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最近自分が井の中の蛙だと思う
ご閲覧ありがとうございます。

最近自分で自分のことを井の中の蛙だと感じてしまいます。

自分はなんて考え方が狭いんだろう。
22歳にもなってなんて子供なんだろ。
本当甘ちゃんです。

この機会に自分の殻を破りたいのですが、皆さんは同じような体験をされた方はいますか?
最近どうしたら、自分の殻を破れるんだろうと考えているのですが、参考までによろしければ皆さんの考えを聞かせていただけませんか?

よろしくお願いします。

A 回答 (6件)

「自分は井の中の蛙だと感じてしまいます。

」ということですが、立派なことです。誤解しないで下さい。茶化しているのではありません。<(_ _)><(_ _)>

「井の中の蛙」であることさえも、意識しない人が多いように思います。つまり「向上心」を失っているのです。

「22歳にもなってなんて子供なんだろ。本当甘ちゃんです。」……ご質問の文章から判断すると、確かに、そういうところも見受けられますが、「井の中の蛙」であることを、意識していることは、「まだマシな方だ」と自信を持ちましょう。(*^_^*)<(_ _)>

「皆さんは同じような体験をされた方はいますか?」……世界は、広いと思います。ほんの少し、人生のことを考える人であれば、みんな体験していると思いますし、これは、年齢にかかわらず、「井の中の蛙」を脱して、今よりも、「少しでも広い見識を持った、大きな人間」に成長しようと心がければ、一生背負い続ける課題だと思います。そして、常に「自分の殻を破りたい」と努力していかなければならないのです。さらには、「殻を破る」とまた、「新たな殻」にぶつかり、また「殻を破る」努力を迫られるのです。(*^_^*)

「どうしたら、自分の殻を破れるんだろう」……あまり「殻」のことは考えなくても良いと思います。自分なりに一生懸命生きていれば、そして、「悔い」のない人生を生きていれば、「殻」は破られていく、あるいは「殻」を意識しないで生きていけると思いますよ。

頑張って下さい。
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この回答へのお礼

悔いのないように生きていくことも必要ですよね。
後悔だけはしたくないですよね。
ご意見ありがとうございました。

お礼日時:2014/03/03 01:11

世の中の大抵の人は「井の中の蛙」じゃないですか?


大海を知っている蛙以上の存在って、いったい何でしょう。
どこまで行けば「井の中の蛙」を脱することができるのか? の答えは、存在しないような気がします。

ただ、そういう意識を持ちながら、ご自分のハードルを常に高い位置に固定して、納得するまでチャレンジするということは非常に重要だと思います。
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この回答へのお礼

自分はただの凡人なんで、殻を脱しよう、脱しようとして器を大きくしていきたいと思います。
ご意見頂きありがとうございました。

お礼日時:2014/03/03 01:05

結局「そこから」学んだものは


「カエルなんだから、跳ぶしかねーだろ?」
…ということでしたね。

跳ばないカエルは、ミミズと同じ。
いや、土に深く潜れない分、ミミズ以下だ。
カエルだと自分で思えるなら、より高く跳ねるカエルになるしか無いの。
鳥にはなれないんだから。

やれることをやるだけだよ。
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この回答へのお礼

はい。その通りですね。
成長できるように上を向いて生きたいです。

お礼日時:2014/03/03 01:07

「何かきっかけがあれば殻を破って大きく変わることができる」って人もいるかもしれませんが、たいていの人はそんなことはない。

井の中の蛙のたとえでいうなら、自力で一気に飛び出せる人はごく少数。こつこつ足場を作って脱出するとか、誰かの助けを借りるとか、もういっそ井戸の中を充実させる方向で行くか。

 いずれにせよ「これが絶対の正解」ってのはないでしょう。自分にできることをレベル高めていけば、気がついたら世界が見渡せるようになっていたり、他人がうらやむような井戸になっていたりとなるのでは。
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この回答へのお礼

