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宗教は、迷える子羊を救うこと。
哲学は、迷える自分を救うこと。
では、ないでしょうか?

しかし、宗教は現実には、迷える子羊を更に迷わし、集め、子羊たちの血を搾り取っている。

哲学は過去の哲学者も、現在の哲学者も、殆どが自分独特の哲学的思想を持っている。

自分だけに合った哲学が特に現在は多いのではないでしょうか?

ですから、巷の哲学者が何を言っているのか理解できないことが多いのではないでしょうか?

哲学って何かの答えも哲学者ごとに違うのではないでしょうか?

私のこの考え間違っていますか?


これを読んでいる宗教関係者、哲学関係者の方は例外ですので、該当しません、悪しからず。

A 回答 (37件中1~10件)

>しかし、多くの混乱は精神作用によってもたらされます、この混乱、勘違い、誤解も「真理」の一環でしょうか?


もし、そうならば、戦争、悪政、犯罪、詐欺等、全ての出来事を認める(肯定つまり間違いではない)しかないということでしょうか?

其の通りです。

全て「それ」(本来は「名」で表せないので)が無ければ、存在出来ません。

戦争も犯罪も不幸も死も・・・・

それは見る「方向」によって、いる「立場」によって、全ての価値は担保を失い、また、生じます。


「混乱」とは何と比べて「混乱」なのでしょう。

「混乱」は「混乱」だけでは、存在出来ないのです。

あくまで自身の命(生存)において、望ましくないだけであり、命を奪われる方(食べられる食材等)からすれば、逆の評価になります。



例えどんなに崇高で、社会的に博愛で正しい行いであっても、それは「自己の判断」を交え、まだ現出していない望ましい姿を求めてしまっているので、「迷い」の中から抜け出ている行動ではありません。

そしてそれは恐らく周りの支持者にとっては望ましい行動なのでしょうが、他の存在に対する思いやりから出る行動ではありません。(どんなに其の範囲を広げようとも、人間の身には限界があるので)


現世での行動は常に「決定」しなければならず、それは「結果」を生じます。

何もしなければ、自身の存在が消えてしまいます。(端的に言えば「死」です)


迷いと共に歩み行き、真理の中に生きている


中々語れる相手もいないので、楽しいです。
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この回答へのお礼

なるほど、相対的に混乱が存在するということで、こだわることが、一方向からの、偏見になるということですか。
ウーン!
しかし、これは非常に難しいです、自分自身に当てはめなければ意味が無いからです。
至難の業のように思えます。
相当に、深い理解が確かに必要なようです。
理屈は少し分かったような気がします、大変ありがとうございます。

お礼日時:2014/07/23 21:47

あなたが直感的にそう思うのは、他の人も同様正直なことだと思います。



しかし、本来宗教は哲学でもあり分断されるものではありません。
宗教は迷える人を助けるというより、何者にも揺るがない強い自己を築きあげ、また他人をも幸福にしていくことが目的と言えるでしょう。

ただ、祈るだけ、建物に籠ってよく分からない儀式をやってるだけで、実社会に何も貢献できなければ宗教の意味がありません。
その意味では世の中の新興宗教は宗教ではなく、ただのお祈り集団ということですよね。

宗教は目的もなくただ呆然としている意志の弱い人間にはやりとおすことはできません。
宗教を貫くということは命懸けの強い決意が必要です。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

哲学は宗教も含め、すべての知識を考察すると思いますが、
宗教は哲学を考慮していないというよりは、自らの宗教が、最高に位置すると考えているように思います。

イスラム、ヒンズー、神道、は良く知りませんが、キリスト教、仏教、新興宗教の使命は布教です。
名目は布教によって人を救うですが、結果は別なものになっているように見えます。

確かに命がけで、信仰を貫いた人たちは過去に沢山いらっしゃいます。
では、一生をその宗教にささげた宗教は正しかったのか?

過去に捧げた人たちには、過ぎてしまったことですが、現在の私たち、未来の子供たちに残せるのか?
ニーチェの有名な言葉は神は死んだです。

お礼日時:2014/07/24 21:03

補足です。



言葉を多くすると、却って眼を晦ましますので、コツの一つを一言だけ。


『己を離れた眼』
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

少し、言われたことを整理して、考えます。

いろいろ。ありがとうございました。

お礼日時:2014/07/24 20:31

>自分一人では迷走に陥り、時間が無駄になりそうなので何かいい方法はと?



貴方は常に「真理」と共に歩んでいますよ。

其の事に気付いていないだけです。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。
>貴方は常に「真理」と共に歩んでいますよ。
?????
この意味は、すべての生命は、真理の中でしか存在できないという意味でしょうか?
と、いうことは真理=自然の法則となると思います。
しかし、多くの混乱は精神作用によってもたらされます、この混乱、勘違い、誤解も「真理」の一環でしょうか?
もし、そうならば、戦争、悪政、犯罪、詐欺等、全ての出来事を認める(肯定つまり間違いではない)しかないということでしょうか?

何度もすいません。

お礼日時:2014/07/23 00:14

>真理とは仏教で教える悟りと同じものでしょうか?



