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「因果応報」、つまり、人はよい行いをすればよい報いがあり、悪い行いをすれば悪い報いがあるということ というのは 人類共通の考え方だと思います。しかし、日本人は この考えが殊の外 強いように感じます。
例えば、外国人は よい行いをしてもよい報いがなくとも、運命として諦めたり、悪い行いをしても 悪い報いがなければ、悪運が強いとか 必ずしも否定的に考えない傾向があるのに対し、日本人の場合は 我慢ならない理不尽さと 捉える人が多数です。
これは どうしてだと思いますか?

A 回答 (8件)

>日本人はどうして因果応報の考えが強いか?



    ↓
ハッキリとしたデーターや根拠を持ってるわけではなく申し上げられませんが、質問文を閲覧し漠然と抱いたイメージやパッと閃き浮んだ印象直感は・・・<順不同>

◇農耕民族としてのDNAと自然の恵みor災害の繰り返し体験や言い伝えから、厳しい試練に打ち勝ち明日に夢を抱き努力する為の生き様として→良い種・良い準備・良い作業からしか良い成果は得れないと経験則や自然宗教的に身に染みて信じ律し頼り思っている考え方を4文字熟語や易しく訓える為に説いた思考様式、生き方考え方のシナリオ。

◇また、八百万の神、仏教思想と儒教の影響、長い歴史に於いて指導者&為政者の統治統制に「君に忠・親に孝」「上意下達」等と合わせ、従順で温和な都合が良い考え方生き方であり、下剋上や逆心や反抗する事の戒め、裏切りには神罰仏罰天罰があると言う宿命観と恐怖心で組織を守り団結を保ち抑止力に利用。

◇時代や社会環境にて変質変遷はあるだろうが、「因果応報」と「勧善懲悪」は難しい論語や哲学と違い、口承や講談浪花節、お芝居や瓦版や伝記や偉人英雄伝や小説でもストーリ展開やコンセプトに成り易く、一般大衆にも分かり易く共感を呼び広く浸透普及したのでは・・・。
時間経過の緩やかでゆっくりした時代には、宗教の日お真理と同じく、あるいは現代の流行語や大ヒットした歌謡曲やギャグの様に、時間をかけ息が長く全国各地や大勢の人々に徐々に確実に受け入れられ広まって行ったのでは・・・。

◇島国ニッポン、四季に恵まれ風光明媚な国、資源は乏しく生き残りには勤勉創意工夫が不可欠な国、そういう環境と国民性で、取捨選択・洋才和魂や異文化交流の中に自然淘汰された思考・価値観・くらしの知恵があると思うが、侵略も植民地も余りない歴史から、温厚でアン様な気風が培われ、神風や神国とか自然に身を任せ委ねる他力本願の思考に因果応報の訓え言い伝えは矛盾せず合致したのでは・・・。

◇さらに、受け継がれ育まれた日本人の人生観や処世術や国民性ともピッタリ感性&価値観に符牒が合い、多くの人に理解納得し易く受け入れられたのでは・・・。

親方日の丸、長幼の序・躾・率先垂範の考えのなかに、因果応報も同根同源の思考として脈々と生き続け、現代でも様々なな分野領域の文化伝統、教育芸能、社会常識やモラルに、民間信仰や社会規範に日本人のアイデンティティとして醸成継承されているのでは・・・
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

>時代や社会環境にて変質変遷はあるだろうが、「因果応報」と「勧善懲悪」は難しい論語や哲学と違い、口承や講談浪花節、お芝居や瓦版や伝記や偉人英雄伝や小説でもストーリ展開やコンセプトに成り易く、一般大衆にも分かり易く共感を呼び広く浸透普及したのでは・・・。
確かに、日本人は「因果応報」と「勧善懲悪」が大好きですからね。それで、複雑な社会問題も 「因果応報」と「勧善懲悪」の尺度で考えようとするから、余計に問題をこじらせることも多々ありますね。
特に、イジメとか虐待の問題は 「因果応報」と「勧善懲悪」ではとても片付けられませんからね。

お礼日時:2014/08/08 11:13

運命論じゃなく、


自然既有だという考えが根底にあるのではないかな・・・と。

例えば、地震や津波や大雨で災害が起こると、泣き叫ぶ海外の人と、自然のことだから仕方ないと受け入れるというか、騒いでも解決しないって悟っているのが日本人的なイメージはある。