外的要因も確かに必要ですね。
ありがとうございました。

お礼日時:2014/03/03 01:08

きっと今から40代位まではご自身が極端に受け身にならない限り、


色々な出会いがあると思いますよ。

そしてこれから出会う人間との縁をどのような形にしていくかは、
ご自身の課題だと思います。

私は海外の大学を出ました。

本当に日本にいたら絶対に出会えないだろうという国の方や、
父親の肩書が素晴らしい子との出会いもあり、
その恩恵を受けて通常ならば見聞きできない経験をさせて
もらいました。

(例・サハラ砂漠にさっとドライブに連れてってもらったり、
   ヴァチカンの会議室に入れてもらったり)

それは自分にとって人生の宝だと思っています。

しかし、この年齢になると(45歳)、
中々、良い出会いに恵まれません。

周りにろくな人間がいない…で片づけてしまえばそれまでですが、
実際に自分自身も若いころと違って気力・感度・持久力とすべてに
おいて気が失せて来ているということに気が付きました。

若いころは、何と決めつけなくても何かいいことがあるはず。

ダメだと解っていても覗いてみたいという好奇心のほうが勝って
いたのに、今はただ、その日一日無事に終われば良いやと、
安定路線に入ってしまっているので退屈な日々の延長戦です。

となると、人との出会いはどんどん狭まっていきます。

それで私自身、どのように切り替えているか?
というと…

人に何かを与えることを心がけています。

要は人が喜ぶことをしてあげると。

それも、自己犠牲を払ったり相手に負担にならないレベルで。

しかし、これがなかなか難しいのです。

中には人の親切に付け込んで色々と要求してくる人もいます。

一度、親切にしただけでその親切が生涯続くものと、
要求だけが多くなる人間もいます。

となると、一気に関係は破たんしますよね。

では、どうすればいいか?

それは常にクッションを置くことです。

そのクッションとは何か没頭できるものを持つこと。

例えるならば、自分が興味を持てるモノを持つことです。

料理、読書、音楽鑑賞、旅行、なんでもいいのです。

そして、誰かと接するときはそのことを共通点として
関わりを持つ。

要は引き出しをたくさん持つことです。

この引き出しを持っていない人間は、
必ずと言っていいくらい人とトラブルを起こします。

なぜならば、彼らの興味の対象は他人あらさがしだからです。

となると、パートのおばさん同士の下らない痴話喧嘩や、
サラリーマンのおっさんのように上司の悪口などなど、
不毛なことだけにエネルギーを使うようになります。

これが井の中の蛙の末路です。

そうならないためには、常に能動的に人に与えることも
惜しまないこと。

そして人から親切にされたら素直に受け取る。

その受けた恩恵をまた誰かに返す。

あとは自分の没頭できるものを見つけ、
引出し(ドラえもんのポケットのようにあの手この手と)を
たくさん持つこと。

最後に人は人によって磨かれます。

けれど、あまりにも依存しすぎるとお互い摩耗し過ぎてしまうので、
適度な距離を保つことが大切です。

しかし、自分自身に先述したクッションがなければ、
必ず良いことも悪いことも受けてしまうので、その衝撃により
関係は崩れていくことに。

井の中の蛙にならずに上手に人生を生きていくことは、
この上なく難しいことです。

しかし、これができれば人生違ってくるはずです。

どうかご自身の手で人生の舵取りをしていってください。

人生に振り回されてしまったら一巻の終わりです。

人生一度しかないからこそ、難しいと思えることにも
チャレンジすべきではないでしょうか?

では。

あくまでも私見になりますけど。
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この回答へのお礼

ご意見ありがとうございます。
海外は本当にいい経験ができそうですね。
大変詳しく説明して頂きありがとうございました。

お礼日時:2014/03/03 01:10

自分の考えをしっかり持つことが大事だと思います。

私自身、何やってもできず、世間や友達関係、学校の授業にも無関心でした。ですが、学校では物事を失敗しても許される範囲が大きいです。なので大学の授業で皆に笑われようが、怒られようが積極的に自分の意見を話しました。
すると、自分の立場や状況、マナーを身につけられるようになりました。
何事にも積極性が大事だと思います。社会では自分から動くことを私は気づきました。
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