房にあたります。
  「かぎゅうあん そくじ」
「ものさびし あおばのやどの さみだれの へやにかなえる しゃらそうじゅのはな」

意味については#2で申し上げた通り、色々な疑問を抱きながらその上で、そのよく解らないという自覚こそが肝心なのではないでしょうか。
とまれ、全くの私見では次のようにも…。

ああ、この五月雨の季節にあって、「かたつむりの庵」とはよくぞ付けたり。いかにも程よく古びて趣のある屋敷の庭内には、夏椿の花がしとしとと濡れて光っているのだが、それが実に部屋の佇まいと見事にマッチしているあたりは流石としか言いようがない。

「ものさぶ【物寂ぶ】:(1)何となく古びて、趣がある。古めかしく上品である。(2)何となく荒れはて衰える。見すぼらしくなる。」
「やど【屋戸・宿】(2)家、家屋、すみか。(4)屋敷の庭内。庭先。」
(引用:「古語大辞典」小学館)

左千夫は「茶道にも通じており、子規から「茶博士」と呼ばれたほどで、左千夫の自宅を「無一塵庵」と名付けた。一戸建ての茶室を欲しており、友人である蕨真の助けを借りて、自邸内に茶室「唯真閣」を建立した。現在では生家に移築されている。」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BC%8A%E8%97%A4% …

そのような茶道の眼差しで捉えた明治40年のこの「蝸牛庵即事」を讃えた歌。それから数年後に念願の茶室「唯真閣」の佇まいこそは、まさに「蝸牛庵」を彷彿させられるではありませんか。
「伊藤左千夫の「物寂し青葉の宿の・・」意味」の回答画像4
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この回答へのお礼

御投稿頂いた時刻を見て 恐縮しています。

本当に詳しくお教え下さり有り難うございました。

揮毫する際は 発表時のままの文字遣いでする方が良いとのご指摘も
有り難うございました。

今回、図書館で可能な限り何冊も目を通しましたが
いづれもルビなしで当用漢字で印刷されたものばかりでした。

今後の作品制作には、元のままの資料を探す手間をかけるように
努力したいと思います。良い勉強になりました。


他の文学作品についても、もっと詠まれた背景を知り詳細な基本知識を得てから
作品に取り上げていく様に努力していきたいと思います。

本当に有り難うございました。お世話になりました。

お礼日時:2013/05/07 07:50

#1です。



>沙羅双樹の花・・・とあるので、仏教的な知識がないと
読み取れない歌なのかと難しく考えてしまっていました。

すでにご存知でしょうが、沙羅双樹と言えば思い浮かべるのは、やはり平家物語の「祇園精舎の鐘の声 諸行無常の響きあり 沙羅双樹の花の色 盛者必衰の理をあらはす」という出だしでしょう。
沙羅双樹はインドが主産地で日本ではツバキの一種であるナツツバキが、そう呼ばれているということのようです。
お釈迦さまが死を迎える際に白くなって枯れた、という言い伝えがあるようで、その花の色に意味が付与されているのでしょう。
旅先の宿で、五月雨という条件に限らず、気持ちを鬱屈とさせる何らかの事情がそのときの左千夫にはあったのだと思います。
そうした気持ちの作者に、盛者必衰、釈迦入滅を必然的に連想させる沙羅双樹が、美しさを超えて無常の趣を殊更しみじみと伝えてくるように感じられたのでしょう。
その意味で、仏教と大いに関連する歌であるように思われます。
  
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この回答へのお礼

更に 補足を頂き有り難うございました。

作者が仏教的な境地で歌を詠んでいることを捕えて
この歌の奥深さを味わう様にしたいと思います。

最初にお答え頂きました時にURLを添えて下さっていましたが
こういうコーナーの事が良くわからずに開かずにいました。

今開いてみて、わざわざ辞書まで添えて下さっていたことに驚き
有難さでいっぱいになりました。
重ねてお礼申し上げます。

お礼日時:2013/05/06 21:02

これをそのまま読めば只そのままで結構なのですが、一たび歌集に接した者には、これが明治40年夏の「蝸牛庵即事」と題されていることから、いかにも一筋縄では行かない思いが募ります。


「ものさびし青葉の宿の五月雨に室にかなへる沙羅双樹の花」

「蝸牛庵」に「即事」、これがつまりは、幸田露伴ゆかりの蝸牛庵を目前にしてという意味とするならば、です。
ここでの「蝸牛庵」は、明治村に保管されている墨田区東向島一丁目に明治30年から約10年間住まっていたものであるのなら、この明治40年夏に左千夫が「即事」した際に、では露伴はそこにいたのか、既に引っ越しており無住の建屋だったのか、微妙なタイミングになります。
http://www.geocities.jp/seppa06/0406rohan/rohan2 …

この場合の「沙羅双樹の花」は、季語一般では「沙羅(しゃら)の花=夏椿の花、杪羅(しゃら)、さるなめ、さんごな」を意味しますが、これは仏教伝説の「沙羅(さら)双樹の花」とは異なります。左千夫は「しやらさうじゆ」とルビ振りしているので、ここは語調合わせとも見込めますが、果たして露伴が絡むとなるとそれだけなのか?

この「ものさびし」は主たる露伴がいないからも意味するのか?
青葉、五月雨、沙羅双樹の花と季重さなりの連続はいかがなものか?
青葉の宿と蝸牛庵の位置関係はどうなっているのか?
青葉と五月雨なら芭蕉ではないか、芭蕉研究といえば当時の露伴ではないかナド…。
何とも、悩み尽きない歌ではあります。
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この回答へのお礼

詳しく解説頂き有り難うございます。
藁をもすがる気持ちで投稿させて頂いて
こんなにも丁寧にお教え頂けるとは
思っていませんでした。
感謝しています。

蝸牛庵が 何たるかも知らずに 
そのままタイトルとしてだけ受け取っていました。

幸田露伴との関係など
この歌の持つ背景を読み取ることの
難しさも解りました。
もう少し研究してみようと思います。

この歌の解釈を知りたい理由は
書道の作品に書いてみたいと思ったからです。


意味が解らずに書き上げることは出来ませんが、
「室」をムロと読んでは間違いになりますでしょうか。

お礼日時:2013/05/06 16:09

全くの独断的解釈ですが・・・。



そこはかとなく寂しげな雰囲気が漂う。
窓からすぐ近くに沙羅双樹の花が咲いているのが見える。
青葉を濡らしている五月雨のせいでこの宿に降り籠められているが、そんな部屋にいるわたしの今の気分にちょうど釣り合った風情の花であるなあ。

といったところじゃないかと思います。
「室」は「しつ」で良いのではないでしょうか。
「むろ」のほうが確かに寂しいという雰囲気は出るようですが、歌の内容には若干そぐわないような気がします。
http://dic.yahoo.co.jp/dsearch?enc=UTF-8&p=%E5%A …
  
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この回答へのお礼

早速に有り難うございました。
沙羅双樹の花・・・とあるので、仏教的な知識がないと
読み取れない歌なのかと難しく考えてしまっていました。
すっきりと鑑賞出来ました。

また 「室」の読み方も納得できました。

貴重なお時間を割いてご回答下さり感謝しています。

お礼日時:2013/05/06 14:23

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