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昭和初期に交番の巡査(お巡りさん)だった人の世間的な地位、経済的な裕福さ等は
どんな感じだったのでしょうか?

小学校の行事とかあると
肩に房の付いた制服を着てサーベル?をして
来賓席に来ていた事もあると聞きました。

交番?を転々としていたとも。

そんな方の世間的な地位や家族の生活程度等
お分かりになる方教えてください。

A 回答 (2件)

昭和初期ということになるといささか難しいです。


何分にも軍部が突出して戦争遂行を優先していた言わば日本の歴史上も類を見ない時代でした。
治安維持即ち警察権の行使に当たっても軍部の横やりが横行していた時代ですから、一般論は難しいです。
通常の警察官の活動領域が浸食されていた時代です。
軍部主導の思想犯に対する独善的警察権が行使されていた時代です。
特別高等警察(通称、特高)などという組織と本来は軍隊内のみを対象としていた憲兵なども平気で民間人に対して警察権を行使していた時代です。

明治末から大正時代にかけての平常の状態であればこんなサイトがあります

戦前の暮らし 職業編|文學への不實なる誘い - アメーバブログ
ameblo.jp/recherche-du-temps-perdu/entry-11133135916.html
抜粋
注)推定年収です。
絶対額よりも相対的に数値を比較して下さい

総理大臣                           9600円                     
警視、判事、税務局長                   1500円
警部                               500円
巡査部長                            250円
町長、村長                           200円
巡査                               150円

陸海軍々人
大将                              6000円
中尉                               600円
少尉                               440円
准尉                               400円
曹長                               300円
軍曹                               200円
伍長                               150円

教員
大学総長                           4000円
高等学校長、専門学校長                 3000円
大学・高校・専門学校教授、中学・高等女学      1500円 
中学教諭、高等小学                      500円
尋常小学校長                          400円
小学校訓導                            200円

・民間企業、一般職、芸能など

三井家理事                         29400円
住友家理事、鴻池家理事、三菱財閥           9793円
興業銀行頭取、三井物産重役              、3500円
上等俳優、上等力      3500円
弁護士、医師                        1700円
ホテル料理長、新聞記者、上等音楽家、一等芸妓    600円
西洋料理人、ペンキ屋、脚本家、薬剤師、産婆      350円
料理人、大工、左官、植木屋、床屋、看          200円
牛乳配達、新聞配達、小作人                120円
風呂屋の三助、饅頭屋出前持                 20円

相対的には経済的には余り恵まれた職業ではありませんでした。

軍部が突出してくる前にはこんな事件もありました。

ゴーストップ事件 - Wikipedia
ja.wikipedia.org/wiki/ゴーストップ事件

警察官のプライドが非常に高かったことがご理解いただけるかと思います。

学校行事などの来賓としては、公務員がよく呼ばれ地方の名士とされていました。
村長、郵便局長、駅長 駐在さん 消防署長etc
村長と並ぶ名士は校長でした。

大阪や東京などの都市部では伝統的に警察官は敬して遠ざける、という形で扱われていました。
現在と殆ど変りません。
必要最小限のお付き合いということです。

「社会的地位」という表現は非常に難しいです。
少なくてもエリートとしては扱われませんでした。
これは、軍人も一緒です。
昭和初期の軍人は文字通り武力で恫喝していただけで、一般市民はエリート扱いはしませんでした。
旧制大学生や旧制高校生の方が頭脳的に優秀なグループと看做されていました。

公的な行事では公務員として民間サラリーマンよりは上位に扱われました。

明治初期の警察官制度が発足した時期の要員は没落下級士族が大半でした。
地方出身者が多いこともあり大阪や東京では言葉問題もあり、一般社会とはやや距離を置いた存在でした。

警察官というのは地元民との癒着を防止する意味で移動させます。
(滞在期間の長短はあります)
厳格な階級社会ですので、昇格と職場の移動は基本的にはセットとなっています。
この制度的習慣は戦前も戦後も変わりません。
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この回答へのお礼

ichikawaseiji様

  大変詳しいご回答ありがとうございました。
 とてもよく判りました。
 その頃の生活等が想像できるような内容でした。

 お二人とも有り難い回答を頂きましたが、こちらをベスト回答とさせて頂きます。

 本当にありがとうございました。

お礼日時:2014/09/25 16:13

戦争できな臭くなる前くらいまで、としてですが、



交番のおまわりさんは、今の頼りになるおまわりさんと同じくらいの尊敬と、地方公務員としての収入で、まだ小作農とかが口減らしや姥捨てで苦しんでいたのに比べれば、普通に家族を養えていたようです。

行事のときに肩に房のついた制服をきて臨席する「来賓」は、おまわりさんではなく、今でも警察のキャリア組と呼ばれる人がいるように、当時は士族や華族の血を引いたような人が、軍の正装などをして「暇つぶしに行事を回って来ていた」ということでしょう。子爵とか男爵とかいう爵位を持っているような人です。

それだけ、日本にまだ過去のコネクションが影響していた時代のことです。

この回答への補足

trytobeさん

早速のご回答ありがとうございました。

改めてまた質問させて頂きます。

これは義祖父の話なのですが、義母が話してくれた話なんです。
ただ、士族とか華族の出身では無いです。

当時、警察官としての職に就くにはそれなりの家柄だったという事でしょうか?
農家の長男では無い男子が就けるような職だったのでしょうか?
当時の学歴としてはどこまでの学校を出ていれば就けたのでしょうか?

よろしくお願い致します。

補足日時:2014/09/24 13:29
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