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伊達宗行『極限の科学 低音・高圧・強磁場の物理』(講談社ブルーバックスB-1669、2010年) 137~139、146~148ページには、原理上あらゆる元素が高圧で金属化できる、とあります。(技術的に未だ無理な元素もあるそうですが。)また、『新過程 チャート式シリーズ 新化学 I 』(数研出版、2004年) 33ページには、不活性ガスであるキセノンの化合物がある、とあります。この実体があれば必ず、この化学的性質(例えば非金属性・不活性性)がある、という実体は無いのでしょうか。

A 回答 (4件)

>小弟と致しましては、プラトニズムとは正反対の、弁証法的唯物論に近いヘーゲル論理学の実体論を支持している積もりなのですが・・・。

ヘーゲル『論理学』の「定言的推理」の理解を深めたいのですが・・・。

哲学的な議論には詳しくありません。プラトンの哲学もヘーゲルの哲学も知りません。あまり詳しく知りたいとも思っていません。「ヘーゲル論理学の実体論」というのがあるのですか。それの理解を深めるために科学のトピックスを漁るというのでしたら方向違いだと思います。トピックスではなくて基礎をきちんと勉強することです。昔、武谷三男が「哲学はいかにして有効性を取り戻すか」の中で「哲学者が自然について語るのであれば科学をきちんと勉強してからにしてほしい」と言っていました。相対論や量子論についての哲学者のつまみ食い的な論稿が目につく状況にあったからでしょう。

ヘーゲルの「実体論」がどういうものかはわかりません。あなたの「実体論」とどういう風に関係するのかもわかりません。「この実体があれば必ずこの性質がある」と書かれている「実体」はヘーゲルの言っている実体と同じだと考えていいのでしょうか。
私は「実体」といえば「原子」のような具体的な存在を考えます。でもあなたの質問文を読むと「原子や原子の組み合わせでできている実体とは別の存在」を考えているように感じます。「金属性を示す原子集団とは別に金属性のもとになる実体が存在するのではないか」ということを言っておられるのですから。「実体」の意味がはっきりしないのです。

ヘーゲル(1770-1831)といえども自然観、または物質観はその時代の科学の到達点以上のものにはなりえません。ニュートンのプリンキピアから100年たっています。巨視的な物質の世界を記述している分野(特に力学)の勢いはすごかっただろうと思います。しかし物質の内部の世界を記述する微視的な分野はまだ右往左往という段階にあったでしょう。スタートラインに立ったばかりだといってもいいでしょう。
そうであれば物質の性質についての本質規定のような議論は巨視的な世界から微視的な世界のあり方を推測するという形のものであっただろうと思います。
「ある性質があればその裏付けとなる実体がある」と考えるというのは1つの立場です。実験に基づいての主張ではありませんので「物質観」だということになります。自然現象のベースに粒子的な存在を考えるというのは「原子論」ですから「ヘーゲルの実体論というのは「原子論」のことだ」としていいのではないでしょうか。
ただ「原子論」の内容は変化しています。どんどん具体化していっているのです。すべての性質に裏付けとなる実体を考えるというのもそれに応じて変わっていかなくてはいけません。化学での原子論の展開と関係なくただ、「性質の裏付けになる実体が存在する」ということだけを言っているのであれば単なる観念論です。「哲学は普遍的なものである、個別科学の展開とは無関係である」というようなことを言っているわけにはいかないはずです。

現在は化学的な性質は原子の存在様式によって決まると考えています。
・100種類ほどの原子が存在する
・原子と原子が組み合わさっていろんな物質が生じる
・物質の性質の違いは結合様式の違いから生じる

荒っぽくまとめていますがこれでも性質に対応する実体を原子(または原子集団)以外に求めるという立場は出てこないことがわかります。

「実体」という言葉の使い方に誤りがあるのではないでしょうか。

「金属」であるという性質ははっきりと認めらられた性質です。これは約束事ではありません。
「この性質がどういう仕組みで出てくるのか、物質的な裏付けが知りたい」というのであれば「実体は?」という問とは異なってきますね。
金属であるという性質は原子1つの示す性質ではありません。原子集団の示す性質です。化学結合の一つに「金属結合」と名前の付いたものがあります(高校の教科書に出てきます)。これは「金属原子が集まる結合」という意味ではありません。「集まると金属としての性質を示すようになる結合」のことです。普通の条件では金属の特徴を示さない元素でも無理やりこの結合をさせることができれば金属としての性質が出てくるのではないかという発想もここから出てきます。

性質に対応する実体を考えるという立場を全面的に捨てなければいけないというわけではありません。
微視的な世界のスケールをどうとるかによって扱い方が変わってくるということがありうるでしょう。普通の原子、分子のスケールの世界で出てくる性質に対して新たに「実体」を考えるからおかしくなるのです。
武谷三男の本に「機能概念と実体概念」という論考があります。素粒子論の中での話です。今までの理論の枠の中で説明できないような現象が見つかった時にどうするかで2つの立場があったというのです。(A)すでに存在することが知られている粒子の示す性質として新たに機能を付け加える、(B)そういう性質を示すような新たな粒子の存在を考える。湯川秀樹の中間子論とその後の新粒子の発見に対して成功を収めてきたのはすべて(B)の立場であったというのです。(うまく説明できる例だけを取り出した眉つばの論である可能性もありますが。)

