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「日本は神道国家」という記述を目にし、
『神道って何だろう?』と疑問に思いました。

で、質問いたします。

1 神道ってなんですか?
2 古代、日本に神道はあったのか?
3 あったとすれば、それはどのようなものであったのか?
4 古代になかったとすれば、いつ頃、神道は成立したのか?
5 日本は、本当に、神道国家か?


教えてください。
よろしくお願いします(ペコリ)。

A 回答 (16件中11~16件)

>1 神道ってなんですか?



主な宗教的特徴は、「清める場」がある事です。

清める事に趣をおいている宗教ですので、Godの信仰はありません。(godではなくGod)
天津罪・国津罪などの罪や穢れ、災厄などの不浄を心身から取り除く事に趣をおいている事が、他宗教との大きな違いです。

ちなみに仏教は、「輪廻の考えがある」事が、宗教的特長です。



>2 古代、日本に神道はあったのか?
>3 あったとすれば、それはどのようなものであったのか?
>4 古代になかったとすれば、いつ頃、神道は成立したのか?

天皇の歴史と、神道は密接に関係しています。

そもそも天皇家は、神社を取りまとめるリーダーでした。神社とは「清める場」を目的に建てられた施設で、神道の建築物です。

本格的に神道が確立したのは、少なくとも2000年以上前と言えます。
勿論、それより以前から、神道の面影はありました。




>5 日本は、本当に、神道国家か?

はい。


天皇の国が日本であり(否定している人もいるが、歴史的事実を見ればそうなる)、その天皇家は神道の神主のリーダーです。日本と神道は、それくらい強いつながりがあると言えます。


国家としてもそれくらい強いつながりがありますが、国民性も神道の概念に近い国民性です。
7月15日では、お墓参りに行き、12月24日の祭りを盛り上がる。

これらの行事は、神道とはもともとは関係ありません。しかし、神道は全ての宗教を受け入れる宗教です。そもそも、海外のような宗教的価値観が無い宗教が神道です。


その為、日本では本格的な宗教戦争は、起こっていません。
(例外的に、6世紀、神仏崇拝論争による蘇我・物部の争いが起こっている。しかし、小規模。7世紀には律令国家建国課程で解決している。

信長の宗教弾圧は、宗教的価値観の殺戮ではなく、信長に反抗的だった組織を粛清しただけである。よってこれは宗教戦争に入らない。そして、その当時から「信仰の自由」と言う概念があった。その為、一時はカトリックも受け入れた。しかしそのカトリックが信仰の自由を冒涜するような、強制的な改宗行為を行なったため、カトリックを禁止し、カトリック国と鎖国した。)


これも、神道と言う宗教が、そもそも宗教的価値観があまり無い宗教だからです。
現在の、日本人の国民性も、宗教的価値観が皆無な国民性です。だから、お盆(仏教)やクリスマス(キリスト教)も、何も抵抗無く受け入れるのです。これは極めて神道的と言えます。
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この回答へのお礼

こんにちは。


☆主な宗教的特徴は、「清める場」がある事です。
◇なるほど、なるほど。


☆天津罪・国津罪などの罪や穢れ、災厄などの不浄を心身から取り除く事に趣をおいている事が、他宗教との大きな違いです。
◇禊というやつでしょうか。


☆そもそも天皇家は、神社を取りまとめるリーダーでした。
◇これは、明治以降のことでは、という気もするのですが…。



☆本格的に神道が確立したのは、少なくとも2000年以上前と言えます。
◇なるほど。
アイヌの宗教(?)も神道になるんですかね?



☆その為、日本では本格的な宗教戦争は、起こっていません。
◇明治に廃仏毀釈というものもありますが…。
これは、国家による大規模な宗教弾圧だと思うのですが…。
さらに、一向一揆、法華一揆なども起きておりますが…。

信長は比叡山を焼き、秀吉は根来寺を焼き払っております。
高野山も秀吉によって焼き討ちの危機に見舞われたのですけれど。



回答、ありがとうございました。

お礼日時:2014/09/19 15:52

 こんにちは。



 ◇ 1 神道ってなんですか?
 ☆ (あ) これは 例によって知性の三区分に従ってそれぞれのシントウが捉えられるようです。
 
 ○ 知性の三区分

  -1:原始心性=《ヨリ(憑り)》:アニミスム&シャーマニスム
                  世界との未分化なる一体性。

  0 :歴史知性=《イリ(入り)》:世界の内への入り。
                  時間的存在の自覚。
                  《世界‐内‐存在》。