さて、私も都合によって、此れ等の語を使い分けたりしますし、気分次第と言ってもいいでしょうかw

ただ、悟りとは段階が幾つもあり、一つ一つの事象に於いても用いたりするので、イコールとは言わない方が適しているかもしれません。

ですので語としては「大悟」という言葉が相応しいかもしれませんが、それも定義次第ですから、まぁ、どうでもいい事ですね。

>理解を深める、なんか、いい方法ないでしょうか

お勧めの方法は無いというか、全てと言うか、何が引き出しを開く切っ掛けになるかは人次第なので、判りません。

人は一人一人認識が全く違うので、同じ月を見ても感じ方が違う様に、理解が変わります。

ですので、教える事が出来ません。

アドバイスとしては結局は、雲を掴む様な内容にならざるを得ません。

掴めるかどうかは、自分次第という所でしょうか。
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この回答へのお礼

ご返事、ありがとうございます。
悟りに段階があるとは、思ってもみませんでした。
自分一人では迷走に陥り、時間が無駄になりそうなので何かいい方法はと?
考えていましたが、やはりないですか。
望み薄ですが、色々努力しようと思います。
ありがとうございます。

お礼日時:2014/07/22 22:48

>世の中、哲学、宗教も含め難しすぎませんか?


もっと、簡単になってほしいと思うのです。

簡単ですよ。

見えないだけです。

見えない物を見えないままの目で見ようとするから、「解釈」を加えるので、見える「形」が人によって変わってしまいます、

真理は「複雑」ではなく「単純」です。

在るのは「理解」の深さのみです。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

真理とは仏教で教える悟りと同じものでしょうか?

簡単なものを、故意に難解にする習性、人間には有りますよね?
この習性により、どんなに偉い学者も間違っている可能性があります、真理とか悟りを勘違いしている、お坊さんも多いのではないでしょうか?
理解を深める、なんか、いい方法ないでしょうか。

お礼日時:2014/07/22 20:32

No.28の事です。



ぐるぐるぐるぐる考えました。

そして思ったのは、世界に一人しかいないのに相手がいる状態…それは世界の、自然のルールかな?
世界中に一人しかいなければ、法律の意味合いが変わるような気がします。

ん~?そうなると世界中に一人しかいないとかえって哲学が必要になるタイプの人はいるでしょうね。
他の動物はなんだか2種類いて小さいものが増えてくみたいなのに、なぜ自分にはそれが無いんだろう?とか始まると、宗教にも発展するかも~。

でも全部自分でするから、豊かな所以外では生きるのに精いっぱいでそんな事を考える暇がないかも知れないなぁ…

あ!ペット的・家畜的なものがいれば、ルールは存在する可能性がある、か、も?(だんだん自信がなくなってきた)
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この回答へのお礼

その通りだと思います。
1人しか居ないのであれば、世界は自分対自然、動物になります。
そして、その自然と動物に対して、ルールを作るとすれば、自分自身が望む規律とか、ルールのはずです。
(例え、山猿のために猿を保護して増やすルールを作ったとしても、それは自分の都合です、自己満足です、家畜を飼うのもペットを飼うのも同じです。)

大事なのは法というのは、人間体人間が条件です。

神との規律は信仰です。
自然との規律(自然の法則を発見してそれに従う決まりを自分で作った場合)は、自然科学です
動物との規律(自分以外の動物にも生きる権利があると思い尊重するルール)道徳。哲学

と私は思うのです。

ご考察感謝いたします。

お礼日時:2014/07/20 01:08

2014japan様、こんばんは。




>「世界にたった一人しかいなければ、権利も主張も有りません、したがって法も必要ないのです。」

なるほどです。


>「しかし、宗教、哲学は無人島でたった一人でも必要な物ですよね、
もちろん必要ない人もいますが。」

んー。
あ!、それじゃあ、「一人でも「科学」も必要」ということで。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。
科学も必要ですね。

例えば、雲を見て雨が降るとかのように、
科学は自然の現象とかの研究ですから、相手がいなくても自然界に住む以上は必要になると思います。

お礼日時:2014/07/19 20:26

何やら迷走しているように見受けられたので、横から嘴を失礼します。



法学・哲学・宗教、其の他森羅万象全てに於いて、適応条件が違えば形・結果は自ずと変化します。

前提の定義が定まらなければ、共通の答えは出ませんし、定義次第で変わる物に心を任るのも如何な物かと思います。

・・まぁ、それを楽しんでいらっしゃるのならば、其れは其れで立派な娯楽ですが。
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この回答へのお礼

アドバイスありがとうございます。
実際、物事は大変複雑で絶対正しいということは、不可能に近いかと思います。

しかし、これは混乱、誤解の原因になるように思えます。
私は欠点と言えば欠点だと思いますが、物事を全てに、白黒つけたい性格をしています。
世の中、哲学、宗教も含め難しすぎませんか?
もっと、簡単になってほしいと思うのです。
心配して頂き、ありがとうございます、お気づかい感謝します。

お礼日時:2014/07/18 21:04

No.11,21です。



横レス失礼いたします。

>世界に自分一人しか、いなくてルール、規則は更に罰則は必要ですか?

これね、必要になる事も考えられます。生きる為に。
世界中に自分しかいなければ、すべて自分で行わなければなりません。
すごく恵まれてるところならいいけど、経験から自分の中でルールが出来てくるんじゃないかな?

罰則は必要になるかはやっぱり個人によると思う。
守らないと危険であるなら…死んだり大けがをした可能性が高いなら…自分を律する為に自分で自分に罰を与える人もいるだろうから。
(今日は水汲みを怠ったので、水の使う量を減らすとか…辛いから今度からさぼらないぞ!!と決意する為 的な)
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この回答へのお礼

横レス、歓迎です。

ひとりでも生活し、生活をより良くする為には確かに言われる通り、規律、罰則、ルールは多分必要になると、思います。

しかし、今回は法学、法律のお話です。

自分一人の、自分自身の為の、規律、罰則は、自分一人にだけ適用する規律です、罰則です。
これは自律(自己コントロール)です。

法律とは、あなたが相手に、相手があなたに求める規律、罰則です。
どうでしょうか?
もし違えばお願いします。

お礼日時:2014/07/18 21:51
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