※調べてみるとヘーゲルは原子論で知られているドルトン(1766-1844)と同時代になりますね。ドルトンの原子論は「化学の新体系」の中にまとめられています。この本は1808年に出版されていますから原子論を知りうる状態にあったということは言えると思いますが、ドルトンの原子論を踏まえて論を展開したということではないだろうと思います。でも「原子論」の立場で自然を見ていたとするとそれなりの評価はできるということになりそうです。
でも200年前にヘーゲルの書いた言葉をそのまま現在に持ってきてはいけないはずですね。

この回答への補足

>「金属性を示す原子集団とは別に金属性のもとになる実体が存在するのではないか」ということを言っておられるのですから。

お言葉を返すようですが、これは誤解なさった様に愚考いたします。(回答No.1への補足質問を御覧下さいませ。)
外的条件が変わっても不変の金属性や不変の不活性性の実体となっている原子群や電子群があるか否かを知りたく存じますのですが・・・。もともと金属である元素は、高圧下で全元素が金属化するのと反対に、液化、気化しても金属であり続けるのでしょうか。また、何故キセノンは化合物があり得るのでしょうか。
繰り返しになりますが、この実体があれば無条件に、この性質がある、という実体はあるのでしょうか。

補足日時:2013/07/17 08:15
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この回答へのお礼

懇切ご丁寧な、哲学にも深く分け入った御回答を誠に有難う御座いました。たいへん勉強になりました。

お礼日時:2013/07/17 07:52

>これこれの化学的実体が存在すれば必然的にその実体の存在がこれこれの化学的性質の本質となるという様な実体は存在しないものでしょうか。


 ありません。
 所詮、特定の「金属の性質(定義)」だけを取り出して、その定義にあうので金属だと説明しているに過ぎない便宜的なものです。
 ガラスは固体である。--応力によって自在に形を変えないという意味では固体です.
 ガラスは液体である。--決まった構造を持たず、融点を持たないという意味では液体です。
液体や固体をなんと定義するかによって結論が変わります。
 これは哲学でも同じです。最初に定義をしてそれに基づいて説明して言って常識とは異なる結論に達することがあります。科学と哲学が根本的に異なるのは、実験・観察と言う客観的照明が必要か否かでしょう。
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この回答へのお礼

御回答を誠に有難う御座いました。

お礼日時:2013/07/15 13:45

kimko379様は様々な性質の裏に共通の「実体」があるとお考えのように思われますが、それはプラトンの「イデア論」に類するものの様に受け取られてしまうでしょう。


共通に存在するのは単純に状態を表す「定義」のみだとお考え下さい。
科学は「唯名論」に近いのです。

この回答への補足

小弟と致しましては、プラトニズムとは正反対の、弁証法的唯物論に近いヘーゲル論理学の実体論を支持している積もりなのですが・・・。ヘーゲル『論理学』の「定言的推理」の理解を深めたいのですが・・・。

補足日時:2013/07/15 08:21
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この回答へのお礼

御回答を誠に有難う御座いました。

お礼日時:2013/07/15 08:11

 極論と言えば極論ですが、極論を持ち出すのはそれによって伝えたいことを明確にするためです。


 その文章は読んでいませんが、必ず「金属とはなにか?と考えれば、」などの説明があるはずです。

>この化学的性質(例えば非金属性・不活性性)がある、という実体は無いのでしょうか。
 これは日本語になっていませんよ。
 性質と実体は決して同じものではありません。希ガスに分類される元素という実体は存在します。例えば水素は非金属元素として指導要領では指導しますが、御存知のとおり固体の水素は金属ですよね。
 ⇒金属水素 - Wikipedia( http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%87%91%E5%B1%9E% … )
 これは矛盾しているのではなく、通常の状態では水素は非金属元素の気体の性質を示すというだけです。

 金属状態とは、電子と原子核が流体として存在している状態と定義すれば、すべての原子は、ボーア半径を越えて近づくほどの超高圧下では必然的に金属として振舞うはずですから・・・。炭素(ダイヤモンドでさえ)・・・
 でもこの説明にはトリックがあって、「金属になるほど圧力をかければ金属になる」と当たり前のことを言っているにすぎません。--言葉の詐欺と言ったらまずいかな(^^)、騙されるほうが悪い。

この回答への補足

お言葉を返すようですが、読み違え(勘違いの読み)をなさった箇所がありませんでしょうか。その箇所を言い換えさせて頂きます。:これこれの化学的実体が存在すれば必然的にその実体の存在がこれこれの化学的性質の本質となるという様な実体は存在しないものでしょうか。即ち不変の金属結合原子どもや不変の閉殻電子ども等の、絶対(無条件)・不変の金属性や絶対・不変の不活性性の本質となっている実体どもは存在しないものでしょうか。

補足日時:2013/07/14 19:14
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この回答へのお礼

御回答を誠に有難う御座いました。

お礼日時:2013/07/14 19:14

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