  +1:超歴史知性=《ヨセ(寄せ)》:世界の第二階から
                 《ヨリ》を束ね 《イリ》をも 
                 社会力学上(政治的に) 寄せる。

 

 ☆ (い) 《世界へのイリ》という歴史知性の生きたすがたとしてのシントウが 基本として問われるものと思います。

 (う) その前に 《ヨセ――じつは これは観念の神をも寄せると見られるのですが――なるスーパー歴史知性》のいだくシントウは 決して国家神道だけではありません。

 (え) 国家神道は 特殊で例外であると見なしつつ しかもその言わば目線は同じく上からである場合のシントウがあります。教義も教祖も教団もないからには 自然宗教であると説くものです。

 (お) それは 言ってみれば《 0 (ゼロ)》なる――したがって シューニャターとしての空観に立つ――存在論が イリ知性だとすれば そうではなくその空なる樅の木本体に クリスマスツリーのごとく カザリをつけたのが 《 +1》として捉えたヨセ超知性です。

 (か) カザリとは 地位や名誉や勲章のことであり その相承としてのカザリ≒むしろシガラミのことです。往々にして このカザリ≒シガラミは 寄せる側と寄せられる側とに分かれてそれぞれの見方や利用の仕方が出て来るからです。

 (き) ヨセ・シントウは 社会についてのクリスマスツリー体制であって 空観を知らない。または空観を知りつつこれを大いに説き その説き明かす(つまり寄せる)側として 《無私無欲》でオホヤケに奉仕する存在であると主張します。そういう社会体制にあり そのことが ヨセ・シントウ体制そのものです。

 
 
 ◇ 2 古代、日本に神道はあったのか?
   3 あったとすれば、それはどのようなものであったのか?
 ☆ (く) 古来 山が《かみ》でした。カミなる言葉があったかぎりで 人びとの心に随神の道はあったと考えられます。

 (け) かむながらの道。ラヂオを聞きながら勉強するのナガラ。ナ(の=属格)‐カラ(カカハリ・関係。その一方である起点の格をも表わす)。

 (こ) 山が 神(または 神々)の依り代でした。特別な岩を発見すれば磐座(いはくら)とし おごそかな雰囲気をただよわせる木を見れば 神籬〔ヒ(霊)‐モロ(杜)‐キ(木?)〕として やはりカミへの補助線≒依り代と見なした。

 (さ) 依り代がいくつかのものに見出されたのにつれて ひとつの神がその分身としての神々にも分かれたと考えられます。雷=神鳴りや狼=大神といった名づけについて アニミズムなる原始心性の名残りが見られるようです。 




 ◇ 4 古代になかったとすれば、いつ頃、神道は成立したのか?
 ☆ (し) これは やや複雑です。
 回答No.1で《ジンドウ神道 から シントウ神道 へ》の推移が議論されています。これはたぶん ブディズムやコンフシアニズムとのかかわりにおいて切り結びする神道の姿を示しているのであろうと見られます。

 (す) 問題は それ以前に どのようにシントウはみづからを形づくって来たかにあると思われます。すなわち 最初からの焦点であった《イリ・シントウ》とは どういう歴史的かつ生活上の現実であるか?

 (せ) ここではまづ二点を取り上げます。そして すでに同種の質問があって 次のように答えています。

 【Q:神道を神学するにあたっての手法はなんですか?】
  http://soudan1.biglobe.ne.jp/qa6862707.html

 (そ) その回答からまづ一点です。

 ○ (モノとコト e = mc^2 ) ~~~~~~~~

 モノ(物)―――もの(者)―――――オホモノヌシ(大物主)
 コト(事・言)―みこと(美言・命・尊)―ヒトコトヌシ(一言主)
  ↓        ↓            ↓
 自然・社会・・・・・ひと・・・・・・・・・・・・・かみ

 * この範式において 次の図式も得られます。

 モノの木――――――ねこ(根子)――――――生命の木
 日の移り行くコト――ひこ・ひめ(日子・日女)――日(光源)

