プロが教える店舗&オフィスのセキュリティ対策術

お願いします。

いわゆるフルコンタクト空手を幼少期から15年間やっていました。現在はやっていません。

子供のころから、「するな」と言われるわけでもなく、「試合で勝ってもガッツポーズしてはいけないもの」「相手に礼を尽くさねばならない」と思っていて、実際に試合で優勝しても、壇上を降りるまでは喜びの感情は現さないように徹してきました。それに、他の選手もガッツポーズをしている人をみることはほとんどありませんでした。

なので、柔道の試合などで勝ってあからさまなガッツポーズをしている選手を見ると、子供のころから「なぜガッツポーズをするのか」と思っていました。なので、柔道はあまり好きではありませんでした。

柔道は国際的な競技になりましたし、そうなってくると本来の「武道」からは少し離れて「スポーツ」になってしまうのは致し方ないことかと思います。それに、一般的には選手の感情が見て取れた方が見ている方も楽しめると思います。

最近では空手も国際化したこともあって、壇上でガッツポーズする選手は珍しくありません。それでも日本選手にはほとんどいないですね。

もうだいぶ稽古もしていませんが、個人的な意見ではやはり武道という根本を忘れず、戦ってくれた相手にも礼を尽くしてほしいと思ってしまいます。確か剣道ではガッツポーズをすると一本が取り消しなんですよね。

例えばメジャーリーグではホームランを打っても相手のピッチャーに失礼のないようにガッツポーズはしませんよね。それでもエンターテイメントとしては成立しています。

みなさんは「ガッツポーズ」についてどう思われますか?武道をやっていた方、見るのが好きな方、さまざまな意見を頂けると嬉しいです。

あと、柔道の試合を見ていると、技をかけた後すぐに審判の方を見ていますが、これもなんだか見苦しく見えてしまいます。この行動には何か意味があるのでしょうか?もしわかる方がいらっしゃったら回答をお願いします。

A 回答 (4件)

どう思うか思わないかは関係なく、一見、非合理な無意識ともいうべきものが社会構造の中には仕込まれているという「構造主義」って、知ってますかね。



まあ、これ、あまり関係ないとしても、「無意識」というものは分かりますよね。

とすると、ガッツポーズを見た人が、無意識の内に「不快感」を醸成してしまう可能性があること、想像できますかね。そして「不快感」の最上級が「殺意」であること、分かりますかね。

で、無意識の内に「殺意」のバネが絞り絞られて、ついに爆発する瞬間が来る可能性、分かりますかすね。

例えば、フルコン系ならば、本人のはっきりとした意識と関係ないところで、顔面に思っ切り反則の突きを入れる可能性あるんですよね。そして、当てる積りは全くないのに、つい、間違えて当たっちゃいました、申し訳ないことです、と、弁明します。

そういう可能性を想像できる人で、長く、ひとつの格闘技、ひとつの武道を続けようとする人は、決して、ガッツポーズなどしない。

生死にかかわらない安直な競技スポーツの場合、試合中に、その種の心配事は起り得ないので、ガッツポーズする。柔道、リスリングという組技系の場合、試合で命を落とす可能性が低いので、ガッツポーズが可能。ただし、重量級の場合、生死に関わる技もあるので、あまり、ガッツポーズする人が居なくなる。ちょっと、間違えちゃった、手が滑っちゃったということで、体重を乗せて頭から落とすことが可能だからね。

また、アメリカ野球は必ず報復として頭にボールを投げるので、命に関わる。だから、野球を愛していて、長く野球をやっていたいと思っている人は、極力、ガッツポーズしない。
    • good
    • 1
この回答へのお礼

ありがとうございました。想像していなかった切り口での回答、非常に参考になりました。

お礼日時:2014/04/01 11:57

私の意見としては、ガッツポーズはよろしくないと思っています。


だいぶ前になりますけど、柔道の谷選手が勝った時(オリンピックだったか)ガッツポーズだけでなく飛び跳ねて喜んでいましたが、その場面をみてみっともない行為だと思いました。
それに比べて山下選手は勝った時、宙をみつめ涙を流していました。日本人の感覚としてどちらが美しいかは言うまでもないと思います。
    • good
    • 3
この回答へのお礼