西洋の魔女狩りや、宗教の違いや肌の色による人種間の紛争問題など。
日本はほぼ単一民族だから、そういう理念がないのかもしれないですね。

全部自己責任的な考えと、利己主義では生きていけないという風土がもたらす習慣。。。。。

外国人をどこの国に設定しているのかもアバウトなので、突っ込みどころ満載なんですけど。
日本人がネガティブ思考だと決定づけるには材料が少ないと思います。
返って、外国のほうがネガティブだったりする。それでいいのか?という暮らしをしていても、平気な顔をしているのはなぜだろうと思ったりもするし。。。。。。

いつも思うんですが、質問者さんの最初の「定義づけ」がどこか方向が間違っているように思うんですけど。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。


>例えば、地震や津波や大雨で災害が起こると、泣き叫ぶ海外の人と、自然のことだから仕方ないと受け入れるというか、騒いでも解決しないって悟っているのが日本人的なイメージはある。
それはどうでしょうかね。日本人は 誰かの所為にしようとするでしょ。
例えば、大川小事件みたいに。


http://www.kahoku.co.jp/tohokunews/201405/201405 …

お礼日時:2014/08/08 20:30

江戸時代から日本は言論が自由な傾向にあるとか。



比較的身分制度もフラットにできてると思います。


以前は、どちらかいえば従順でしたが、最近は平等など一人歩きして反逆的になっていっているのでは。
刑法では「応報」は国家の独占権だそうです。


でも、日本の歴史上、暗君暴君といわれる人は外国のレベルと全然違うくらいおとなしい部類なのでは。

外国の勢力の属国になり自国の自律性の歴史が中断してないですし。

自律性で他国と競わない環境で、君主に権限が集中しない状態で、極度におかしな統治もでてこないのかもしれません。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

お礼日時:2014/08/08 15:15

悟った考えで、先を考えるとそうなるのです。

目先しか考え無いと大変な事になりますから。大風も予測し準備することを学んでいますか?
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仏教に由来します。


がしかし・・・日本的には”天に唾吐く行為”とされています。
これは、上を向いて唾を吐くと、自分に降掛かることを意味します。

この辺が、目には目をのハンムラビ法典と違いですね。

キリスト教では、イエスが自分の代わりに報いを受けたので、信者自身は神以外に裁かれません。
ですので、普段から自らの行いを”懺悔”するのです。
懺悔することで、赦しを請う訳ですね。

日本や仏教では、懺悔しなくても、未来の事象に、自然に現れるという考え方です。

仏教で言うところの、”全ては仏陀の掌の上”という訳です。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

揚げ足を取る意図はありませんが、日本人は信心が浅いので、自分が悪いことをしていなくても 災難や不幸が降りかかった時に、他人の所為にしようとする傾向も強いですね。

お礼日時:2014/08/08 09:33

それは単に設定が違うからでは?



起こった報いに対して、足りる事か、足りない事か。どう見てるかって事じゃないですかね。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

一つ言えるのは、イジメとか虐待の問題で 因果応報を基本に考えると 解決が難しいです。

お礼日時:2014/08/08 07:51

欧米キリスト教文化圏では、カルヴァン派の影響が


強く、決定論に従い、人間の運命は予め定まっている
と考えます。

だから、失敗したり悪事を働いても、それは運命だから
仕方がない、と考える傾向があります。
だから、あまり落ち込みません。

これに対して、日本人は、そうなったのは自分のせいだ
あるいは因果応報だからだ、と理由付けるわけです。

人間は、生じた結果について色々と理由を付けたがります。
理由を付けることにより納得したいのです。

その理由付けが仏教の影響で因果応報、ということに
なるのでしょう。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

日本人の強い処罰感情も、因果応報の考えに負う部分が大きいように感じます。

お礼日時:2014/08/08 07:17

日本人は、意識しないけど、仏教思想が身についている人たちが多いからでしょう。

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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

確かに。しかし、日本人は輪廻転生の思想が希薄で、自分に災難や不幸が降りかかっても、前世の悪行の報いとは思わず、だれかに責任を擦り付ける傾向が強いですよね。

お礼日時:2014/08/08 07:13

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