 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 (た) モノがコトであるならば オホモノヌシ(大物主)の神とヒトコトヌシ(一言主)の神とは ひとしい。

 (ち) 愛嬌として 三位一体なる神における神の子は いるか? と問えば 霊なるオホモノヌシによってイクタマヨリヒメ(ちなみに ヨリ心性ですね)が孕んでもうけたオホタタネコがいます。これは イエス・キリストです。
 
 (つ) ネコは 根子であり大地の子であり ヒコ(日子)と互いに照らし合います。疫病が流行ったときに活躍します。

 (て) もっともオホモノヌシは 長物でもあって じっさいは依り代として ヘビです。蛇が アクマではなく善き神であると見なされることも 世界に広く見られます。

 (と) ヒトコトヌシは カミでありつつ現実の姿になったところを 雄略ワカタケルに葛城山で見られたし そこで話もしたというそのくだりにおいて 次のように名乗ったと言います。

   《あ(吾)は悪事(まがごと)も一言 善事(よごと)も一言
   言離(ことさか・言い放つ)の神 葛城の一言主の大神ぞ》(古事記)

 (な) イリなる歴史知性は 《ゼロ(空)観――樅の木本体のみ――》にもとづく《モノ‐コト》から成る世界観において 自己の存在をおそらく《ネコ‐ヒコ》連関なる構造において捉えたはずです。これは のちに《スサノヲ市民‐アマテラス公民》の連関制において捉えたり あるいは《あやまちうるスサノヲ人間語‐まちがわないアマテラス普遍語》の連関構造として ひとつの人間論を形作るようになるものと見られます。

 (に) この人間論・世界観が イリ・シントウ〔なる信仰にもとづく思想〕です。


 (ぬ) もう一点は 伊勢神宮の起源にかかわる情報としてシントウをめぐるひとつの判断資料です。

  スサノヲ(弟)-----アマテラス(姉)
  ______________________
  オホモノヌシ ・・・・・アマテラスオホミカミ

  三輪山・大神神社・・・・伊勢神宮
  (その摂社・檜原神社)

 (ね) といった双対または二項対立が 取り出されます。檜原神社は 《元伊勢》とも呼ばれ アマテラスなる神を祀っています。そのことは 何を意味するか?

 ▼ (ヰキぺ:大神神社(おほみわじんじゃ)〕~~~~~~
  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E7%A5%9E% …

 (の) 三輪山そのものを神体(神体山)としており、本殿をもたず、[・・・]拝殿から三輪山自体を神体として仰ぎ見る古神道(原始神道)の形態を残している。

 (は) 摂社の檜原神社は天照大神をはじめて宮中の外に祀った「倭笠縫邑」の地であると伝えられ、元伊勢の始まりの地となっている。また、作者不詳の能「三輪」ではキリ(終りの部分)の歌に「思えば伊勢と三輪の神。一体分身の御事。いわくら(磐座・言わくら)や」の言葉があり、伊勢神宮の元であることが伺える。
 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
  
      

 ◇ 5 日本は、本当に、神道国家か?
 ☆ (ひ) どうでしょう? ひと言で言えば 伊勢神宮は クリスマスツリーのごとくあると考えられますまいか。
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この回答へのお礼

こんにちは。



~~~~~~
 (き) ヨセ・シントウは 社会についてのクリスマスツリー体制であって 空観を知らない。または空観を知りつつこれを大いに説き その説き明かす(つまり寄せる)側として 《無私無欲》でオホヤケに奉仕する存在であると主張します。そういう社会体制にあり そのことが ヨセ・シントウ体制そのものです。
~~~~~~
ほ~、これはまた大胆な。
ですが、
ヨセ・シントウは、多分に政治と結びついていますよね。
例の大国主の国譲りそうであり、天孫降臨がそうですし。

あくまで、一つの学説ですが、
 天照大神 ⇔ 持統天皇
と結び付け、
この時代に天照が女性になった、という学説もあるようですね。
古事記、日本書紀が編纂された時代は、持統天皇、元明天皇と女帝の時代が長く続いていますし。そして…。



~~~~~~~
 ☆ (く) 古来 山が《かみ》でした。カミなる言葉があったかぎりで 人びとの心に随神の道はあったと考えられます。

 (け) かむながらの道。ラヂオを聞きながら勉強するのナガラ。ナ(の=属格)‐カラ(カカハリ・関係。その一方である起点の格をも表わす)。
~~~~~~~
この随神の道(かむながらのみち)が難しいですね。
「かむながら」はいいとして、
「道」が何を意味しているのか、分かりません。