ありがとうございました。でも日本人として美しいかどうかというのは私が聞いてることと少し違います。

お礼日時:2014/04/01 11:57

そんなアホみたいな狭い考えだから日本人ってのは国際社会から取り残されてるんだよ 笑

この回答への補足

あくまでも私個人の好き嫌いの話ですよ。海外生活も長かったし、日本と海外の考え方の違いや日本の良くないところも身にしみて感じてます。

補足日時:2014/03/31 00:16
    • good
    • 0

>みなさんは「ガッツポーズ」についてどう思われますか?武道をやっていた方、見るのが好きな方、さまざまな意見を頂けると嬉しいです。



一柔道マンの意見
剣道や空手道も含め、武道であると共に格闘技・求道であり、取り組み姿勢や鍛錬研鑽の心には共通点が多いと思います。

◇礼に始まり礼で終わるのが柔道です。
その為に、道場・畳・相手への尊敬とルールを徹底して教えます。
さらに、心技体の修練を始めるに、最初は身を守る受身から入ります。

◇私も、一柔道マンとして、柔道を愛し学んだ事を誇りにしております。
単なる格闘技・勝敗だけでは無く、心技体を鍛え律する求道でもあります。
礼に始まり礼に終わる。

◇受身から始める練習は、本来は攻撃(技)よりも守り(受け・さばき)を重視し、自己を護る。
自分を鍛え守る手法であり、礼節を学び、心を強く優しくしてくれる。
それは、人生を学び、生きる力を創ってくれる道のように思います。
また、武道の要素もあり、堅忍不抜の精神や後の先の心構え、勝者の謙虚さと敗者への互いの健闘を称えあい、敢闘精神に畏敬の念を、技術や技の指導以前に、武人&求道者としての姿勢や律し方を厳しく教わりました。


“相田みつを”の作品に

受身:
「柔道の基本は受身、受身とはころぶ、ころぶ練習負ける練習、人の前で恥をさらす練習」




>あと、柔道の試合を見ていると、技をかけた後すぐに審判の方を見ていますが、これもなんだか見苦しく見えてしまいます。この行動には何か意味があるのでしょうか?

国際化・スポーツジュードー化の齎した変化だと思います。<個人的には悲しく残念で嫌な傾向だと思います>
もちろん、中高校の学校柔道と大学・実業団やオリンピック・世界選手権ではレベルも試合内容も異なりますが・・・

◇1本勝の追求から、ポイント稼ぎ、微妙な優勢勝ちや注意警告による原点ポイントでの僅差での勝負を意識する為です。
ルールや採点基準の変化で色々と試行錯誤はあるが、持ち手や組み手争いに終始したり、リードすると逃げたり守り一辺倒に成る傾向も抑止しようとするためにも起こる判定勝ちを有利に進めるスポーツ的な要素です。

◇また、レスリングやテコンドーや相撲との経験者の増加もあり、技の多様さ&微妙な技判定が増えた。
その結果、技を掛けたり返したり、力任せの振り回し&もたれ込みでも審判の見方や採点基準で効果・有効・技あり・1本等の判定が下されるケースが増えた。
その為に、技を掛けたり掛けられたり、返し技をしたり巻き込み技の場合、さらには寝技への移行の際に、審判の判定や「待て」「抑え込み」の号令が気に成る、次の連続技や抑え込み等への変化へ備える為の動作、思わず出るアッピールの為の意思表示の側面を持つ嫌な事だが行動だと思います。

少なくとも教育の一環としての柔道では戒め教育指導していないのが、礼節にそぐわないガッツポーズやポイント稼ぎ、危険な絞め技や関節技、反則や技効果へのアッピール行為であり、試合に勝つ事だけを最優先にした駆け引き・作戦です。
    • good
    • 0

お探しのQ&Aが見つからない時は、教えて!gooで質問しましょう!