この「道」は条理や筋目といったものを表わしているのでしょうけれども、
「かむながら」との繋がりが悪い。
神に向き合う心構え、あるいは、神とともにある姿勢などを言っているのか、
「神のオキテ」の如きものなのか、さっぱり分かりません。

さらに混乱に拍車をかけるのが、魏志倭人伝に出てくる《鬼道》。
これは《道教》をいうのだとか、
《奇道》で、儒教(道・儒教的論理や条理、筋目)から外れる行いなどをいうとか、
さっぱり分からないで困っております。




~~~~~~~
 (て) もっともオホモノヌシは 長物でもあって じっさいは依り代として ヘビです。蛇が アクマではなく善き神であると見なされることも 世界に広く見られます。

 (と) ヒトコトヌシは カミでありつつ現実の姿になったところを 雄略ワカタケルに葛城山で見られたし そこで話もしたというそのくだりにおいて 次のように名乗ったと言います。

   《あ(吾)は悪事(まがごと)も一言 善事(よごと)も一言
   言離(ことさか・言い放つ)の神 葛城の一言主の大神ぞ》(古事記)
~~~~~~~~
オホモノヌシはパス。
この神さまは、ひょっとしたら、《アマテラス》+《オオクニヌシ(スサノヲ)》かもしれないので。
この神さまは、祟るし、あまりにも恐れ多くて、タッチできません(ポリポリ)。

この神さまは、その名のとおり、《オホモノ》すぎるので、現時点では扱い切れません。
とんでもない神さまであることだけは、確かだと思うのですが…。
この神さまだけは、決して触れてはいけない神さまなんだと思います。



☆☆ (ひ) どうでしょう? ひと言で言えば 伊勢神宮は クリスマスツリーのごとくあると考えられますまいか。
◇伊勢はね。


回答、ありがとうございました。

お礼日時:2014/09/19 14:59

「神道」という言葉と信仰や信心と少し分けて考えませんと話がややこしくなります。


4番の質問にも関連しますが、「神道」という言葉が専ら用いられるようになったのは室町時代以降のことです。

元々日本には天災や疫病のように人間の力では対応できない自然現象を引き起こしている不思議な力がどこかにあるという考え方がありました。
アニミズムという西欧人が考えた言葉の定義とは少し違う考え方です。
(この言葉が持つ意味とニアンスの違いが混乱を招いています)
この不可思議な力を「かみ」と呼ぶようになりました。
この「かみ」なる不可思議なものが、機嫌を損ねると、天災や疫病を人間に及ぼすと考えました。
天災や疫病が起きると、御機嫌を直して貰うために、歌舞音曲を演じたり、お供え物を貢いだりしました。
予めこちらからお祈りをして何かをしてもらうという考え方は後の時代です。

一方で、人々が死ぬと黄泉という別な世界へ行くという考え方がありましたが、やがて目に見えない「たま」という考え方がでてきて、人々が死ぬとこの「たま」が集まって一つのものとなって山に住むという考え方がでてきました。
この一つになった「たま」を祖霊と呼ぶようになり、この祖霊が里人を天災から守ってくれたり、作物が豊かに育つようにしてくれると考えるようになりました。

人々がそもそも自分達はどこからいつやってきたのかということを考えるようになりました。
そして、一番古いご先祖様を「かみ」と呼びました。

ここで「かみ」という言葉に前文で説明しました災いをコントロールする不可思議な力である「かみ」と祖先である「かみ」との二つの概念が一体化した「かみ」が概念の上で出来上がりました。
この概念に人々が死んだ後に山に住むようになった「たま」の考え方加わりました。

この三つの概念を祖先を中心にして、一つの神話として語り継がれるようになったのが出雲神話とか古事記神話と呼ばれるものです。
災いを鎮めて豊作を保証してもらうことをお願いする儀式が、統治者の一番大切な仕事とされました。
政治を「まつりごと」というのはこの為です。
このお願いをして「かみ」の返事を聞くことができる人が「みこ」と呼ばれ大切にされました。
統治者の最高位の人間は、この遠い祖先から連綿と続く血筋の人であると主張するようになりました。
その人を天皇と呼びました。
祖先の「かみ」と類似の不可思議な力を持っていると看做されました。
このような祖先を中心とした考えの他に、災いをもたらす「かみ」を中心とした考えも、山に住む祖霊を中心とした考え方も残りました。
いずれも前記の三つの概念を統合していますが、どれを主体とするのかという違いです。

室町時代に従来の「かみ」の考え方について、仏教に真似て理論化して儀式などのルールを決めました。
このときに仏教とは区別するために神道という言葉が使われるようになりました。
この理論付けも人によってさまざまです。
両部神道・伊勢神道・吉田神道・垂加神道・復古神道などといろいろ名前がついています。
以上のような経緯からご質問への回答は以下のようになります

1番
名前は後からできたもので、考え方は古くからあり、三つの考え方を統合して仏教流の理論付けをしたものが神道です。

2番
神道という言葉はありませんでしたが、元になる考え方は古くからありました。

3番
前記しました三つの考え方です。

4番
言葉と理論が成立したのは室町時代です。

5番
「神道国家」という言葉の定義がよく分かりませんので回答は保留させて頂きます。

蛇足
日本では、仏教が伝えられた当初から外来の「仏」も古来の「神」もひと纏めにして信じて信仰してきました。
これを神仏混淆とか神仏習合と呼びます。
具体的な建造物や文書としてあらわれ理論づけられたのは平安時代以降ですが、受け取り方はそれ以前からありました。
明治政府が政治的な理由と目的でこれを無理やり分離峻別しました。
文化的には日本の歴史上最悪の愚行とされています。
結果として吉野熊野や出羽三山などの修験道が途絶してしまいました。
現在関係者の方々が復元継承に努力されておられます。
これ等の結果が現在の状態です。
お寺と神社の敷地が別になったのは明治以降です。
江戸時代までは一体で運営されていました。
現在でも僧侶が神官を兼ねている地域があります。
「靖国神社」というのも実態は、本来の仏教とも神道ともかけ離れた靖国教としか表現ができない代物です。
靖国神社を中心とした英霊への尊崇に対する評価とは全く別次元の話ですので誤解なきようにお願いします。

宗教という言葉も習慣的に使われている意味と学術的に使われている意味が異なりますので注意して下さい。
習慣的に使われている意味は、元々はキリスト教に基づいた定義が元になっています。
キリスト教の定義に従えば、日本の古来からの神道は宗教という区分からは外れてしまいます。
キリスト教圏の人達に向かって「私は無宗教です」と言いますと「私はあなたが信じている神の存在を認めません」という意味にとられますので、充分に注意して下さい。

分かり難かったかと思いますので、補足をお願いします。
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この回答へのお礼

こんにちは。


☆「神道」という言葉と信仰や信心と少し分けて考えませんと話がややこしくなります。
◇ですね。
そして、「神道」を語るとき、信仰の形態、神や自然に向き合う(心的)姿勢で語られることが多いように思います。



☆この不可思議な力を「かみ」と呼ぶようになりました。
◇漢字の「神」も本来、この意味ですよね。


~~~~~~
この「かみ」なる不可思議なものが、機嫌を損ねると、天災や疫病を人間に及ぼすと考えました。
天災や疫病が起きると、御機嫌を直して貰うために、歌舞音曲を演じたり、お供え物を貢いだりしました。
~~~~~~~
荒魂(あらたま、あらみたま)ですよね。
荒ぶる神(の力)をおさめるために、神事を執り行った。



☆1番
名前は後からできたもので、考え方は古くからあり、三つの考え方を統合して仏教流の理論付けをしたものが神道です。
◇神道の理論形成に仏教や道教、陰陽思想が深く関係している、と言うと、
結構、怒られちゃうんですよ。
こんなことを書いても、いいんですか(ニコニコ)。


☆2番
神道という言葉はありませんでしたが、元になる考え方は古くからありました。
◇なるほど、なるほど。



☆4番
言葉と理論が成立したのは室町時代です。
◇NO.1のkazamidoriさんが教えてくれた論文にあるように、この時期くらいなのでしょうね。
わたしもそうだと思います。
そんなに古いものじゃない。



☆5番
「神道国家」という言葉の定義がよく分かりませんので回答は保留させて頂きます。
◇わたしも「神道国家」という言葉の意味が分かりません。
ただ、この言葉が使われるときには、国家神道が見え隠れするように感じられます。



☆明治政府が政治的な理由と目的でこれを無理やり分離峻別しました。
◇天照が最高神になったのも、明治以降のようですね。
伊勢派と出雲派でかなり揉めたみたいです。

造化三神(天之御中主神、高御産巣日神、神産巣日神)
に天照大神を加えて四柱とするか、
天照大神と大国主で五柱とするかで激しい議論が交わされ、
明治天皇が造化三神と天照大神の四柱とすると決めたらしいです。
第二の圀譲りということになるのでしょうか。



☆分かり難かったかと思いますので、補足をお願いします
◇いえいえ、非常にわかりやすかったです。
勉強になりました。



回答、ありがとうございます。

お礼日時:2014/09/19 13:11

神道は世界にもまれに見る宗教・思想で、一言では中々言い表せません。



アニミズムであるのは間違いないのですが、中核となる教義も神もいません。

神道の性質・性格を端的に現すならば「融合と許容」でしょう。

他の民族・部族の信仰の否定や押し付けを一切せずに、其のまま受け入れる。

此れが神道の特徴です。


一般的な神社には大概は鏡が御神体として祭られていることが普通でしょう。

しかし社によっては石だったり、ミイラだったり、生殖器信仰も存在します。

エジプト神やギリシャ神では、主神が存在し、其れに従う神々が連なります。

しかし日本の古事記には、戦による併合ではなく“国譲り”の件があるのみです。

そして地上は天孫に委ねられ、国の経営において、初めから神の介在がありません。


シャーマニズムに代表される「神権政治」の時代と言う物が、明確には確認出来ません。

初期段階の連合勢力の時代から、合議制を取っていた節が見られます。

其れは強力な中央集権の勢力の古墳等の遺跡が古代に見られない事から推察出来ます。

巨大神殿はありますが、王の為の施設としての巨大な宮殿等が無いのです。

かと言って、神権政治で神官が勢力を誇った痕跡も見つかっていません。

本当に世界に類型の無い文化です。


以上の事柄から推察するに。

(1)其々の部族の信仰が寄り集まったもの

(2)(3)(4)古代から徐々に時間を掛けて融合をしていった物で、「何時から」と明確に規定出来る性質の物ではない

(5)日本人そのものが、神道とも言える


現実には古代から戦はあり、征服も行われていましたが、大和王朝からの「神」の輸出は無かったと考えられます。

何故なら「教義」が無いのですから、何も強制する教えが無いからです。

そして其れは、征服よりも癒合を優先した政策であった事を伺わせます。

現実にアテルイの時代にも、大和に対立する部族と帰順する部族の双方が居た事は、都における饗応と官位の授与の記録から推察出来ます。

すなわち大和との付き合いは、搾取のみの圧政ではなかった事を示します。

此れこそが日本の統治の性格で、神道の特徴でしょう。
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この回答へのお礼

こんにちは。


☆一般的な神社には大概は鏡が御神体として祭られていることが普通でしょう。
しかし社によっては石だったり、ミイラだったり、生殖器信仰も存在します。
◇No.3のお礼にも書きましたが、
私の生まれ故郷の神社(正確には神宮ですが)には、
集落の人が食べた亀の甲羅もご神体として祭られ、信仰(?)を集めております。


☆本当に世界に類型の無い文化です。
◇いえいえ、アメリカ・インディアンなんかそうですよ。


回答、ありがとうございました。

お礼日時:2014/09/19 13:47

1 神道ってなんですか?


     ↑
日本独特の宗教で「神の道」という意味です。
キリスト教と比較すると理解しやすいですよ。

キリスト教は一神教で、体系も教義も明確です。
しかし、神道は八百万神々がいて多神教ですし、
体系も教義もはっきりしません、というか
存在しない、といってもよいようなものです。

キリスト教のような洗礼という入信儀式もありません。
自然や先祖を畏れ敬えば、それでもう立派な信者です。
信者であるとの自覚も不要という、まことにいい加減
な宗教です。

だから、文科省では神道の信者数1億1千万、という
ことになっているのです。
ワタシもアナタも、おそらく神道の信者ですよ。

キリスト教には神と悪魔に対置した正義や悪の
概念がありますが、神道のそれは、清浄と穢れ
です。

キリスト教は創唱宗教、つまり特定の人物が提唱した宗教ですが
神道は自然発生的に誕生した宗教です。


2 古代、日本に神道はあったのか?
     ↑
神道はこのように自然発生的に誕生した宗教ですので
古代から存在しましたが、起源はよく判っていません。
アフリカから伝承した、という説まであります。

ただ、神社をつくってお参りする、という習慣は
3~5世紀に始まったと言われています。
    

3 あったとすれば、それはどのようなものであったのか?
     ↑
アミニズムです。
庭、樹木、山がご神体 よりまし など自然を敬う
ものでした。
人間が御神体になるのは比較的新しいと言われて
います。


4 古代になかったとすれば、いつ頃、神道は成立したのか?
     ↑
何しろ、自然を畏れる、というだけですから、それこそ
縄文時代から成立した可能性があります。
神社などが誕生したのは、前述したように3~5世紀頃です。

5 日本は、本当に、神道国家か?
     ↑
神道には神主がおりますが、神主の親分が天皇です。
又、日本人の多くは自然を畏れ、先祖を敬う心情を
持っています。
だから、日本は神道国家と言えるでしょう。

ただ、その神道という宗教がはなはだ曖昧な宗教でして
信者という自覚すら不要とされていますので、そういう
疑問が出てきてしまうのです。

神道国家というと、神道を体系化しようとした国家神道を
彷彿させますが、あれは本来の神道ではありません。
欧米列強がキリスト教で国民をまとめているのを参考に
して、本来の神道を利用しただけです。
    
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この回答へのお礼

こんにちは。


☆日本独特の宗教で「神の道」という意味です。
◇その「神の道」という言葉の意味するところが分からないんです。
仏教ならば、「仏の教え」または「仏になるための教え」ですから分かるんですけれども、
「神の道」とは何だ?
です。

「かむながらのみち」という意味だという話もあるのですが・・・。



☆自然や先祖を畏れ敬えば、それでもう立派な信者です。
信者であるとの自覚も不要という、まことにいい加減
な宗教です。
◇曖昧にしていい加減な宗教だと思います。
といいますか、
神道は宗教ではない、と思いますよ。



☆ワタシもアナタも、おそらく神道の信者ですよ。
◇わたしは、これでも、一応、生まれ故郷であるド田舎の神社の氏子なんですよ。
その集落に生まれたら、氏子になってしまう(笑い)。
子供のころ、集落の子供だけで、その宮にも籠もり、一昼夜、神さまと寝食をともにしたことがあるんです。
そんじょそこらの人と一緒にされたら心外です(大笑い)。

この神社には、
その昔、集落の人たちが食べた亀の甲羅も祭られております。
小さな祠が別棟として存在しており、新年には、この食べた亀の甲羅もお参りします。



☆人間が御神体になるのは比較的新しいと言われて
います。
◇天皇は別にしまして、
人間が神さまとして祭られる場合、
悪霊・怨霊となり、人々に災いをもたらしたケースが多いですね。
天神様(菅原道真)や平将門なんか、その代表例ですかね。



☆神道には神主がおりますが、神主の親分が天皇です。
◇これは明治以降のことだと思います。



回答、ありがとうございました。

お礼日時:2014/09/19 13:36

日本に限らず、人類が最初に宗教的な感覚に目覚めたのは、未知のものへの恐れ・病気や死などの穢れ・太陽や芽吹きなど周期性のある自然活動への感謝、など身近にある現象に対して、いろいろな知覚を得たときであると言われています。



そのため、世界中のどの地域でも最初の信仰は「アニミズム」と呼ばれる信仰形態で、すべてのモノのなかに精霊が宿るという考え方で、それが地域の文化的な進化によって段々に変化していったと言われています。

ところが日本は、仏教を輸入して体系的な宗教を取り入れたものの、アニミズムもそのなかに取り入れ、現在でもひとつの信仰形態として残しています。それが「神道」と呼ばれるものの本質です。

1 神道ってなんですか?
日本的なアニミズム信仰です。山に畏敬の念をもち山頂に神社を作ったり、日常的なモノである針や箸などを捨てるときに供養したり、最近流行の妖怪ウォッチも「すべてのモノ(事象)に精霊が宿る」という考え方からすれば、非常に日本的なアニメであるといえます。少なくとも一神教の世界では、モノやコトに影響する妖怪は存在しません。

これらの原始的な宗教観と、日本の歴史的な流れの中でそれぞれの地域が大切にしてきた神々を取りまとめたのが神道です。


2 古代、日本に神道はあったのか?
古代をどこで区切るか、というのが難しいですが、少なくとも日本の国つくりの物語には、いろいろな神々がでてきますし、その神様を祭った神社も各地にいろいろな形であります。
どの国でもそうですが、豪族程度の集団から「クニ」になるためには、神話が必要です。

出雲大社の神様である大国主などは、天照に国を譲って地の神になります。
実際には出雲地方を治める大国主は大豪族であったのが、天皇家の始祖である天照と争ったか、または平和的な会議の後、天照の軍団に自分の土地を供出し、段々日本が統一されていくのに貢献した、ということだったとわれています。

3 あったとすれば、それはどのようなものであったのか?
このような各地の豪族を神々として奉り「天照の一族がこの国を統一し、立派にした後は、皆さんの功績をずっとたたえ続けますよ」と約束して出来たのが、後の天皇家になるヤマト王権だったと言われています。

そのため、現在でも天皇の大きな役割は日々の祭祀であり、それはヤマト王権成立時に日本統一後は、各地の豪族を奉ると約束したからに他なりません。天皇が日々、日本の発展を祈っている、というのは文字通り「祈る約束をした」からです。

4 古代になかったとすれば、いつ頃、神道は成立したのか?
原始的なアニミズムはもちろん縄文時代からあったでしょう。文献として残ってはいませんが、今でも神社とか「聖なる土地」と言われている場所が紀元前から大切にされてきた、という証拠が残っている場所もあります。

ただし宗教として体系を持つ形に「神道」が成立したのは明治時代、神道を国家宗教にしてからです。しかし、そのときに全国の神社がいきなり取りまとめられたわけではありませんので、その点をいえば伊勢神宮が成立したあたりから、各地の神社が系列化していったといえるでしょう。

しかし、ヤマト王権かた大和朝廷に変化して行く奈良時代には、朝廷(政府)は仏教を輸入し、国分寺を各地に立てたように、神道を系列化するよりも他の宗教の力を借りて、国を治めるツールとして利用しましたので、神道と呼ばれるアニミズムは長い間、地域の宗教として生き残ってきたともいえます。


5 日本は、本当に、神道国家か?

「神道」という言葉で表せる宗教概念を持つのは日本だけです。俗にいう八百万の神とそれを具現化した神社、そしてそれらを取りまとめる組織(現在では神社本庁。ただしすべての神社が加入しているわけではない)を持つのは日本だけです。

神道は日本の文化でありますし、世界の国々を宗教で色分けするとすれば、間違いなく日本は神道国家であるといえます。

なぜなら、他国のように、国家運営に神仏が出てこないからです。アメリカは大統領宣誓式のときに、聖書に手を置いて大統領になることを宣誓します。イギリスは国家宗教である英国国教会(キリスト教)の司祭がイギリス王の戴冠式を執行します。仏教国であるタイは戴冠式のときには仏僧が重要な役割を果たします。

また、各国の文化や道徳的価値観も各国の主要な宗教の影響を受けています。欧米はキリスト教的な価値が上位ですし、東南アジアの仏教国は仏教的価値観が普遍的です。イスラム教国は教義が法律にまで影響しています。

それに対して日本は、文化的な価値観の主導的な役割を果たしているのは神道であるといえます。「トイレの神様」という歌が大ヒットし、「トイレの神様は、誰もが嫌がる不浄の場所を選んだ神だから、すごく尊い」とうのはすぐれてアミニズム的であるといえます。

日本人の価値基準は神道的なものの他に、アジアで普遍的な儒教の影響と仏教の影響を受けています。
しかし、神道は日本以外の国にはありませんので、日本は神道国家であるといえます。
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この回答へのお礼

こんにちは。


詳しい解説ありがとうございます。

しかし、
何故、日本的アニミズムを「神道」と呼ぶのか、そう呼ぶようになったのか、説明がされていないように思います。
何故、「神道」と言うのかです。


回答、ありがとうございました。

お礼日時:2014/09/19 12:26

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